本門佛立宗をひらかれた長松日扇聖人 御教歌(教え歌) 「信心は 何になるぞと 人問はゞ 一寸先は 闇の提灯」(扇全11巻53頁)
この御教歌の大きな意味は、どんな人も一寸先は分かりません。明日はどうなるか、何の保障もないのです。闇の中に一人たたずんでいるようなものです。
そこに提灯を手に持てば安心して前にすすむことができます。提灯に南無妙法蓮華経という御題目の灯をともしつづけてゆかねばなりません。
生きている以上、上り坂もあれば下り坂もあります。上り坂の時は得意の時です。
案外、順風満帆の時に失敗の根が生じるもの、注意すべきは順境のときであって、気をひきしめねばなりません。甘い話と旨い話は決してころがっておりません。また逆に下り坂の時は試練だと思い、用心をして「忍」の一字に住すること。ところが突然、予想もしない出来事がおこってきます。これが「まさか」です。
人間関係でこの人は絶対だと信頼していた人に背を向けられたり、突然、交通事故にあったり、また自分自身思いもかけなかった病魔におそわれたり、ということが常日頃おこってきます。 特に人の気持ちというのは移ろい易いもので、昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵と成りやすく、些細なことで離れたり仲直りしたり、集合離散は世の常です。論理より好き嫌い、喜び悲しみ、などの感情が優先してしまいます。
人との付き合いでは、言葉が大事な働きをします。感情に流されず、言って良いこと悪いこと、言わねばならないことと沈黙を守ること。そのけじめをつけねばなりません。 具体的には、学校の先生や友人、後輩、また会社の上司や同僚、部下に対して、馴れ馴れしい態度をとらず、親しき中にも礼儀ありで、一回一回、丁寧に挨拶し、相手を敬う心を離さないことが人間関係での「まさか」を回避する秘訣です。
それにしても感情に支配されやすい私達人間は、仏様の前に自らおく時間を日々第一に作り出していくことが大切です。仏様の前に我が身を置くことで、心にゆとりが生まれ、敬いの心も養われてまいります。心と身体、思い方がよくなってきます。また、思わぬ出来事に遭遇しても、私達をよい方向へと導いてくださる仏様の大きな恵みを感じられるものです。
両親からいただいた、かけがえのない尊い命を大事にして、毎日毎日を大切に生きましょう。
開導聖人の御指南に 「南無妙法蓮華経と唱る人を、昼夜身に影の添うが如く、響の音に応ずるが如く、釈尊上行日蓮大士は守らせ給ふこと、信者少しも疑ふことなかれ」(扇全13巻360頁)
御題目を唱えると、仏様のお守りをいただける生活へと変わってまいります。 是非一度、当寺院にお参詣にお越しください。清楚な心持ちになれます。
尚、当ホームページには、所属教務(僧侶)が日常に感じたこと、仏教のお話などを掲載している「教務ブログ」、寺内行事や信行体験談を掲載している「妙証だより」などもありますので、ご覧になられて、当寺院に関心をもっていただければ幸甚です。
本門佛立宗 乗泉寺住職 合掌