第4B れんげまつり

市場第4ブロックは2月12日に「れんげまつり」で、三浦半島に行きました。当日は天候にも恵まれ、絶好の行楽日和の中、総勢84名でバス2台で、朝9時に乗泉寺を出発しました。往きのバスでは、お講師からお祖師様のご生涯についてのお話をいただき、またバスガイドさんより、道行く風景のガイドを聞きながら車中で過ごしました。 

11時過ぎに最初の目的地である三崎の「うらり」という市場で買い物をしました。そこには新鮮な海の幸が沢山あり、どれも美味しそうなものばかりで、目を楽しめつつ、それぞれの買い物を楽しみました。 

城ヶ島その後、城ヶ島に移動し、食事処で新鮮な鮪を使った料理を美味しく頂きました。昼食後は各自で灯台や海岸などを散策し、本当に天気がよく、城ヶ島から伊豆半島、そしてお祖師さまのお生まれに成られた房総半島も見え、また富士山も望むことができました。海も綺麗で、気持ちの良い空気も吸えて、健やかな一時を過ごすことができました。 

第4ブロック次に城ヶ島から少し離れた農園で、イチゴ狩りをしました。とても甘いイチゴで練乳をつけなくても、美味しく頂けました。また、そこで集合写真をとり1日のよい思い出づくりとなりました。 

帰りは目立った渋滞もなく、予定より少し早めに乗泉寺に帰山することができました。皆さん、楽しい1日を過ごせたと喜びの表情であふれていました。(T.K)


東日本大震災 一周忌法要

平成24年3月11日には、「東日本大震災」の一周忌を迎えます。被災地の復興は程遠い現状ですので、出来る限りの支援を続けてまいります。一周忌法要は現地へ各団体・各方面から集結して大混乱になることが予想されます。多くの人に参加していただくため、乗泉寺本堂にて千名規模の「一周忌法要」が奉修されます。 

日時 平成24年3月11日(日)10時~12時30分

場所 渋谷・乗泉寺

参加者 日教上人門下 教講一同 

東日本を襲った今回の巨大地震は、これまで日本で起きた災害の中では予期せぬものでありました。原発への被害も重なり範囲が拡大し、発生後の対応でも多岐に亘ってのものとなりました。 

例えば、がれきの撤去やライフラインの復旧など、まだまだ困難を要します。被災者の心のケアの問題もあります。 

通常の支援はもとより、私共佛立宗のご信者は、信仰の面からも引き続き支援をさせていただきましょう。


京都本山参詣にて

私たち夫婦は、平成21年12月27日から一泊二日で京都本山(宥清寺)へのお参詣と旅行を楽しみにしていました。ところが23日朝、ギックリ腰を再発。以前より腰痛やギックリ腰の治療を続けてきましたが、今回は祝日のため安静を保ち翌日から治療を始めました。 

京都出発の27日朝、歩けるようになっていたので荷物を最小限にし、キャリーバックを杖代わりに出発しました。新幹線での移動等に不安もありましたが無事京都駅に着きました。観光客で賑わいをみせる地下街へと移動しましたが、突然倒れんばかりの強烈な激痛が腰を襲いました。もう一歩も歩くこともできず、カタツムリの様に近くのベンチまで移動するのがやっとでした。 

私も妻も旅行中止、もしくは京都で入院と覚悟したほどでした。その後、数時間を近くの喫茶店で過ごし宿泊する新都ホテルまでゆっくりと移動、チェックインまでロビーの椅子で休みましたが痛みが強く、心の中でお題目を唱えていました。部屋に案内されるなりベッドに横になり痛さが和らぐのを待ちつつ安静にしていましたが、不安な気持ちでいっぱいでした。午後三時を過ぎた頃、少し動けるようになりました。私は今から宥清寺へ行く、と妻に話しました。実はこの時妻も本山参詣ができますように、と強く念じていたとのこと。 

妻の肩を借り、ゆっくりと痛さに堪えつつタクシーに乗り行き先を告げると、宥清寺には何度も客を運んでいるとのこと。佛立宗の事を話している間に到着、ギックリ腰を気遣い境内で下車。私は数十年の時を感じつつ、新しく葺き替えられた本堂の大屋根や境内を眺めました。大屋根が夕日を受けキラキラと眩しく輝いていました。その本堂から夕方のお看経が大きく響いてきます。早く…早く…と招いているようでした。急ぎ(ゆっくりしか歩けませんが)本堂へと上がり、前列中央へ着座した時、再び激痛が襲いました。 

