八月二十五日 日曜総講前座

「悪口が自分にはね返って来た男」

 昔々、インドの国でのお話。長年仏さまのことを憎んでいたアッコーサカ・バーラドヴァージャという人が、ある日、仏さまのお住まいへ伺い、これでもかというほど、一方的に悪口を言って怒鳴りつけました。

 

 仏さまはそれを黙ってお聞きになった後、「ところで、あなたが自分の家にお客様を招待してご馳走をお出ししたが、お客様たちがご馳走を召し上がらなかった場合、そのご馳走は誰のものになるでしょうか。」と尋ねられました。それに対してアッコーサカ・バーラドヴァージャは「それは当然、招待をした家の主人のものになるでしょう。」と答えました。

 

 そこで仏さまは、「さて、今、あなたは私に山ほど悪口を言ってこられましたが、私はその悪口を受け取りません。ですから、お客様が召し上がらなかったご馳走と同じようにあなたが言った悪口は結局あなた自身に返るのです。」と言われ、

○怒りに対して怒り返すのは、さらによくないことだ。
○怒りに対して怒り返さないならば、二つの勝利がある。
○相手が怒っているのを知って、怒ることなく自分自身を静める者は、自分と相手の両方を益する(両方に御利益を与える)からである。

という教えを説かれました。これには、アッコーサカ・バーラドヴァージャも返す言葉が無く、すっかり恐れ入って、仏さまのお弟子になったということです。

開導聖人は御教歌に
世の人にそしらるゝともそれはよし
    われ人をだにそしらざらまし

とお示しです。私たちはとかく、自分のことを悪く言われると、何か言い返してやらなければ、と思ってしまいがちですが、そこで言い返してしまったら、それに対して相手がまた反論をして来て、争いがいつまでも続き、お互いにどんどん悪い種まきをする結果になってしまいます。それよりむしろ、他の人から何を言われても、自分は相手のことを悪く言わないようにすれば、そこで争いも終わり、お互いのために良い結果となるのです。

 ですから、私たちも、たとえ自分のことを悪く言われても、反対に相手のことを悪く言ったりせず、それよりも、他の人の良い所を褒め称え、見習って、一緒に幸せの種まきをしていくように心がけましょう。では、最後にもう一度、御教歌を拝読させていただきます。

御教歌に

世の人にそしらるゝともそれはよし
    われ人をだにそしらざらまし


お助行

お助行とは、読んで字のごとく、修行を助けること。即ちご信心の有難さや仕方が分からない、またお願いごとがあるご信者の修行を助成して、ご信心への意欲を高めることを言うのです。

先月7月17日、私はこのお助行について、30名程のご信者さんの前で解説、講義をさせていただきました。お助行での体験談を思い返しつつ、事前に渡されたテキストや他の解説書を見て勉強をし当日の講義に臨みましたが、改めてお助行の尊さに気づかされました。

近年の社会情勢を見ておりましても、他人がどうなろうが関係ない、自分さえ良ければいいという風潮がより強くなっています。毎日、新聞やテレビで報道される事件や事故は、自己中心的な出来事ばかりです。

そんな中、私ども佛立信者は他者の幸せの為に、自分の時間やお金、労力を厭わず、お助行に伺い、一緒になって御題目を唱えさせていただけるとは何と尊いことでしょうか。

今、日本社会が忘れつつある他者を思いやる心、親切心、慈悲心が、お助行の中にあることを感じました。お助行を通じて人が喜び、幸せになっていく様子を見ますと、何とも言えない充実感で満たされます。

仕事や家事、育児など、やらなければならない事が山積みで人のことなど構ってはいられないと思うかもしれませんが、そういう方こそ、一度お助行に行ってみてはどうでしょうか。日常では味わうことの出来ない感激や感動があなたを待っていることでしょう。


その原因は

新聞やテレビを見てみますと、殺人事件や詐欺や虐待、芸能人や政治家の不祥事、国同士の対立など、連日さまざまな事件が連日、報道されております。

このようなさまざまな事件は一見それぞれ違った原因があるように見えますが、その根本にあるものは私どもの貪欲という心に原因となっている場合が多いものです。

私たち人間は欲がなければ生きていくことも、向上することもできませんが、欲を必要以上に貪ってしまうという所があるのです。お金や物を必要以上に追い求め、自分の名誉心を必要以上に押し通してしまう。法律や道徳の上、間違いをしているのではないかと思いながらも貪欲の心が抑えられずに問題を作ってしまうのです。 

それは昔から現在にいたるまで、同じような事件が繰り返され、それも学歴や才能や常識がある人さえも問題を起こしていることからも分かる所です。

私たちは、どうしても時代や政治、他の人に原因を求めるものですが、実は、一人一人の貪欲が身近な問題、さらには社会問題を引き起こしているといっても過言ではないのです。

仏様は小欲知足という生き方のみ教えをお残しくだされました。その生き方を実践する方法は、今の時代においては信心の力を強くしていくことだと教わる所です。

貪欲に振り回されず、毎日を平穏無事な生活に、そし社会全体をよくていくためにも、お互いに日々の信心修行を大切に考えていきたいものです。