朝参詣に支えられて

冬空私は、五年くらい前から朝参詣を続けさせて頂いております。始めたころは、朝起きるのもつらく、気合いを入れて頑張って起きていました。それが今では生活の一部にとなり、一日のスタートは朝参詣から、というのが自然な流れになっています。

私は、コツコツ取り組むとか長く続けるということが、あまり得意なほうではありませんので、まずは、朝参詣を続けることができ、毎日体のお初穂をさせて頂けるということ自体が、ご利益だと感じています。 

このように、朝参詣を続けられるようになったのは、御法門のおかげです。朝参詣をして御法門聴聞をさせて頂くようになってから、自分が変わってきました。考え方やものの見方、人との付き合い方、御法門の教えに沿って、変化していくのを実感しています。 

その中で一番の変化は、どのようなことがあっても「受け入れる」ということができるようになったことです。特に就職して社会に出てからは、理不尽なことや思い道りに行かないことも多く、そのたびに悩むこともありましたが、それでもその状況を受け止めること、そしてひとつひとつを御法様におすがりしながら、ご信心で乗り越えてくることができました。 

振り返れば、ご信心をしていなかったらきっと一時の感情でいろいろなことを中途半端にしたままだったのではないかと思います。それが、朝参詣と御法門聴聞のおかげで、自分なりに納得して、自分の道を歩いていくことができるようになり、日々喜びを感じています。 

これからも、朝参詣と御法門聴聞に励み、たくさんのことを学んでいきたいと思います。そして、自分がありがたいと感じたこと、ご信心に対する感謝の気持ちを周りの方々にきちんと伝えていけるように努力していきたいと思います。ありがとうございました。(M.N) 

御教歌   朝ごとに むかへばちりを払う也 心の鏡 くもらずもがな

平成23年度 信行体験談集「涌出」より


御供水さん

お初水本門佛立宗では、御宝前に朝一番にお水をお上げするお天目様と共に沢山のお水をお上げします。

日常、私たちが頂くお供水さんです。ここで私は習い損じの御懺悔の気持ちで話しさせて頂きます。 

私は昨年6月30日の夜からお腹が痛くなり、翌7月1日の朝になっても痛みは治りませんでした。その日は、お総講前に3日の日の日曜大会のリハーサルが一通り終わったので、タクシーで家に帰り近くの病院に行きました。盲腸かも知れないので、大きな病院で見てもらった方がよいと、K病院を紹介されました。入院検査の結果腸閉塞との診断でした。 

最初は手術が必要と脅かされましたが、結局手術は免れ、官を通す処置で対応する事になり、ホッと致しましたが、痛みはすぐ取れませんでした。10日位の入院とのことでしたので、御奉公の打ち合わせもあり、御講師に事のいきさつをご連絡致しましたら、すぐにお見舞いに来て下さり、「お供水さんを頂いている?」との第一声でした。私は頭をガーンと叩かれた思いでした。孫はよくお供水さんを頂いておりますが、自分はお天目を頂くくらいでした。 

考えてみれば以前病気をした時は良く頂きました。世間でも朝晩コップ一杯のお水は健康に良いと言われており、特にお供水さんの有難いことは人にも話し、自分でも解っているつもりでしたが、実際は日常生活でコップ一杯のお供水さんを頂くことを怠っていました。お供水さんは病気になったときに、一生懸命頂けば、病気を治して頂けるくらいに軽く考えていたのです。本当に反省をさせられました。 

連合内でも、お年寄りの方ですが長年介護疲れで調子が良くないといっていた方に、お役中さんがお寺からお供水さんをお持ちし、お供水さんの功徳の素晴らしいこと、またその頂き方もお教えし、病院で検査の結果、どこも悪くないといわれ喜んでいらっしゃったと言うお話しを伺いました。 

お供水さんは有難いということは解っていても、実際に頂いている方が意外と少ないのではないかと思います。これからはお供水さんを、しっかりと頂き毎日健康のお計らいを頂いて、尚いっそう御弘通御奉公に頑張りたいと思います。(S.H) 

御教歌     のんで見て 御利益を得て なる程と そこで薬の 第一をしる


日常信行の功徳

バスありがとうございます。私は大森で小さなクリーニング屋を営んでおります。今回、仕事のことで御利益をいただいたお話を、ご披露させていただきます。 

私の店の近くに大手バスの営業所があり8年前から制服クリーニングの仕事をしておりました。

三年前くらいに、担当の課長さんに呼ばれ、制服が新しくなるのを機会にクリーニングを姉妹会社に依頼する予定なので、その時は宜しくとの話がありました。私は、グループの会社なので仕方がないとあきらめておりました。 

