御教歌
きはの日は うちをお寺へ ぬけまいり
娑婆の金にて ゆるされもせず
先日、寒参詣で御法門を説かせていただいたのですが、自身にとって耳が痛い御教歌でした。大まかに現代語訳すると、際の日、つまり年末などの決算期の「忙しい時期」でも、家を抜け出してお寺へ参詣する人がいる、お寺参詣の功徳というものは世間のお金では許されはしないのだから、という意味となります。
自身にも大いに刺さる御教歌で、年末年始や行事で色々忙しい時期、お看経の時間が少なくなってしまっている時がありました。そんな時にこの御教歌を勉強するご縁をいただき、自身への折伏も含めての拝読になったと思います。
「忙しいからしょうがない」「時間が出来たときに頑張る」そう言ってお看経を後回しにしては、それはつまり御法様を後回しにしていること、これではご信心をしているとは言えず、御利益を頂けるはずもありません。
忙しいとき、大変な時こそ本日の御教歌を思い出して、お計らいがいただけるようにお看経に励まなければと気づかされました。