先日、部内のお通夜の席で、受持お講師が「祭壇になぜ御本尊をおまつりするか知っていますか?」と突然聞かれたので返事に困った。するとお講師は「私達には死者の霊魂の行末を幸せにする力も何もありません。
そこで御本尊の前に死者を安置し、皆で本門八品所顕上行所伝の御題目様を口唱して寂光へお導き下さいと、ひたすらお願い申し上げるのです。もし御本尊がなかったら、お通夜、お葬式も何の意義もありません。当宗の御本尊こそこの荘厳な儀式の中心であり、最も大事な御本尊です。
例えば五段・六段もある大きな祭壇の間に懐中御本尊がチョコンとおまつりしてあるのは如何でしょうか?他の人達が見て確かに御本尊に向かって口唱している様には見えますが、成仏を叶えて頂ける御本尊ですと、人々に折伏している姿とは申せません。私達のご信心はすべて御弘通になる事相がなくてはなりません。
お通夜、お葬式の際の懐中御本尊はどうしても大きい御本尊をおまつり出来ない家に限って特別の場合におまつりすべきです。それを当然の様にどこの家でもおまつりするのは、この上ない結構な当宗の御本尊と御題目を世間の人々に授けてあげるという御弘通の思いが薄くなった証拠です。こういった消極的なご信心のさせて頂き方は、山に閉じこもって修行した昔のご信心の仕方と同じです。御弘通は止まり、御利益が段々頂けなくなってしまいます。
今の内にしっかり改良しなさいとお折伏を頂き、早速私達の教区では、今後大御本尊をお迎えさせて頂く様に改良した。
(昭和44年10月発行)