ところが、大手バスの新しい制服が出来た直後、担当の課長さんより再び呼ばれ、今まで通り引き続き仕事をしていただけないかとの話があったのです。驚きと同時に安心をしました。詳しくお話を聞きますと新しい制服は胸にワッペンがつき、高温で洗うと溶けてしまい、私共の設定料金の倍くらいの見積もりを言われたそうです。私共は以前と同額での仕事ですので、なんら変わりはありません。そして、引き続きのお付き合いをさせていただくことになったのです。 

このことは御宝様からお守りをいただいたものと感謝申しあげると同時に、日々の御題目口唱、お寺参詣、教区や部の御奉公の功徳が、この様な形で顕わして下さったのだと随喜申しあげます。御利益を頂いた御恩に報いる為にも、教区やお寺のご奉公に邁進することを御宝前にお誓い致しました。ありがとうございました。(Y.T) 

御教歌      怠らず つとむる口唱 其しるし かならずことに ふれてあらはる

 

 


ご信心は何にもまして大きな財産

宗外の方にとって、「信心」というと、なにか自分には全く関係ないことと感じられるかと思います。自分自身も三十二歳で結婚して、母親がお戒壇を持ってくるまで、縁が少ない世界でした。従って、宗外の方の気持ちも良くわかります。

しかし、入信して二十七年経つ今では、亡き母が残してくれたこの仏立宗のご信心は、何にもまして大きな財産だと強く感じています。毎朝、起きれば顔を洗いますが、心はいつ洗いますか?ご信者は、朝のご宝前への挨拶で心を整え、お寺への参詣とご法門の聴聞で心を洗い、新たな気持ちで日々を過ごします。

お導師の「平凡は非凡」の言葉に励まされ、ありがたいと感謝できる自分を確認できます。振り返るとご信者になってのしばらくは、まだまだ欲望・自力という鏡の中に閉じ込められた自分であったという気がします。

第一の転機は、四十四歳の時にありました。勤務していた、石油化学系の会社は、景気の波の乱高下のまっただ中にあり、川崎工場の技術部門にいた私は上司より、六名のチームのリーダーとして二名の部下の配置転換の指示を受け、内示をしたものの、その後人事部門からの正式な通達がなく、職場の人間関係が良くない中での超多忙な日々でした。

四月に甲のお講を受けたとき、御導師より、「Iさん、おすがりするのですよ」と当方が何も言わないのに、小声で諭されました。当時の自分の考えは、仕事は男の世界であり、人事を含めて自分でどうにかするという考えでいたものの、何も好転せず、もやもやの中で自分の負担ばかりが増える日々でした。その結果、体調を崩して、結局自分自身が本社勤務として転出することになりました。お罰を受けましたが、一方でそれは良い転機となり、出勤時に渋谷のお寺にも寄りやすくなったのです。また通勤も(少しですが)近くなりました。

それ以後いくつかのご利益を頂き、お講師や先輩のご信者の指導を受けて、信心が深まりました。義理の父のすい臓が悪くなり、黄疸症状も出て危ないといわれたときも、妻はお寺のお供水を渋谷から群馬の太田まで運び、義理の父も元気を取り戻しました。また次男の高校入試でも、十四回も青年会メンバーがお助行に来てくれて、無事目標の高校に入学できました。ふつつかながら現在青年会のご奉公をするようになりました。

渋谷の乗泉寺は、都会のオアシスとして、宗外の方も疲れた心を癒す場所として訪れてほしいものです。微力ながら、今度とも、先輩のご信者さんへの恩返しができる信者を目指して、一歩でも前に進んでいきたいなと思っています。(A.I)

御教歌      宮つ子が 神のみまへの朝ぎよめ 口唱は心の 掃除也けり


私と本門佛立宗との出会い

私と妻とは、結婚してはや足掛け四十三年にもなりました。この長い年月一家を構えている中には当然俗に云う山や谷が何度も現れ、それを乗り越えなければならない状況が多くありました。 

