慈悲の心

今月22日は日慶上人の御十三回忌法要がいとなまれます。日慶上人は、教講の先頭にたって乗泉寺の再興に努められた大恩あるお方です。 

炎「ある町に長者があって、その家が火事になった。たまたま外にあった長者は帰宅して驚き、子供達を呼んだが、彼らは遊びにふけって火に気づかず、家の中にとどまっていた。

父は子供達に向かって『子供達よ逃げなさい』と叫んだが、子供達は父の呼び声に気づかなかった。

子供達の安否を気遣う父はこう叫んだ『子供達よここにめずしいおもちゃがある。早く出て来て取るがよい』子供達はおもちゃと聞いて勇み立ち、火の家から飛び出して災いから逃れることができた。
この世はまことに火の海である。

ところが人々は、家の燃えていることを知らず、焼け死ぬかも知れない恐れの中にある。だから仏は大悲の心から限りなく様々に手段をめぐらして人々を救う。」(法華七喩)

日慶上人は当時の宗門を背負われていた宗務総長のお立場にあり、ご自身の古里でもあった乗泉寺を救うべく、渦中の中に飛び込んできて下さったのであります。そのお慈悲の深さを忘れたりしたらとても悲しいことです。

御経には
「仏の心とは大慈悲である。あらゆる手だてによって、全ての人々を救う大慈の心、人とともに病み、悩む大悲の心である。子を思う母のように、しばらくの間も捨て去ることなく、守り、育て、救いとるのが仏の心である。『おまえの悩みはわたしの悩み、おまえの楽しみはわたしの楽しみ』とかたときも捨て去ることがない。

母子
仏の大悲は人によって起こり、この大悲にふれて信じる心が生まれ、信じる心によって悟りが得られる。

それは、子を愛することによって母であることを自覚し、母の心にふれて子の心が安らかとなるようなモノである。」(仏教聖典)

受けた大恩を教化で返すのが、仏立信者としてのお礼の仕方です。今月のご奉公は日慶上人に捧げるつもりで、慈悲の教化折伏行に励みましょう。何よりもお喜び頂けることかと存じます。

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