雪山童子

当宗では、お寺や御講席(ご信者宅)の法要の中で御法門というものが説かれます。この御法門とは、仏様のみ教えのことで、ご信心の仕方や功徳の積み方、そして御利益の頂き方などを教えていただける、とても有難いものです。

ですから、私達が本当の幸せになる道を進むためには、御法門を説かれる場所に出向き、真剣に耳を傾けることが大切なのです。

昔、雪山童子(せっせんどうじ)という仏道を志す一人の修行者がおりました。その姿をみていた仏法を護る神である帝釈天は、ほとんどの修行者は、わずかな困難に出会うと、すぐに退転してしまうので、雪山童子も同じ輩ではないかと疑っていました。

そこで、帝釈天は、雪山童子が修行を完成できるだけの人物であるかを試すことにし、見るも恐ろしい鬼に姿を変え、童子のもとに来て、過去の仏様が説かれた教えの半分を声高らかに唱えました。雪山童子は、大いに喜び、鬼にどこで聞いたのかを訪ね、そして、あともう半分を教えてくれるよう頼みました。

しかし、鬼は『私は非常に空腹である、お前の肉体と引き換えに教えてやろう』と言うのです。それでも童子は、迷うことなく自分の身を差し出すことを鬼に約束して、仏様の教えを求めたのです。

鬼は、約束通り、残り半分の教えを唱えました。童子は、後の人々のために壁や木などに、この仏様の教えを書き留めて、鬼にその身を差し出しました。

すると鬼は帝釈天の姿にもどり、童子にこう言いました。「あなた様は、すべての人々の幸せのために、自分の命も惜しまない、真の菩薩です。どうか私のしたことをお許しください。」と童子に対して帝釈天は、心から懺悔をしたというのです。実は、この雪山童子という方は、仏様の修行時代のお姿であり、このような菩薩行の功徳により、成仏の果報を得られたのでございます。

このように、仏様の教えである御法門は、何としてでもお聞きしたいと請い願うものなのです。そして、一言も聞き洩らさないよう集中して耳を傾け、大事な部分はメモをとり、そのみ教えを素直に実践させていただくことが大切なのです。

御法門を聞くことをしていませんと、どうしてもお互いは、自分本意な生き方になっていき、幸せの道からは遠のいてしまうものです。

お互いの幸せのためにより多くの御法門を聴聞させていただきましょう。

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雪山童子” への2件のコメント

  1. ありがとうございます。何時も為になるお話しありがとうございます。信心で悩んいます、聞いて頂けますか?

    • いつもご覧いただきありがとうございます。ご信心でお悩みとのことですが、ホームページのメールでお聞かせいただければと思います。

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