日記①
「信者と名がつく家には、例え一軒でもコツコツ助行に廻って、その家に当てはまった適切な折伏をし、信心の仕方を親切に教えてあげる。こういう地道な御奉公が本当に功徳になる」と、ひろめ会に立ち寄った時耳にしたので、一日一軒でもと思い助行に出かけた。ある家で「2才の女の子がぼうこうの病気で絶えず苦痛を訴えるので、医者通いをしているが」という。信者として当然の朝夕のお看経すらさっぱりあがっていない事を聞いたので「新しい信者で、御尊体までまつってありながら、御本尊様が栄養失調で、あなたの家を守ってあげたくても元気が出ないんですよ」と、お看経の大事な事をすすめた。二・三日後、心配だったので再びお助行にいったら、何日医者通いしてもさっぱり効果がなかったのに、朝晩十分位の口唱で苦痛がなくなるなんてと言い、不思議な顔をしていた。
日記②
教化子の畳屋さんが、店付きの家をもちたいと思いながらも、持主が誰かにそそのかされたのか、やっと九分どおり話がついた好条件の家を急に売らないとつっぱねられて、ベソをかきながら愚痴を言って来たので「あなたは入信していたけれど、本心から信心する気がなかった。今から改良して御題目を例え三遍でも唱える気になりなさい」と折伏した。すると、翌日ニコニコ顔で「昨晩先方から電話が来て、是非買ってくれと、鬼が仏になった様な話にうれしくなって、報告に来た」という。お講も今月からたてたいという。適切な折伏は大切と痛感した。
(乗泉寺通信昭和44年5月号掲載)