Gohomon words

26. persecution in Tatsunokuchi

  Yoritsuna Taira took Nichiren Shonin criticizing other religious sects as well as the Kamakura government to an execution chamber in Tatsunokuchi, Kanagawa prefecture on September 12, 1271. Though Yoritsuna Taira’s subordinate swung up his sword for beheading Nichiren Shonin there, Nichiren Shonin was saved from the execution by a mysterious shining object having emerged in the direction of Enoshima Island.

  1271年9月12日、日蓮聖人は、鎌倉幕府や他宗を批判したとして、平頼綱により龍ノ口の刑場(神奈川県)に連行されました。刑場にて頼綱の家来が日蓮聖人の首を切り落とそうと刀を振り上げた時、江ノ島の方角に現れ出た不思議な光り物が日蓮聖人の斬首を阻止されたのです。

*1. persecution in Tatsunokuchi: 龍ノ口の御法難

*2. Yoritsuna Taira: 平頼綱(北条氏得宗家の御内人)

尚、上記には私見が含まれています。


Gohomon words

25. Nichiren Shonin’s statue

 Nichiren Shonin overcame a lot of persecutions by the Kamakura government, propagating the Odaimoku for people in this Mappo period. The Buddha’s true teachings wouldn’t have been spread in Japan without Nichiren Shonin. Therefore, Honmon Butsuryu Shu reverently enshrines the statue of Nichiren Shonin in front of the Gohonzon. Nichiren Shonin’s statue is also enshrined in some practitioners’ houses.

  日蓮聖人は、鎌倉幕府による数多くの御法難を乗り越え、末法の人々の為に命懸けで御題目の御弘通に努められました。今日私達が仏さまの真実のみ教えを頂けるのは日蓮聖人のお陰なのです。ですから、本門佛立宗では、御本尊の前にお敬いの気持ちを込めて御尊像(日蓮聖人の像)をお祀りしています。また、自宅に御尊像をお祀りしているご信者もいます。

*1. persecution: 御法難

*2. Nichiren Shonin’s statue: 御尊像(日蓮聖人の像)

尚、上記には私見が含まれています。


彼岸入り

本日は春の彼岸入りです。この時期には、お墓参りをなされる方が多く見受けられ、ご先祖や有縁の方々を思いやるお姿は、とても尊く暖かいものを感じます。

しかしながら、そうした供養がはたして本当に亡き諸精霊に届いているかということも考える必要がありそうです。

日蓮聖人は「今末法に入りぬれば余経も法華経も詮なし。但南無妙法蓮華経なるべし」とお示しで、仏様が御入滅なされてから二千年以上経過した、いま末法という時代においての御回向は、上行所伝の御題目の御経力によってさせていただくことが大事とお教えです。

仏教では魂は永遠に生き続けるといいますが、私たちの誰もが諸霊魂に生き続けてほしいと願っているものです。そして、亡き諸精霊に私たちの思いを届けたい、亡くなった方の苦しみを取り除いてあげたい、それがご回向の精神であるならば、諸精霊のもとへ、間違いなく届くものである方がよいに決まっています。

開導聖人御在世当時に次にような霊験談が示されております。ご信者の春木作の枕元に、知り合いの虎という女性の霊が枕元に立ったといいます。虎の四十九日の忌日の夜のことでした。虎は作に向かって、息子が呼んだお寺の御経で回向してもらったとたん、真暗闇につき落とされた。なにとぞ御題目でご回向してもらいたい、と切に願うのでした。

翌朝、作は虎の息子の留吉の元へ走り、昨夜のことを話すと、留吉の枕元にも三度立ったけれども、どうにもできず、なおざりにしていたとのこと。即入信し、御題目でご回向させていただくと、その夜、留吉の枕元に立ったのは笑顔で礼を言う母の姿だった。という霊験談でございます。

先祖を思いやる心があればいい、御経を読んでもらえばそれでいい、と考えがちですが同じ回向の志があっても回向の方法がちがえば、そこには天と地ほどの力の差というものがあるのです。

病を治していただく場合でもそうですが、こちら側の勝手な判断で病を克服することはできません。やはり医師の指導に従う方がいいわけですし、また正しい医療を求める方がよいはずです。

まことの回向とはなんたるかをお互いに見つめ直させていただきましょう。