「私のご信心は三年前に妻を亡くし、妻にまかせっきりだったご信心を引き継いだのが切っ掛けでした、その後、教区長をはじめ諸先輩にお世話になりながらお講参詣、お寺参詣、お助行に励んでまいりましたが、お教化だけは出来ませんでしたし、又、やる気もありませんでした。何故なら私自身がいまだ信心の喜びということに懐疑的であり御利益、お計らいと言う事にも素直になれずにいた為です。
しかしながら最近「信じる」 と言う事に関心を持ち始めました。御導師やお講師の御法門の中に信じるという言葉が良く出てまいります。お話の内容から解釈すると「信じる」 と言う言葉は単に信用すると言うことではなく、ご信心のお計らいを持ってすべての事柄が改良(良い方向に向かう又は良くなった)すると考え 「妙」 の不思議を信じる事だと気づきました。
それからはお看経の度に必ず「妙」により良いことが起きる。たとえ悪いことであってもお計らいで少しでも良い方向に向かっていると信じております。その結果すべての事が前向きに考えられるようになりました。この信じるということに気づいてからは自分が前向きになるだけでなく、お教化により一人でも多くの人に前向きな生活の術を知ってもらおうと考えました。
さて、実際にお教化をさせていただこうと考えたときに正法帰入のご祈願をしている中に現役時代の同僚で難病に苦しんでいる友人がいる事に思い当たりました。闘病生活を前向きに過ごしてもらう為に彼をお教化してみようと考えました。
先ずは彼をお寺へ連れて行くことでした。彼はかねがね仏法に関心を持って他宗の講話などに興味を持ち、よくTVなどで講話を聞いていたようですが、メディアを通してでは無く、直に講話を聞いてみたいとの話しをしていました。
そこで乗泉寺で御導師の御法門を聴聞してはと話を持ちかけ、お総講の日にお寺へ参詣することを勧めました。妻が亡くなったとき葬儀をお寺でやった関係で彼が一度お寺へ来ていた事も幸いし、これもお計らいかも知れません。立派なお寺へ行けることでもあり、行ってみようかと承諾を得ることが出来ました。
最初は4月25日のお総講の日でした。お寺では受持のお講師ともご挨拶が出来、お参詣の後、偶々お会いした教区長を交え食事をしながら和やかに話をする事が出来ました。その後も2回程お寺へ誘い、5月の中旬に会った時、佛立宗へ入信してみないかと持ちかけたところ以外に簡単に費用が余り掛からないのであれば信心してみようとの了承を得ました。
早速、次に会った時に入信書をもらうことにして、細かい話を聞いてみますとお墓は他宗で兄が亡くなっているので自分が継ぐと言うし、奥さんは他の宗教に入っていると言う、その他色々と難題がありそうで無事奉安することが出来るかどうか自信が無くなりかけたとき、教区長に相談すると、「何を弱気なことを言っているのですか、先ずは無事奉安のご祈願をかけましょう。今日から御本尊奉安の為、お線香もう一本お看経をしましょう」と心強い返事をもらいました。お講師とも相談していただき、ともかく入信書をもらうことにしました。
その後も教区長のアドバイスもあり、御本尊を奉安する厨子等の仏具をそろえて御本尊奉安の準備をしてもらいました。家が散らかっているので余り人には来て欲しくないなどと話しておりましたが、お計らいをいただき6月16日に無事ご奉安を確認して頂きました。
以上、実際にあった事を並べてみましたが、色々反省もあります。先ず自分自身がもっと強く「妙」の不思議さを信じ。、ご信心に邁進しなければならないこと。次にせっかくお計らいでいただけた教化子をお寺参詣やお講参詣へ一回でも多く誘い早く一人前の信者に育てること等、問題山積です。お教化は出来ましたが本当に大切なことはこれからだとの思いが現在の正直な感想です。(M.H)
平成16年 信行体験談集 『法灯』より