パプアニューギニア慰霊法要報告

過日に行われたパプアニューギニア(以下PNG)慰霊法要についてご報告させて頂きます。

成田出発前 成田荷物終戦70周年という節目の年にあたり、本年は宗門各寺院でも慰霊法要が営まれることと存じあげます。それに先立ち、第5支庁の有志により、この度慰霊団参が企画されました。

papua風景1papua風景2

 

 

 

 

 

1月17日より24日までの一週間、寒参詣中の団参という強行軍でしたが、宗内より7名、宗外者から1名の参加を頂きました。内、乗泉寺からは4B信徒・O.M氏、K.K師、私の三名が参加させて頂きました。

papua法要papua法要PNGは赤道のすぐ南に位置しており、日本から直行便で約6時間30分の距離にあります。オーストラリアのすぐ北にある、世界で2番目に大きな島、ニューギニア島の東半分をはじめとする600の島々からなります。国土面積は日本より若干ひろく、人口は約500万人といわれます。

papua法要PNGは1975年にオーストラリアより独立、常夏の島で四季はなく、雨期と乾期に分かれ、年間気温は21~32度で蒸し暑い。日差しがとても強く、現地人は黒人で、500を超える部族が、850以上の異なる言語を使物し、未開のジャングルの中で生活する人々も多いようです。物価は日本とほぼ同じぐらい。イモ類が主食で、海岸沿いは魚が豊富。バナナの木や椰子の木がそこら中に生えていて、陸地はほぼジャングルで緑一色。海辺は青空と相まって青一色。

南太平洋最後の楽園と言われるこの島が、第二次世界大戦中には激戦地となったのでした。こんなにも美しい島で戦争が行われていたとは…。大東亜戦争という捉え方は人それぞれ違うモノでしょうが、とにかく戦争によって悲惨な思いをした人がたくさんいらっしゃったわけで、戦争は絶対に許されないことだとあらためて痛感しました。

papua戦闘機パプア戦闘機

papua海岸法要

PNGに上陸した20万名の日本軍将兵のうち、生還者は2万名に過ぎなかったそうです。今回の慰霊団参は、中でも多くの戦死者がでたウエワク、マダン、ラバウルの三カ所を中心に、25カ所をまわり21カ所で法要を執り行いました。

日本軍基地跡地法要飛行場跡

 

 

 

 

 

日本から御弘通御本尊をお供し、カメラの三脚を改造したお戒壇を設置、お線香とお蝋燭をお供えし、その前にお盛り物台を用意して、日本から持参したお酒やお煎餅、お茶菓子、団参者が握ったおむすび、お味噌汁など、飢えに苦しまれた兵隊さんへ、お供えしてまいりました。

おにぎりお供え物

 

 

 

 

 

また、第五支庁をはじめ、乗泉寺教講よりお申し込みを頂いた御塔婆は、法要の際に御宝前へお供えさせて頂き、その後、海中へ沈め、地中へ埋めることにより、当地の追善供養をさせて頂きました。皆様より多大なるお志を賜りましたこと、紙面をお借りして御礼を申し上げます。ありがとうございました。

お塔婆

 

 

 

 

 

私事ですが、私の祖父も戦時中ラバウルへ来ていました。出征前には日歓上人より「これで弾がよけていくよ」と懐中御本尊を賜っていたそうです。中国大陸を経てPNGへ赴き、マラリアや赤痢や飢餓に苦しみ、ラバウルにては所属する部隊が全滅する中、一命をとりとめられたとのことです。今回の慰霊団参では、その悲しみの地にも赴き、祖父の分まで戦友方の英霊にご回向をさせて頂けました。きっとお爺ちゃんも喜んでくれているだろうと思い、感慨深く、有り難いご奉公をさせて頂けました。

水塔婆

 

 

 

 

 

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パプアニューギニア慰霊法要報告” への3件のコメント

  1. 私の父は戦時中陸軍航空輸送部に所属していました、小学生の頃母の実家には航空地図がたくさん残っていました、その中にPNGまでの地図もありましたこんな遠くまで戦闘機を運んでいたのかと思いました、宇都宮から直接PNGには燃料が足りませんので台湾、インドシナ(今はインドネシアですか)の島々を経由していました。運んでいた戦闘機は隼系と思います、最後に搭乗していた戦闘機は4式戦闘機(疾風)でしたから、転居の際不要と思い全部廃棄してしまいました残念です、今回慰霊写真展のご案内をいただきましたので乗泉寺のギャラリーに伺います。

    • ご返信が遅くなり申し訳ありません。写真展にお越し頂けたとのことで、ありがとうございました。今後も継続的な御奉公を続けていきたいと思っております。5月10日には本所清雄寺にて終戦70周年の慰霊法要が執り行われます。その際には、パプアニューギニアにて撮影した動画をDVDにして放映します。乗泉寺にもサンプルDVDが届きますので、何か機会がありましたらご覧頂ければと存じます。ありがとうございます。担当者合掌

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