育成の大事

人を育てることは決して楽なことではありません。慣れたことなど、自分一人でやった方が全然スムーズに、そして気楽にできます。ですがそのような行為は、次世代の人達のことを見捨ててしまう行為になるのではないでしょうか。

考えてみますと、子どもの時は口うるさく勉強をすすめしつけをする大人を疎ましく思うことがあるものです。しかし自分が大人になってみれば、あの時の教えのお蔭で今があると感謝をすることもあるはずです。

他から育てられてきた我が身の上のことを思えば、次は自分が他の幸せにために、多少の苦労をいとわずに親切丁寧に、時には厳しく指導をすることも大切になってくるでしょう。

ただ教えるだけでなく一緒になって物事にあたり相手のやる気を引き出していく。そのうち相手が少しずつ覚えて、一人で出来るようになった時には自分のこと以上に嬉しさを感じるものです。

将来の教え子の幸せの姿を思って現在の苦労を耐え忍ぶのです。

花がそれぞれの季節で咲く花があるように、私たち人間は十人十色で、早く開花する人がいれば、遅咲きの大器晩成のタイプの方もいるのです。

ご信心においても、いつ相手の信心が起こるかはわからないのですから、いつかは信心が起こると信じて、そして相手の御利益感得を願い、信心に喜びが持てるようになるまで辛抱強く育成させていただくことが大切です。

御教歌
人に物 をしふる時は さもあらで 覚えさせたる あとぞうれしき


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