京都には古くから、「通り名かぞえ唄」というユニークな唄が伝えられています。
まるたけえびすにおしおいけ
あねさんろっかくたこにしき
しあやぶったかまつまんごじょう
せったちゃらちゃらうおのたな
これは京都の町の東西を結ぶ道を、北から順番に数えたもので、かつては京童たちが手毬唄として親しんできたといわれています。
「まる」は「丸太町通り」、「たけ」は「竹屋町通り」といった具合に、今でも迷子になりそうなとき、この唄を手がかりに歩けば、だいたい目的地近くにたどり着くことができるというわけです。お休みの日など、この唄を口ずさみながら、京都の町をお散歩するのも一興です。
先日私は「あねさん」の「さん」にあたる「三条通り」を散策しましたが、ここにはたくさんの洋服屋やカフェがあり、連日たくさんの人でにぎわいます。三条通りと烏丸通りの交差する所にある「伊右衛門サロン」は、サントリーが経営するおしゃれなレストランです。料理も美味ですが、香り高い煎茶や滋味豊かな焙じ茶が楽しめます。
開導聖人はその御生涯で多くの御法難に遭われ、たびたび転居を余儀なくされたと伝えられますが、その内の一つ、かつてのお住まいがちょうどこの辺りだそうです。すぐ近くには、開導聖人ご生家跡に建てられた誕生寺があります。元々ご生家は「ゑびすや」という和装小物のお店だったそうですが、いまでもこの辺りには、呉服関係のお店が軒を連ねています。
かつては生地商の屋敷であったという建物は、現在「紫織庵」として一般公開され、じゅばんや浴衣を展示、販売しています。すこし想像を巡らせば、聖人御在世当時の面影を偲ぶこともさほど難しくありません。
このように風情のある京都の町ですが、一方でわれらが東京はどうでしょう。戦争で大半の街が灰燼に帰し、区画整理がなされたことで、昔懐かしい町名や街並みはだいぶ失われたといいます。
それでも私が幼い頃は、古老たちの話の中にふるい地名が出てくるのをしばしば耳にしたものです。そんな時はなんとなく、空想の中でセピア色の景色が広がるような、不思議な感慨にとらわれたものでした。
両国のやっちゃば、佐竹の三味線堀、業平のなめくじ長屋、北割下水、南割下水、吉原と洲崎の二つの遊郭をつないだ親不孝通り等々。この他にも、神田の紺屋町などと聞くと、「花のお江戸の吉原で 廓すずめの言うことにゃ」というあの浪曲が、どこからともなく聞えて来るような気がするのです。
これらは雅な京の都に比べれば、いくぶん下世話であるものの、かつての町民たちの暮らしぶりや息遣いをしのばせる、粋な呼び名の数々です。こうした町名も、もはや地図の上にないものも多いのですが、それでも私はしつこく昔の呼び名にこだわってしまいます。
それと同時に失くしたくないと思うものがあります。意地っ張りで喧嘩っ早くて、おせっかいで涙もろくて。そんな江戸っ子の人情や心意気といったものは、いつまでも大切にしたいと思うのです。↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
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