信心の浅深

御教歌「かはるなり おなじみのりを いのれども 願ふこゝろの ふかさあさゝに」 

佛の教えは一切衆生の救済にあり、ひとことで言えば慈悲ー抜苦与楽ー苦しみをのぞき楽しみを与えることです。だれかれの区別なく、みな平等に教えを説きますが、ただし教えをいただく衆生がみな異なります。「一音異解(いっとんいげ)」と申して、「佛一音(いっとん)を以って法を演説したまうに、衆生類に随って各々解を得る」(維摩経)と説かれており、受け手の機根(受容能力)に大きな異なりが生じます。

信心修行浅深抄には、初門、二重、三重と三つに分けて信心の段階を仰せ下されております。 

初門

①「謗法をかたくつつしみ」②「朝夕勤行をこたらず」

この二つは基本中の基本。謗法を払って御本尊を奉安、お看経をいただく。これをしっかり身につけましょう。信心教育には時間がかかります。教育とは教えることと育てること。教えるだけでは半分です。育てる、これが苦労する所です。実行せねばなりません。口唱の一行によって佛の恵みをいただくことができます。信心には、すなおが第一、理屈はいらないです。 

第二重

①「異体同心のこころで信者の上を、実・不実によらず、かげにても一言もそしらず」

②「ひそかに一心にすすめて、たもたしめ、御経の此国にひろまる事をよろこぶ」

教区や部に所属しておりますので、そこに協力すること。一人信心は不可。教区長や部長は教区内部内の信者をまとめるのに、人目につかない所で骨をおって苦労しております。教区や部、それ自体に特色があり歴史がありますので、わがままを言わずに従うこと。蔭口や悪口は言わないことです。

次に大事なことは、人目につかずに、ひっそり、こっそりでも、信心の喜び、信心の尊さを人にすすめる。しかも、自信と勇気とをもって喜んで周囲の人々に説き聞かせる。教化の楽しさと喜びとを感得して下さい。 

第三重

①「信心強く、いさぎよく」

②「信心の為に家業をつとめる」

御法第一とした生活です。この度の一生は御法の為という字のつく生涯。生活に明るさと希望とをもって毎日を輝いて生きる。この生き方が第三重の信行です。 

人生は出合い、ふれ合い、支え合いの連続。特にお互いは助け合い、励まし合って御奉公にはげみましょう。お互い御同前は、初門、第二重、第三重の信心をたえずゆれ動いております。信心は生きもの、一寸の油断もできません。喜びに満ちあふれて御奉公したかと思うと、失意のどん底に沈むこともあります。火の信心でなく、水の信心が大事です。水は泉から湧き出、小川となり、最後は大海に流れます。修行抄の第六段、お祖師さまの弟子檀那となって、あらうれしやうれしやと随喜に満ちあふれて寂光の宝刹(ほうせつ)にお詣りさせていただく。かけがいのない尊い命、一度過ぎ去ったら逆戻りはできません。一日一日を大事に生きぬくこと。それにつけても口唱行とお寺参詣は欠かしてはいけません。 

御指南

「故に御法の為に身を労し、心を尽すを第一の楽しみとすべし。信者之を思へ」 

平成18年発行 「慈聞抄」より


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