私は昨年の9月に体調を崩し、長年勤めていた会社を辞めました。これからは無理をしないで、お寺や教区の御奉公を優先出来るような仕事を選ぼうと考えておりました。
そんな折り、近所の金物店を経営する同級生の友人から、「あなたの都合を優先して良いから、工事のアルバイトをしないか?」とお誘いがありました。これは願ってもいない話だと思い、喜んで承諾致しました。早速、お寺や教区のお参詣や御奉公の日程を優先しようと、シフトを提出致しました。
しかし、たまたまその月は思いもよらず仕事が忙しく、多くの工程が立て込んでおりました。お店からも「人手が足りないので、お寺の日も仕事を入れてくれないか?」と頼まれ、つい仕事を入れてしまいましたが、それから徐々に甲の御講まで、アルバイトを優先してシフトを組むようになってしまいました。
今年に入ったある日、朝の御看経を終えると、何故か急にヘルメットのことが気になりました。(前日は、トラックにヘルメットを積んでいないことに気がついていましたが、「まあ良いか!」と軽い気持ちで危険な作業をしておりました。
店に着いて、トラックに作業道具を詰め込み、朝のことがありましたので、ヘルメットを積んで現場に向かいました。現場に着き、昨日と同じ約三メートルの高さにあるシャッターの上の補修工事に取り組みました。その日は仲間がはしごを支えてくれ私も安心しておりました。
仕事の途中、はしごを支えていた仲間が、別の用事があるので、「ちょっと待ってくれないか。」とどこかへ行ってしまいました。しばらくの間、待っていましたが、なかなか戻って来ないので、このままだと今日中に仕事は終わらないかもと、少し焦り気味で、そのまま一人で仕事を続行することに致しました。
足を踏ん張った瞬間、はしごがシャッターから滑り、気がつくと約三メートルの地点から仰向けでコンクリートに叩きつけられておりました。一瞬頭が真っ白になり、身体中に激痛が走りました。私は「うーん」と唸りながら、気がつくと必死に御題目を唱えておりました。
仲間が慌てて近寄ってきて、私が倒れている様子をみて「大変なことになった。」と血の気が引いておりました。15分位は仰向けに寝ながら大丈夫と手で合図をしながら、痛みに耐えていました。しばらくすると壁に手を添えて立ち上がることが出来ました。摺り足ながら、何とか一人で歩くことが出来たので、仲間に補助され、痛みに耐えながらも、その日の内に仕事を再開してしまいました。
帰りの車の中で、仲間達が「奇蹟だ」としきりに言っていました。私はこれは「ご信心のご利益だ!」と声を大にして言いました。今まで、ご信心の事を小馬鹿にしていた仲間もこんな不思議なことが本当に起こるのかと真面目な顔をしていました。この日は土曜日でしたので、湿布でも貼って翌月曜日に医者へ行こうと軽い気持ちでいました。
ところが翌日は激痛でベットから身動きが出来なくなってしまいました。1時間くらい掛けて何とか立ち上がることが出来ました。ゆっくりですが、歩くことが出来たので、自転車を支えにして、近所の接骨院に行きました。事故のいきさつを伝えると「本当に歩いて来たのか」と疑いの目で見られました。
「普通なら救急病院行きだ!下手すれば一生車いすでもおかしくない。何よりヘルメットがなければ、あなたは今ここにいないよ!」と言われ、改めて御法様に助けて頂けた感謝の気持ちで胸が一杯になりました。それから1週間位は仰向けには眠れないので、椅子に座ったり、正座をして膝の上に座布団を重ねてベットに顔を埋め、痛みに耐えながら、起きている限り御題目を唱える日々でした。
教区長さんに電話をしましたら、「何でもっと早く連絡をくれないの!」とお叱りを受けました。早速、次の日御講師、連合長さん、教区長さんにお助行を頂きました。御講師に事故の話を聞いて頂きますと、「今回の事故は、大難を小難に変えて頂いた大変な御利益ですが、同時に御法様から信心改良をさせて頂きましょうという御罰を頂戴されたのですよ。」とご指導を頂きました。
この言葉を受けて私は身に覚えがあったので、御法様に対して本当に恥ずかしく申し訳ない気持ちになりました。前の仕事を辞めた時に、「これからはお寺や教区の御奉公を優先し、出来る限り御奉公させて頂きます。」と大見得を切って宣言していたにも関わらず、気がつけば仕事仕事と言って、御奉公に全く顔を出さないでいたことのお叱りを頂戴したのだと思いました。
今改めて思うことは、私自身、御法様や連合教区の皆様に常にお守りを頂いているのだと確信をした次第です。今後は更なる信心改良に努め、何事に於いても信心第一で、精一杯お参詣・御奉公に頑張らせて頂きます。ありがとうございました。(K.T)