信心の眼

風景さて、風光明媚な観光地へでかけ、家族や友達などと一緒に同じ景色を眺めても、自分の目に映っている光景と、他人の目に映っている光景は、どこかしら違っているものです。

見ている景色は同じでも、目の付け所がちょっと違うだけで、印象が全く異なりますから、感動の大きさや喜びの度合いに個人差が生じるわけです。

ご信心でも、同じご本尊様を拝んでいても、自分の目に映っている御法様のお姿と、
人の目に映る御法様のお姿は、全然違っていたりするモノです。

ある人の目にはただの紙ただの文字としか見えないのに、違う人の目には光り輝くみ仏のお姿と拝することができる。一体この違い目は何なのでしょう?

ご信心では「信心の眼」を開くことが大事とよく教わります。顕微鏡をのぞくと、肉眼では分からないモノが見えてくるように、妙法の世界は凡夫の眼では見ることができず、信心の眼でのぞかないと妙法の尊さを理解できないのです。

先日、ある青年会の子がこんな話をしてくれました。「お講師、御看経をあげていると、お祖師様のお顔が毎回違って見えるんです。今日はにこにこ笑っていらっしゃるなあと思うと、次の日には自分を睨みつけるように怒っていらっしゃって、その違いがハッキリと私の目には分かるんです。」ということでございました。

どうやら「信心の眼」というのは年齢や経験が積み重なって徐々に開いてくるというモノではなく、年が若くても経験が浅くても素直な気持ちで御法様の存在を受け止めれば、信心の眼がパッと開いてそこに種々のお計らいが頂けるようです。

お祖師様のお顔が笑顔に見えるなら、頑張っているねと喜んで下さっているのでしょうし、お祖師様が怒って見える時は、どこか自分自身に改良すべきところがあるとお戒め下されているわけで、即ち、信心の眼が開くと仏のお慈悲と怖さの両面が分かるようになるので、賞罰現証があらたかになるのでございます。

お互いに信心の眼がパッチリ開くように、一層と信行御奉公に励んでまいりましょう。

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