バザー報告

5月6日に今年度2回目となる青年会バザーを開催いたしました。今回は、朝参詣終了後8時半~10時までの一部と、弘通促進大会終了後の12時~1時までの二部と分けて行いました。

当日は晴天のお計らいを頂き、朝参詣終了後の一部では、バザーに来て下さるご信者さんの数が少ないと感じていたのですが、弘通促進大会終了後の二部では、多くのご信者さんに来ていただき、大盛況となりました。

また、今回のバザーでは未使用のみの出品をお願いしたため、本当に品物が集まるかどうか不安だったのですが、多くの方に出品していただきました。

今回の売り上げは御有志を含め、青年会の活動費として有効に使わせて頂きます。たくさんのご出品、ご来場ありがとうございました。


御奉公日記

先日、田舎の教化子の処へ行ったらこんな話しを聞かせてくれた。娘の婿が、新御本尊を奉安のままふく面もせず、左手にヒョイと抱えて二階の柱へぶらさげたらその途端左腕が激痛と共に動かなくなってしまった。

 たまたまそこへ私が選びに行ったので良かったのだが、娘は夫の腕をさすりながらただオロオロするばかり。どうしたんだと聞いてみると、「下がせまくなったから二階へ移したのだ」と言う。「それは罰があたったのだから、直ぐにお看経しなさい。お供水をつけなさい」と言うと、婿が本気にせず照れくさがっている。

 それでも無理につけさせたら、いくらか良くなったらしく「俺はこれから静岡まで荷物を運ばなくちゃならないんだ」と、痛さを我慢しながら車で出掛けて行ったので、娘と二人でおわびのお看経を一生懸命させていただいたところ、一時間ほどして長距離電話があり「途中までくると、急に腕の痛みがとれてすっかり元通りになったから、安心してくれ」と言う。

 「それは今、お詫びのお看経をしたから御利益をいただいたんだ。これからはちゃんとお給仕しないとだめだぞ」と言った。それからは、娘が御宝前のお掃除はする、婿は朝夕よく手を合わせて御題目を口唱するの改良ぶりで、商売も順調で大変喜んでいるようだ。

そして、教化子は「あなたが信心の仕方をいろいろ教えてくれたお陰で、娘夫婦が信心を覚えるキッカケが出来たんだ」と私にお礼を言った。

 (昭和44年7月発行)

 


後続者養成

御教歌:ふるひにも あたらしいにも よらぬもの 信者は利益 あらはしにけり

(本尊抄会読・扇全6巻143頁)

ご信者にとって大事なことは、御利益のいただきかたを知ること、逆に最も恥ずかしいことは、それを知らないことです。「信者成佛謗者堕獄」は当宗の鉄則でして、素直正直な信心の所には必ず佛の慈悲の恵みが流れてきます。「御利益に配達なし」でして、つねに口唱の御法味を絶やさない、同時にお寺参詣を欠かさない、これが必須条件です。佛さまの慈悲はだれかれの別なく平等で、古い信者も新しい信者も差別しません。そこで古い信者の大事な点を列挙してみます。

①まず、後に続く人の為に模範を示すべきです。何十年という信心の歴史を積んでおりますので、その精神を活かして、明るく楽しい信心に徹してください。先輩の信者の背中を見て、それを手本として後輩の人が育ってきます。信心が古くなりましたら、「自信と勇気と希望とをもって」信心の尊さや御奉公の喜びを後に続く人に説いてください。これが大事な御奉公です。

②後続者育成の使命があります。人を育てる為には年月がかかります。根気強く、しかも親切心をもって、きめこまかく指導してゆかねばなりません。教えて、つきはなして、抱きかかえる、これの連続です。教育とは教え育てる、この二つは一体でして、信心教育には、負けん気と根気と慈悲の三要素が必要です。

○「当講内は初心の人をそだつるを第一と心得べき也。初心が後心になるもの也。謗法あらば、あらく呵責せず、よくわけのわかるように説き示すべし」

(青柳厨子法門抄第二・扇全3巻11頁)

③「古法華利益なし」という場合の古いというのは、お看経があがらないことです。口唱なしで御計らいをいただくことはできません。いいかえれば、口唱、参詣を怠るからです。

それにひきかえ、新しい信者はよく教務さんや先輩のご信者の指導を仰ぎ、御奉公の仕方を憶えてください。自分なりに、信心の歴史を築きあげてゆきましょう。思いがけない出来事に遭遇した時、御法におすがりして、一つ一つ問題を解決し、充実した信心生活をつらぬき通してゆかねばなりません。信心には現証入の信心と法門入の信心とがあります。病気全快、家庭円満、心願成就などの現証をいただいた信心は根が張って磐石です。

○「現證入の信者は真実の信者にて、人の言葉に動く事更になし。法門入の解者は信心定まらず」

(十巻抄第三・扇全14巻412頁)

○「現證の事は当講始より明治廿三年迄。三十四年め也。其間に見聞する現謹は九死一生の病、難治に定たる病、又は大工、手傳、車引、ヤケド、ケガ、公事訴訟事、何によらず、可不思議、奇妙の御利益を蒙りたり事、見る事、聞く毎に、清風は驚き感心せざる事なきが上にて。」