私と本門佛立宗との御出会いは、妻の実家に初めて訪問した時、立派な御戒壇上の真っ黒な御尊像を目にして驚き、その所以を妻や義父母に訊ねた時からでした。 

私の生まれ育った家は他宗で、実母以外は毎日仏壇に手を合わせる習慣もほとんどなく、私自身もそういう環境の中で、宗教に対する関心もうすい日々を送ってまいりました。当初は妻の実家での熱心なお看経が理解できず、何となく今までの環境に大違いの為か、にわかには入って行けない様な感じをもっていました。 

しかしながら長男が生まれた頃から、熱心な妻の説明で家庭の中心になる強い物の考え方、正しい生活態度、先祖への敬い等々、妻が佛立宗に対して熱心に全力で打ち込んでいる姿勢が、この宗教に何かこの家に良い事をもたらしてくれるものと確信できる迄に至っておりました。 

私自身二十四年前に、交通事故の被害者になった状況から見ております。普通では助からない中、命を失う事もなく、後遺症に悩む事もない日々を送れるのも、以前の私でしたら、ただの偶然、運が良かったとだけで終ってしまうのを、妻を始めとする厚い信仰のおかげを感謝し今ではできるだけ、朝晩二回のお看経に一家一族の安泰と元気にいつまでもお看経が続けられますよう願っております。ありがとうございます。(S.S)

御教歌      今迄は物ぐさかりしお唱へも いそぎたのしむ身とぞなりぬる


財の功徳を積んでのご利益

ありがたいことに、私共の子供三人は三人とも、それぞれが無事に御本尊を奉安出来ております。昨年は京都本山において平成の大改修が行われ、大屋根の瓦葺き替えの御有志を募っておりましたので、またとない機会と子供たちにも勧めてみました。みな素直に喜んでさせて頂いたお陰で、以下のお計らいを頂戴することが出来ました。 

①長女。その年に念願のマンションを購入することが出来ました。孫も自分の部屋が出来て大喜びです。 

②長男。結婚2年目にして、今はやりの太陽光発電エコを取り入れ、オール電化のマイホームを新築することが出来ました。御本尊・御尊像を護持させて頂いておりますので、仏間には御法様専用の水屋も出来、大変随喜いたしております。2月には受持お講師より、お礼の御講を務めていただきました。これはお嫁さんの内助の功も勿論ですが、何よりも御法様から頂いた大きな大きなご利益です。 

③そして次男も、私の家の2階の事務所が開きましたので、3月より改修工事を始め、今年新居に移ることが出来ました。 

思いがけず三人が三人とも、新居に住めるというお計らいを頂くことが出来たのでした。これもみな、財の功徳を積ませていただいたことによる御利益であると随喜させていただいております。ありがとうございました。(Y.T) 

御教歌      出したれば損と思ふを仏法を さかさまにきく耳といふなり


大難が小難に

交通ありがとうございます。平成二年に主人の母が亡くなり、その後、私たち夫婦が母の後をひきつぎ、御宝前をお守りする事になりました。今考えてみると、いろいろな出来事が、走馬燈のように頭をよぎります。 

最近のことでは、こんな事が思い出されます。長女が初めてバイクを買い、通勤していましたが、バイクのタイヤがすり減っていたためか、帰り道、バイクがスリップして横転。その時、娘もビックリして周りを見ると、トラックが止まり、娘がバイクを起こすのを待っていてくれたそうです。家に帰り、その話を聞いた時、私はビックリ!思わず御題目を唱えていました。 

また昨年、主人が酔って、手に軽いけがをして帰ってきたこともありました。私自身、自転車で出合いがしら、自転車どうしでぶつかり、ころんだこともあります。でも、これらはみな、御法門でいわれる「大難が小難に」という通りで、みな大きな事故にもならず、大きなケガもせずに済んだ御利益と感得しています。これらを考えると、私はご信心をしているお陰で、いつもお祖師様が守ってくださっていると思いました。 

平穏な毎日を送っていられる事はどんなに幸せなことか。これから先も、いろいろな事があると思いますが、日々精進し、感謝の気持ちをわすれることなく気張らせていただきたいと思います。ありがとうございました。(M.I)

御教歌    何よりも 達者でくらす 御利益を こんなもうけは なしとよろこべ

平成22年発行 信行体験談集「涌出」より


主人の母をお教化

ありがとうございます。

今日は主人の母が教化になったことをお話したいと思います。その前に主人を教化した時の話からかいつまんでお話させていただきます。 

結婚して十三年が経ちます。出会った当時主人は公務員として勤務していました。いざ結婚が決まると次々に障害が出てきました。一番はこのご信心でした。宗教ご法度の教育を受けた主人には、ご信心など到底受け入れられる問題ではなく、とにかくやめてくれの一点張りでした。 

