願いを持て

願ふことなしと思へば怠りぬ ありとおもへばすすむ信行

と御教歌にもありますが、願望のない人は、踏みきってやるという気持になれず、ダラケた生活をするのが普通です。それに反し、願いが絶大ならば、どんな困難にも打ち勝ってやるという勇気が出て、難事業もついにはやりとげます。 

日蓮聖人が「われ日本の柱とならん、われ日本の眼目とならん、われ日本の大船とならん」という三大誓願を立てて、妙法弘通に奮迅なさったことは、ご承知でしょう。日本のバックボーン(背景)になる、日本の眼となって路をあやまらないように導く、大船となって浪風にも屈せず、国家を安泰にするという誓願ですから、じつに雄大無比のものです。そういう大誓願があったればこそ、命に及ぶ法難にもたえて、不屈不撓の活動ができたのです。 

真剣な願いがあれば、それに比例する活動が生まれます。それが願いがないとなると従来の殻から一歩も踏み出せず、時代に取り残される運命に落ち込みます。願いのないのは一面ノンキですが、人道に逆行する意気地なしです。ですから、生活建直し運動も、願いのない人は、それに参加して気張るという気になれず、短所自覚もできず、実行会に入会してやるという意気も起きません。 

それでは一歩一歩没落していくばかりで、物笑いの種になり、御法にキズがつくではありませんか。どうでも信者は願いを持ち、夢をもたねばだめです。モットモット豊かな生活がしたい、住居をきれいにしたい、モット貯金を増やしたい、なるほど、佛立信者は違うと世間がビックリするように一家そろって、理想的な働き方をしてみたい、というような願いはいくらでもあるはずです。 

遠慮なく、そういう願いを掲げて、立ち上がれば、生活の建直しは必ず成就疑いなしです。

願いを持つことは建直しの第一歩。

日晨上人要語録より


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