すぐ目の前に御本尊と御尊像が、本堂内には大きな声で口唱する若い教務さんと私たちの後方末席で拍子木を打つ信者さんだけ・・私たちもさらに大きな声でお題目を口唱し始めました。しばらくするともう一人の若い教務さんが太鼓を叩き始めました。本堂の中で一瞬、御本尊様以外何も見えず何も聞こえなくなったように感じました。

もう夢中でお題目を大きな声で唱えていました(私たちだけでなく本堂の隅々まで大勢の参詣者が唱和しているように感じました)お看経が終わり静寂になった時、隣の妻が「こんなに気持ちよく唱和できて感動した」と、私は一緒に唱和した教務さんが御信者さんにお礼を述べ、私も「すごく良いお看経で気持ちよかったね」と静かに立ち上がりました。・・・なんと驚いた事に腰の痛みがなくなっていたのです。普通に歩けるようになりました!私たちは御宝前に何度もお礼を述べ本堂を出ました。外はすっかり暗くなり冷たい空気も気持ちよく爽やかな感じで深呼吸しました。現証御利益・・・。 

なんとその時偶然にも紫色の衣で正装された御講有上人とお付きのお講師が目の前に。たった今頂いた腰の事をお話した所、にこにこと頷き、暖かな笑顔で「良かったですね」とおっしゃって下さり感激しました。妻はスタスタと歩く私の様子に感激し喜んでくれました。翌日再びお礼のお参詣をし、古都京都を楽しみました。 

その後、心配していたギックリ腰は嘘のように影をひそめ、寒参詣も無事皆参できました。健康で元気にお題目口唱が出来る喜びを教えていただいたのだと思います。ありがとうございました。(S.K)

御教歌      御利益の あまりふしぎの うれしさに うそではないかと うたがはれけり


新座別院・餅つき

もちつきありがとうございます。11ブロックでは2月26日(日)10時半より新座別院において「れんげまつり」を開催させて頂きます。 

今年は建物を飛び出し、屋外の駐車場で「お餅つき」をすることになりました。臼と杵を使った現代ではなかなか味わえないお餅つきを体験できます。また、そのついたお餅を色々な味で楽しむこともできます。  

是非とも新座別院へ足をお運びください。そして皆さんで、外の気持ちいい空気をすいながら、ついきたての美味しいお餅を味わいましょう。お待ちしております。(M.T)


青年会活動報告

世田谷バザー①1月29日(日)朝参詣後、世田谷別院にて、青年会バザーを開催しました。 

毎年、外で行っていましたが、この日は凍てつくほどの寒さであり、大人の方々のご配慮により、暖かい室内で行うことができました。 

 

世田谷バザー②

 

品物の数は例年より少ない状況でしたが、大特価の値段で売らせていただいたところ、ほとんどの品物がなくなり、大盛況でした!

 

 

当日足を運んでいただいた方々ありがとうございました。また、たくさんのご有志もいただき、ありがとうございました。収益金は、今後の青年会活動費として大切に使わせていただきます。(K.Y)


朝参詣に支えられて

冬空私は、五年くらい前から朝参詣を続けさせて頂いております。始めたころは、朝起きるのもつらく、気合いを入れて頑張って起きていました。それが今では生活の一部にとなり、一日のスタートは朝参詣から、というのが自然な流れになっています。

私は、コツコツ取り組むとか長く続けるということが、あまり得意なほうではありませんので、まずは、朝参詣を続けることができ、毎日体のお初穂をさせて頂けるということ自体が、ご利益だと感じています。 

このように、朝参詣を続けられるようになったのは、御法門のおかげです。朝参詣をして御法門聴聞をさせて頂くようになってから、自分が変わってきました。考え方やものの見方、人との付き合い方、御法門の教えに沿って、変化していくのを実感しています。 

その中で一番の変化は、どのようなことがあっても「受け入れる」ということができるようになったことです。特に就職して社会に出てからは、理不尽なことや思い道りに行かないことも多く、そのたびに悩むこともありましたが、それでもその状況を受け止めること、そしてひとつひとつを御法様におすがりしながら、ご信心で乗り越えてくることができました。 