ご宝前に向かって物を投げつけたり、ご奉公を邪魔されたり、あらゆることに反発され、結婚そのものを解消するころまで話が進みました。宗教を全否定していた主人が教化に至るまで五年かかりましたが、その間は気の休まる時はなく、教化一筋、何とか少しでも解ってもらいたいとご祈願させていただき、信心をめぐり何度も何度も主人とぶつかりました。そのたびに主人をとるか宗教をとるかの選択を強いられ大喧嘩になったことは昨日のことのように鮮明に覚えております。 

逆縁という縁の中、結婚をし、苦労は試練と受け止め、ご法様におすがりする毎日でした。結婚生活の中では病気があったり流産があったり、親類・友人の死があったりといろいろありましたが、主人の実家が千葉歓照寺のすぐ近くというご縁と、お導師との出会いがあり、現在主人は歓照寺の役中として御奉公、私は乗泉寺の御奉公と、所属は違いますが、それぞれに楽しく御奉公をさせていただいております。 

そんな中、入退院を繰り返しておりました主人の父が、昨年9月に亡くなりました。父が生前、主人の折伏により歓照寺のお導師と二度ほどお目にかかれるお計らいをいただいておりました。中山家は先祖代々他宗の檀家であり、当然親戚一同そちらでの葬儀と思っていたようでしたが、お導師のお慈悲により、本門佛立宗のお題目で送ることができました。 

葬儀には千葉のお講師方はじめ、たくさんのご信者さんがお焼香に来て下さり、一心にお題目を唱える姿にはじめて触れ、親戚一同驚き、感動したようでした。父が亡くなったその日に主人の折伏により主人の母が入信となり、お戒壇を購入、唱題寺お導師のご染筆による護持ご本尊をおまつりし、お戒壇開き御礼お講、乙の願主になりお講席も受けさせていただくことができました。義母は信心をわからないながらも、毎日朝参詣を欠かさず、教区の方々の温かいご指導により、感謝の気持ちで御奉公させていただいております。 

教化子が教化してはじめて教化と習いましたが、主人を教化して七年、やっと私の教化が成就いたしました。そして主人の御奉公の姿と教化への思いと、また結婚してから十三年間、八戸の私の母と二人毎日一日も欠かさずあげさせていただいているご祈願・ご回向がご法様に届き、義母の教化につながったと随喜しております。 

主人と結婚した意味、お寺に自宅が近いという意味、様々な試練とも思える出来事の意味は決して偶然ではないと思います。義母を見習い、初心に帰り、日々信心改良をして、教化・育成ご奉公に精進させていただきたいと思っています。(K.N) 

御教歌      さかさまに  結ぶゑにしも  法の花 そしるにさへや 香にうつるらん


高祖会での御利益談発表②

高祖会2日目、第2座で発表された体験談を紹介いたします。

 

ありがとうございます。

私の初めてのお教化、両親のお教化のお計らいを頂戴したお話をさせて頂きます。私は乗泉寺に入信して、間もなく5年になります。入信した頃は自分自身の事に精一杯で、お教化というものに全く関心がございませんでした。

ご信心をさせて頂いて2年程過ぎた頃、朝参詣や御講席で頂戴する御導師や御講師の御法門を聴聞していくうちに、お教化という御奉公がどんなに有難いものなのか、わからせて頂くようになりました。

 

そして一昨年、私にはお教化したい知人の息子さんが出来ましたが、よく考えてみますと、自分の一番大切な両親をお教化していないことに気付きました。まずは両親をお教化しなくては・‥と思いました。

 

ところが九州にいる私の両親、特に父親はご信心に強く反対しており、ご信心の話をするだけでも怒られる始末でしたし、私が乗泉寺でご信心しているのを母から聞いても、「まだあんなお寺へお参りとかしているのか!」とよく怒っておりました。何度もご信心の話を父に試みましたがいつも怒られ、時には物が飛んできて叩かれることも度々ありました。「もう後は御宝前にお願いするしかない!」と思い、両親のお教化成就を一番に御祈願させて頂くように致しました。

 