(十巻抄第三・扇全14巻412~413頁)

現今、見聞いたしますと、借金の山、ゴミの山、犯罪の山、増税の山、それに愚痴の山という山ばかり。物で栄えて心でほろびるとも言われます。それにつけてもお互いは蓮華人となって、泥中に美しい花を咲かせるべく、一日も長生きして妙法弘通に精進しましょう。口唱と朝参詣は信心を育てます。そのうえ御法門聴聞によって信心を引き締めてください。信者は他の人とともに、他の人の為に御奉公に励みましょう。養生の基本は快食、快便、快眠にあることを肝に銘じてください。

○「如何程の善人学匠にても化他弘通の志なき者は不成佛也。如何なる愚者女人にても化他の心あるは菩薩也。如来の御使也。」

(暁鶏論・中、扇全11巻108頁)

御奉公の意はお祖師さまのお使いに徹することです。

自分を忘れてお使いさせていただくのですから、自信と勇気とをもってください。「己れをすてて他を利するは慈悲の極み」ですから、無私に徹し、無我の愛に生きましょう。


5月13日お総講御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただいたことをご紹介させていただきます。尚、内容につきましては私自身の主観も入っておりますのでご了承下さい。

 ◎御教歌:たのしみは よのうきわざの 中にしも たへのみのりの つとめなりけり

 御教歌の「うきわざ」とは「はかない世の中」という意味です。この世の中は無常で、常に物事は移り変わっています。変化することのないものは、仏様のみ教えだけです。

 トラは死して皮を残し、人は死して名を残します。私達佛立信者は、仏様のみ教え通りに信行御奉公に励み功徳を残すことが大切です。言い換えれば、自身が御題目口唱の味を知り、それを他の人にもお勧めする御弘通御奉公に励ませていただくということです。

 心は言葉に表れますから、特に「お陰様」「ありがとう」「すいません」の3つの言葉は大切にしていかなくてはなりません。

 (所感)

 御法門の最後に「言葉」についてのお話をいただきました。私はご信心をさせていただいてから、「言葉の力」というものを感得させていただいた様に思えます。上行所伝の御題目を口にすることは、他の文字の朗読とは全く異なります。何故なら、御題目以外の文字をいくら口に出しても状況が変わることはないからです。御題目口唱によって御利益をいただいた時に初めて、私達は「言葉の力」の存在をはっきりと感得することができるのです。(S.M)


協力の徳

「百喩経」というお経の中の話『悪い象に卵を踏みつぶされた雀は、啄木鳥(キツツキ)に訴えました。「どうか私のうらみをはらしてください」啄木鳥は「苦しむ友を見捨てぬのが真の友といわれているから力を貸そう」といって、蠅と蛙の協力を得て、悪い象の征伐にかかりました。弱い動物たちは相談し、蠅は象の耳に入り、啄木鳥は象の目をつきました。

盲目になった象に蛙は鳴き声を出して水のありかを示すようにして、深い穴へ導きました。悪い象はついに穴へ落ち込んでしまいました』ここには、弱者同士が自分の身を守るために、どう協力すれば勝つかそのやり方が説かれています。協力は弱者を強者にします。

昔から「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあります。愚か者でも三人集まって相談すれば、よい分別があるものという意味、文殊菩薩は仏教では知恵をつかさどる方です。

また、「膝とも談合」とよくいうでしょう。窮して相談相手のないときは、自分のひざでも相談相手にしろということですが、相談するに足りないと思う人にでも、相談すればしただけの御利益がある、協力で利口になるという意味。

佛立開導日扇聖人は、常講歎読滅罪抄に、信者堕獄の条々として、三つの項目をあげておられます。その一つに「異体同心と口にのみいひて、我慢強く同破のこと」という一項があります。

信者は異体同心の祖訓を奉じ、ご奉公すべしなどと、口では強調していても、我慢強くて協調精神がなく、同心を破るときは、信者でも堕獄の業をつくると、仰せられた御指南で、協力体制を破る人を厳しく戒めておられます。信者の協力は、ただ派閥を作ったり、徒党を組む世間の仲間意識で団結するのではなく、崇高な妙法弘通をめざしての協力関係ですから、これを破壊することの、恐ろしさをご指摘くだされたのです。

梅雨時の田園風景中、共同作業で田植えをしているのを見ると、人間の協力美を感じます。最も親密な両親とか兄弟が協力しないで困るなどという話を聞くと嫌な気持ちになります。当事者もさぞ不愉快なことでしょう。

ですから、、隣人との交わりも、勤務先、その他周囲との関係は、争わぬよう心がけ不愉快のたねを減少することが肝要です。世を恨み、人をとがめてばかりいる人は、周囲の人々との関係に配慮が不足で、協力から生ずる楽しみを知らないようです。

日頃相談し合ったり、力の貸し合いのできる人は、人間関係の調節が上手な人で、今日を愉快に暮らしているに相違ありません。気持がよければ、それが健康にも影響し、気持に余裕があれば勉強も楽しく進み、人にも親切になり、さらに愉快になること請けあいです。信者は信心生活で協力の徳を体得し、足並みそろえた楽しい日々を送ってほしいものです。

日晨聖人要語録より