振り返れば、ご信心をしていなかったらきっと一時の感情でいろいろなことを中途半端にしたままだったのではないかと思います。それが、朝参詣と御法門聴聞のおかげで、自分なりに納得して、自分の道を歩いていくことができるようになり、日々喜びを感じています。 

これからも、朝参詣と御法門聴聞に励み、たくさんのことを学んでいきたいと思います。そして、自分がありがたいと感じたこと、ご信心に対する感謝の気持ちを周りの方々にきちんと伝えていけるように努力していきたいと思います。ありがとうございました。(M.N) 

御教歌   朝ごとに むかへばちりを払う也 心の鏡 くもらずもがな

平成23年度 信行体験談集「涌出」より


小さな時間の活かし方

砂時計朝、めざめてから夜、床につくまで、まとまった時間が、私用のためには、全くない。地方出張か、病気で、休む以外には一時間、じっとして本を読むことも出来ない。そのかはり、小さな時間が、沢山ある。「入浴中」「用便中」「床についてから」「お講席から帰寺するまでの車中の時間」「待っている間」等である。 

一日二十四時間は、平等に与えられているのであるから、この小さな時間を、うまく活用するより外に、雑用を処理する方法がない。そこで、私は、小さな時間に、ふさわしい、小さな仕事をあてがって、大きな時間を、つくりだす工夫をしている。

たとえば、入浴中などは、携帯ラジオをききながら入る。それでニュースや、教養番組などをきいて、活用する。車中で、簡単な手紙の原稿や、ハガキなどをかく。そういう具体的な作業のできにくい時間、例えば、人を待っている間などは、あるテーマについて、考えをめぐらしてまとめたものはメモをしておく。

ともかく工夫すれば、相当まとまった時間ができるものである。この時間を、朝夕のお看経の時間にあてることができたら、諸願成就、疑いなしと確信している。 

さいきんは、あまり世の中が、せわしくなったので、ろくろく、お看経もできませんという声をきく。商売、おつきあい、趣味道楽の為の時間を優先的に使用していては、全くお看経が、できなくなってしまう。 

お看経の時間がつくれないようでは、現当二世の諸願を成就することは勿論、落第である。成仏の法は、口唱の時間をつくり出すことより外にはない。これが信者の基本的な心構えである。ゆめゆめ忘れ給うことなかれ。 

昭和53年10月発行 乗泉寺通信より


信心の奥ある人

「奥を聞こうより口をきけ」という諺があります。人の心の奥は深くて、聞いただすことはむずかしいが、聞こうとしないでも、その人の言葉の端はしで知れるものだという意味です。話をしているとき、どの程度に心をこまやかに使っているか、それをしらべただけで、その人の精神状態はわかります。学問があるとか、本を沢山読んでいるからと自己の教養を誇示しようとする虚栄心なんかは、惣ち見抜くことができるものでっす。

ところが、仏教には「言語道断、心行処滅」という言葉があります。どういうときに使うかというと、妙法蓮華経は「本地甚深の奥蔵也」といって、仏のみ心の奥深く秘めた不思議な根本の心であるから、その働きを凡夫の力では言いあらわすことも、察することもむずかしい、「言語道断」は表現する言葉がない、「心行処滅」は思慮をめぐらしても考え及ばぬということで、感動からきた沈黙とある人は申していますが、信仰にはそういう言葉を失うほどの心を打つものがありますから、信心の道に精進すると、自然自分の信心に奥行きがでてくるもので、こちらの感度次第で「奥を聞こうより口を聞け」式に、信心の奥行きはわからぬことはありません。 

口唱の時点では同じ信心状態に見えても、精神面や行動面では、厚薄浅深の差がでてきます、どの程度の差と、ものさしではかるようには参らなくとも、言動で信心の奥行きを感ずることはできます。 

現代は、一般に生活水準が上昇し、便利なテレビなどの機械が、どの家庭にも並んでいて、それが豊富な知識や情報の供給源になっていますし、高校生や大学生の数も昔と比較できないほど増加して物心両面の生活が向上し、人の心も豊かになった筈ですが、事実はそう断言できない点が多く、不思議に感ずる人もあるでしょう。ある人は、次から次へと量的にいろいろのものが供給されるので、落ちついて消化吸収するヒマがなく、精神的な「ゆとり」のない豊かさで、それは本当の豊かさではないと申しています。

