終戦70周年パプアニューギニア慰霊団参に参加させていただいて 

今年の1月17日から25日まで、第五支庁有志による終戦70周年パプアニューギニア慰霊団参に参加させていただきました。

papua1正直最初この御奉公のお話を頂いた時、私にとってはパプアニューギニアという国は未開の国であり、あまり海外の経験の無い私がはたしてお役に立てるのかどうかと正直不安もありました。しかし、数ある教務さんの中から私に声がかかったのも御法様からのお導き、また何かのご縁と感じ御奉公させて頂くことにいたしました。

一路不安を抱えながらも成田から飛行機に乗り約6時間半。いざパプアニューギニアの地に降り立ちました。最初の印象はとにかく暑い。しかもとても湿気が多く、異常に暑がりな私は本当に大丈夫なのか、またマラリア等の伝染病は大丈夫なのかと益々不安が頭をよぎりました。そんな状況の中戦没者慰霊の旅が始まりました。

papua3周りはジャングルの緑と透き通るような海と空。とてもこの地で悲惨な戦争が繰り広げられたとは思えない美しい景色でした。しかし、いざ慰霊地へ到着しその思いは一変しました。目の前には戦後70年も経っているのに飛行機の残骸、輸送用の船の残骸、兵隊さんの武器、ヘルメット、水筒、飯ごう等が朽ち果てた状態で置いてあるのです。

papua4パプアに行くにあたり多少の戦争の勉強はしてきたつもりでしたが、いざ現実を目の当たりにして戦争の悲惨さ凄まじさを肌で感じました。そして数々の慰霊地を回り、当時の話を聞かせてもらうほどに戦争の愚かさ、恐ろしさ、また戦地へ行かれた兵隊さんの過酷さ辛さをまざまざと感じ、

 

papua18何とも言えない感情がこみ上げて来て、改めて今の自分には御題目口唱するしかないと行く先々で精一杯の御題目をお唱えし、日本のご信者さんから託されたお塔婆を建てさせて頂き、世界の恒久平和と戦争犠牲者の冥福を祈らせていただきました。

 

papua7さて、我々団参者一行はこの慰霊の旅の中で不思議な体験をしました。それは慰霊の御奉公も無事に終え、日本へ帰る時のお話です。最後の慰霊地ウエワクのホテルで夕食を食べていた時、別の席で一人夕食をしていた日本人がいたのです。せっかくですから一緒に食事をしませんかと誘いますと是非にということでその方と夕食を共にしました。

その方はジャイカ(国際協力機構)の職員の方で、パプアの首都ポートモレスビーにあるジャイカ事務所で働いて半年になるとのこと。今回は出張でウエワクに来ていたそうで、パプアでの生活や苦労話などを伺い、楽しいひとときを過ごしたのです。

そして無事にウエワクでの慰霊御奉公を終え全日程が終了し日本へ帰る最終日、帰りのポートモレスビーから日本へ向かう国際線飛行機に乗るため、ホテルを朝4時にポートモレスビーまでの国内線飛行機が出るウエワク空港に出発しました。

ウエワクから出る国内線飛行機は6時半の出発でしたが、パプアという国は国土の大半が山とジャングル、そして大きな川がたくさんあるので、都市と都市を結ぶ道路や鉄道が引けず、国内の移動は飛行機しか方法がないのです。

papua11ですから航空会社もその需要をさばき切れず、ダブルブッキングという飛行機の予約を取っていても当日の利用者が多い場合は予約を無視して、来た人から飛行機に乗せてしまうことがよくあるのだそうです。それを防ぐためにはとにかく予約を取っていても早い時間に空港に行ってチェックを済ませてしまう必要があるのです。我々は早めにホテルを出て空港に着いたのは4時 半くらいでした。

papua12ところがなんと小さな空港(ウエワク空港はとても小さな地方空港なのです)は早朝なのにも関わらず黒山の人だかりなのです。一瞬不安がよぎりましたが、それまでの移動は順調だったのでまさかダブルブッキングはないだろうととにかく長い列に並んだのです。

 

papua14しかし待てど暮らせど長い列は進みません。時間だけがどんどん過ぎていきます。そうこうしているうちになんと場内アナウンスで搭乗開始の案内が始まってしまいました。するとそのアナウンスが流れた瞬間、列に並んでいない人達が一斉にカウンターに押し寄せ、皆口々に「乗せろ乗せろ」と航空会社の職員に詰め寄りカウンターは大混乱。最後の最後で恐れていたダブルブッキングです。

papua15しかも日本とパプアを結ぶ飛行機は一週間に一便しか無く、この6時半の飛行機に乗り遅れたら、あと一週間パプアに残ならければいけない状況でした。言葉もろくに通じない中、万事休すです。

そこで困った我々は後は御法様におすがりするしかないと皆で申し合わせてもいないのに、自然と一斉に御題目を空港のロビー中に響き渡るくらいの音量で唱えはじめました。

papua16突然の我々の御題目口唱の声にパプアの人たちは何が始まったんだとびっくりして我々を見ていましたが、そんな目を気にしている余裕などこちらにはありません。とにかくひたすら御題目をお唱えしました。

 

 

papua17その時です。一人の日本人らしき男の人がカウンターに駆け寄り航空会社の職員と話をし始めました。なんとその人はホテルで夕食を共にしたあのジャイカの職員の人だったのです。そしてその人が航空会社に我々がこの飛行機に乗らないと日本に帰れないことを伝えてくれたのです。すると航空会社の職員が我々に「ジャパニーズカモン!」と言って優先してチェックを済ませてくれ、ギリギリのところで飛行機に乗れたのでした。

ジャイカの職員の人もこの飛行機でポートモレスビーに帰るところで、我々の困った様子を見かけ航空会社に交渉してくれたのでした。まさに変化の菩薩。御法様が我々をお守り下さった瞬間でした。私達を助けてくれたジャイカの職員の方には日本に戻ってから御礼の手紙と共に、味噌を御礼の品として送らせて頂きました。

papua19後日御礼の手紙がパプアから我々に届き、大変喜んでいただけたみたいです。思わぬところで日本人同士の強い繋がりを感じました。

この御奉公を通じて、改めて戦争の悲惨さ、愚かさ、恐ろしさ、また戦争の犠牲者に対する今以上の御題目でのご回向の大切なことと必要性、そして自分が平和に慣れ、日本人として戦争のことをあまりにも不勉強であったということを痛感いたしました。

papua20寒参詣中にも関わらずこの御奉公に参加させて頂くことをお許し下さった、御導師、また教務部の方達、そしてこの御奉公に理解をして下さり、快く送り出して下さった私の受持のご信者の皆様。また、多大なる御有志を賜った皆様、心より御礼申し上げます。本当に有り難い御奉公に参加させて頂けました。ありがとうございます。

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