ありがとうございます。今日は私の部の秋田さん御夫婦のお話と私が感じた「言ってはいけない」のではないかと思う言葉について聞いていただきたいと存じます。
部の秋田さんは長年、外国で単身赴任をなさり帰国した時は顔に湿疹ができ、日がたつにつれて、ひどくなり両ほほが赤くはれて、医者も方々に行きました。しかし、なかなか良くならず、どうしたら良いかとなやんでおりましたら、ふとしたことで良い医者を紹介され、なやんだ皮膚病が大変良くなってきました。
とても穏やかで優しい方で、御信心は奥さんで三代目ですが、甲乙の御講にも良く御奉公して下さり、良くなられたのも御奉公の賜物と思います。また奥さんはお母様からしっかり御信心の有難さを教えていただいたので今部長を受けて、良く行き届いた御奉公をされています。
先日転んで顔を打ち鼻や顎の骨は大丈夫かと心配していましたら、骨はどうもなく軽受のおはからいをいただきました。日ごろから素直な御信心のお陰と思います。
それから、私が感じた「言ってはいけない」のではないかと思い言葉のことですが、「無理も謗法」という言葉です。
信者にとってこんな都合の良い言葉はないと存じます。自分のなまけ心が無理も謗法という言葉によってなまける言い訳になると考えました。この御信心は日時や家事など多少の無理をしないと出来ないと思います。
私も麻布の時の2年間、泊まり込みの御奉公など、ずい分無理をした面もありますが、それを無理と感じた事はなく、その分御法様が見てて下さって、何かと助けて下さっていると思います。
無理にも限度がありますが、この言葉を聞くのが多い様に感じます。私は無理も謗法という言葉を封印し、御奉公に励みたいと存じます。ありがとうございます。
山本
御教歌 おこたりを人に見するもわろきをば かりすすむる よほど重罪
追伸:山本さんは麻布で2年間、泊まり込みの御奉公をされましたが、それは随喜の思いからだといいます。2歳の時、眉間のあたりをテーブルの角にぶつけて、その衝撃で目の前が真っ白になったといいます。
そして、まぶたを支える筋に異常をきたし、目を開けることができなくなってしまったのこと。2歳の時でしたが、その時のことをよく覚えているそうです。それから、親御さんに多くの病院に連れていかれましたが、医者からはこの子はあきらめた方がいいと言われたそうです。
その時になって、親御さんははじめて気づいたのです。御宝前にお任せしているのを忘れていたと…それから、麻布時代の乗泉寺に親子でお参りが続き、そして、なんと日歓上人のお膝の上で御題目をお唱えしていた所、目が開いたのです。
この時、4歳だったとのことです。その時の感謝の気持ち、少しでも恩返しにと御奉公に励まれているとのことです。
山本さんはいいます。いままで沢山の御利益をいただいてきた。真剣になってお願いをすれば、御宝前はちゃんと私たちのことを御覧になってくだされていますと…