無事ということ

御教歌 今日を 無事にくらせる御利益を わするゝ間なく 信行をせよ

 

一日一日を大事に暮らすことです。今日一日二十四時間無事に過ごせるということは、仏様の大きな慈悲の恵みによるものと感謝し、尚一層御看経を頂いて、信心増進に勤めなければなりません。

 

無事ということには、悪い意味と良い意味とがあります。まず、悪い意味から申しますと、悪事をして人に見つからずにすんで良かった。極端ですが、人に危害を与えて発覚しなかった。人のものを盗んで露顕せずに済んだ。口車にのせて人を欺きうまくいった。信心の上では、罪障をふりまき人の功徳を止め歩いてホツとした。御有志をけちって上手く成功した。悪口や陰口を言い合い同調する人が多くなった。お寺のものを掠め取って上手く成功した。

 

これらは、罪障に負けた信者の言うことです。これでいい気になって御法のお蔭だと喜んでいたのでは勘違いも甚だしいと申さねばなりません。御利益は止まり、お叱りを蒙ります。

 

良い意味の無事とは、御法の為に功徳を積まさせて頂いた一日です。まず、念願の教化が一人成就させて頂いた素晴らしい一日です。

 

私のような拙い者の折伏が、相手の心の中に入り、信心を改良して重口んでくれた。奨引の話が出来るようになった。今まではなかなか言いだせなかったが、財の功徳について人に話せるようになった。人に信心の喜びを説くことができた。信心の喜びや御利益談を人に胸張って主張できるようになった。御看経を頂いても、思いのこもった口唱とおざなりの口唱とでは大きな相違があります。今日は真剣な口唱が上げられて良かった。これでなくてはなりません。 

「無事にくらせる御利益」というのは大きな御法のお守りを頂いた一日です。人間とは人と人との間と書き、人が生きるということは、蔭で目に見えない多くの人や物に支えられて生かされて生きている存在です。

お互いは御法の大きな慈悲に包まれて生かされているという自覚を持たねばなりません。自覚が深まると御法を勧め励ますという折伏の心が湧いてきます。 

御指南  「折伏ハ大慈悲也 共時ハはらたちおこるといへとも 終二ハ其真実を知るもの也 故二にくまれにくまれして繁昌する大法也」 

折伏には、怨嫉がつきものです。うらみとねたみです。こちらの言うことをすぐに受け入れ改良してくれれば、こんなに有難いことはありませんが、なかなかスンナリと物事は運びません。「逆縁正意」ですから、逆らいながらついてくるものです。 

騒ぎを起こしても、信心の灯火が消えなければついてきます。信心は生きものとくに腐りやすいです。油断できずいつどうなるか分かりません。今日の同志は明日は敵・今日の敵は明日は友と言う場合がいつでもおこります。御利益を頂いて、喜びに満ち溢れていても、いつの間にか感激がうすれて色槌せてしまいます。 

一、誰が誰に・いつ・どのような話をしたか。

二、それに対して、どの様な反応があったか。

三、どのように説き勧めたか。

四、その結果はどうか。 

この四つの問答の繰り返しが折伏行です。我が強く倣慢で、自信過剰の人に限って、折伏を頂くと腹を立てて怒り狂います。悪口を言われ怨嫉にあったら、罪障消滅だと喜び、褒められたら果報が減ったと思って懺悔の御看経を頂くような信心前を掴むように努めて下さい。


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