班作りが成功しても、班内信者の交際が円滑にいかないようでは、作りがいがありませんし、せっかくの努力がむなしい結果になります。それで親密増進を進行させる交際の工夫が重要な課題として残るわけです。ではどうするか、まず、よき友こそ人生の財宝だということを悟ることです。信心の幅を広げ、厚みを増すのは信心の友のいかんによります。立場の違う友達との交際が長く続けば、相互の影響でたくさんの人生の知恵を、知らぬ間にわがものとすることができ、豊かさ増し、ご奉公が上達します。勉強でも一人ぼっちでは一生かかってもたいしたことはありません。交友の範囲が広がれば、自然とこちらの幅も広がります。
「異体同心なれば万事を成ず」との祖訓のごとく、立場の違う信者同士が妙法を中心にして結束し、協力すれば、どんな難題でも解決する力を生み出します。三人でも文殊の知恵が生ずるといわれているくらい結集する力は偉大ですが、同時に、相互の影響力で個人個人の進歩のすばらしいことも銘記すべきです。とにかく信者は交友の範囲を広げてください。
班長組織は、信者の交友関係の一番小さい単位ですが、ここが親密増進の稽古を始める第一の関門で、信心を練磨する宝の山の入口、ここでのご奉公が不成功に終わっては、前途に光明が輝きません。班内信者を円滑にするご奉公を軽視してはいけません。
では、どういう心構えが大切で、どんなやり方が必要か、信心常識程度のことですが、若干述べてみましょう。その一つは親切です。先方の立場になって考え、慈悲行の折伏をその間に貫くのですから、あせってはだめで、あくまでも親切心がものをいいます。恩にきせたり、ほめてもらおうなんて野心はおさえないと、骨惜しみのない親切はできないものです。
その次は信用を落とさないこと。「法の友同じこころのはじまりは いつはりがちのふるまひなせそ」で、うそいつわり、裏切り行為は不信を招くもとと心得、ごまかしや陰ひなたのある行動、さらに悪口や陰口をいいふらす低級な行動は、信用度を下げるばかりで厳禁です。それより他の少々の美点でも探し出してほめる稽古をすることです。ただし、見当違いはお世辞になって軽蔑感をいだかせ、逆に信用を落とします。
口先だけのやり方も人間関係をよくする道ではありません。むしろその場合には「沈黙は金」です。間ということの大事さも心得て下さい。親切が過ぎて押しつけがましくなり、「うるさいなあ、しつこいなあ」と思わせては親密度は増しません。私事に立ち入り過ぎるのも考えものです。そういう行き過ぎの弊害除去に役立つのが間を置くということで、反応を見たり、距離を置いて眺め直したりする大事な人間の知恵です。