明るいほうへ

7月15日に子供お会式が奉修され夏期参詣も残り半分にさしかかりました。乗泉寺では一日三回御法門が拝まれますので、ぜひとも一日でも多くお寺参詣を心がけ、御法門から仏様のお智慧を頂いてください。 

御経には
「広い暗黒の野原がある。何の光もささない。そこに無数の生物がうようよしている。
しかも暗黒のために互いに知ることなく、めいめいひとりぼっちで、寂しさにおののきながらうごめいて、いかにも哀れな有様である。

そこへ急に光がさしてきた。すぐれた人が不意に現れ、手にたいまつをふりかざす。
真っ暗闇の野原が一度に明るくなった。今まで闇を探ってうごめいていた生物が、立ち上がってあたりを見渡すと、まわりに自分と同じものが沢山いると気がつき、驚いて喜びの声をあげながら、にぎやかに語り合い喜びあった。

いまこの野原というのは人生。暗黒というのは正しい智慧の光のないことである。心に智慧の光のないものは、互いに会っても知り合い和合することを知らないために、独り生まれ独り死ぬ。ひとりぼっちである。ただ意味もなく動き回り、さびしさにおののくことは当然である。

『すぐれた人がたいまつをかかげて現れた』とは、仏が智慧の光をかざして、人生に向かったことである。この光に照らされて人々は、はじめて己を知ると同時に他人を見つけ 驚き喜んでここにはじめて和合の国が生まれる。幾千万の人がすんでいても、互いに知り合うことがなければ社会ではない。

明るいほうへ
社会とはそこにまことの智慧が輝いて、互いに知り合い信じ合って、和合する団体のことである。まことに和合が、社会や団体の生命であり また真の意味である。」
(仏教聖典、仏教伝道協会)

 

お寺は仏様のお住まいであり、妙法の光に照らされた和合の国です。御法門の光に浴して真の智慧に目覚めれば、人と人をへだてる心の壁がなくなって、みんなが平和に暮らせるようになっていくはずです。光のあたるところへ向かおうとするのは、命あるモノの本能的な行動といえるでしょう。 

金子みすゞさんの詩、「明るいほうへ」

 「明るい方へ
   明るい方へ。

   一つの葉でも
    陽の洩るとこへ。

     やぶかげの草は。

  明るい方へ
   明るい方へ。

    はねはこげよと
     灯のあるとこへ。

        夜とぶ虫は。

  明るい方へ
   明るい方へ。

    一分もひろく
      日のさすとこへ。

       都会に住む子らは。」

 ビールの美味しい季節になりました。夜のネオンの光にばかり近よって、心身を焼かれないように私も注意します。なるたけに。。。

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