昨年の9月、妹からひどく震えた声で電話がありました。「お姉ちやん、お父さんが交通事故起こした。バイクに乗った人をはねてしまった」と言うのです。父が真っ暗な農道で、80歳のおじいさんを跳ねてしまい、脳内出血を起こし、救急車で運ばれ、ご高齢ということもあり、後一週間もつかどうかということでした。「父が人の命を奪ってしまう。」私は倒れそうになりましたが、すぐ父に電話して「お父さん、一生のお願いだから近くの佛立宗のお寺へ行ってお参りして!必ず助かるから」と言っていました。両親は妹たちに連れられ、近くのお寺へ参詣し、必死で御祈願をしたそうです。私も乗泉寺の御宝前へ日夜御祈願させて頂くことしか出来ませんでした。

 

すると事故に遭われたおじいさんの脳の中の出血は奇跡的に収まり、命に別状は無くなり、食事も出来るようになるというお計らいを項き、心から御宝前へ感謝致しました。そして10月に入ると、私の仕事の予定が、1ケ月空いてしまったのです。こんなことは初めてでした。これは御宝前が「両親をお教化する為の時間を下さったのだ」とすぐに九州に帰省しました。

 

帰省する3日前、所属する教区での教化道場があり、皆様に「ご両親のお教化、頑張ってね」と、勇気を頂きました。そして、実家に帰り1週間後、勇気を持って父に「お父さん、有難い御宝前をお迎えしよう、お父さんお母さんをどうしても救いたい、私は、お父さんお母さんと一緒に必ず幸せになりたいの」と話をしました。「うちは先祖代々の宗旨があるから」と、こだわっていた父が「わかった、お前がそこまで言うならやってみよう、東京でも俺のことでお参りしてくれてたんだしな。」といって、やっと首を縦にふってくれました。そして、地元のお寺の御講師に御本尊様を御奉安を頂きました。

 

初めて3人で、御宝前の前でお看経を上げた時、父と母と一緒に”南無妙法蓮華経”と唱えることが出来るあまりの嬉しさに、泣きながら御題目をあげていました。

 

父は「お前が東京に戻っても、俺はちやんと御題目をあげるから、安心して帰りなさい。」と言ってくれました。事故に遭われた方も無事に退院されました。「お参詣をさせて頂くようになってから、俺も仕事でお計らいを項いてるよ、お前が言ったようにこのご信心は本物だ」と嬉しそうに話してくれました。本年1月6日、寒参詣の初日、両親と揃って朝参詣が出来ました。

 

今まで私一人だけのご信心でどれだけ心細かったでしょう。でも家族と一緒に御宝前の前で御看経が出来るという喜びは、本当になにものにも変え難いものとなりました。

御宝前様は勿論のこと、御講師、支えてくれた教化親、ご信者の方々に心から感謝申し上げます。これからも色々なことがあると思いますが、この喜びを胸に、御弘通御奉公に精一杯励ませて頂きます。ありがとうございました。(Y.H)

 

 

 


高祖会での御利益談発表

ありがとうございます。

昨日の高祖会第三座において発表された体験談を、以下に紹介致します。 

「主治医もビックリ」

私は、ご信心にお出会いする以前、14、5年前にリウマチと診断されました。次第に両腕がパンパンに腫れ上がり、足は徐々に変形して曲がってきました。 

昨年の11月頃、T医大の先生から手術を勧められ、82歳という年齢的な不安はありましたが、手術をする決心をしました。お講師をはじめ、教区の皆さんのお助行のお陰で、入院・手術と順調に運び、リハビリを含め1ヶ月足らずで退院することが出来ました。退院後は、手術したことを忘れるくらい、杖を使うことも痛みを感じることも無く、歩くことが出来ました。 

ここまで良くなることは、非常に珍しいことのようで、先生から病院で開かれる研究会で発表して欲しいと言われました。人前で話すことは苦手なので、お断りしようと思いましたが、このご信心のすばらしさを伝える良い機会だと思い、お話をお受けしました。 

当日は、先生方や患者さん、マスコミの方々も大勢いらしており、大変な緊張感ではありましたが、素晴らしい先生に出会えたことも、これほど良くなったことも、日頃から心の支えにしている本門佛立宗のお陰と、皆様の前で佛立宗のご信心の有り難さをお話させていただくことが出来ました。 

今後は、この御恩に報いる為にも80歳を過ぎた私ですが、精一杯御奉公に気張らせていただきます。(M.T)