 信心の眼で見ると、例えば、小恩はわかっても大恩のわからぬ人があると、確かに心のゆとりがないためだなと感じます。また、他人に余計な干渉をし、無暗とお前の考え方や、やり方は未熟だ、自分のが本物だと称して差別視する慢心の一種の型ですが、こんなのも豊かな心の持ち主とはいえません。 

折伏行のはきちがいにも、こういうタイプがあります。冥の照覧を信じ、自業自得の道理がわかっていれば、非難の仕方にも、おのずから限度があって暴力を行使してまで責めて、共存体制にをくずすような行為はしないでしょう。 

信心で「すなお」に仏の教に随従すれば、仏心がこちらに乗りうつって、その人に「ゆとり」と奥行きがでて、現代人の文明の『ひずみ』を解消する御奉公に一役買える筈です。奥行きある信者とはという問いに答えるつもりであらあら書きました。

日晨上人要語録より


聞法の徳

御教歌

聞度に いつも始の 心地して よろこんできけ 妙の御法を 

新しい年を迎え、心をあらたにして信心の改良につとめ、御利益のいただける御奉公に励みましょう。初心にかえって、お祖師さまの教えを素直に聞く善聴参詣に心がけ、即聞即行、随喜転教につとめて下さい。 

「一音意解(いっとんいげ)」と申しまして、同じ教えを聞いても受け方によりかなり相違が生じます。上手な聞き方をすると信心が増進するのです。「手を打てば、下女は答える、魚はよる、鳥は飛び立つ猿沢の池」。奈良の猿沢の池のほとりで手を打ちますと、女中さんはハイと答え、池の中の魚は餌をくれると思い寄って来て、鳥はいっせいに飛び立ちます。何事も受け方により千差万別です。 

お互いに御法門を聴聞したら信心の洗い直し、見直しに励み、素直な聴き方につとめること。笊耳(ざるみみ)ですと、笊は目が粗く水が漏れるように、聞いてもすぐに忘れます。剪耳(きりみみ)の場合、前に聞いたことがあるといって切り捨てます。袋耳(ふくろみみ)になりますと、一度聞いたら忘れません。盗み聞きというのは、人に知られないようにこっそり聞くことです。「壁に耳あり障子に目あり」でお互いに用心が大事です。 

その他、いろいろな聞き方があり、心配事があったり、心が他に奪われておりますと、相手の話がこちらの心の中に入ってきません。真剣に聞くというのは難しいのです。聞き上手につとめましょう。また「口耳四寸の学」といって、耳から聞いたことを自分がよく理解せずすぐに話してしまい、自分の頭には何も残らない、ということもありがちです。 

御指南

「我信を決せんには法を聞べし、他を化せんには法門を習ふべし。」(扇全2巻371頁)

「信心は身の柱、家の柱、当講に法門なくば家に柱なきが如し。」(扇全27巻259頁) 

御法門を拝聴したら仏の正しい教えを人に説くことが大事。分かったというのは、人に話ができることなので、自分の中にしまっていたのではいけません。話をしますと自分も内容がよく理解できます。御題目の尊さ、参詣の喜び、教化の功徳などを、人に自信と勇気とをもって説きましょう。特に新入信者には丁寧に信心の基本を話してください。 

御指南

「当流の信者、一句聴聞し感得したれば直に人に展転すべし、(乃至)肝要の御法門を聴聞して、常に人にさとして、如来の使ひを勤むべし。人に向って説くを人界の思い出とすべし。」(扇全15巻416頁)

 

平成24年1月発行 乗泉寺通信より


2月に入りました

梅2月に入り、一段と朝の寒さが身にしみてまいります。そして毎年のように流行するインフルエンザは、この時期が増加のピークを迎えます。手洗い・うがい・しかっり栄養をとり、普段以上に自己管理を意識して、健康を第一に寒い冬を乗りこえて行きましょう。 

1月6日から始まった寒参詣も残り3日となりました。寒参詣で身についた、お寺参詣の良い習慣を今後も続けさせて頂きましょう。 

なお、今月の16日はお祖師様(日蓮聖人)のご誕生日です。お寺では当日、高祖御降誕会総講が奉修されます。また各ブロックで、れんげまつりを催します。各ご家庭でも、お赤飯をお供えしお祖師様のご誕生をお祝いしましょう。