先日、本屋さんに出かけた時のことです。小さい子供が泣いているのを見かけました。すると、近くにいた別の子供が、「だいじょーぶ? どしたの?」と話しかけていました。
程なく、泣いていた子供は泣き止み、話しかけた子供と一緒に絵本を読み始め、いつしか二人してキャッキャと笑い合っていました。
別の日の事です。
お寺にお参りしておりましたら、やはり小さな子供が、「ありがとーごじゃーます!ありがとーごじゃーます!」と、通りすがった人たち全員に、元気な声でご挨拶をしていました。
子供達を見て思います。物怖じせず、誰にでも声をかけ交われるって、すごいことなんだな、と。
大人だったら、どうだったでしょう。泣いている人や、苦しんでいる人がいたら、声をかけられるでしょうか。見ず知らずの人に、笑顔で挨拶できるでしょうか。
あまり、できませんよね。年を取ると、いつしか恥や外聞というものを気にし始めてしまい、普通にすればいいことが出来なくなります。
苦しんでいる人がいたとしても、
「その人それぞれの事情があるのだから…」
「トラブルだったら巻き込まれたくないから…」
なんて打算的に考えてしまいます。
挨拶をすること一つにとっても、知っている人ならともかく、知らない人とは素通りです。大人になって分別が出来るようになっただけ。取捨選択をするようになっただけ。なんとでも言えるでしょうけれど。
信者として物を考えるならば、躊躇することはマイナスでしかありえません。御題目様を、自分自身でもしっかりとお唱えし、人にもオススメして共に功徳を積み、御利益をいただこうというのが佛立信者の信心修行であります。
ですから、自分は何とでも頑張れるけれど、人様に声をかけるのやチョット…と言っていては、私たちの修行は成り立ちません。むしろ、困っている人に程、積極的にお声がけして、共にご信心の道を歩みましょう、とオススメして救って差し上げることが菩薩の修行でありますから、躊躇してる間は無いはずなのです。
泣いている子供を見れば、同じ子供が見て見ぬふりをせずに慰めるように。知っている人も知らない人も、誰にでも元気にご挨拶できるように。子供のその物怖じしない、迷わない心というものを、むしろ大人が見習い、取り戻さなければならないように思います。
誰だって、無視されるよりは元気な挨拶が嬉しいに決まってます。たとえ、相手に「ハァ?」と反応されても、知らんぷりはダメです。何度でも繰り返し挨拶できていれば、そのうち必ず相手からも返事は返ってくるようになります。
自信と勇気と誇りを持って、躊躇わずに「ありがとうございます!」と子供のように元気にご挨拶できることの大事。そんな素直な心根を持たせていただくことが大事なんだな、と、小さな子供に教わった気持ちであります。
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