誕生:明治2年5月2日 京都今出川 幼名弥惣吉入信:明治28年25歳
教化親:森下トミ(田中家に出入りの魚売人)
得度:明治27年7月1日 日聞上人ご剃髪
師憎:日教上人の最初のお弟子
乗泉寺住職:明治34年12月28日拝命
寒参詣のはじまり:明治36年正月より寒30日間
第2支部設立:大正4年本門佛立講東京第2支部設立
日本第一の弘通家:大正4年日随上人より称賛される
住職継承:大正12年11月12日 日晨上人に継承
中興開基:大正13年御弘通の功績により尊称がおくられる
世田谷御隠居:大正13年7月11日
講有位御加歴:昭和11年4月 講有位加歴進達式
御遷化:昭和19年5月30日法寿76歳
「寒参詣のはじまり!」
日歓上人が乗泉寺第十八世住職に御就任されましたのは、明治34年12月28日のことです。当時の乗泉寺は信徒数7戸の小さなお寺で、建物も荒廃したお寺でした。その年も暮れ、翌明治36年正月から寒30日間には、教化誓願成就の祈願寒参詣をはじめられ、一軒一軒お助行をされての寒参詣のはじまりでし。この寒参詣がその後定着し、宗門の年中行事の一つとなったのであります。
「口唱一途と関東一円の弘通教線拡大」
日歓上人は口唱一途のお方でありました。あくまで不言実行の人理屈よりも信心。勉強よりもまず口唱。それが日頃の信条で、行住坐臥ただ口唱の一途のお方でありました。
一、私は日本国中誰にも負けないように御弘通をさせていただこう。
二、私は日本国中誰にも負けないように沢山御看経をさせていただこう。
三、私は大尊師の御教え通り信心で押し通させていただこう。
と三つの誓願をされての御弘通御奉公でした。
関東一円の弘通教線拡大は、大正5年鎌倉親会場の設立が、その始まりでありました。明治の末から大正12年までに得度されたお弟子の方々は72師の多きに達し、御弘通もその教線は関東一円にと拡大されたのであります。
「日歓上人の御指南、3つの急所」
1、第一は口唱也
この有難い御題目は、心がすすまなくてもよけいに唱えさせて頂け。それが結構である。心で有難いと思うても唱えねば徳にはならない。現世未来の御利益はみな口唱にある。
2、第二は御奉公の心得
◎部や教区内が発展するように御奉公させて頂け。
◎お講参詣、またはお助行でも、家は汚なくても、お茶一杯出さなくても、どうかこのご信心が増進するようにと御奉公させて頂け。
◎お教化でも自分の力の及ばぬ処を、御法にお願いしてさせて頂くことが大切である。
3、第三は家の御宝前へのお給仕
自分の家が元で他に及ぶ。外のことをしても家のことをおろそかにするようではいかん。
御教歌 損すると おもふな得の ある事ぞ みのりのために 骨惜みすな
日蓮は ものしりでなし 信者也 門祖も祖師の御弟子也けり
おぴにおん91,92より